昨日は七夕でしたね。天気はあいにくで星空は見えませんでした。
私は、先日旅立ったがん友さんとお別れしをてきました。
私より少し年下の彼女、人が大好きで、何より人間関係を大切にしたい、と言っていたとおり、
たくさんの人がお見送りに足を運んでいました。
ご主人の最後の挨拶の言葉が印象的でした。
「・・・四十数年という決して長いとはいえない人生を、精一杯駆け抜けていき、きっと充実した
人生だったと信じています・・・」
病状が厳しい局面になり、主治医もさじを投げても、あきらめずに自分の足で治療法を探し転院して、
納得の上でリスクの高い化学療法を受け、一時は元気に家族旅行が行けるまでに回復しました。
そんな彼女の闘病姿勢は、自分のモデルケースとなりました。
好奇心旺盛で、どんどん好きな事にチャレンジして、生きることを楽しんでいたようでした。
最後の1ヶ月ほどは、どんな状態だったかはわかりません。苦しく辛かったことも多かったと
思います。でも家族に囲まれて、穏やかな時間もたくさん過ごせていたと信じます。
今は、彼女がそんなに遠くにいる気がしません。私の心の中に生きていてくれるからでしょうか、
それとも、自分が近い将来そちらに行くと思っているからでしょうか。
お子さんを残して亡くなりました。ランドセル姿をどんなに楽しみにしていたことでしょう。
どんなに無念だったでしょう。今は、彼女の思いに心を寄せることしかできません。
たくさんの想い、メッセージを残した彼女。
人生を生き切るとはどういうことかを考えさせれました。
自分はどんなメッセージを残せるのだろう。
「生き切る」にはどうすればいいのだろう。
家族を残して死ぬ、てどういうことだろう。
「死ぬ」て何だろう。
「命」てなんだろう。
時にはにわか哲学してもいいよね。彼女を通していろいろ考えてみたい。
まだたくさん話がしたかったな・・・。
またいつか会えるね。
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私は、先日旅立ったがん友さんとお別れしをてきました。
私より少し年下の彼女、人が大好きで、何より人間関係を大切にしたい、と言っていたとおり、
たくさんの人がお見送りに足を運んでいました。
ご主人の最後の挨拶の言葉が印象的でした。
「・・・四十数年という決して長いとはいえない人生を、精一杯駆け抜けていき、きっと充実した
人生だったと信じています・・・」
病状が厳しい局面になり、主治医もさじを投げても、あきらめずに自分の足で治療法を探し転院して、
納得の上でリスクの高い化学療法を受け、一時は元気に家族旅行が行けるまでに回復しました。
そんな彼女の闘病姿勢は、自分のモデルケースとなりました。
好奇心旺盛で、どんどん好きな事にチャレンジして、生きることを楽しんでいたようでした。
最後の1ヶ月ほどは、どんな状態だったかはわかりません。苦しく辛かったことも多かったと
思います。でも家族に囲まれて、穏やかな時間もたくさん過ごせていたと信じます。
今は、彼女がそんなに遠くにいる気がしません。私の心の中に生きていてくれるからでしょうか、
それとも、自分が近い将来そちらに行くと思っているからでしょうか。
お子さんを残して亡くなりました。ランドセル姿をどんなに楽しみにしていたことでしょう。
どんなに無念だったでしょう。今は、彼女の思いに心を寄せることしかできません。
たくさんの想い、メッセージを残した彼女。
人生を生き切るとはどういうことかを考えさせれました。
自分はどんなメッセージを残せるのだろう。
「生き切る」にはどうすればいいのだろう。
家族を残して死ぬ、てどういうことだろう。
「死ぬ」て何だろう。
「命」てなんだろう。
時にはにわか哲学してもいいよね。彼女を通していろいろ考えてみたい。
まだたくさん話がしたかったな・・・。
またいつか会えるね。
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信じられない…
自分がこの世からいなくなる、、家族と会えなくなるなんて、、、
陥ると胸が苦しくてどうにかなりそうな私はまだまだ修行が足りません。
小児がんでご子息を亡くされた有国智光氏は著書「遊雲さん父さん」にて、
~死は生の裏側であって生死の全体が「いのち」の姿なのだ~
と仰ってました。
この境地にまだ達することが出来ずにいます…
ご友人様うのご冥福を心よりお祈りいたします。
正・・・生死
誤・・・精子
です。ああ 情けない。
遅いか早いかがあっても死に向かって誰も生きています。がんはその限りある命を教えてくれるので、命の大切さを実感することができて、多分元気なときの何倍も密に生きれるのではと思います。私もどうしたら生ききれるのか、自分に問いかけてみたいと思います。お友達のご冥福をお祈りいたします。
自分だけがいなくなるなんて、考えると胸が苦しくなる。
誰でもいずれは死ぬのにね。
生死の全体がいのち・・・
深い意味がありそうだね。死があるから生があるということかな。
私もじっくり考えてみよう。
でも、私は彼女の死に接して、やはり死は自然のもの。受け入れなければいけないもの、と少しだけ感じました。
もちろん、子供小さいし、不条理だとは思いますけどね。
私も、今日一日、そして明日も!
坊さんでもあるまいし、なんて思ってしまう。
辛い心を抱えていきるのだもの、大きなメリットもないとやっていけないわ。
それをこれから探そう、と思います。
今年になってランチをした場所で 食事をしながら、年を取ればいつか訪れる死は仕方ないと受け止められるが、まだこれからの彼女の死はやはり受け止めがたいし辛い、まだまだお母さんとして娘さんとたくさんのことをしたかっただろうに、今は娘さんが幸せになることを 願うばかりです。
いつか来るその日は、 笑顔でさよなら出来るように、家族が苦しまないように、最期を迎えたい~と思いました。あっ まだまだ先ですよ!まだまだ諦めないし、頑張りますよ!
最後の文章がじーんと心に染み渡りました。
アッピアさんは、いつでも自分の気持ちに正直で、今の気持ちが伝わってきました。
でもでもアッピアさんのブログをずっと読み続けたいです。
なのでしんみりアッピアさんは寂しいです。
いつも応援しています。
アッピアさんの言う 「生き切る」
私も 今後 自分に問うていきたいと思います。
先月のことです。
クリニックの患者さんで、25歳の女性が 自宅の浴槽で溺水(おそらく、てんかん発作が原因の事故)して搬送されたことも 考えさせられました。
彼女は 看護師になりたかったそうです。
持病のために断念したので、せめて人の役にたちたいと、、、サインした臓器提供カードを 友人の看護師に見せたことがあったそうです。
ご家族の方は 愛する娘さんの気持ちを思い!
臓器提供すると決意されました。
後日、母親から 怒り悲しみで泣きながら 中止したと連絡が入ったそうです。
運命の約束の日、移植コーディネーター?が
約束の時間に遅れた詫びもせず、 チャラチャラした態度だったことが 家族としてはとても許せなかったそうです。
ご本人、ご家族のことを思うと泣けてきましたし、考えさせられました。
それから、一週間ぐらいして永眠されました。