河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

もう春を食べましたか?

2022-04-25 12:53:45 | 絵画

このところ、やっと暖かくなって気持ちも陽気になってきました。何か美味しいものを食べたいと思うでしょう。

三月はタラの芽。てんぷらにして塩を軽くかけて食べると美味しい。野生のタラの芽なら香りがもっと強くて、アクもあるが一度は食べると良い。同じころゼンマイや蕨(わらび)にウドも出る。ゼンマイはてんぷら、ワラビは薄味のお浸し、ウドは酢味噌和えでは如何でしょう。筍は皮つきで購入し、自宅で米ぬかと一緒に茹でて、いろんな料理にしてみてはいかがでしょう。米ぬかと一緒に茹でるとアクが抜けて食べやすくなります。半時は茹でて冷めないうちに皮をむきます。熱いので一度さっと冷水をかけると良い。皮をむくと根元の硬い所は薄く切って、上の方は大きく切ります。昆布だしのお出汁を用意して浸けておきます。ゆっくり味が浸み込んで素直な味に仕上がります。

これをそのまま木の芽和えにして山椒の新芽を添えると尚更春を感じます。薄切りにした筍は甘みのある煮つけも良いでしょう。みりん、だし醤油、砂糖を少々入れて、につける前に出汁を作っておいて、そこに先に作ったものを付けておいてもしっかり味が浸み込みます。筍の自然な味を生かすのがコツです。

家の前の海ではワカメが取れる頃ですが、今年は海水温が低くて、魚は釣れないし、ワカメもほんの20~30cmと生育が悪いです。ワカメは雌株が大きくなってから採るのが作法でしょう。雌株は」来年の種を残します。かろうじて大きくなったワカメを見つけて、竹の棒に鎌(かま)を付けて根こそぎ採りましたが、一緒にカジメも採りました。別々に調理する必要があります。カジメはワカメに似ているけれど葉の部分にぶつぶつの様な凸凹があり、ワカメにある香りはありません。しかし塩抜きをするときにドロッとした粘りのある成分が溶けだすので気を付けます。これはみそ汁用に向いていて、浜田ではこのどろどろを好みます。

もう少し待てばワカメも美味しくなるかもしれません。沢山採れた時にはさっと真水で洗って干してしまいます。やはり日本海の天然物は香りが良いです。

そうそう、花より団子でも、うれしい今年一番の「月見草」が庭にやってきました。一凛ですが・・・やっと春です。


売れ残りの残務処理?

2022-04-24 17:31:34 | 絵画

商売は儲けるために筋の違いは目をつむるのか?仕方がないと考えるのが日本的だと言えるのかも・・・。

ネットをめくるとまたかと思う記事が出品されていた。一週間ほど前のデイリー新潮の記事だが、皆も聞いたことのあるタイトル「国家の品格」藤原正彦著 新潮新書刊なのだが「論理の限界」の重要性を説く。「論理的に得られた結論は盤石ではないのです」「人間にとって最も重要なことの多くが論理的に説明できないということです」とかいう見出しで再度売り込もうとしている。

この著書は「国家」の何とかと大げさなタイトルで人目を引いて、「発売から三か月で35万部!!」とか・・・本当かどうか知らないけど・・・・私も興味で買ってしまった一冊。ところが読んで・・・なんじゃこりゃ・・・ムカつく!!

そんな本だったのがまた出てきた。売り言葉によると・・・・・。

日本は世界で唯一の『情緒と形の文明』である。(ちょっと、日本語がおかしいが・・・)日本人は、この誇るべき国柄を忘れてきた。「論理」と「合理性」頼みの改革では社会の荒廃を食い止めることはできない。今日本に必要なのは論理よりも情緒、英語より国語、民主主義より武士道で精神であり「国家の品格を取り戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言。

だって!!笑える!!

ある時、日教組の教研修会で傍聴していた高校生が会の最期の方になって「先生、なんで人を殺しちゃいけないんですか?」と質問した。しかしそこにいた先生はだれひとり「論理的」に説明できなかった。論理を弄べば「殺しても良いという裏湯」も「殺してはいけない理由」も挙げることは難くない。しかし論理で絶対の正解を導くことは極めて難しい。

「貴方が殺されるのは嫌でしょう」と言われても「今言っているのは他人を殺すことです」と理屈を返すことも可能だ。だから先生たちも言葉に詰まった。

これに対して藤原氏はこう言い切る。「人を殺していけないのは『ダメだからダメだ』と言うことにつきます。「以上終わりです」論理ではありません。この様に最も明らかのように見えることですら論理的に説明できないのです。

こうした価値観の押し付けに対する反発に対して藤原氏はこう説く。「本当に重要なことは、親や先生が幼いうちから押し付けないといけません。たいていの場合、説明などなど不要です。頭ごなしに押し付けて良い。勿論子供は反発したり、後になって別の新しい価値観を見出すかもしれません。それはそれでよい。初めに何らかの基準を与えないと子供としては動きが取れないのです。・・・だと。

ここいらで私の意見を述べることにする。いくら自分が論理的に説明できないから・・・とか日教組の先生たちが説明できなかったからと言って、「駄目だから駄目だ」と言って、以上終わり!と言うだろうか?「人を殺すことはいけない」という論理に答えられないのは論理的説明が出来ない命題であるとしてしまうのは、その人の思考の限界だろう。「もし人を殺しても構わない」のであれば、お互いに殺し合い、人がいなくなる。みんな居なくなって最後の一人は、独りだけでは生きていけない。食い物も作れないとなると餓死するしかない。つまり人間は絶滅するから・・・とか言えなかったのだろうか?

「駄目だから駄目だ」と言って、受け入れる子供は、疑問も持てなくなる。「思考停止」させ、自分で考える主体性もなくなり、親に支配され、更には社会に支配される。藤原氏が言う「初めに何かの基準を与えないと子供としては動きが取れないのです」と、まるっきり子供の人間性を認めない大人の価値観だが、これは権威主義であって、精神的奴隷であることを勧めていることだ。

人間は成長の過程で、自己の存在に目覚めるが、それを阻止して権威を与えることは恐ろしいことだ。若者が未来を考えるときに、先に与えられた価値観で進路を決めているのが受験や就職に現れている。自民党が作ってきたこの国の社会は拝金と拝物の欲望を満たせば成り立つと思わせるように仕向けられて現代の日本はある。大学まで労働力を提供する目的で価値観は同調するように仕向けられている。個人の考え、意思を持てないようにされると、未来の人生に不安を感じたものは政治的イデオロギーや宗教などの権威に身を寄せ「安心」しようとする。そこに論理主義も自由もなかった。にもかかわらずどうして「国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた」とか論理と合理性頼みの改革で社会の荒廃を食い止められないとか、言い出すのか全く理解できない。この藤原氏はどの様な人生を歩んできたのだろうか。

日本に必要なのは論理より情緒、英語より国語、民主主義より武士道精神であり・・・となるのだろうか?かなり笑えるのは日本人は論理的思考は殆どできなくて情緒で集団的価値基準を押し付け合っている国民であることは、一寸考えれば分かることだろうに・・・。英語より国語だそうだが、藤原氏は英語に劣等感を抱いているのでは?ほとんどの日本人は中学、高校と英語を学ばされても英語が喋れないのは国際的に知られているが、国語の何を学べばよいのだろうか?しまいには民主主義より武士道精神だと・・・こんなことを書いて良くも売ったね。

私はドイツに留学して初めて「論理的合理主義」の洗礼を受けた。自分の意見を言わないでいると「気取っている」と言われて驚いた。しかしなるほどと思させる理由がそこにあった。個人主義で個人を尊重する社会が根付いていて会議や普段の集まりでも「貴方の意見は?」と聞かれる日常に自分を感じざるを得なかった。それは他者を尊重する文化である。我々が英語を話せないのは教育方法が悪いからである。教える教師が「英語とは文化である」ということを理解していないからで、英語の「センス」が生徒に伝わらなかったからである。英語のみだけでなくドイツ語、フランス語、イタリア語と学んでみれば、その国の文化が単語や表現に反映されていて、それを感じ取らねば身につかないのである。さらにこの藤原氏は「民主主義より武士道精神だ」と言い出すと、もう何も言いようがない。現代に「武士」がいないのに「武士道精神」も分からないのでは?論理性を否定するとここまで脱線するのだろうか。

さらに「野に咲くスミレが美しいことは論理では説明できない、モーツアルトが美しいことも論理ではせつめいできない。しかしそれは現実に美しい」「卑怯がいけない事ですら論理では説明できない」「戦後の我が国の学校では論理的に説明できることだけ教えるようになりました。戦前『天皇は現人神』とか鬼畜米英とか非論理的なことを教えすぎた反省からです。しかし反省しすぎた結果、もっと大切なことが欠落してしまったのです」とつづく。

一応私は美術に関係してきたので言わせてもらうと、「美しいことは論理では説明できない」と言われ、論理で説明できないこともあるのだと「引き合い」に出されても困るのだ。美しいと感じることは個人的な感性のことであり、個々人で異なる。論理的整合性は無きに等しい。ちなみにギリシャ時代から「黄金率」という比率があって、「美しい比率」とされている。1対1.6つまり5対8の比率に分けられたものが、感覚的安定性を感じさせるのか、ビーナスでも体の比率として分割されたりする。だからこれが論理的だとは言わない。「戦後の学校では論理的に説明できることだけ教えるようになりました」と・・・藤原氏はお茶の水女子大で数学を教えているはずだが、こんな無茶苦茶を言ってしまうのはちょっと問題でしょう。

このことは「国家の品格」という本の末尾に「女房から独りよがりの言いたい放題だと言われている」と述べているから・・・・この本は「虚構」の話を書いてみただけなのか。デイリー新潮も片棒を担いでいるだけなのか?

とにかく、今の日本人に必要なのは「情緒」で判断することではなく「論理的思考」で自分の意見を言えるようになることが大事でしょう。もう田舎のじいさんばあさんは思考停止状態だから無理にとは言えないけど。


筍の季節

2022-04-17 01:15:45 | 絵画

筍の季節が来ると思い出す。母の事。前回は桜並木に赤い毛氈とお茶会だったが、前にも書いたかもしれないが、竹の葉が黄ばんで苦しそうにしている季節。

筍が出ると竹は精一杯栄養を与えて筍を育てる。枯れるのではないかと思うほどに竹の葉は黄ばんで茶色く変色している。そんな時、「子を育て色を変えて竹の秋」という俳句を詠ってみた。1994年の春に母は、早半年になる入院をしていた。脳腫瘍の手術を受けて、やぶ医者が言語中枢をいじって言葉を失っていた。微笑むことぐらいしか出来なくなっていた母を父と姉と私は母を車いすに乗せて庭に出た。春先、温かくなってきた良い日よりの日であった。その時詠って悲しかった。

良性の腫瘍だと言った医者は、母の頭の左こめかみを開けて、チョンと突っついてふたをした。インフォームドコンセントという言葉が裏切りの日々を重ねて、手術をして長い闘病生活をさせて、金を稼いだ。夕方暗くなる前に病院の横にある自宅に供えたテニスコートで看護婦長とテニスを楽しんでいるのをよく見かけた。これは日本の医療の大方の姿である。

母はこの年のクリスマスイブに息を引き取った。介護を依頼していた者が痰を吸入せずに放置して、呼吸困難で亡くなった。「死因」は呼吸不全という言葉でくくられる。

生前、母は「呼吸が苦しくて死ぬのが一番いや」と言っていたのに・・・。亡くなる前の晩に家に帰る前に母に「また明日来るからね」と言って去ろうとしたとき、母は声にならない苦し気な顔をして、しきりに何か言おうとしていた。「先に逝くからね・・・」という言葉だったかもしれない。去年の6月に亡くなった姉も全く同じような最期だった。「先に逝くからね・・・」と。

私は彼らと比べて、ストレスを受けずに長生きをする覚悟を決めた。まだ私の芸術観は完成していないから、描き続けるしかない。


桜散る

2022-04-10 11:30:16 | 絵画

「桜散る」と東京芸大入試を落ちた時、高円寺の電話局から親あての電報を打った。1970年3月であった。まさに桜の散る時期に発明された電報用語はそれとなく予め誰かが教えていた表現だった。「サクラチル、ライネンモタノム」と書き送った。

受け付けた女性はにゃっと笑うから、私も笑った。この時代」芸大の油絵科には現役生は50人中1名と決まっていた。この時の倍率は44倍で、半数が現役、次が一浪、二浪出、三浪以上は極端に少なかった。現役では落ちて当たり前と思っていたから笑っていられたのだ。

今、浜田の近くの山々は山桜が満開で、これほどの山桜が自然林として生えていると、いつも気づかされる。日本人は桜が好きだと言えるのは、庭先や川沿いに満開の桜を見ることが出来るからだ。先週、猫たちを放り出して岩国の実家に帰って用事を済ませた。益田から高津川沿線を上り、六日市から錦川を下る沿線は桜で満開だった。

実は我が家の横を流れる川沿いに両親が定年後の楽しみとして桜を20本植えていた。久しぶりに満開の桜を見た。母は売茶流を教えていたので、桜の花の下に赤い毛氈を敷き、茶会をやっていた写真があった。今やその桜の木の下は雑草で覆われて隔世の感あり。

我が家の敷地は留守をすると境が動いて盗まれる。田舎ではこんなことは当たり前のようだ。法治認識がないのはこの国のレベルでもある。一つ案件があって岩国法務局へ出向いて「土地登記地図と謄本」を求めた。隣の土地の持ち主の女性は返すと言ってくれているのに、旦那がごねるので証拠の書類を集めている。これで半日費やす。つまらぬことだ。

留守が長いと井戸水が濁るが、どうやら3年前の西日本水害で家の前の川が氾濫して、我が家の田んぼに砂が入ったが、それ以外に近所の井戸に濁りが生じて、県の方から水質検査の会社が調査をしていくれていた。いつも家に入れないので予約をして今回も二度目の調査をしてもらった。これで半日。

その午後、いとこに会った。私が死んだら相続はそうするかと相談を持ち掛けた。簡単なことではないので、開いても迷惑だったであろう。

翌日、近所の野良猫にエサを与えた。たまにしか帰らない私の車があるのを見て、必ず我が家に立ち寄るのだ。いとおしく感じるので、出来る限りのエサと鳥の唐揚げを置いてきた。

浜田に帰る前に畑に植えた果樹の木に肥しと水を撒いた。悲しいことにプルーンが2本、オリーブが1本、ブドウが2本、ラズベリーが1本枯れてしまった。ブドウはしっかりと芽が出ているのを購入すべきで、この時期に購入すべきであった。

三泊四日で用事を済ませたが、桜は散り始めた。来月また出かけて、水質検査の続きと土地問題を解決しておきたい。また別のいとこが錦帯橋の側のセブンイレブンを二軒経営しているので、再会するのも楽しみだ。