自分はいろんな仕事してきましたが、
どれも「橋渡し」みたいな感じに見えるんです。
自分の役割は、大きなつながりの中の、ひとつなんだよね、って。
たとえば、職場メンバーの洗濯の仕事をしていた時だったら、
(分業でやってました。)
洗う時には、干す時のことを想い、
自動洗濯機から取り出した洗濯物を、
すぐに一枚一枚バラして、シワにならぬよう、充分に さばく。
干すときには、取り込む人が、ムダな動作は一つもない作業になるように
常に頭において。
取り込む時には、畳む人がやりやすいよう、向きなど考え、揃えて……。
心を寄せて、毎日その細かい打ち合わせや連絡をしあって、
そういう気風の中で (身体は疲れても)充実感を覚える日々でした。
「やっぱり聞いてみないと分からないんだねぇ~」なんて気付いたりね。
どの仕事に就くようになっても、
あの味わいは私に中に残っていて、ベースにあるようです。
未熟ながら、方向性としては、目指していきたい、って。
日常、仕事していて、ときどき
「こういうことは、一声かけてくれたら、こんなにあれこれ考えたり調べたり、
ムダな手間ひまかけることなかったのに…」なんて思うことが。
でもすぐに
「でもまぁ、自分が勘を働かせたら分かったんじゃない?」とか、
「そんでも、大した時間じゃなかったでしょ」なんて思って、
自分の中で納めていくことが多い。
「そのうち気付いてくれるかも――」とか
「みんなは、私よりずっと忙しいんだもんね」とか。
自分は、言われ弱かったり、
ミスしたらショック受けて、
それ以後しばらく緊張してしまうこともあるんです。
ということもあってか、人には なるべく言わない方にいく傾向、という現状。
明らかな間違いについても、
「これは、困る」となったら率直に伝えるけれど、
自分ですぐ処理できることは、それで済ましてしまうことが多いと思う。
なんか、つらつら書き綴ってしまいましたが、
合わせどころがハッキリしてないみたい、
ってことがハッキリ見えてきちゃいました。。
時々メモに、ひとこと書き添えてあったりして、
「michiに、すぐ分かるように」っていう心遣いが感じられて、
その、ほんのひと言が有り難く、
心があったかくなったりしてます。