河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

またまた林先生の初耳学2 「形式と本質」

2016-12-26 00:50:02 | 絵画

林先生の初耳学という番組はプルシャンブルー以来遠ざかっていたが、チャンネルを回していて、今回ふと手を止めた。

今回は僅かしか番組の後半の一部しか内容を見ていいないのだが一言、意見を書くのに参考になることを述べていたので、取り上げてみる。

京都大学の先生との対談で「算数で縦横高さの順に式を書いて回答を出さなければ、答えがあっていても減点する先生がいる」という話で、そういえば似たような美術の先生の話があるな・・・と思った。これは形式的なルールを要求して、本質から外れる教師が居て、教えられた生徒の危ない未来を感じさせた。教師という自分の職業が好きでなく、形式的な対応しかできなくなっているらしい。そういう人は、この日本社会には山ほどいる。学校の教師というのは、ある意味、就職先でしかなく好きでなる人は半数以下であろう。夢や目的意識が初期的に必要で、なってからは誠意や責任感も必要だ。しかし、他にこれといった職業が見当たらなかったでは?・・・どの職業でも同じことが言えそうだ。

自分の職業が好きでなかったら、やっていることに自信は持てない。そういう人に限って形式に逃げる。深く考えずに安全な選択をしているのだろうが、実は本質を放置し、形骸化している。こういう教師や役人がいるから、この国の社会は欧米と比べて二流なのだ。優れた技術者や研究者がいる隙間にこういう人たちが足を引っ張っているのだ。

自分の専門が好きでなかったら、怠け者だ。つまり「好き」は本気度の問題であり、本気でなかったら本質は放置される。怠け者で鈍感、欲の方向性を欠き、本質が見えない人は必ず表面的な形式で繕う。一般論や常識を信じ込んでいることが間違っていても、対応される側はすぐに反論できない。つまらない対応をする。私が元居た職場にもそういう人が居た。箸にも棒にもひっかからない。

京大の先生と林先生の話・・・で、林先生は確か数学と国語を塾で教えているとか・・・で「数学は論理的な組み立てで出来ていて、論理的な思考をする上で助けになる」、京大の先生「経験が通用しない場面が出て来ている。論理的な思考が大切になるだろう」と。「経験が通用しない場面」というのは、経験の未熟な若造についての話ではなく、ある程度社会経験を積んだ人が判断に困る場面があるということだろうが。年を取っていきなり「論理的思考」はできない。論理的であるためには社会のしがらみ、上司下司の間柄、情緒的な社会慣習など、いっぱいある障害を乗り越えなければならないだろう。ドイツで暮らした経験から、日本人は論理的思考は国民性からほど遠いと思う。

人はしばしば自身の経験から判断していて、そこから出られない人もいる。人と比べて一流の経験が出来る人も、そう数多くいるわけでもないし、初心者から始まり、知識や感性を積み上げていくのだが、多くの人は専門的な極致に達しないうちに、満たされしまうのだろう。例えば学歴や社会的地位、経済的満足感などは次なる努力をする障害になってもいるだろう。しかし考えてもみてください。次があるから楽しいではないか。

私は数学は不得意であるが、何となく論理的という意味も分からないでもない。しかしそれは数の世界での話してあって、現実に置き換えるには、観念的な部分を除去しなければならないと思う。つまりドイツ的論理思考は現実の上でするもので、日本人が理想について言うとき「理想とは夢や非現実のこと」と思うところには存在しえない。日本人には「理想がなかった」とも言えるが、論理的思考の行き着く先がなかったとも言える。結局先に述べた「形式的なルールで本質が見えなくなっている」人たちの話になってしまう。これは日本人の国民性か?

絵を描くことの意味を問う私の意見では「主観(実感)が大切だ」と繰り返し言う。何かしている時に、感動を伴う満足感が必要だと思う。ぼんくらにはこれが欠けてしまう。「本質」が見えないのは性格が・・・問題なのか?

私の住む島根県では北の出雲地区(松江など県の中心地)に南の石見地区がお互いに突っ張りあっている。「性格が合わない。根性が悪い」とか、お互いに言っている。南の端まで200kmから離れると、文化的孤立も生じているが、高齢者率全国2位の島根県だから、今後はもっと文化的孤立は激しくなるだろう。そこで若い人が全くいない、お年寄りの文化サークルというのが多くある中に絵画の会がある。最近、その会の展覧会を見に行った。皆趣味でやっている人ばかりと思ったら、中には日展に出品し、そのせいで県展の審査員もやっているという人もいたが・・・・。それらしき作品は区別がつかなかった。出雲は国画会などが中心で、ここ石見地区の浜田は東光会とのことで、足のけたぐりあいもいろいろあるそうな。ここの文化サークルの幹部は国立大学の教育学部美術専攻の出身者で、高校の美術教師をやっていた人たちで占められていて、日展も東光会もただの趣味の人もごちゃまぜだそうだが、初心者に「8号の筆(10mm幅)以下の筆は使ってはいけない」と教えている。私にはどうしてか理解不能だが、確かに「初心者油絵セット」には筆が3ないし4本入っているが、一番細い筆は8号ぐらいだったかもしれない・・・しかし、なぜまた? このグループの作品はざくざくと描かれていて、何を描いているのか良く分からない。私は優れた巨匠の模写や古典の良いところを学んだらと言ったら「真似は良くない」と言われた。どこで、このようなセリフを身に着けたのだろうかね?

やはり、本当は美術が好きでもないのに、教師をやって、自分に何もないために「形式」を教えて、「本質」を失わせる人が近場にいることに気が付いた。そういえば中学に上がった頃、クラブ活動を選ぶとき、姉が所属していた美術クラブに入ろうとした。顧問の先生が入部試験に自画像を描いて来いというので、思いっきり自信作を持っていったら「描き方がグロテスクだ」と言われて入部を拒否された。いまだに悪い思い出として残っているが、だからか、私の作品はしばしば「グロテスクだ!!」と言われる。しかし両親ともに不細工で、自分も不細工だ。グロテスクが絵を描くときには基本なのだ。

 

 


石膏デッサンと写真的絵画

2016-12-13 12:57:03 | 絵画

絵画を学ぶ上で、石膏デッサン以外の手っ取り早い方法はないと思う。モデルの石膏像は優れた彫刻の巨匠によって作られたもので、これを写生しようが、解釈しようが「描く力」がなければ体裁が付かない。すなわち見るに耐えるものを作る訓練に用いるのだが、巨匠が作ったもの素直に写せば相応の見栄えは確保できるが、それが自分の力でないことは、たとえビギナーであっても気が付かねばならない。しかしやはり気が付かないのは「写生は作ることであっても、創ることではない」ことである。

石膏デッサン不要論というのが、すでに私が受験生であったころから言われていて、石膏デッサンが科目の一次試験にあって、創造性のある者が選別されない・・・と個性や才能がある者が見出しにくかったのであろう。それは石膏デッサンのせいではなく、試験官の目に問題が有ったと思う。個性や才能は受験生レベルのビギナーに求めることではなく、デッサンを深めるための続きを大学4年間で教える側の教授が指導できなければ、大学教育は値打ちがない。しかし教授たちは線描で描いたものを拒否し、シャカシャカと斜線を入れたがる・・・・個性的なものより写生的なものを「素直なデッサン」として合格させている。デッサンは描き方ではなく、見方感じ方だろうに。あの斜線は何を意味する?当時流行ったセザンヌのタッチだったのだろうか? このような描き方に拘ると、描写の密度が上がらなくなる。

受験生の時身に着けた石膏デッサンが美大、芸大合格で終わってしまう者には卒業までの制作意欲も失われて何も残らない。大学に入るまでにやりたかったことを兎に角やり急いでも、能力がなければ、中絶してしまうのだ。芸大に合格すると、優越感で天狗になる者もいるし、4年間を自由に遊ぶ時間のように思う者もいた。大学に合格した程度で、すでに自分の表現の世界を持っている者などいようはずがない。(どっちみち50人の合格者も、4年後には4~5人程度が制作を続けているようなものだ。これは私学でも同じ。)

良くても、石膏デッサンを続けている者もいるが、これが将来この国の具象画家として写真的な人物、風景、静物画を描く職業画家になってしまうのだ。写真的であるから、丁寧な見方で右から左へと写生してある。画面も丁寧に塗られていて、やたら小奇麗なのだ。素人はきれいな枝と思うし「写真みたいによく描かれてある」と感心して・・・・これが画壇で売れ線なのだ。売り絵の世界では、これが高く売れるので追随者も増えている。買う側はまさに職人的な技巧に値打ちを感じているのだろう。国会の会議室には議長や大臣経験者の肖像画がかけられているが、これが写真的で…当然ながら写真から描くので、「写真にそっくり」だ。

写真的に描くと、それが写真のような隅々まで均一な出来上がりが完成であるが、また明日描く作品に、それ以上の目標があるだろうか?写真でも良いのではないだろうかと言われたらどうする? (私は人物は写真に描かれるより、写真そのもの方が好きだな。何しろ生き生きとしている瞬間を表現できるのは写真の方だからね。)写真がリアリティに欠陥を持つことも考慮すべきだろう。現実のものには写真よりもより細部が見つかるし、それを昔の画家は描いたのだから。

石膏デッサンが基礎的な描写力を身に着けさせ、高度になれば白く硬い質感、汚れた表面など、写真的な表面の状態から一歩進んで彫刻の美しさの要素を正確に描けるようになるには、実は更なる努力がいる高度な技術だ。しかしそこまで極める必要はない。個性は失われる一方だ。

写生的に描くことは、写真的に描くことと同じで、いかに正確に写し取るかと言う作業を行っているに過ぎない。昔、看板屋という職業があって、手のひら大の映画俳優の写真を渡されて、ものの20分から30分で百倍ぐらいに拡大して、綿布の上に耐水絵具で描くのである。写真と綿布の上には正方形のマス目が入っているのだが、一気に描く力はプロと言わざるを得ない。 最近の写真的絵画は手順として、同じように写真を利用して参考にしたり、中にはマス目を入れて入れて写す者もいる。 それが絵を描く上でのデスティネーションだろうか?

しかし私が最も嫌うのは写真的であることが「在るものを在るがごとき」に描いてしまうことで、「無いものを在るがごとき(チェンニーノ・チェンニーニ)」に描くという芸術の最低限の条件から遠ざかるからである。率直言うと、写真的絵画は芸術に慣れない。さらに言うと具象絵画でもない。物を作っても物を創っていないからだ。

写真的絵画が作者の「主観的感性」を失わせたことは、絵画から芸術性を排除したことと同じなのだ。そして具象絵画でもないことは、リアリズムというものは「現実の秩序や法則を最も典型的な形で表現すること」なのだから。

写真的に何を描くかといえば、人物、風景、静物とありきたりで、テーマ性は感じられない。表現の意図はないとしているのと同じだ。個人の意図を感じさせないことはまさに日本的なのだろう。その方が売り易く、買い手が個性のはっきりしたものが苦手で受け付けないからだろう。日本人は物に感情移入する世界的にも珍しい国民性を持っていて、八百万の神への信仰はもとより、自然の風景も「芸術だ!!」と言って感激する、その性格は具体性を欠き、曖昧な会話が万人向き。人との会話もズバリ核心を言うと角が立つ。要するに非合理で、手間がかかり非生産的なのだ。

「芸術とは何か」と問うことはしていけない風潮で、「表現されているものはすべて芸術だという前提」でNHKも「日曜美術館」を放送している。NHKによると焼き物(お魚ではありません)も芸術にされているが、何を表現しているのだろうか?表現の意図は何か?具体的な説明を受けたい。作者の表現の意志が明確でなく、釉の偶然性で出来上がった表情を有難がって「芸術」だと言ってしまうと「人の表現の意志が見えない。芸術は虚構であって、人の意志で作られる表現であるはずだ。絵を描くときにも自分の意志を明確にすることが最も重要で、貫けばそこが表現としてあらわれてくるのだ。

写真的絵画を描く人たちも、ご多分に漏れず、近現代の「観念的思考」の影響を受けている。写真的に描くとき客観的な現象をとらえているが、大事な自分の「主観性」を殺している。主観より客観の方が優れていると思い始めた産業革命以降、人々のの精神世界は軽視され、科学的合理主義や物質主義に興味が移って、思考は観念的になり現実の実感さえ変容させてきた。今まさに現在進行形であり、私はこれに反逆する。これに気が付いた人々は「スローライフ」を掲げて物質的豊かさから離れて、自然なサイクルを取り戻そうとする・・・もはや社会システムを作り過ぎていて、皆が皆対抗できそうにない。

自然な主観こそ欠乏していて、取り戻さなければ写真的に描いていることさえ、気が付かないでいる。そこで19世紀末まで、ヨーロッパの美術アカデミーで行われていた人体デッサンを生身の人間として描けなければ意味がない。生身の人間がモデルだと休むし、時には文句も言うし、ずっと描き続けるわけにもいかないから覚悟して、気を集中して描くほかない。これは石膏デッサンにない要素だ。(だからと言って写真にとって描いたらおしまいだ)気持ちを入れ替える必要がある。

私がブリュッセルのアカデミーでやらせてもらった人体デッサンはワンポーズ45分の15分休みで3セットあった。(日本では20分で5分休みでは気が散ったが・・・)週五回午後の自由時間にあって、45分で一枚の人体デッサンをA4ほどの大きさに毎日3枚で週に15枚。土日は家で自画像を描いて、年間1000枚描くことが出来た。この時、石膏デッサン的なものの見方、描き方から卒業できた。一枚一枚誰かが買ってくれる品質を目指したのだ。(鉛筆で描いた自画像を買ってくれる人はいないだろうが)

45分かけて、まるでクロッキーのようでは困る。クロッキーは天災ミケランジェロがやれば別だろうが、無能なビギナーが5分10分で何が出来よう。誰が言い出したか、瞬間に感じたものに美しさがあるとか・・・・馬鹿を言いでないよ・・・美術を観念的なものにした近現代美術評論家の産物ではないか。

45分の勝負に、モデルの形の線を追いかけて、鉛筆で描きだす。見ている時間はトータルで40分、描く時間は5分程度だろう。気を集中させて、観察しながらどう描くか、人体の形から線を引き出すのだ。線描で表現できることが目標だった。そうしないとシャカシャカと無駄な線を描いてしまうだろう。モデルと関係ないものは、この大事な時間に描かない・・・無駄をしないのだ。

45分の戦いが終わると、ふーっとため息が出る。ある時、ブリュッセルを旅行中の日本の薬剤師の方に「唇の色が悪い、貴方は酸欠気味ですよ」と言われた。そう言えば呼吸を止めて絵を描くことが頻繁にあった。「遠慮なく呼吸をしなさい」とアドバイスをもらったが、当時は喫煙者でもあったし・・・・タバコはいろんな意味で絵を描くのによくない。

デッサンをしている時から無駄をする者は、絵画制作でもしてしまう。この国独自の厚塗り・・・ヨーロッパでは見ないのだが、絵具の厚塗りは油絵も日本画も同じようだが‥‥下に隠れた絵具は、何のためにあったのだろう?もったいないではないか!!!盛り上がる画面は「絵ではなくて、絵具だろう」。下の絵具が透けて発色する効果を狙うには、それはそれなりの作法があるから、それはそれ。見る者に先に画材を感じさせれば絵画ではなくなる。

もう一つデッサン力を身に着ける方法は「巨匠ののデッサンや絵画を模写する」ことだ。先人から学ぶことを拒否する者の言い訳に「人まねは良くない」とか「自分の個性を大事にする」とか言う人が居てガッカリする。そう言う人たちの作品が似ているのはどういう訳だ。個性も才能も初めからあるわけではない。ミケランジェロもレオナルドも先生から教わって巨匠になったのだ。デッサンを学ぶときに、急ぐことはできない。天才のように時間を飛び越えることも出来ない。

一つ一つの物の捉え方、感じあk田、考え方、そして描き方の順に、山ほどある巨匠の賜物を頂戴することこそ、自分に「洞察力と美意識」を身に着ける方法なのだ。そして失われた己の主観的な感性も取り戻すのだ。

ハッキリ言えることは「写実」のリアリティとは、事細かく、見えている現象を忠実に追いかけることではなく、「モチーフの存在感」を描くことだ。歴史的に見て、具象絵画は、その「存在感」をどう表すか、実力の見せどころだった。「無いものを、在るがごときに」というのは、描く側の主観が最も大事だったのだ。

 

 


目利きであること

2016-12-09 16:10:11 | 絵画

その1

美術品を処置する修復家には、対象作品のアトリビューション(作者特定)が判別できる「目利き」であることは、業務上最低限のレベルで求められる。余りにも低いレベルでは、印刷された版画や、果ては油絵まで持ち込まれることがある。これはすぐに依頼主に実際を報告しないと、後々問題になるだろう。後日、作品をすり替えられたという持ち主が出てこないとも限らない。これは極端な例であるが、それほど持ち主は「物」が分かっていないからだ。さらに贋作は近代現代の作品なら作者が技量がお粗末で真似されやすいものが多いから、結構な数ある。ゴッホ(ゴッホの未熟な技法に値段の高さが贋作を生む)、ユトリロ(彼自身の制作数が不明で、真似しやすい画風)、コロー(真作が2500点程度、贋作が20000点あると言われている)、ピカソ(最も簡単に材料が手に入り、描画技術を必要としない)、ロセッティ(模写をしたものが多い)・・・・デュシャンの便器(これもアメリカで古いアパートで使用中のものが手に入る)まであった。

一方で、美術史系の人たちが作品について考えるときには、まず必ず資料文献に当たる。作品を見る時間より、先に資料文献をみて判断が左右され、ほとんどの時間を他人の描いた文章を読むのに費やす。目利きであることの訓練はしないから、それがどのような能力なのか知らない。だから、かつて私がいた美術館でも学芸員は、売り手である欧米の画廊主の話をうのみにして、買うかどうか考える。売り手が先に情報を詳しく手に入れて売り込むのが当たり前だが、それを初めて聞く学芸員は感心して、それに釣られる。自ら調査せずに、相手から資料を請求しまるで自分が調べたような自信で、購入後にその作品を紹介する。相手は科学調査の資料まで添付することがあっても、それを読み解くために修復家に尋ねもしないのだ。だから工房作や、偽物を高い値段で買わされている。国の機関の公務員あるいは準公務員は過失は個人的に問われないことになっているが、目利きでなければ、国民の税金を無駄遣いすることになる。(過失ではなく不作為と言うべきかもしれないが)

19世紀しょとうに名著を残したドイツ人の美術史研究社のマックス・フリートレンダーは「美術史研究の目的はアトリビューションではないが、プロセスとして必要不可欠である」と述べて、そして「目利きである必要がある」と。彼が行った初期フランドル絵画のアトリビューションは殆どが継承されている。それより何よりも彼が称賛されるべきは、あくまで美術館の学芸員として、物に近いところで研究し学芸員としての資質を示したことである。彼は大学教師のような観念的な資料文献研究にならず、現場で作品の傍らで生涯を過ごしたことは見習うべきである。しかしこの国の学芸員は大学教師になりたがる。美術館での雑務が多いのが問題だが、イギリスの美術館学芸員が独自の研究論文を書いていないかと言えば違うだろう。要するに取り組み方の違いであろう。それで大学教員になって時間があるかと言えば違うであろう。大学で国際論文を書かない(書けない)教員もいるのだ。社会的には教授の方が、学芸員より「ずっと偉い」のは、ドイツでも同じであろうが、フリートレンダーが何故学芸員を生涯選んだのか分からないであろう。彼らが興味を持つのは教育のレベルのことであり、全く専門性がない若いビギナーの学生に足元を見られながら定年まで過ごすのである。

欧米では専門性をより加賀的にすることが求められていて、美術史研究者が度々修復アトリエを訪れて見識を積んでいることは常識となっている。これはこの国の研究者には知られていない。(時に知ったかぶりして、赤外線反射診断をバロック絵画に適用したりして、「何も見えない」とか言っている。見えるわけがない!下描きデッサンの多くは地塗りが赤色のボルス地で赤外線が反射しないからだ。まずは修復家にご相談ください)でも何かあるかもしれないと、始めるのは良いが、浅学な知識で一人で初めても何もならないので、実績を積んだ者と調査すべきである。そうやって訳の分からないことを日常化して、美術品を壊すのはまず学芸員で、次が修復家である・・・。科学調査によって、文献資料ではなく、直接的な全く新しい情報が得られて、これまで以上に図像学の解釈論ではなく、物そのものから歴史家が変わることを学ぶのである。

その2

人は絵画を鑑賞しているとき何を見ているのであろうか?よく美術館の展示室では鑑賞者のしぐさを観察した。彼らはまず挨拶パネルをしっかり読むために立ち止まる。だから入り口が混雑する。これはこの国特有の現象だ。そして次はキャプションを見る。誰の作品かを見て、解説パネルを読む。それからやっと作品を見る。展覧会入り口はじっくり、ゆっくり見ている。しかし、そのうち暗い室内の雰囲気に慣れた頃、下から斜め上に向かって眺めると次へ行く繰り返しになる。解説パネルを読む時間は作品を見るよりも時間をかけるのはどういうことだろう。まるで学芸員の魔法にかけられたように、「言葉で案内がないと分からない」という不満を述べた投書までくる。

まあ、学芸員は美術館で開催する展覧会に多くの入場者を入れる必要があるので、美術評論や解説は「主観的」であっても許されるだろう。しかし美術史研究者はそうはいかない。「学術的客観性」に基づいた事実と合理的な論理での発言、著作でなければ専門家でない我々は混乱する。美術品を見ないで文献資料ばかり読んでいる人は別にして、まじめに美術品から始めようとしている研究者はどうしようとしているだろうか?目利きにならない限り、学術的客観性は得られないから・・・・まず美術品を記憶して類推して、作家がどの様に主題を扱っているのか、時代の表現様式を個人的にどのように会得しているのかなど・・・・歴史の中の芸術観に近付かなければならない。

物の状態から入る修復家とは、異なるデスティネーションに向かう美術史研究者のプロセスも、作品を見るとき「記憶」することから始まるはずだ。この記憶は「作品に対する興味と理解」がなければ成立しない。この興味と理解は修復家と美術研究者とでは、どうやら違うようだ。しかし仕方がないとは言えない。なぜなら美術館に勤務していれば、理解不足で偽物の美術品も購入することになるからだ。

美術品を記憶する「興味と理解」は、当人の自主性の方向によっては、全く効果が得られないこともあるから解読すると・・・・。必ず美術品の「物」に当たる部分を、即物的に興味を持ち理解につなげるべきだ。考古学はとっくの昔に「考えて推測することから、科学調査すること」に変わっている。あるときシエナ派の画家が用いた金地に打つ刻印の形や大きさを調査した美術史研究者がいたそうだ。これを調べることで、同じ刻印を用いた画家の工房との関係がまとめられるだろう。こうした積み上げが、客観的証拠に基づいた歴史の組み立てに寄与する。当然、修復作業中に得られる情報はもっと多い。まずはこうして得られる情報に興味を持つことだ。そしてまた物を見ることに戻る。

「何が描かれているか」は子供でも分かるが、専門家であれば「どう描かれているか」に興味を持たねばならない。マックス・フリートレンダーは技術的なことは述べていないが、作者が「どう描いたか」に言及している。例えばリューベンスは多くの聖家族像を描いているが、人物の配置を変えることで、物語性の扱いの違いを感じさせる手法を取っており、リューベンスの制作意図を見ることが出来る。

フリートレンダーの時代は終わって、もっと科学的な時代でなければならない。そのためにも「どう描かれているか」を一歩進めて、修復家が見る目に近づくべきだ。

 


絵画修復家として何を見ていたか

2016-12-07 01:45:46 | 絵画

修復家が美術作品を見て、最初に感じようとするのは作品の保存状態である。(修復家になる前は微塵もそのようなことは思わなかった)

絵画であるならば大きく全体を眺めて絵具の劣化によってどれほど絵画性が失われているかを感じながら、除去可能な汚れ、不可能な汚れ、絵具の亀裂や欠損、キャンヴァスの歪み、板絵のそりや亀裂、割れ、そして過去の修復家の手による補彩などを観察している。

展覧会の作品管理を担当するときは、借用作品は必ず保存状態調書というものを作る。また所存作品を貸し出す時も同様である。国立西洋美術館で開催した展覧会の借用作品の最大数はジャポニズム展の530点であった。本来はすべての作品の保存状態を記憶するのが仕事であるが、この時は他にも展覧会で200点を担当していて、正直言って、記憶できなかった。この時は調書を見ても思い出さなかったものもあった。(こりゃーいけん…では済まされなかった。)

こうした点検の最中には絵画鑑賞はしていない。修復処置が必要な作品に接する場合は、保存状態の良し悪しで、近い将来どのような障害が起きるかを想定して、手当をすべきか判断の材料とする。(巷では金もうけのために不要な処置をしようとする者もいるから…不幸な作品も出てくる)

美術館のような設備が整っているところでは、光学機器を用いた調査も行う。蛍光紫外線では過去の補彩処置が見えるが、熟練した者はし紫外線なしで補彩などは見抜くことが出来る。(出来て当たり前です)蛍光紫外線の下では蛍光反応色が異なるジンクホワイトかシルバーホワイトかを判別できる。まあ、しかしそれがどうしたという程度のものである。

赤外線反射吸収反応では診断では、赤外線を吸収する黒やコバルトブルーなどの色が白い地塗りの上で黒く反射する。白い地塗りの上のデッサンなどを見るのに役に立つが、ボルス地のような暗い地塗りの上に描かれたデッサンはほとんど見えない。デッサンが見つかるとわくわくするものである。何しろ発見したのは自分が初めてかもしれないから。有名な巨匠の作品であれば、小論文で報告して、欧米で盛んにおこなわれている調査の一環に参加するのも大事な仕事だ。

調査は大事な仕事の一つであるが、最近は絵を描かない(描けない)修復家もいるので技法調査が正確に出来るかどうか怪しいが・・・・観察して記憶することは「この作品がどの様に作られ、どのような扱いを受けてきたか。また将来どのような保存状態になるか」を判断するためには、やはり「絵具の状態」が技法との関係で重要な要素となっている。

作家の上手い下手は絵具の扱い方であり、保存状態には大きく関係しているので、技法と技巧を観察することは、科学的な客観性を蓄えて判断する大事な方法である。トータルにあらゆる機会に、時代の流行、作家個人の才能、癖などを整理し記憶する。(これは修復家として目利きであるための基礎である)

ピカソのようにチューブ入りの絵具をそのままキャンヴァスに・・・・ぶちっと出して、筆でこねくり回した制作から、フランドルの巨匠のように絵具の顔料にきめ細やかさを求めて、日夜すりつぶし、最適な大きさまでにして描く制作態度まで。亜麻仁油を加熱あるいは陽晒し加工し、それに樹脂を加えるなどして、さんざん準備して、下塗り、描き込み、仕上げ加筆・・・・と大きな配慮がされていることのピカソとの違いは表現に対する配慮との違いとも言える。修復家にとって差別はしないものの、チューブから出たばかりの絵具が乾燥し切らないことは明白で、表面だけ乾燥固化した絵具の将来が、結果として何が起きるか、想定するのは修復家としての基本中の基本である。

画家によって様々な絵画が生まれて、見る側の好き嫌いは許されるが、修復家には許されない。優劣の差別は無いが、区別はある。(西洋美術館にはピカソはあったが、ファン・アイクは無かったので区別も出来なかったが・・・。やってみたかったな?)

芸術的価値と歴史的価値とされるものが既にこの世に存在する。ユネスコで決めている世界遺産でも、いろいろなカテゴリーで囲い込んでいるように、この国で、日曜画家まで入れると、毎年100万点を超す作品が生まれているだろう。それを全て平等に扱って保存することはできない。物理的にも不可能であるから、優先順位をつけて救急対応できる程度にするしかできない。

修復家が処置対象作品の芸術的価値について議論することはない。場合によっては「芸術性」については処置の方向を左右されられる場合もある。何が表現なのか不明な現代美術作品となれば、何も出来なくなるものもある。物として扱って保存すべきだという考えもあるが、修復家の議論は終わらない。2008年頃、ロンドン・テイトギャラリーで開催された「コピー作品の扱い」というテーマのシンポジュウムに招待されたとき、参加者(修復家や学芸員)の議論は「現代美術作品のオリジナリティの基準」で白熱した。誰がどう決めるのか・・・・。取り扱いの原則(日本でいう建前ではない)が決まらないと処置が出来ないことになるので・・・・結局具体的なことにつながらなかった。それほど現代美術作品は観念性が先行し、表現に形がないとも言える。

芸術的価値が処置の範疇から外され、むしろ歴史的価値の方が明確に議論され、選択を迫られる。つまり未来に残す残し方が少しずつ違うからだ。ではどのような作品が歴史的価値として保存が選択されるかというと、「痛みが激しいが、時代性を表している作品」、「評価が定まっていない作品」などであろうか。例えば具体的に言えば「時代性を表している作品」宗教画であったり、政治や社会を表現したものであったりするし、贋作は「評価の定まっていない作品」に該当するであろう。

さんざん仕事で点検調書を作り、扱いが決まると初めて絵画鑑賞が出来る。絵を鑑賞する自分は個人であって、絵を描く自分でもある。今現在興味のある作家の作品を重点的に見る。要するに好き嫌いで見ることのできる自由な立場になる。この切り替えが義務的に生じて、職業的習慣になる。

絵を鑑賞するに、職務中であれば、修復家ほど優位な立場は他にない。目の前で鼻が付くぐらい近寄っても見ても、受け入れられるのだ。修復家同士では、そこの心得が信頼感で許されているから、技法的な興味も、この調査中の会話に時間をとっても職業的な調査の一環である。それと修復中の作品であれば、保護ニスをかけたばかりの新鮮で深みのある状態(特に古典絵画の空間表現はニスによって奥行きが現れる)は美術史家でさえも立ち会うことが出来ない瞬間である。特に14~17世紀の描写が優れた西洋絵画作品は、最も制作時に近い状態で鑑賞できるともいえる。

私は海外出張でヨーロッパに行く場合は、必ず行く先のあるいは最寄りの美術館、文化財研究機関の修復アトリエや化学調査室の見学を申し込んだ。そこでは丁度修復中であるとか、調査中であるとかの裸の作品状態を見ることが出来る上、修復や調査を通して新たに分かった状態や情報が得られるのである。とにかく美術作品は「現物」を見ないと何もならない。(多くの美術史家は印刷で済ませてしまうが)最近はデジタルカメラのおかげで写真撮影が許される美術館も多くなって、フラッシュさえ焚かなければ記録も作れる。(美術館でのフラッシュは光に含まれる紫外線が問題なのではなく、他の鑑賞者に迷惑だから禁止されている)(点検中の修復家にはフラッシュも許されています)

ある時、メルボルンのサウスウェールズ美術館でゴッホ展があり、西洋美術館からゴーガン作品を貸し出すので添乗した。この時オーストラリアではヴィザが必要であることを知らずに成田に向かった。たまたま日本に来ていた展覧会担当者から「航空会社から聞いていませんでしたか?」と聞かれても・・・・成田空港でもうすぐ飛行機が飛び立とうとしているときに判明して・・・・もしそのままメルボルンに着いて入管でトラブって、そのままゴーガンを下げて帰国するところであった。担当の彼はメルボルンの空港に電話して・・・He is the guest of the government と怒鳴っていた。それこそ真っ赤な顔をして帰ってきた彼はため息交じりに It's OK now!!と・・・。実に彼には悪いことしたと今でも思う。で、メルボルン空港では入国管理の事務所でヴィザ無し入国の始末書を複数枚書かされた。(話は長くなったが)その彼と開梱点検中に、他の日本の所蔵者から借用したゴッホ作品を見ながら「この作品をどう思うか?」と聞かれて…彼がアトリビューションが怪しいと言っているようで・・・「そうだね贋作かも」と答えた。要するにデッサンが下手なゴッホにしては絵が上手すぎたのである。サインまで入っているのだが、サインまで達筆(!!??)だった。(こう言う場合、展覧会カタログにはそのままにしておいて、展覧会キャプションにもゴッホ作品として展示される)(鑑賞者には申し訳ないけどね)

ついでの機会だったので、サウスウェールズ美術館が所蔵しているファン・アイク作品で小さな聖母子像を見ようと思っていたら、丁度修復室でメンテナンス中だというので、修復室で間近に見ることが出来た。額縁から外されて、机の上に置かれてあった、しかし見て驚いた、カタログレゾネ(作家の作とされるすべての作品を網羅したカタログ)にも掲載されている作品なのだが、板絵とされていたものが、実はカンヴァスに描かれていた。表から見ても判ることだが、カンヴァス目が見えるし、板の横から見るとマルフラージュ(カンヴァスを板に張り付けること)がされている。「この作品は板に貼られていますよ」とそこの修復家に言うと・・・・「えー!!」・・・と驚く。実はファン・アイク作品は戦前戦後(第二次大戦)を通して不幸なことに、特にアメリカ、イギリスで板に描かれたものが、カンヴァスに移し替えることが横行した。サウスウェールズの作品はこの逆で、カンヴァスが板に貼り付けられている状態。(板に描かれたものをはぎ取ってカンヴァスに移すメリットは何かと言うと、何もない)

ファン・アイク作品でカンヴァスに描かれているとされているものは、ロッテルダムの市立美術館にあるが・・・これもどうも私は怪しいと思っているのだが・・・サウスウェールズ作品はファン・アイクの精緻な描写と技法、絵具の使い方に合致しない。これは見当違いだと思った。要するにファン・アイク作品の数があまりに少ないので、構図や雰囲気が似ていると、該当作品とっされることがしばしば見受けられる。ヴェルメール作品でも同じようなことが起きている。遠くオーストラリアに所蔵されているというのが問題であろう。欧米のファン。アイク研究者にも距離が遠すぎるだろう。そうすると写真で判断したり、資料文献で判断したりする。このような美術史家の顛末にはあきれるが・・・・この時、サウスウェールズにも初期フランドルの研究者はいなかった。(他にもヨース・ファン・クレーフェの三簾祭壇画を所蔵していたが)修復家もオーストラリアから出て、ヨーロッパで修行するものは少ない。さらに専門が初期フランドルという者は尚更少ないであろう。メトロポリタン美術館やルーブル美術館であると「私の専門はネーデルランドバロックです」とか各自専門を持っている。羨ましい限りだ。私もフランドル絵画を所蔵する美術館で「私の専門は初期フランドル絵画です」と成ってみたかった。自分が一番近くに居たいと思う分野を一生を通して学びながら技能を深めることが出来れば、美術品にとっても、自分にとっても、これほど幸いなことはないはずだ。