記事のヘッドラインは「ひっかけ」であるから、意味ありげな見出しとなることは仕方ないだろう。この記事を書いた東京芸術大学美術館、館長の秋元雄史氏は西洋美術鑑賞の本を出されたらしいのだが、その続きと言うべき、この記事は西洋美術展の鑑賞方法を紹介するものであって、決して「フェルメール作品の芸術性」について述べるものではなかったので、前もって伝えておきます。
さて秋元氏はつぎに、「感性に頼らず価値が語れる美術鑑賞の仕方」と書かれたところから「ええ??ちょっと待ってください!!」とよく読んで、このぬログにいつも私が強調してきたことを、またしつこく書き強調することにしたのだ。
「感性に頼らず・・・」で他に何に頼るのだろうか?ということだが、いきなり「西洋美術と日本美術は全く異なる・・・」と言われても「まあ、全くかどうかは言えないけど、かなり違いはあるな・・・」という程度が、「西洋美術の鑑賞の前提は「革命の歴史」で、これを踏まえずに同じ視点で日本美術、西洋美術を鑑賞すると作品の評価を見誤る・・・と言われる。まず同じ視点と言われても、どういう視点なのか良く分からなくてこまるが、それは「似たようなもの」として観るという意味だろうか?しかしちょっとそんな人はいないと思うけど・・・。で、「革命の歴史」というのも西洋美術史を研究している人たちから聞いたこともないし、そのような話として、この記事が展開していくのかと思ったら、どうも違った。
彼曰く「日本美術は伝統が重んじられル傾向が強く、いかに技術や考え方を継承していくかがポイント・・・。一方、西洋美術は「革命がキーワード・・・それまでの芸術をいかに壊して、新しい価値を生み出しているのかがポイントなのだ・・・いわばイノベーションの歴史なのだ・・・」と。いつのまにか日本美術については伝統や継承で終わらせてしまって、西洋美術には「革命」という言葉とイノベーション(革新)という二つの言葉が使われているが、どちらの意味が適切なのかは、後述の内容で判断する。いずれにせよ革命という激しい感じがあったかどうか、イノベーションというほど組織的な動きがあったかどうか、生み出された美術作品の内容を詳細に紹介しなくてはならなくなるので、私もこれ以上、突っ込みを入れないで置く。
で、秋元氏は、「そのため、西洋美術を味わいたいときには、「以前の芸術と比べて革命的な点」が分かる知識が必要になる。何も下調べせずに作品鑑賞するのは無謀なのだ。西洋美術の美術展では知識をベースの鑑賞する「西洋美術脳」に切り替えなければならない・・・」
「西洋美術脳」とは彼の造語だ。そんな言葉はないが、最近売れっ子の「脳学者」の受け売りだろう・・・それはおおよそ意味が伝われれば良いとして、頭を切り替えるべきと言っているだけだろう。しかし私には聞き捨てならないのは「予め下調べして先入観を持て・・・」言っているから困る。
ここフェルメールについての記述が初めて出てきた。
「西洋美術鑑賞をフェルメールを例にとって具体的に考えてみると・・・彼の作品のその技術とともにキーワードとなるのは「カメラオプスキューラ」と「豊かなオランダ市民社会」だ。カメラオプスキューラとはピンホール現象を利用したカメラの原型のようなもの。これをフェルメールは制作時に用いたと考えられている。それまでの芸術でキリスト教布教のため、ドラマチックな構図がデフォルメされた人体の描き方が主流であった。しかし「カメラオプスキューラ」を用いることで、ありのままの光景を、そのまま写し取ったような写実的作風につながったのだ。」
と、書いておられるが、フェルメールがカメラオスキューラを用いたかどうか、確認されていない話であり、このカメラオプスキューラは復元されたものが、ロンドンナショナルギャラリーの17世紀オランダ絵画のコーナーに置かれているので、一度覗いてみたら良いだろう。これを覗いて描いたのではないか・・・と言ったのは美術史研究者であって、実技家ではない。もっとひどいことに持ちいてこのカメラオプスキューラを「幻燈(昔のスライドプロジェクターのようなもの)」のようにを用いて、カンヴァスに投影し、形をなぞったのではないか・・・と言い出す者もあらわれた。(正直、愚の骨頂!!全くあり得ない)こういうことを実しやかに言うのは、フェルメールの実際が良く分からないからである。彼の作品数は少なく、彼の絵画制作上、表現様式と言うべきデッサンによる形の年代変化、技法の変化をよく見ずして、語ろうとする者が後を絶たない。アムステルダム王立美術館所蔵の、有名な「ミルクを注ぐ女」とドレスデン国立絵画館の「手紙を読む女」とは描法がかなり異なり、「ミルクを注ぐ女」はかなり小さな作品だが油を多く含む緩やかな絵の具で描かれ、「手紙を読む女」は絵具に含まれる油を極力抑えて、細密に描けるように用い、手前のカーテンの生地や、レールを描いている。彼の描写力が極致に達している。
カメラオプスキューラを制作に利用したのではなかろうかという話は、おそらく「ミルクを注ぐ女」の手前にあるテーブルの上のパンがピンぼけたように描かれているからだという説があるが、それ以外の作品にピンぼけた表現はない。(どの画家の作品を見ても、画面全体をメリハリをつけて同じようにリアルに描く者はいない)
秋元氏の記事に戻ろう。「フェルメールの価値が高い理由」「豊かなオランダ市民社会」はフェルメール作品のモチーフと作品サイズに影響している。当時のキリスト教はその腐敗からカトリックとプロテスタントに分裂し、教会の権威は崩れつつあった。そんな中、華美なものを避けるプロテスタント国だったオランダは海洋貿易で栄えるようになった。その結果、教会が求めるような派手な宗教画よりも、人々の日常的風景が描かれた質素な風俗画が好まれるようになった。しかも教会に飾る巨大なサイズではなく、市民が自宅で鑑賞できる小さなサイズのものが求められた。
こうした美術史的な「革命」をフェルメールの神業ともいうような巧みな「光の表現」と相まって現代の絶大な評価につながっている。
と、秋元氏の「暴走」とも言うべき「こじつけ革命」の内容が描き出された。
まず「フェルメールの価値が高い理由」とは「お金のこと」ではないらしいが、具体的に描かれていない。それとオランダ絵画にいたる歴史を、素人の私でさえ、ちょっと違うと思う。カソリックとプロテスタントの話になる前に、北方ルネッサンスの15世紀頃はアントワープ、ブルージュ、ゲント辺りが絵画芸術の中心で、カンピンやヴァン・アイク兄弟、ヴェン・デル・ウェイデン、メムリンクといった画家たちに依って、プリミティヴ・フラマン絵画の黄金時代が築かれる。この頃、多くのカソリックの宗教画が描かれたが、それらの絵画は決して強大な画面ではなく、小さな作品だった。それは大きな画面を描けるカンヴァスではなく、ギルドによって品質が厳しく規制を受けていた「樫の板」に描かれたからだ。大きくしても現存するサンヴァーヴォン教会にあるヴァン・アイク兄弟の制作した祭壇画「神秘の仔羊」くらいであろうか。誰もこれ以上の作品があったことは知らないだろう。16世紀初頭に宗教改革と称してカルビン派の民衆がカソリックの宗教画や経典などをを破壊し、燃やしてしまったからだ。世に言う「偶像破壊イコノクラスム」によって多くの宗教画の傑作が失われたと思われる。だから丁度、この惨劇に出合ったピーター・ブリューゲルは当時スペインの支配下にあったアントワープにありながら聖像画は描かずに、それとなしに物語を差し入れる程度にしている。カソリック国であったオーストリア・ウィーンのハプスブルグ家に多くの彼の構想画が収蔵されて、現代に我々が観ることが出来る。ボッシュの「楽園」がプラド美術館にあるのも同じ理由である。このイコノクラスムの時代に南ネーデルランド(現在のベルギー)そして北ネーデルランド(オランダ)が出来上がっていった。
ペーテル・パウロ・ルーベンスの時代には(1600年代前後に彼はイタリア・マントバやローマ、フィレンツェに留学し、一人前の画家として活躍する)彼の先人のアントワープの画家ヤン・デ・フォスはヴェネツィアのティントレットの元で修行し、帰国後、当時のフランドルの板絵の伝統技法に加えてカンヴァス画も描くようになり、影響を受けたルーベンスも同じように伝統の板絵からカンヴァス画にと変わっていく。この時代になって初めてフランドルで大きな宗教画と言えるものが制作された。
決してオランダが海洋貿易国として栄えたから「宗教画から市民の求める日常的風景画」が描かれるようになるのではない。北ネーデルランドがカルビン派の新教徒で占められて、聖像画が敬遠され、静物画や風景画にモチーフが変わり、室内などを描く風俗画が描かれるようになるのは、絵を買ってくれる権力者や金持ちの趣向が変わってしまうからである。同じようなことは19世紀のフランス革命後に起きている。
これらを「美術史的革命」とは言うべきではなく、社会構造の変化である。当然、画家たちが出来ることは、社会に依存している。
また、秋元氏の記事に戻る。
「西洋美術鑑賞に知識が必要」というと非常に難しそうだがざっくりとしたもので十分だ。美術鑑賞のビギナーにはファーストステップとして、美術展のチラシやホームページをチェックしてみるだけでも良いだろう。各ホームページでは目玉となる作品たちとともに、必ず美術展の企画意図と作家や作品についての簡潔な解説が掲載されている。それを軽く頭に入れておこう。勿論、ホームページにとどまらず、誌上の各作品評を見ても良いし、関連雑誌、書籍を読むのもいい。それらに軽く目を通しているかいないかだけでも、実際に作品を見たときの情報量は大きく差が付くはずだ。
ここいら辺の記事内容は、毒にもならない。
この次の内容は秋元氏が美術館館長として、美術展を訪れた鑑賞者に、「疲れない鑑賞法」を伝授している。見たいものを先に見に行くとか・・・。
問題なのは、最期の章で、「抽象画も分かるようになる」という・・・。
「感性に頼らない知識ベースの鑑賞方法なら抽象画も判りやすくなる。抽象画のほとんどは何か具体的なものを描いて言えるわけではない。西洋美術は19世紀末ごろから、人間の内面や思想、単純な線の美しさなどを追及する動きが現れた。それらの多くは、その時代の風潮や多数派をの芸術運動を批判する先進的なもの。必ずしも風景や人物といった具体的なモチーフを描いていない。つまり抽象画を理解するには、描いた時代背景や芸術史の流れを軽くても把握しておくことが重要になる。感性だけで抽象画を理解しようとすると、どうしてもわからなくなるのはこのためだ。
知識をベースとした西洋美術鑑賞は決して難しいものではない。むしろ少しの情報を憶えておくだけで、多くの作品を語れるようになる。この鑑賞法で美術作品、美術展を違う角度から楽しんでみてはいかがだろうか。
という。
具象画に対する「抽象画」は現代美術全てを示さない。人間の内面や思想が美術で表せると思うこと自体に問題があって、抽象画の表現性の限界が語られないで、最初から「出来るもの」として錯誤して始まっていると、私は思う。音楽は抽象的だが、音楽の表現方法で人間の内面や思想が表現できるだろうか?やってみることを非難はしないが、出来ると思うことは哀れだ。言葉の遊びで、現代美術は「何をしてもかまわない、人がやっていないことをやってみるのだ」と言って、「出来ていると思い込む」傾向が現代美術そのものだ。伝わらなければ「言葉による解説」が必要になり、視覚芸術である美術でなくなる。抽象画は分からなくてもよいでしょう。分かるために描かれているように思えない。感覚的に「好き」になれば良いと思う。
前にも書いたと思うが、島根県立美術館のエンタランスに「最初から作品解説を読むのは止めましょう」と書いてあった。秋元氏とは反するが、私は「感覚的に鑑賞すること」を勧める。思い込み,先入観となる余計な知識は必要ないでしょう。展示室で思いがけぬ「出会い」を楽しむべきでしょう。
追記:
そうそう、昔、親が見合いの「釣書(つりがき)」を持ってきて、とにかくお見合いをさせようと強いた。医者の娘、呉服屋の娘、網本の娘、東大名誉教授の娘(この女性も東大卒、薬品メーカーで研究員)とかいろいろ、すでに親がふるい落とした女性たちが候補であった。一二度は見合いもしたが、親の好みだった気がした。ある時は偶然をよそった出会いを親が用意した。
やはり、展覧会でのパンフレットや派手な広告はいらないだろう。大事なのは出会いが新鮮であることではないだろうか。元美術館の関係者として、先入観無しのお見合いをしてほしい。
しかし展覧会へ行くと、最初のコーナーは混んで見えにくい。そして解説パネルに群がる人々。相変わらずだ。しかし中ほどまで進むと、作家名を見て、絵を左り下から斜めに右上方向に見る人が多い。5分と見ない。熟視するというのは、慣れない人には難しい行為なのは分かる。しかし入場料を払って見るのだから、この時ばかりはしっかり見てください。
また、ややこしいことを長々と書いてしまいました。すみません。