show you 君、つまり「しょうゆ(醤油)君」ですが、一度書いたことがあるかもしれませんが、今また拘置所です。早く亡くなった「味噌ちゃんと味醂ちゃん」のお兄ちゃんです。彼は猫ですから!!
去年の二歳の誕生日5月10日にピタッとウン子とオシッコを廊下にする「やんちゃ」がとまってしばらく平安な時期を迎えたと思ったら、また秋ごろから再開し、数こそ減りましたが、毎日の繰り返し。獣医先生の診断では食べすぎということ。まさにギャル曽根状態で、一日に何回もトイレが必要・・・また食べても消化吸収しないから下痢が多いとのこと。
そういうことで再び食生活管理を拘置所で行うことになりました。しかしこれが面倒くさく、檻の中にオシッコ吸収シートを敷き、しょっちゅう観察し取り換えしなくてはならず、食事の量制限の効果を確認する毎日。
拘置一週間での統計で、他の猫たちとほぼ同じ程度の食事で済ませると、一日一回程度のウン子とオシッコで済むことが分かりました。しかも下痢ではなく、黒かりんとうと少しの軟便で、健康的と言えるように思います。
当人(当猫)は拘置所内で機嫌を悪くすることなく「食う、出す、寝る」を繰り返し、拘置所内を掃除する間に「解き放ち」されると非常に喜んでいますが、にゃんずらすることもなく、そこいらでご機嫌な所をひょいと掴んでまた檻に入れると意外と抵抗もなく、健気に入っています。そして夕刻の食事の時間には督促の「みゃー」を言います。たまに拘置所休暇・・・・また廊下にウンチをしないかどうかの様子見の間・・・私の膝の上に上がって寝ます。実はこの子は私のストーカーで、私の気を引くために廊下でウン子をしているようで、拘置所で私が世話をしてくれるので十分愛してくれていると満足しているみたいです。
もう一匹、手間のかかる子がいます。女の子のまめちゃんです。両親は本物の野良猫で父は顔にケンカ傷のあるスージーで母親はやくざの親分の姉御みたいなプージーです。親子はもう一匹の女の子ふーちゃんを連れて我が家にやって来て、特にスージーが私の足元にまめちゃんを連れて来て、「このおじちゃんに食わしてもらいな・・」と言う感じで置いて行ったのです。最初マネちゃんに触ったときスージーは私の手に猫パンチしましたが・・・「娘に手を出すんじゃねえ!!」って感じでしたかね。その後、子猫のまめちゃんは家の25匹から居た猫たちの中に紛れていたのですが、愛想がよいので丁度先住猫を無くしていた父の所に養子に出したのです。お姫様扱いで父やヘルパーさんたちから大事にされていた子ですが、父が亡くなって葬儀の日にまた浜田の家に連れ戻しました。
そこからが大変で、3年近くお姫様であったのから「平民」扱いになって、自分がいた頃からメンバーが変わった者たちとはうまくやっていけません。うーうー言ううなり声で挨拶。外に出ると、とうとう隣の水産高校の艇庫(ボートハウス)に他の野良と一緒に時間を過ごすようになって、私は毎夕、そこにご飯をもっていくことになり、寒い冬も彼らが食べるのを見てから帰ると言う手間に拘束されました。その内「ここでのエサやり禁止」の札が立って、仕方なく外で雪の降る日も食べさせるようになりました。たまにはそれでもここでエサやりするなと言う学校関係者もいて、鬱陶しく、とうとう誰にも文句を言われない屋外ですが・・・野良もつれて来て、そこで食べさせるようになったのですが…それでも、猫のこと・・・。ある日、野良の親分の白ちゃんが交通事故か毒殺か分からないけど、口から血を吐いて死んでしまい、艇庫の食事は終わりました。しかしまめちゃんは艇庫に拘って、そこで一日の大半を過ごすようになり今日に至ります。
この時期、寒波で雪風で気温も零下になるにもかかわらず、毎日外に出て艇庫の中や、外の塀の裏に溜まった落ち葉の中に身を潜めている始末。このまめちゃんを毎日夕刻には迎えに行かなくてはなりません。そして家の中の居場所は私の書斎で・・・結局、最近絵を描くことが出来ません。パレットの絵具を足に付けてそこいら中を歩き回ったり、油の瓶をひっくり返したりで・・・。
寝る時間も猫と同じ・・・つまり断続的に寝て起きる・・・結果として昼夜が逆転してしまいまして・・・まだ確定申告に行ってません。三回目ワクチンは週末に予約を入れましたが。今日はユンケルでも飲もうかな。