絵画が「自然を模倣してきた」と言ったのはヴァザーリであろうか?ルネッサンス時代の大きな変化が「自然の規範を作品に持ち込んだ」ことに起因していることから、ルネッサンス以前まで宗教画が中心で観念的な表現にとどまっていた形や色彩、そして絵画空間が自然の訪ソ気にし経った秩序が当たり前になりつつあった時、多くの作り手は「自然を模倣した」と感じたであろうか? それともヴァザーリの独り言であったのか?
文字通りに理解すると、彼の発言は、私にはそれは事実関係の誤認であるように思える。つまり自然にある状態から多くを学ぶことが模倣であるならば、真似をするだけの行為は何と言えばよいだろうか?彼はリアリズムの概念を考えたことはなかろう。いや彼の時代にはそれ緒ほどの多くのバリエーションは無かったであろうから、そういう言い方は失礼だろう。
最近の具象絵画で見かける写真的な絵画は全く「模倣」と呼ばれても仕方がないが、ルネッサンス以降に出現したリアリズムは決して模倣などではなく、自然を写すことでもなく、また再現することでもなかった。ルネッサンスの新しい美意識は様々な形に展開と追及がなされた歴史が証明している。
中世からルネッサンスへの移行の大きな功績は「自然の法則の理解」と言われるがロマネスクやゴティックの観念的な神を描いた絵画から、人をモデルにしたことで、神の姿もより人間に近づいて、全ての形態や色彩も描かれるものは「観察や洞察によって自然に近づいた」と言える。これを「自然を模倣していると言うのであれば仕方がない。何を規範として言うかはそれぞれ勝手である。しかし芸術上の規範や法則というものほど怪しげで不毛な理解となっていることは歴史が証明するであろう。
芸術というものは虚構として作られているのであって、絵画が観念ではないことから、自然にあるものを描写によって絵画空間に持ち込むことが絵画の言語であって、言葉以上の表現の可能性を持ちえたのだ。言語がなかった原始時代の洞窟壁画が、その機能を物語っている。
19世紀フランスで起きた写実主義のような、意識して「あるがまま」「見えるまま」に描くことや、その後の印象派にいたるまで、自然の姿をモチーフに描くことはもっと「模倣」だとも言えよう。写実主義のの能書きが先行して何も大したことにならなかったことをよく見ればよい。(しかし、その後の印象派のモネは形を色彩に置き換えた抽象画家だっただろう)
模倣とは「真似をすること」であって、創り出す行為ではない。そこに人の感性を通して、あるいは考えを通して出来上がってきたものを、模倣というのは見当違いであろう。模倣によってルネッサンスの栄光が築かれたであろうか。
ヴァザーリの」「自然を模倣してきた」という言葉は、彼が言う「マニエラ」という言葉に対峙する表現様式として発せられたのかもしれない。彼は「自然はそれほど美しいものではなく、絵画に描かれたものの方が美しい」と言って「マニエラ」という絵画の世界の中だけで類推されて出来上がっていく絵画的な世界に見いだせる形や色彩の方が美しいと言っているのである。先人たちに学ぶだけで絵画が出来上がっていくのである。
かくして。イタリア17世紀のマニエリストたちはルネッサンスの栄光の陰に隠れながらも、その賜物を享受し、独自の世界を作り出したのである。
誰一人として、ゼロからものを作り出せるものはいない。画家は先人の残した美の世界に影響されて、それを取り込んで、新たに作り出していく。これは「(全く)新しいものはない」という聖書の言葉に通じるが、これは先人からも自然からも受け継いでいるという意味である。同様に禅の教えに「自分は自分ではなく、私は存在しない」という下りがあるが、他者からの影響で自分があって、自分の力で自分であるのではないと言っている。ヴァザーリの「マニエラ」は大いに力になってくれるはずだ。