近代の歴史的転換期はフランス革命による王政の消滅とその後の動乱によって作り出された社会の状況から見つかる。この時期、美術でも古典主義から新古典主義、そして作家たちを経済的に支えたパトロンのいないロマン主義に代わって、大衆的美術に変化した。この時期、ヨーロッパ中に画家を生み出す美術学校があり、古典的でアカデミックな授業をほぼ19世紀末まで行っていた。この時代に、一方ではみ出た者がいた。その者たちが後に主流のような扱いを受ける自然主義、写実主義や印象主義の画家たちである。はみ出し者を生む背景には、古い価値観から自由になれる多様な社会秩序を生み始めていたからである。しかしそれは美術学校で量産される画家たちにとっては、経済的にサポートしてくれる権力者や富裕層が居なくなり、作品の主題も自主的に工夫しなければいけなくなる時代に変化し、まさにプロレタリアートの市民平等の中で生きるすべを見つけなければならなかった。ある者は美術学校で身に着けたデッサン力を生かして、従軍画家になり戦争画で生計を立て、ある者は大西洋を渡り、新天地でカウボーイペインティングやカンガルーペインティングと揶揄される絵画を生涯をかけて描くことになった。
ヨーロッパに残った者たちのマイナーな作風を時代を対照しながら考えると面白い。実技者と批評家たちとの共闘もあれば反発もあっただろう。時代を作ったとされた者と置き去りにされたと思われる者。フランスサロンで優れたデッサン力とイメージ力で対策を描いていた者も、新たに出てきたイズムを唱える者たちに負けてしまう。負けっぱなしになって近代に入る。彼らの作品は美術館の奥深い裏口に近いところに展示されている。
はたして近代の始まりはどれほどのものであっただろうか?目まぐるしく変わった社会現象によって、美術家たちの生き方が当然のように変わり、制作の目的理由やモチベーションにいたるまで、それ以前の画家たちと違いがあって当たり前であるが、19世紀から20世紀にかけては社会思想が市民に浸透して激動する時代に変化した。自由、平等、財産の分配、そして宗教や政治からの個人の解放と古い価値観から解き放たれた。既成の価値観が壊れることで、ある意味では個人の精神性が不安定になり、世紀末思想は不安をあおった。象徴主義者たちは終末を描くことで不安を快感に変えたかもしれない。
当時は、それでも今日のように、情報がネットで飛び交い真実であるか虚偽であるか確かめるのが難しいほど混乱している状況ではなかったはずだ。しかし、情報そのものが実際を離れて、観念的な世界を独り歩きし始めたことは確かだ。
良きにつけ、悪しきにつけ、美術家が個人でいられるようになった時代が近代の始まりだ。だから個人の中で出来る範囲内で絵画も主題や表現方法も変化した。それが印象派たちの素人ポイ作風だ。我々が見ているのは絵画の伝統が失われ、絵具の作り方も、扱い方も、もはや個人の中にはない状態だ。だから現代にそれらの秘密に迫ろうとすることは、技術研究を行う修復家でも無理だ。技法と技巧が吊り合わねば再現はできない。特にデッサン力が失われると、絵具の持つ表現(描写力)の可能性が失われる。もはやデッサンの本質が失われて再現が出来ないのだ。
例えば、セザンヌはデッサンに興味がなかったようだ。物の形が実際とも具象絵画としての実体とも一致しない。要するに観念的でデッサンがへたくそなのだ。モネは印象派の中で一つの典型的な仕事をした。物の姿を光の変化で表現しようとしたことになっているが、実際は色彩のバリエーションで画面を埋め尽くした・・・・それは色彩の抽象画で、多くの抽象画の行き着く先として「物の形状」を失わせたのだ。彼は人物画もへたくそで、デッサンの本質から、つまり形の解釈から遠ざかって行った。彼らが活躍した同じころ、美術学校では伝統的な人体デッサンも行われていて、1890年ころまでは、保守的な人体デッサンの授業が行われていたが、木炭デッサンで印象派風の形が失われた「光が意識された?」スカスカの人体デッサンも登場する。
チューブ入りの絵具が登場した当初は、まだ少しアカデミックな絵の具の扱い方があり、画家は手で練り合わせる作法も技法も忘れてはいなかったが、チューブ入りの便利さは面倒で時間のかかる絵具作りは放棄してしまう。この時点で具象絵画は終焉を迎えたと言っても過言ではない。古典の具象絵画の常識的な品質には「どのようにして描いたのか分からない描写」が求められたから、絵具の魅力が出せる手練りの絵具を放棄すると、パレットの上でメディウムと混ぜた程度の品質の絵具をカンヴァスに載せてしまうことになった。それは油分が多すぎて、かろうじて油絵の具であっても、画家が目指す表現のレベルは上がらなかっただろうから、古典絵画の完成度は未知の世界になってしまうのだろう。
最も大きな変化の要因は、やはり作家が個人として自立させられたことだろう。権力者や金持ちからの注文がなく、社会の中に求められた美意識に様式が失われ、すべて個人のレベルに委ねられるようになった。そこで作家たちは生活の為にアカデミーで学んだデッサン力で大衆の好むものを描いて売る必要に迫られた。もはや画題は家族の肖像、民衆の生活の一場面などの売り絵が大きな流れを作り、大衆迎合(ポピュリズム)は避けられなかった。この方向性は今日もなお続いていると解釈できる。
今日の現代アートでさへ、伝統的な美術史の流れの延長に位置していると認めることを要求しながら「今までなかった新しい表現」「衝撃的な感覚で観る者を驚かす」ような宣言を行うが、結局は表現の本質の追求というより、発明で視覚のみならず聴覚、嗅覚、味覚まで使った、もはや視覚表現が基本条件の美術とは言えない表現を目指しながら、美術館での展示を求め、観衆に認められることを求める。
表現が個人に与えられた権利のようになった時代に、「他の者に認められたい」と思って制作する者は決して表現の本質に出くわすことはあるまい。それは近代美術の多くのイズムの生まれ方が証言している。
工事中です