2006年9月下旬に卵巣・子宮摘手術が決まったが、入院前の転移箇所探しの検査オンパレード
の日々、さぞかし不安と恐怖の毎日を送っていたのだろう、と思いきや、ふと当時のアルバム
を眺めてみると・・・・。なんかあちこち遊びに行っているし、アルバムな中の私は結構楽しそうな
表情をしていた。検査は検査としてちゃんと日常を楽しんでいたようだ。
6月下旬には、両親と弟家族と箱根旅行。
7月は、三浦海岸へ海水浴、地元のお祭り。
8月は、大阪帰省に併せて高野山日帰り旅行、おかあさんといっしょファミリーコンサート。
しかし8月には息子最大の危機が・・・。近所の公園のジャングルジムの一番上から、
足を滑らせて転落したのだ。落ちたところはコンクリート、息子は大泣き。すぐ救急車を呼ぶ。
レントゲンは異常なし。でも打ったところの頭はいくらか凹んでいる?夜は1,2回吐いた。
これは頭部異常ではなく、よくあることらしい。結局事なきを得たが、それから数年間、
私はジャングルジムには近寄ることができなかった。
さて、9月下旬の入院に向けて、パジャマを買い足したり、図書館で本を大量に借りたり、
お茶・コーヒーセットを作ったりと、準備に余念がない。なんか合宿前のテンションハイ状態。
婦人科入院なので先生たちも馴染はないが、執刀医の先生も信頼できそうだし、手術に関しては
特段不安はない。
果たして手術も無事終わり、回復を待つだけとなった。さすがに乳腺の手術とは違い、
内臓の手術はキツイ。術後しばらくは、寝返りも起き上がるのも一苦労で、咳や大笑いは地獄の
痛みが待っている。それでも日ごとに痛みは和らぎ、術後10日程で退院した。
今回は2人部屋だったが、入院期間の半分は私一人だったので、個室気分を味わえて快適。
余計な人間関係の苦労も皆無。めでたし。
術後の病理の結果が出た。やはり乳がんからの転移。大きさは(聞いたのだろうが)忘れた。
少量の腹水があり、そこにも癌細胞があったが、全部取り切れた。腹膜転移は無し。
まあ想定内。腹膜転移がなくてよかった。腹水はドキッとしたが、あとはナベルビンに任せよう。
入院中は、今回も大阪の義母が手伝いにきてくれた。いつも頭が下がる。
退院10日後に保育園の運動会があり、私も見に行って楽しんだ。息子にとって初めてのかけっこは、
わけがわかっていなかったが、お父さんとの競技は本当に嬉しそうに参加していた。
義母も目を細めて喜んでくれた。
11月1日には幼稚園の入園手続きがあり、希望の幼稚園(家の隣)に入れるよう、ダンナと二人で
いくつかの幼稚園をかけずり回り、抽選の結果を伝えあい、ドタバタ劇だった。
幼稚園ごときでなんで?疲れたわ。
術後の治療は、退院直前に早くも抗がん剤を再開した。
ナベルビン2投1休、ハーセプチン毎週、ゾメタ4週に1回。つまりは毎週の通院だ。
今のところ吐き気などはないが、血管痛と口内炎と白血球減少が主な副作用だ。
しかしだんだんペースもつかめてきた感じだ。
術後1カ月がたち、体力もだいぶ戻ってきたので、家族で初めてのディズニーランドに行った。
私は10年以上振りでかなり興奮。息子も大喜び、と思いきやちょっと元気がない。
夕方になるころ疲れたのか、気持ちが悪い、と言いだす。仕方なく楽しみにしていた(私が!)
エレクトロニカルパレードは諦め、駐車場に向かった。あれ、なんかかなり悪そう。
しゃがみ込んで吐いた。風邪か?胃腸炎か?これは急いで帰らねば。
車で1時間半、車中で10回ほど吐いた。帰ってからも夜中まで吐いていて、私はつきっきりで寝られず、
疲れ切った。翌日の休暇を挟んでその翌日、病院で点滴を打ってもらい、なんとか回復に向かった。
しかし今度はダンナが吐き始めた。私は疲れ切った身体に鞭打ってダンナを病院に連れていく。
やはり点滴。処置が早かったので回復に向かう。やれやれ。数日後の、すごく楽しみにしている
ビリー・ジョエルのコンサートには絶対行きたいのでそれまでの辛抱。
だが今回私は大丈夫なのかな、と思っていた矢先、やはり来た。気持ちわるっ。トイレにこもって吐く。
あーあ、もういやだ。抗がん剤でも吐いたことなかったのに。つ、辛い。
ということで、ビリー・ジョエルも消え去り、とんだ一週間だった。ウイルス検査はしていないが、
ノロウイルスあたりか。そしてディズニーランドはちょっとしたトラウマになり、
数年後にディズニーシーに行くも、未だに2回目のランドは実現できていないまま。
ついでに、数年後にテレビで放映したその時のビリーのコンサートは、往年の名曲オンパレードで、
素晴らしかった。テレビを見てしばらくは、悔しすぎて眠れなかった。
12月に入り、通院前の散歩と称して新宿御苑の紅葉を楽しんだり、街中のイルミネーションを見に行く
余裕も出てきた。早くも告知後3度目のクリスマスを迎える。が、なんとクリスマスを前に息子がまた
吐き始めた。こ、今度は何だ?イブの24日は休日診療所に駆け込んだ。最後の最後までこんなか。
でも今回は軽く済んでよかった。息子は胃腸が弱く吐きやすいのだ。
こうして、手術したことが遠い昔のように感じられるぐらい、息子のことでバタバタと忙しく疲れたが、
手帳を良く見ると、ママ友とランチしたりしっかり息抜きもしている。なるほど。
さて、ナベルビンの効果の方は・・・腫瘍マーカーCAEが基準値に入った。思った通りだ。
きっと腹水にあった癌細胞がもし残っていたとしても、既に叩きのめしてくれているだろう。
そして、ナベルビンは・・・結論から言うと劇的に効果を発揮し、約3年間の寛解をもたらしてくれた。
この幸せな安定した3年間は、そのまま充実した幼稚園ママ時代を私に与えてくれたのだ。
えー、そうなの?ならこの転移後シリーズも3年分ワープするのか?
つづく・・・。
まだまだ続く転移シリーズに応援のクリックお願いします。励みになります。
の日々、さぞかし不安と恐怖の毎日を送っていたのだろう、と思いきや、ふと当時のアルバム
を眺めてみると・・・・。なんかあちこち遊びに行っているし、アルバムな中の私は結構楽しそうな
表情をしていた。検査は検査としてちゃんと日常を楽しんでいたようだ。
6月下旬には、両親と弟家族と箱根旅行。
7月は、三浦海岸へ海水浴、地元のお祭り。
8月は、大阪帰省に併せて高野山日帰り旅行、おかあさんといっしょファミリーコンサート。
しかし8月には息子最大の危機が・・・。近所の公園のジャングルジムの一番上から、
足を滑らせて転落したのだ。落ちたところはコンクリート、息子は大泣き。すぐ救急車を呼ぶ。
レントゲンは異常なし。でも打ったところの頭はいくらか凹んでいる?夜は1,2回吐いた。
これは頭部異常ではなく、よくあることらしい。結局事なきを得たが、それから数年間、
私はジャングルジムには近寄ることができなかった。
さて、9月下旬の入院に向けて、パジャマを買い足したり、図書館で本を大量に借りたり、
お茶・コーヒーセットを作ったりと、準備に余念がない。なんか合宿前のテンションハイ状態。
婦人科入院なので先生たちも馴染はないが、執刀医の先生も信頼できそうだし、手術に関しては
特段不安はない。
果たして手術も無事終わり、回復を待つだけとなった。さすがに乳腺の手術とは違い、
内臓の手術はキツイ。術後しばらくは、寝返りも起き上がるのも一苦労で、咳や大笑いは地獄の
痛みが待っている。それでも日ごとに痛みは和らぎ、術後10日程で退院した。
今回は2人部屋だったが、入院期間の半分は私一人だったので、個室気分を味わえて快適。
余計な人間関係の苦労も皆無。めでたし。
術後の病理の結果が出た。やはり乳がんからの転移。大きさは(聞いたのだろうが)忘れた。
少量の腹水があり、そこにも癌細胞があったが、全部取り切れた。腹膜転移は無し。
まあ想定内。腹膜転移がなくてよかった。腹水はドキッとしたが、あとはナベルビンに任せよう。
入院中は、今回も大阪の義母が手伝いにきてくれた。いつも頭が下がる。
退院10日後に保育園の運動会があり、私も見に行って楽しんだ。息子にとって初めてのかけっこは、
わけがわかっていなかったが、お父さんとの競技は本当に嬉しそうに参加していた。
義母も目を細めて喜んでくれた。
11月1日には幼稚園の入園手続きがあり、希望の幼稚園(家の隣)に入れるよう、ダンナと二人で
いくつかの幼稚園をかけずり回り、抽選の結果を伝えあい、ドタバタ劇だった。
幼稚園ごときでなんで?疲れたわ。
術後の治療は、退院直前に早くも抗がん剤を再開した。
ナベルビン2投1休、ハーセプチン毎週、ゾメタ4週に1回。つまりは毎週の通院だ。
今のところ吐き気などはないが、血管痛と口内炎と白血球減少が主な副作用だ。
しかしだんだんペースもつかめてきた感じだ。
術後1カ月がたち、体力もだいぶ戻ってきたので、家族で初めてのディズニーランドに行った。
私は10年以上振りでかなり興奮。息子も大喜び、と思いきやちょっと元気がない。
夕方になるころ疲れたのか、気持ちが悪い、と言いだす。仕方なく楽しみにしていた(私が!)
エレクトロニカルパレードは諦め、駐車場に向かった。あれ、なんかかなり悪そう。
しゃがみ込んで吐いた。風邪か?胃腸炎か?これは急いで帰らねば。
車で1時間半、車中で10回ほど吐いた。帰ってからも夜中まで吐いていて、私はつきっきりで寝られず、
疲れ切った。翌日の休暇を挟んでその翌日、病院で点滴を打ってもらい、なんとか回復に向かった。
しかし今度はダンナが吐き始めた。私は疲れ切った身体に鞭打ってダンナを病院に連れていく。
やはり点滴。処置が早かったので回復に向かう。やれやれ。数日後の、すごく楽しみにしている
ビリー・ジョエルのコンサートには絶対行きたいのでそれまでの辛抱。
だが今回私は大丈夫なのかな、と思っていた矢先、やはり来た。気持ちわるっ。トイレにこもって吐く。
あーあ、もういやだ。抗がん剤でも吐いたことなかったのに。つ、辛い。
ということで、ビリー・ジョエルも消え去り、とんだ一週間だった。ウイルス検査はしていないが、
ノロウイルスあたりか。そしてディズニーランドはちょっとしたトラウマになり、
数年後にディズニーシーに行くも、未だに2回目のランドは実現できていないまま。
ついでに、数年後にテレビで放映したその時のビリーのコンサートは、往年の名曲オンパレードで、
素晴らしかった。テレビを見てしばらくは、悔しすぎて眠れなかった。
12月に入り、通院前の散歩と称して新宿御苑の紅葉を楽しんだり、街中のイルミネーションを見に行く
余裕も出てきた。早くも告知後3度目のクリスマスを迎える。が、なんとクリスマスを前に息子がまた
吐き始めた。こ、今度は何だ?イブの24日は休日診療所に駆け込んだ。最後の最後までこんなか。
でも今回は軽く済んでよかった。息子は胃腸が弱く吐きやすいのだ。
こうして、手術したことが遠い昔のように感じられるぐらい、息子のことでバタバタと忙しく疲れたが、
手帳を良く見ると、ママ友とランチしたりしっかり息抜きもしている。なるほど。
さて、ナベルビンの効果の方は・・・腫瘍マーカーCAEが基準値に入った。思った通りだ。
きっと腹水にあった癌細胞がもし残っていたとしても、既に叩きのめしてくれているだろう。
そして、ナベルビンは・・・結論から言うと劇的に効果を発揮し、約3年間の寛解をもたらしてくれた。
この幸せな安定した3年間は、そのまま充実した幼稚園ママ時代を私に与えてくれたのだ。
えー、そうなの?ならこの転移後シリーズも3年分ワープするのか?
つづく・・・。
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ビリージョエルなんて懐かしい響き‥久しぶりに、あの素敵な歌声が頭の中によみがえってきました。私も大好きでよく聞いていました!!
他にも、スティング、エッリククラプトン、エルトンジョン‥心ときめかせた名曲の数々が、
アッピアさんのブログのおかげで、頭の中グルグル‥沢山思い出す事ができました。
でも私が、一番好きだったのは、マイケルジャクソンなんですよね(笑)
20代前半並んで並んでやっとの事でコンサートチッケットを入手して、東京まで行きました!
楽しかった青春時代の思い出です。
私も、子宮と卵巣も切除しています。術後は、食欲がまったくでなくて、回復が遅れるって看護士さんに叱られた事を思い出しました。あと、術後は本当に痛かった~!!
1977年かな?高校生の時に初めて行った外タレのコンサート。すごく大人になった気分だったわ。
クラプトン、スティング、しぶい~!
私は、ボン・ジョヴィ、U2、ナイトレンジャーなんて、ミーハーだよね。
80年代なんだ。こんなことも記事にしたいんだけど、またスターウォーズになっちゃうわ。
マイケルも天才だったよね。コンサートすごかったでしょう。
青春だったね、お互いに!まだまだ気持ちは青春だよ!
吐いたりしたら、それこそ慌てますしね
一番上ってかなり高いですし、子供が遊んでる最中ハラハラする遊具ですよね。
うちは、今大学生の娘が幼稚園で木登りして落ちちゃった経験があるんですが…。
顎を5針縫って、血だらけでほんとに心臓が止まりそうなくらい慌てましたが、小さいうちは何かと心配が絶えないですよね~
京都の暴走車など、一瞬で子供の命を取られてしまう事故考える時、恐ろしすぎて想像さえ出来ません
ビリージョエル、私も大好きなので行けなかった悔しさお察しします~
そして、今もずーっと夢中なのがボノ! 今もよ!
彼の書いたもの、言ったことを原語で理解する努力をしてきて、最近やっと分かるようになりました。
積み重ねは凄い!ボノAddictで免疫力もアップよ!
アッピアさん、なんか私、恥ずかしいわ、自分の投稿文に。
聴いただけで弾けるなんてさすが、音感抜群なんですね。
サックス奏者のケニーGは有名らしいですね。私、よく知らないんです。
高校の時バンドやっていたなんて、カッコイイじゃないですか。
う~、出てくるアーチストが同年代だわ~!
私は80年代前半洋楽なんですよ。
たまにカラオケ行って歌いまくります。
やっぱり青春だわ。
夜吐いたのは、小さい子供にはよくあることで、昼間のショックからくるようです。1回だけだったので大丈夫だろうな、と。
娘さん、木から落ちて血だらけだなんて、本当に心臓止まりそうになりますよね。
こうして危ないことかわして今元気なんですよね。
当たり前ではないからこそ、今の当たり前の日常を大切にしたいです。
ボノは、今や影響力大のスーパースターですよね。私は、ニューイヤーズデーのころの純粋無垢(?)なころのボノも好きです。
一番好きなアルバムは、やはりヨシュアツリーかな。
今でもたまに、80年代前半洋楽CDなんか聴いて懐かしがってかつテンション上げてます。
いやあ、いいじゃないですか、全然恥ずかしくないですよ。また語りましょうよ。