河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

防災理念2

2020-04-11 20:16:10 | 絵画

防災は「災害が起きる前にやること」という前置きは前回述べたが、災害を情緒的に捉えていると、この防災が骨抜きにされることを注意しなければならない。これは現実に起きることを想定して具体的な対処法を準備しなければならないことを、ただ机の上で「想定する」という役人的なメンタリティが往々にして起きるからそこにかかる費用も労力も無駄にする恐れがあることを前もって注意すべきである。

EU各国から遅れて動き始めた安倍政権だが、彼らは専門家の意見を聞くことは後まわしにして、「政治的判断」を優先させてしまった。この国の政治のレベルが低いことは昔から変わらないが、世紀に稀な災害の最中に判断を誤っても「様子を見て判断する」と言い続けた政治家のメンタリティはこの国を滅ぼす。

この国の人たちは物事を情緒的に捉えるのは大得意で、世界でもこの能力は長けている。しかし合理的に、現実的に無駄なく議論を発展させることは不得手である。今回の安倍政権のやっていることは後手に回って、小池都知事の方が現実的であったことは明らかだった。この事態になっても政権はのんびり「様子を見て判断する」と言っていたのだから・・・。

さて、コロナはさておき、美術館博物館の防災についての考察を始めよう。

私が28年前に国立西洋美術館の学芸課保存担当として採用された時には、国立美術館・博物館を通して、初めての採用であった。その時の西洋美術館の館長は当時文部事務次官を退職されてこられた三角哲夫氏で、「河口君、国立にとって初めてだから、次の世代に線路を引くことを3年位目標にやってくれ」と言われて・・・・それで済みますか?・・・と思ったものだ。

学芸課の同僚からして私の仕事の内容を良く知らなかったのだから。その後の3年は周囲の私の仕事に対する理解で苦労させられた。未知の出来事に対しては既得権者は官僚的な対応をするのがジェネラリストの常だ。(今回のコロナについても、先に政治的な対応を優先して専門家の意見を無視してきた。感染者の人数が少なく見えるように、検査数を少なくし、見せた感染者数を少なく見せる裏工作をした。それも習近平を国賓として招くために、どうしても問題が少なく見えるようにしたのだが・・・。現実を知らなさ過ぎた官僚の言うとおりに従った安倍の後手後手はまだ続いている。医療崩壊が起きるといいながら、医療の充実に手をこまねいていたのだ。それで国は各家庭にに2枚の布製ますくだと・・。いまだに来ないけど。)

現場のことは専門家の判断に任せるのがドイツ流だが、(メルケル首相は流石に理系の学者上がりだ。現場を想定して早い手を打った。)そのドイツから帰国して唖然とした学芸課であった。

美術館の保存担当者の仕事だが「お前は修復室で壊れた絵を直していればよい」と言った先輩がいた。情けない話だが、修復家とは壊れたものを直すのが仕事だと思われていて、他に展覧会の借用作品の保存状態点検程度が仕事だと・・・同僚の学芸員は皆そう思っていたのだ。私がベルギー、ドイツから帰国してから40年近いが、いまだに保存修復担当者の仕事を理解にしない学芸員がいる。

まず美術館にいる保存修復担当者と修復師とでは仕事内容が違う。修復師は確かに保存状態が良くない作品の処置を行うが、美術品の汚れを除去したり、欠損しているところを補填することが中心で、構造的に欠陥がある場合にはカンヴァス画であれば木枠を取り換えたりカンヴァス地そのものを新しいもので補強するなどする。修復師に求められる職能は作品の欠損部の絵具層の補填に絵具などの画材を用いるので、技法材料に習熟していることや、絵画としても描写が再現できる能力が求められる。(絵も描けない人もいる。おリンゴがおリンゴらしくそっくりに描ければよいのだ。一方で芸術家では困る。)

しかし誤解がないようにしてほしいのは「失われたところを元の原作と同じ材料を用いると思っている人」、そこは原作と同じ材料は用いてはいけないということで、何年も後になってどこが新しく補填されてた箇所か、一目瞭然に分かることが求められ、同時に後日それを必ず除去が可能であることが求められる。これは保存倫理(conservation ethics)という。つまりドイツではやって良いことといけないことがあることを真っ先に教えられるが、そうでない国で勉強だけして現場で働いて帰って来ないものもいるから、要注意。

まず修復師になるための見習いに入ると、表面的な知識で基本的な技術を3年ぐらい学び、さらに研究生としてレベルの高い現場仕事を行う。私の場合ベルリン国立絵画館でのギャラリー業務はその後西洋美術館での仕事に参考になったが、いざ東京で仕事をしようとすると、既得権者が障害となった。美術品の保存では環境が十分に整っていることが重要だが、ここで防災上の環境条件が整うために基本から周囲に理解してもらう必要があった。

まず、環境と言えば建造物の防災として、この国の災害である地震、台風、火災、水害などの自然災害に十分な条件がそろっているか点検。美術品を収蔵する収蔵庫、展示室の環境は温度湿度の適正化、照明などからUV(紫外線)や赤外線による劣化を防止し、道路などからのNOX(窒素酸化物)、酸性雨のエアロゾルによる浸食防止に換気フィルターを付けるなどの指示を行うのも保存担当者の仕事・・・だが、既得権者が嫌がって放置される。美術史の文献資料(実際には他人が書いた本)を読んでいるばかりの学芸員には冷や水をかけられるのが日常であった。こういうところに官僚的な習慣が根付いていたのだ。時間が経っても、若い美術史系学芸員が「自分たちが美術館業務を主導している」といって保存担当や図書資料、美術館教育の専門家に対して、上から目線でものを言う。(美術館業務と言っても、彼らの業務は年に3回行う展覧会を担当することで。美術品のあるいは歴史の調査研究が出来るわけではない。よほど地方の美術館の学芸員に、地道な研究を行っている者が多い。)

この国では組織内の業務の専業化は民間会社では可能でも、国公立の組織の中では専門性よりジェネラリスト(総合一般業務習熟者)が求められれる。これは組織の中で業務のマンネリ化を防ぐとか総合的に何でもこなせるだろうという推量で習慣化しているためだ。そこで専門家が判断すればより効率的であっても無能な課長であっても、その者が決める権限と責任があれば、そいつが決める・・・・不合理。だから安倍が言うことは、周りの質の悪いジェネラリスト補佐官が「国民一人一人にマスクを2枚配ればきっと皆驚きますよ・・・」とか言うがまま、安倍は不合理を連発。今になってコロナ感染の検査を一日1万人を実現する…とか言っているが、現場では検査技術のある者が足りません・・・と悲鳴を上げているのに・・・あの補佐官と厚生省の女審議官アベックで京都に出張して、山中伸弥先生に補助金を出さないとか「悪態」を突いた馬鹿官僚は遊んでいたのだ。(官僚が腐るのは政治家がバカだからだ。むかし大蔵省の官僚がノーパン喫茶で接待を受けていたのを憶えているだろうか?昔から総理大臣を手玉に取った補佐官が、その時の政権を解散に追い込んでいる・・・目的があってではなく、失策をさせてしまうからだ。)

専業化は欧米では業務の合理的な効率を求める以上、当たり前で、これなしに組織は成り立っていない。そして組織のトップはこの国良くあるような天下りはいない。専門家として組織を率いた実績が認められて成りあがるのだ。形だけの椅子に座る無能ななりたがりでは困るのだ。ドイツには制度としてのドクター制度(知識の専門家として)、マイスター制度(技術の専門家として)がある。工事などの現場を束ねるのはドクターだが、もしドクターが現場に則さないことを指示したら、マイスターたちに吊し上げられるだろう。言い訳にも論理性が求められ、この国ように「済みませんでした」では済まない。こうしてドイツは日本の半分の人口で日本に次ぐGNPを稼ぎ出している。(ドクター制度も馬鹿な奴はドクターでなければ「人間ではない」と思っているから・・・良し悪しはその人の人格による。)

しかし、本当にこの国では業務の専業化は簡単ではない。もし一部を専業化してもその上には専門性を理解しないものが上司として業務を邪魔するのだ自分が統括する立場にあると、勘違いしてしまうからだ。

いつだか、西洋美術館紀要に「美術館の専業化」について書いたら、ブリヂストン美術館の館長をやっていた者に「こいつは修復原理主義者だ」とか言われたが、「この男は美術史研究者としても三流だったのだ」と思った。要するに研究者としても自負があれば、学芸員であった頃、専業化でもっと高みを目指して仕事ができたはずと思っただろうに。つまり今も学芸員とは「雑芸員」と揶揄されるように、調査研究の本業以外の雑務と言えることが多すぎるのに、それが当たり前だと思っている。

美術館博物館が文化財の収蔵保存、調査研究、教育普及の場であることは、皆知っていることだろうが、中の学芸員はその子との意識が希薄なものが多い。災害が多い国で文化財を守るためには、一度受けた災害は次に同じような被害が起きないように努力するのが責務である。しかし「のど元過ぎれば熱さ忘れる」のは自分が現場で厳しい現実を経験しておらず、観念的に頭で想定しているからである。だからこそ組織には職責が固定された専門家が必要で、防災を担当する者が常に対策を実践していなければ、何時来るとも分からない災害から逃れられない。

そして災害を経験して「教訓」を得るのはこの専門家だ。この専門家こそ、次に備える「防災マニアル」を作るのだ。

コロナで人が死んでいる、こんな時こそ感染症の専門家を集めた厚生省の「感染症対策チーム」の先生たちの教訓が生かされることを祈りたい。

 


防災理念

2020-04-08 21:11:44 | 絵画

コロナ禍でこの国の防災理念は試された。やはりガラパゴスだったが、災害に対する合理性がない理解が最も恐ろしいことが感じられ始めて、日本国民は少なくとも二か月は無駄な時間を過ごしてしまっただろう。ウイルス感染を防ぐために、中国の習近平来日に忖度した安倍は浸入を防ぐのが遅すぎた。その根底にある問題は政権や厚生労働省の楽観主義だろう。日頃から防災意識が働かないから原発の津波による壊滅やその影響も、またこの国が地震や台風による災害多発国である事にも慣れきってしまって、病的とも言えるバイアスがあらゆるところにかかっている。緊急事態宣言も内容があいまいでおそまつ、しかも手遅れだ。だれがウイルスを拡散しているか、その原点から対策を勧めなかったから、無症状の元気な若者は社会的責任も感じることがなく、「自分たちは年寄りと比べれば感染率が小さい」と「自分が感染させる率」には無神経であることが放置されてきた。

私の住む島根県は鳥取と並んで感染者がゼロのようになっているが、皆・・・眉唾のように感じ始めている。当初から医療崩壊を防ぐために感染検査を控えて来て、無症状者を放置したことが、今となって危機的状況をかもし始めた。今に突然の感染爆発で「緊急事態宣言強化」が必要になるだろう。

それにしても各家庭にマスク二枚送る案は「安倍のマスク」「エイプリルフール」とか言われても引っ込めない安倍の鉄面皮には呆れる。

防災については国立西洋美術館在職中の保存修復家としての業務として、美術品に対して行ってきた経緯があるので、このブログでこれまで語らなかったことを書いておこうかと思う。

「防災」とは災害が起きる前に行っておく処置であるから、この国の国民性からすれば不得意な意識である。なにせのど元過ぎれば熱さ忘れる国民性である。つまり災害があっても、過去も未来もないというのが今回の感染症対策が全くなくて、患者の命に係わる受け入れベッド数がイタリアの半分に満たず、ドイツの6分の1とは・・・無為無策。

次から、保存修復についても巷の理解に誤解があることから、説明しようと思う。


彼女には何時でも死ぬ権利がある

2020-04-07 13:47:04 | 絵画

やっと浜田も桜が満開になったかと思えば、もう散り始めて一週間も楽しむ余裕もない。多くの山際は山桜で桃色と赤い葉の色でにぎやかだが・・・。

先週金曜日にタネちゃんを獣医さんの所に連れて行って、一日でも良いから長く生きれるようにしてほしいと頼んだ。タネちゃんの体温は35.5度で「もう危ないから・・・治る見込みはない」と言われても、点滴と抗生剤の注射をしてもらって、帰宅後、キャリーバッグの中にホット座布団を入れて、無理やり閉じ込めた。体温が低いと点滴の薬も細胞が吸収しないらしい。強制隔離が聞いたのか、中でおしっこを漏らした。つまり水分が余ってきたということ・・・で、タネちゃんは閉じ込められていることに腹を立てて、キャリーの戸をテープで止めていたのをぶち破って脱走。外で日向ぼっこを始めた。今まで死にそうで、何も食べずにじーっと死ぬのを待っていたとは思えない「元気!元気!」。夕方の食事時には家に戻って、「めしくわせろ!!」コール。・・・おいおい・・・と涙が出てきた。体から死臭が漂っていたのが、一変した。

最初は液体に近い「ちゅるり」とかいうクリーム状の練り物を与えて・・・気に入ったらしく・・・そればかり要求していいる。これがドライフードまで戻らないと、他の猫の例にあるように、死期が近いネコは過去に自分が好きだったものを食べたがり、他な一切食べないという事例其のままだから、まだ心配だが・・・私がいくら心配しても、彼女には自分の死は自分で決める権利がある。

目を離したすきに庭へ出て・・・しゃがんでビビビーと音を立ててウン子をした。下痢だ。早く安心させてほしい。

もう、庭を掘らせないで欲しい。


身近な死

2020-04-02 16:55:00 | 絵画

次第に騒ぎが大きくなってきた新型コロナヴィルス感染の拡大。私の住む島根県からはまだ感染者はいないことになっているが、時間の問題である。ないということはあり得ない。もしそれらしい症状になったと自覚しても、市役所の相談センターから保健所(土日が休みらしくて・・・なんじゃこりゃ!!)に電話して、それから感染したか否かの検査が受けられる医療機関を紹介されるらしい。志村けんさんはそれで手遅れになったのでは? 非常事態宣言を行うかどうかの時に「土日が休み」というのは、この国らしい。役人のやること!!

「身近な死」とは我が家の猫たちの話。

3月31日に文子(ぶんこ♀)ちゃんが死んだ。7~8歳ぐらいだった。6年前、夕方の文化の日(11月3日)にみんなが夕食の最中に、居間を通り抜け、二階の私のベッドに一直線。まずは寝ていた。「この子は誰の友達だ!!??」と叫んだのを憶えている。それ以来、ずっと我が家のレギュラーメンバーのような顔をして居ついた。ケンカはしない。いじめもしない。甘えん坊だった。

死因は腹膜炎かも知れないと・・・最後は食事をとらず、3日、4日たったころ力尽きて息を引き取る。ぶんこの最期は壮絶であった。朝居間に降りると水入れに顔と右手を突っ込んで、水を飲みながら死んでいた。はって行って、やっとたどり着いた水に顔を付けて溺れたのかも知れない。

にも我が家では多くの猫が、この一年死んでいる。

去年4月に仲池上の野良猫だったミミちゃんが失踪・・・隣の高校生の話では、「首輪をつけたお腹の白いネコが水路を流れて行った」と。人に愛想のよいオス猫だった、推定10歳。猫が水に落ちることはまずない。誰か投げ込まない限り・・・この町では猫をカニかごに入れて海に沈める者がいるから。

5月に上京している間に二匹のメスに3匹ずつの子猫が生まれたが、一月後にはみそちゃん生後一か月で死ぬ。3匹で生まれると大中小のような形で育つが、一番小さい子は乳をもらう量が少なく免疫力が無くて、最初に死ぬ。具体的な死因は分からない。

年も暮れに近くなって、ふーちゃん(メス6歳)が死んだ。ふーちゃんは触れない野良で不妊手術が出来なくて、我が家で通算18匹ぐらい産んだが、6匹を早産で胎盤が付いたまま私の布団の上に死産となった、次に5匹ぐらい産んだが、生後2~3か月の子猫たちを外に連れ出して、一匹だけ帰って来たけど、雨の日庭の通路で冷たくなって死んでいた。その最後の子がギガちゃんで、甘えん坊の男の子。いつもふーちゃんにくっついていたが、ふーちゃんが亡くなって、後を追うように死んだ。同じく腹膜炎と思える。最後はがりがりになって死んだ(ここで気が付いた!ふーちゃんはゴミ焼き場の前で見たのが最後で、行方不明になった。同じころ全くよく似た毛柄のかすみちゃんが死んだのと混同した。かすみちゃんは同じ症状で・・・左目に白内障があって、小さい時から庭の外には出ず、いつも近くにいて夜も家にいるのが生涯であった。最後は家外の溝に身を横たえて死ぬのを待っていた・・・水に浸かっていて可哀そうだったので、上に上げたら、最期はやはり溝の中に入って、空の土管に顔を突っ込んで死んでいた。最期を誰にも邪魔されなかったのだろう。私は悪いことをしたのだ。)

今年に入って3年前に敗血症を患って、3か月クリニックに通って抗生剤の注射や前足の傷の消毒を行ってかろうじて生き抜いたあにやんが1月に死んだ。片足を失っても回復してから筋肉がついて飛び跳ねて元気だったのに・・・。そして2月、次はがねちゃん、佳代ちゃん、そして3月初め、みりんちゃんが死んだ。みりんちゃんは去年の5月生まれだからやっともう直ぐ一年・・・と言うときに死んだこの子の姿はブログで見ることが出来るから悲しい。この子は流行性鼻炎(いわゆる猫風邪)で免疫力が無くて死んだかも知れない。

どうも我が家には細菌性の伝染病が蔓延しているのかも知れない。

3月31日の朝、ぶんこちゃんを産める穴を掘っているところ、ふと隣の庭を見るとすぐ目の前に猫の遺体が見えた。急いで間近に見に行くとそれは死体が見つからなかった佳代ちゃんのような気がした遺体の痛みが激しくて、内臓は無く,蛆がわいている。僅かに見覚えがある毛の色で佳代ちゃんだと思う。遺体が崩れるので、もうその場に穴を掘るしか方法がなく、もし分けないが隣の庭に穴を掘って埋めた。

猫は私の家族だ。彼らが死ぬたびに涙が出て、時には大声で泣く

私の絵のテーマは「生きることと死ぬこと」だから逃げるわけにはいかない。今朝も次に死ぬだろう候補のタネちゃんを医者に連れて行った。体温を測ると35.5度だった。36度を切ると助からないそうだ。それでも先生にすがって、「一日でも良いから生かしてやりたい」と栄養剤点滴と抗生剤の注射をしてもらった。本来なら4千円以上するのを先生は「2千円」と言って、同情してくれた。このところ毎日のように猫を連れて行くので、気を使われたのだろう。

我が家は感染症で呪われている。