河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

カニ食べに行こう!

2021-03-16 15:50:04 | 絵画

むかし「カニ食べに行こうー!!」という歌があったように思うけど。東京にいた頃は職場近くのアメ横の外れに「吉池」という百貨店があって、地下に野菜、地上一階に魚屋があって、一年中カニは生か冷凍物で食べることが出来た。しかしこの浜田に来て、やはり田舎ということもあるが、カニの漁場は近くなのに、この地方ではカニを食べないようで、たまに季節のベニズワイガニを売っている程度だ。北朝鮮に制裁を科す前に一時期観光客相手の「お魚センター」で水槽にズワイガニが泳いでいたが、値段も高く、永く水槽で過ごしていると身も痩せるので、あまり買いたいと思わなかった。

もう魚のことを考えると情けないのは、浜田は日本海側にある重要な6指定漁港の一つで交付金も多く出ているにもかかわらず、スーパーで売られている魚の種類も量も値段も東京並みか、値段は時に高い。あるときNHKの故郷の名物料理として「のどぐろ(アカムツ)」を調理して食べる番組があって・・・・あきれた・・・なぜなら、今や浜田ではのどぐろは水揚げされず、ほとんどが隣の山口県萩港に上がったものをスーパーで売っているのだから、もう浜田の特産ではないのだ。浜田近辺で捕獲したもの、あるいは浜田港に水揚げされたものは「地物」と呼んで親近感を感じるが、漁港の町でアルゼンチン赤エビ、ノルウェー産、ペルー産サケ、タイ、インドネシア、とか・・・昔、子供のころ習った「農業、漁業国日本」の面影はない。昔の町の魚屋さんに並んでいた魚の方が種類は豊富だったと思う。

流通機構がしっかりしていて何でも手に入る東京と比べても仕方がないが、その地方特産の物も入手出来にくいとは情けない。

で、昨日は丸一日かけて「カニを求めて」隣の鳥取県(彼らはカニとり県と称している)境港市に出かけた。去年も同じ時期境港にカニを買いに出かけて「生きがに」5500円一杯、ゆでガニ3杯を購入・・・・で帰宅して直ぐに食べ始めて、寝ずにみな食べてしまって・・・ちょっと食い過ぎたと思ったが・・・翌日には「もう二度と食いたくない」となっていたのだが。一年も経つと「のど元過ぎればゲップも忘れる」だ・・・・ぬん?

今年もまあ、ともかく3月20日以降がズワイガニ漁の禁漁日。それまでに出かけることが生きたカニを買うには重大なのだ。今年はコロナのせいで客足が遠のき、さらに都市の料理屋からの注文も激減で、おおよそ価格も半減。食べるなら今だ・・・のうえ、さらに漁をやっている間には「傷物」として足が欠けたものとかは安く・・・下手をすると半値・・・で今回はこれを買うのに間に合ったのだ。前回山陰地方TVで宣伝していたカニ専門店も覗いたが、水槽のカニは身が痩せるので、おまけに観光客相手だと値段は吹っ掛け、いつもと変わらないから見るだけにして・・・傍にある「スーパー・プラント」と呼び名の巨大スパーの魚部門に直行したところ、今年はまだ泡を吹いている生きたカニを並べて売っている。それらは観光客相手のカニ専門店よりはるかに安く売られている。しかも見つけたぞ、今回!!泡を吹く傷物・・・頭の幅が15センチの大物を2杯ゲット。傷物とはいえ、足が一本欠けているだけでもう一杯はそこに落ちていいたからひらって包んでもらった。やはり生に限る。自分で茹でて温かいうちに食べるとほっぺたが落ちるから。

この日の為に「大鍋」が買ってあった。東京で買ったかも?直径が36センチくらいでまず湯を沸かして沸騰させ、塩を海水より少し少なめに入れる。ちなみに海水の平均塩分濃度は3.5%くらいだから、1リットルに大匙一杯であろうか。あとは味見して自分の好みにして。沸騰しているところ一度火を止めて、カニは頭を下にして足を曲げて入れる。ちょうど二杯のカニで溢れんばかりだが。

再度火をつけて沸騰させて20秒数える程度で火を切る。直ぐに上げて冷まして食べる。すでに茹でて冷凍されたものとかと比べて桁違いに味が良い。

実は山陰両県と隣り合わせの県同士で、境港は松江市のすぐ隣で近いはずだが、浜田から境港まで160kmくらいある。車で3時間は要する。(ちなみに広島までおよそ100kmで高速に乗れば1時間ちょっとで行ける)今回は行きは有料道路を使ったせいで150kmに縮まり久しぶりに迷わずたどり着いたが、帰りはおかしかった。カーナビで帰りルートをインプットしたら、来た道を全く逆の方向に指示されて山になかに・・・・運転しながら「なんじゃこれ!!・・・この馬鹿ナビめ!!」と叫びながらやっと帰宅した。おかしい2年前にナビのソフトは更新したはずであるが・・・・知りえた抜け道ではなく、幹線道路へ導くように設定されているためとも言い切れないひどいリードであった。

結局7時間運転したのではないか・・・久しぶりに疲れた。帰宅して猫にご飯をやらずに出かけたのに気が付いた。ごめんねニャンコたち。とうちゃんはどうしてもカニが食いたかったのだよ。

 

おまけだが境港のスーパープラントは一度覗いてみるが良い。でかくて端が見えないほどで200m以上あると思う。いつか全部歩いてみようか。今回の目当てはフランス製のベイビーサラミとかチーズ、野菜には季節はまだ早いが白アスパラ。一つ失敗した買い物にアメリカ製のサラミ・・・やはりヨーロッパの味からほど遠い。アメリカ料理ってあったっけ?ハンバーガーにポテトチップは料理ではなく「えさ」だよ。やはり伝統文化の継承は大事だね。特に食い物にはイデオロギーが付いているはずだから。

魚はカニ以外に買わなかったが、70センチはある真鱈とかその場でさばいてくれるので、尾頭付きが苦手な主婦でもOKだろう。真鱈は開きにして塩をまぶして干物にすれば長持ち・・・食べるときは塩抜きして甘露煮にするとか。

で、猫にエサを与えて、今度は自分のカニをゆでて、真っ先に頭のみそを食べる。これは放置すれば味が真っ先に変わるから、そして黒ずんでくるからその前に食べるのだ・・・・それを居間から窓越しに見ていた猫がポリカの窓を叩き始めて、大騒ぎだ、しかし無視して、一度に二つも食べてちょっとくたびれて寝る。


プリミティヴフラマン絵画(フランドル絵画)の技法についての再考1

2021-03-13 21:29:56 | 絵画

また昔(21年前に)書かれた本などを読んでいて、およそ進歩しないだろうと思える絵画技法についての知識や、この国での通念が気になって、改めてメモを書いておきたい。

「油彩画の発明者」とか「最初に油彩画技法を完成させた画家」とか言われてその優れた油彩画は人類の宝とも思える15世紀フランドル地方(ベルギー西部)で活躍したファン・アイク兄弟の技法は未だに再現が不可能な秘密と高度な技能によって解明されていない。とはいえ、これまで何度か科学調査がされて基本的な技法は判明している。

しかし、1970年代に政府給費留学生としてイタリアやオランダに研修留学に出かけた者たちに与えられた機会は決して十分な認識を得られるだけの勉学をしてこなかった故に、当時あまりに不正確な推量で化学的でない知識理解で東京芸大の後続たちに伝えられてしまった。

その後の十年間で新たにイタリアに留学したものによって、現地で出来る最もレベルの高い模写や技法サンプルがもたらされて、15~16世紀イタリアのテンペラ絵画についてはこの国でもある程度は知られるようになった。

問題はファン・アイク兄弟の技法である。

未だにテンペラ絵具や膠絵具を織り交ぜた油彩画技法、つまり混合技法だと思っている人が機会があれば自身の信じ込みを広げてしまう状況である。

私は国立西洋美術館在職中は画家ではなく、技法研修者ではなく「美術館コレクションのための保存修復家」であったので、やるべきことはたくさん雑務があって、技法研究は絶えず個人的には興味があっても、館の紀要などに執筆しておく機会があったにもかかわらず、あえて行わなかった。今思うと自分がやるべきだったと思う。大それた大研究ではなく、小論の積み重ねを繰り返して、自分がそれまで多くの作品から得た所見と海外の研究者の調査などからより実務者としての認識を得るかとが可能であったろう。

以下ここに少しづつ事実関係を確認しつつ記録しておこうと思う。

つづく

 

 


絵が描けない時のいたずら描き

2021-03-13 10:34:50 | 絵画

絵が描けない時、つまりスランプは制作欲が失われて何もしたくない時や、描きたくてもイメージがまとまらない時と言えるだろう。そういう時は「絵食同源」と言い訳して「食い意地」に逃げて気を晴らすと書いたことがあるが、後者の描きたくてもイメージがまとまらない時は自動書記のようにいたずら描きをすることにしている。

要するにイメージ全体がまとまらない以上、作品的な完成度は得られないから、最初から気を張らずにいたずら描きをすることにしている。そうすれば作品のどこかの部分として成立する小さなイメージが具体化することになる。

静物画、風景画、人物画のように、そこにある原物を写生するのと違って、構想画は「全体的に関連性のあるモチーフの持ち込み」が必要で、そのバランスで完成度が生まれる。そうすれば鑑賞者が見るときに全体を安心して眺められる。

しかし、関連性が無いものが雑多に登場すれば見る人は混乱し、何が言いたいのか分からなくなる。現代アートはこれが多い。一目見て「感じ取れる」だけの世界がそこに存在させられていないとみる人は「何を表現しているのか考えてしまう」観念的な鑑賞になってしまう。現代アートは更に「何が言いたいのか伝わらない」と「言葉で説明」するから、余計に分からなくなる。目に入るものを言葉に置き換えると、感じないものを無理やり言葉で納得させると本来あるべき芸術性とは無関係になる。

こうしたことを起こさないように制作することは、情報過多で観念的な生活が常態化している今日かなり難しいが、とにかく何をどうしたいのか自分の考えや気持ちを視覚的に表してみるしかない。それが「いたずら描き」だ。

まずは楽しみながら描いてみることで、自分のイメージのレベルの低さから反省も出来るし、面白さと出会えば妙に自己満足もある。その積み重ねで一つの画面全体のイメージを充足させれば一つの作品に向かって制作が始まるから。

何となく分かります?


猫(を、が)ふんじゃった!!

2021-03-13 09:37:23 | 絵画

もう十年前になるが、仲池上の小ビルに住んでいたころは生活が何となく小さくまとまっていて、猫も家の中にいる(一番多い時で7匹の)子と、外つまり野良猫の世話程度で済んでいて、さほど多くの手間はなかったように思う。猫のトイレにはそれぞれの猫の個性があって、私が出張でニ三日家を空けると私のベッドにわざとウン子をして出迎える子(シャムネコ)が居て閉口したが、それは出かける前にベッドを大きなビニールシートで覆っておくことで、毎回の「仕打ち」に対応できた。日頃はちゃんと砂のトイレで出来る子だが、猫には「故意の当てつけ」をする子がいることに気が付かされた。

そう、この浜田に来てもっとひどいことが起きている。5月10日で2歳になる白黒の「しょうゆ」君だが、妹の「みそ」「みりん」ちゃんはまだ小さい時に亡くなってしまたが・・・・そのせいかもしれないが、寂しさが大きい分だけ私に「当てつけ」をしているのではないかと思うほどウン子にオシッコを廊下にするのである。一日で多い時は6,7回ウン子をする・・・その分、食事時には他の猫の分まで食いまくって下痢をするのだ。だが普通の体形で成長して大きくなった。

そこでギャル曽根が大食いで、あれほど食べても太らない原因が分かった気がする…つまり、彼女は一日分を15,6回に分けて出すと言っていたが、栄養を吸収せずに殆ど下痢で出しているのだろうと推測する。余計なお世話だが、大食いが得手の仕事とはいえ、きっと健康には良くないだろう。食事後に撮影したX線写真を公開していたが、お腹全体が胃袋になっていて映っていた。これは普通の人には出来ないことではないか!!??

そこでうちのしょうゆ君だが毎日6,7回するウン子が2日も放置されると私も歩けなくなる。3年前に「坐骨神経痛」を患ってから左足が上手く出ないから・・・「おっと、と、と!!」ということは頻繁にあり、危ない。だから廊下は常夜灯で対応しているが、暗い洗面台の下にあったウン子をもろに踏んでしまった。もう一回踏んだことがあったが・・・しかしうちの猫たちも同じように「踏む」のだ。意外と不器用で、キャットウォークから落ちるものもいるから・・・私はウン子は必ず見つけた時にティッシュを掛けておくことにしているが、その上からむにゅーっと横滑りしながら踏みつけていること・・・もう6回目だ。しかもその足で私のベッドに乗らないで欲しい。くたくたで寝る段になって枕元が匂うのに気が付く・・・と、もう寝れない、眠れない。ベッドカバーから布団、シーツに至るまで全て交換しないといけない。

で、廊下の掃除だが・・・意外なことに気が付いた。彼らは家の中でも「けものみち」に従って歩いているということ・・・・土足で家に上がって、廊下に泥足で付けた汚れが集中することで、それが一定の方向性があって・・・その上に残したウン子は踏まれやすいということに気が付いた。

どうだ!!このウンチクは!!??

ああそうそう、しょうゆ君のこの「下痢」と「当てつけ」を直すには「食事量を減らす」ため拘置所につまり檻(おり)だけど7日ばかり入れて、カリカリと水で我慢させるのが最良の様だ。しかし問題は彼のトイレだ。砂のトイレを入れるとそこに寝て、ウン子はその外にするのだ・・・。


まだオリンピックやりますの?

2021-03-09 13:27:58 | 絵画

「私がやると言わなければ誰がやる」と豪語していた森喜朗が退いて、先に欧米でもコロナ禍にオリンピックが可能かどうか議論するようになっても、この国ではメディアも積極的に議論しようとしない。どうしてだろう?

国産のワクチンも出来ない(作らせようとしなかった)、治療薬開発にも資金を投入しないで能力のある研究者を放置してきた安倍、菅政権は「学術研究の専門性」に興味を示さず、むしろ自分たちの政治の為に遠ざけてきた。その原因となった「習近平を招待しようとした中国との関係」「経済的利益優先で計算したオリンピック」があるだろう。コロナをなめ切っているのだろう。

かつて世界中を感染させて死者2000万人とも言われたスペイン風邪は終息するのに5,6年要した。アメリカからワクチンを輸入して日本国内が終息しても、日本さえ克服すれば開催はできると思い込んで知るのか・・・オリンピックは世界のスポーツの祭典であり、多くの国の参加が無くなれば、強行突破できると突き進む日本の政権は最も恥知らずで、科学的思考が欠如した「みんな頑張れば出来るの精神論」が先に立つ「非論理的国民性」が、これまで以上に世界に知れ渡るだろう。

出来る見込みがないと9000万円も出費が見込まれる島根県内の「聖火リレーの無駄」を指摘した丸山知事の指摘もメディアは肩透かし程度に扱った。そもそもオリンピックは都市に与えれた権利で、東京とその周辺だけが経済的効果が見込まれたのに、東京から900Km離れたこの島根には全く関係ない。それにもかかわらず「国民の義務」のように押し付ける全体主義の政権は傲慢としか言いようがない。

もうフランスは代表選手を送って来ないようなうわさが伝わってきている。アスリートファーストとはよく言ったものだが、その選手たちもコロナのせいで十分な練習も出来ずに戦意喪失と聞く。そのうち主要参加国からの「不参加の外圧」で東京オリンピックは中止に追い込まれるだろう。

そして関係者は無駄金を使った責任も知らんぷりをするに違いない。