。過去のブログ「構想画の始まり」を参照していただきたい。
構想画が」「唯一の具象絵画の生き残り」であるように思う。制作理念である「主題性」へのこだわりがない。近代絵画の終わりに生じた異端である「観念的絵画」(観念アートではない)に洗礼を受けた現代作家にとって、制作欲のはけ口に選んだ絵画手法は「構想の自由」であった。
私が絵を描き始めたばかりの時に出合った当時、山口大学教育学部助教授であった山本文彦先生の大学の研究室で制作されていた「構想画」は、何ともビギナーであった私に衝撃的な主題であった。1960年~70年は学生運動真っ盛りで、当時から自民党が民主主義も無視した政治でアメリカ追随の安全保障で、右も左も引っ掻き回した日本の状況が、度々絵画の制作主題にも影響を与えた時代であった。
先生の作風にも暗い権力的な力が現れて、当時左寄りであった高校生であった私には胸に熱いものを感じていた。(先生は右でも左でもなかった)先生の研究室を訪ねると常に絵筆を持った状態で、いろんなことを教示してくださる姿に、そのまま引き込まれて、今日なおその制作態度が影響していることに感謝している。
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1987年8月のサイン。真夏の「太平洋高気圧」が主題だ。子供の頃の夏を思い出して描いた。油彩F4号(24x33cm) しかし、何一つ参考となる実際はなく、思い付きであり、自然の法則を無視することが制作の理念だ。 自家製のカンヴァスで白の地塗りだが、細かな亀裂が入ってしまった。地塗りの中の膠の具合が悪かったのだろう。夏場には膠が腐りやすく、亀裂の原因となる。
年紀はないが、おそらく87年だろう。この頃盛んに構想に明け暮れた。経験上の記憶から発想された世界の、参考となる写真や実際があるわけではなく、それらしく描いて見せることが「楽しさ」だった。油彩F4号カンヴァス(24x33cm)
1987年板に油彩(16x16cm)この頃から「生と死」に関する主題が増える。
私の構想画には画面の大きさという問題点があって、小さくても60x80cmくらいの画面に描くべきだろうが、モチーフが小さく描かれて、時間がかかるようになるだけとも・・・・思える。
次の作品はケント紙にペンと黒インクで描かれた南洋の森に死ぬことをイメージした。260x365mm
2007年「森に死す」は一度60x80cmの板に描かれ始めて、頓挫。東京から島根に引っ越してきて、今となっては行方不明になっている。またその内、描き直すだろう。
2008年「デスティネーション」パネル仕立てのkent紙にペンとインク(260x365mm)このままの状態で半世紀も置けば、紙は黄ばんで見えが悪くなる。パネルから外して、中性紙を用いて額装するのが良い。