河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

油絵の目利きのレッスン 1 追記しました

2020-06-29 14:13:14 | 絵画

まず絵画修復家にとって「目利き」である必要性は絶対ではない。目利きであることが正確な保存処置の為にあればあったに越したことはない。絵画作品の保存状態のどこを見るかによっては、多くの知識、経験が修復家としての能力とみなされる。

修復家が理屈をこねるとき、素人目には「鑑定が出来る」と映るかもしれないが、疑うべきだ。なぜなら実技を知らない美術史系、科学系出身の修復家もいるからだ。実技経験がないというのは、多くの感覚的な情報の整理ができず、彼らの目は作者の絵画能力を見極める訓練はしていないと言える。また強い興味がなかったために、美術史系であり科学系を専攻していたのであるから、感覚的に作品の表現性を理解することから遠く、即物的に、あるいは逆に概念的に対応するほかないからである。

つまり「目利き」というのは、なろうとしてなれないし、アカデミックなコースにそんな授業はない。当人の興味が働いて、見ることが持続されて蓄積する「視覚的記憶」の産物だからである。

しかし、美術館などの所蔵品を収集する立場の学芸員は、絶対的にこの能力を持っていないといけない。偽物を本物とし、本物を偽物としかねず、国民の税金を無駄にする恐れがある。また美術史研究者となれば、歴史の枠組みが作者の作品の全体から語られなければならず、作品の情報について誤認はあってはならない。

ここで、今回は目利きになるため(あるいは近づくため)のプロセスを整理してみる。

まず、一瞥して当作品がおおよそ「どの時代の」「誰の」「作者のいつの時代の」制作か見当がつかなければ、目利きの「入口」に立てない。そのためにもより多くの美術作品を鑑賞し「視覚的記憶」を蓄積するほかない。

「何でもできます」という能力は要求されていないので、少なくても自分の得意とする範囲を決めて、例えば「オランダ17世紀絵画を専門に研究している」という枠を決めて、さらに特定の画家についてであれば、その画家の生涯の生い立ちから画業に至る知識は網羅して当然であろう。(ニューヨーク・メトロポリタン美術館の修復家にはオランダ17世紀絵画専門で保存修復業務に当たっている女性がいた・・・うらやましい環境だとジェラシーを感じたことがある)

①まずはアプローチとして、自分の専門の範囲を決め、作家名、作品の表情、作品名を憶える。

②該当する時代の前後の絵画史の中から、時代に流行した表現様式について整理する。作者がどの様な影響下にあったのか認識する。オランダ17世紀であれば16世紀には北ネーデルランドと分類され、南の現在のベルギー地方のフランドル絵画と呼ばれる絵画様式との関係はかなり強い影響関係にあった。オランダ17世紀絵画と狭められた範囲になるには表現様式、技法材料の伝統以外に、オランダでは宗教的な分離がカルビン派の「偶像破壊」によって絵画主題に大きな制約をもたらした為に、作品の大きさに至るまで影響を与えたことなど知っておく必要があるだろう。

③この影響関係は使われている技法材料の変遷は表現方法の変遷でもある。オランダ17世紀絵画の絵具が艶やかな輝きを持ち、同時期のイタリア絵画とはかなり違った表情をしていることが分からなければならないこの絵具はメディウムに油脂(亜麻仁油)の他に樹脂(硬質樹脂とされているが)が混ぜられて、絵具自体に艶や色付きガラスのような層(磁器の釉薬であるのエマイユと例えられることもある)の様な効果を与える。この絵具は度々油絵の具の発明者(実際には当時その周辺で使われていたされる)とされるファン・アイク兄弟(15世紀初頭から半ば頃)の時代にさかのぼる。この絵具を使いこなす技巧が特にベルギーからオランダの地方に、個人の画家の資質として分類できる。絵画がカンヴァスに描かれるようになった時代は北方ルネッサンスと呼ばれる15世紀の終わりごろから16世紀にかけてであるが、布の上に絵具で何かを描く方法は12,13世紀頃に見つかる(人類史上最も初期の例はムミーぺインティング(ミイラの肖像と言われる)の例にこどものミイラを布で包んでその上に絵具で顔を描いたものがあるが、絵画として発展しなかった。)カンヴァス画の歴史はそれ自体、初期の汎用例としてブリューゲルやマンテーニャの作品に登場し、麻布に地塗りが無い時代から、地塗りを丁寧に施した大画面の(つまり板絵では大きな作品は重量や加工、運搬など扱いに無理であり、カンヴァス画が大画面の作品の需要とともに発展したことなど、時代性とともに理解すべきであろう。

こうした技法材料に関する情報は、より具体的に役立てるためにも常に作品表面を観察しながら(美術史研究者の多くは観察ではなく『鑑賞』をしてしまうが)視覚的記憶の訓練を積み、この方法に「慣れる事」が必要だ。この観察に興味がもてない人は「美術に関する仕事」を止めた方が良い。好きでもないことを持続させるのはストレスでしかないだろう。

観察の要点を述べると、

①時代性の確定(主題、表現様式、おおよその作者、流派)

②作者個人の能力、嗜好を見極める。

 何をどの様に表現しようとしているか、理解できなければ始まらない。つまり作者の視点に立つことで、どの様な技法で、材料でどの様に独自性を出そうとしているか?感じ取って視覚的記憶を蓄積することが必要だ。

③工房の存在によっては分類の幅は広くなるが、作者作、バージョン、工房作、模写(copie、facsimileとも言う)、模 作、贋作、アトリエ作品(工房作とは違う)などある。

 作者作は作者が単独に制作したもの。バージョンは作者が同主題の作品の構図やモチーフとなる人物などを入れ替えるなども含まれる改変をいくつか試みたものを示す。作者自らの創作的意欲は否定しないものの、職業である以上「生計を立てるため」の制作は主体であったと考えるべきだろう。

工房作は弟子が加わって制作したものでメインのモチーフを弟子が制作し、サインだけは作家が書き入れたものなど。工房様式というのは技量が劣る弟子たちが描きやすいように、簡略化したデッサン、着彩技法を採用している。例えばリューベンスなどは比較的判別しやすい様式で、リューベンス自身の手練れたデッサンの実力に肉薄できないために、助手として弟子の描いた部分は直ぐに分かる。一方でロヒール・ウェイデンなどの時代の工房作は制作方法が塗り絵的であり、基本となる下描きや構図がウェイデンのものと思える点が多く、判別には多くの作品を並べて洞察する経験を積む必要がある。工房作は一点だけということはまずない。数点あると考えるべきで、大美術館では収蔵庫に眠っていることもある。参考資料として注意しておかねばならない。さもないと原作者作品と工房作品との違いが判別できない者になる。つまり研究者とはいえない。

模写は追随者による練習の為に行われるとも言えるが、販売目的であることが多く、原作者の描き方にもよるがラファエロの描いた肖像画の模写は原作と並べてよく観察しないと、どちらかが判別できない。イギリスで活躍したヴァン・ダイクにはお見合い写真の代わりに制作したとされる作品や人気のあった主題の作品は複数描かれて模写が存在する。模写の特徴は原画にあるモチーフが細かい点で簡略化、あるいは見落としで失われていることが多いことと言える。

模作は原作者の表現様式が好きで自分の表現の中に取り込んで描くことは良くあることで、「優れた巨匠の影響」として解釈できる作品が考えられる。ピーター・ブリューゲルの子供には父親の作品の模写と言える作品が多くあるが、描き方を真似て主題も少しだけ変えた模作と言うべきものもある。自立した息子は風景画や花を描くことに特化した者もいる。孫までいるから注意しよう。原作者の作品が2000点ぐらいとされるカミーユ・コローの作品はコローとサインの入った作品は2万点以上あるとされる。コローが認めた助手による作品があって、サインもコローと書かれているのであるが、コローより描き方が達筆で、すぐ判別できるが、日本の画廊でも堂々と高値で売られていた。コロー自身が否定しなければ工房作としても許されるが、原作者の手に依らない以上、値段は相応にすべきであるが・・・・コローの原作の良さが分かっていない人たちが画商であればまずい。(私は尋ねられない以上、工房作だとは言わないから)。

昔、西洋美術館で開催されたゴッホ展での話。私はまだフリーランスで作品点検の仕事で保存状態を観察していた。本来は展示前に、あるいは輸送業者の通関手続きが行われる保税倉庫で開梱し点検するのが一般的であるが、まだ当時、そうした点検プロセスは完全に確立されていなかった。また更に展覧会では国内から借用して展示することもあるために、やっと最後の展示の段階で初めて点検することもあった。展覧会の開催日が押し迫り、明日には開会式という日の夜、最後に借用した作品を点検しに展示室で「とんでもないもの」を見てしまった。銀座のギャラリーから借用した「無名の作品」(この時、新発見の作品だった)がなんと、どう見ても絵具はゴッホがいつも準備したダマー樹脂をよく混ぜて描くものではなく、現代のチューブ入り絵具で盛り上げて描いた贋作であった・・・・いや描いた当人は贋作を作るつもりではなかったとも思えるほど、見た目が悪い作品が、堂々と展示されていて・・・慌てた私はこのゴッホ展のコーディネーターであるピックバンス氏を呼んだ。それは参考資料として残っていたゴッホが描いたデッサンが残っていることを示す資料展示もされていて、「いかにも」という感じだったが、美術館側の担当者は現物を見ないで、急ぎで企画を行ったために起きたことだった。明日開催という段で、カタログも刷られて「完璧!!」だったのだが・・・・。それで、どうしたかって? みんな知らんぷりしてやり過ごしたのだ。

贋作は意図的に原作者が描いたように見えるような技法、材料を用いて、犯罪である事の認識があって制作される「模作」である。メーヘレン事件というのがあって、第二次大戦中にオランダの画家メーヘレンがヴェルメール作品の贋作を作って当時オランダを占領していたドイツ軍将校に売りつけたことなどから、略奪された美術品の戦後収集委員会で調査されて露見した贋作事件である。フェルメールとなれば、贋作には相当な技量を要するがメーヘレンにはその実力が無かったため、若描き(若い時分に描いた作品)とされるような表現方法で、17世紀のカンヴァス(17世紀の絵画が描かれたカンヴァスから絵具層を剥ぎ取って)の上に描いた。しかし戦後収集委員会には保存科学などの専門家が加わっていて、X線検査に現れた消し忘れた古いカンヴァスの作品が僅かに確認されて贋作であることが露見。実際の作品は正直言ってヴェルメールと比べてあまりに下手糞であり、見た目で否定できるが、そこは既に科学の時代であった。論理的に証明できないと許されない時代であり、メーヘレンの犯罪を裁く証拠として成立させたのだ。(Dr.P.B. COREMANCE Director of The Central Lboratory of Bergian Museum VAN MEEGEREN'S FACKED VERMEERS AND DE HOOGHS 1948 この報告書は私がブリュッセル王立美術アカデミーで学んでいた1973年時、街のもっとも有名な古書店で見つけて購入したものである。国際的な事件であったためか、英文でアムステルダムの書店から出版された。)

アトリエ作品というのは、作家が亡くなって、その者のアトリエに残された作品でサインが無いので遺族がサインのハンコを作って押して、巷間に出現させた作品のことである。ドガのようにパステル画にサインをしなかったものに、このハンコをついて売った例もあり、世の中を混乱させる。ユトリロのように死に方が尋常でなく、当時の状況が分かりにくいのにアトリエ作品としてハンコの着かれた作品が世に出ると・・・・。私のアトリエに持ち込まれたユトリロはどう見ても贋作であった。近現代作品の問題は贋作を作るためのカンヴァスなどの材料が簡単に入手でき、真似るにも高度な技巧や技法が不要な作品が多いことが贋作が作られ出回る原因である。こうした贋作を見破るには絵具の成分分析など科学的な方法も必要になる。

他に、目利きとしてあまりに低俗な問題であるプリント(ものによってはファクシミリとも言われる)つまり印刷ものである。これが見極められなければ、美術関係者としての地位を失いかねない事態となるはずだが、時々そういう方もおられるので、あえて記載しよう。西洋美術館在職時にも、シャガールの版画作品で当時多く出回っていた小さなサイズで25万円程度で売っていたものを持参した紳士がいて、同時のフランス美術担当の女性学芸員に「ちょっと河口さん・・・どう思う、これ・・・」と歯切れの悪い「呼びかけ」で質問され・・・・すぐに私は・・・彼女が自分で言うのではなく私に言わせようとしているのが分かったので「ああ、これは印刷ですね・・・」と周りを気にしながら言うと、紳士は「25万円も出したのだ!!」と言って憤慨して帰った。他にもあって、フリーランスで仕事をしていた時に、飛び込みで火災に遭った作品というものを持参した紳士が煤(すす)汚れをとったり、もう一度きれいに見えるようにしてほしいと現代作家の作品を持ち込んだ。「汚れを取って、ニスをかければよく見るようになるでしょう」と言って作品を預かったのだが、紳士が居なくなって、煤を除去し始めて、偉い問題に気が付いた。プリントだ。プリントに透明な樹脂のモデリングをして、迫力が出るようにしてあった作品は表面が焦げていたために、初診を間違えた。すぐに電話して紳士を呼んだ。一部分しかいじっていなかったのが幸い。また紳士は誠実な対応で、「この作品は2000万円で、ある弁護士から購入した」ということで、私は「必要とあれば鑑定書を書きます」と言ったが「大丈夫だろう」ということで火災の汚れを除去してニスを塗って返却した。プリントであるかどうかを見極めるのは簡単であるが、思い込みが先にあれば、それが印刷されたものであるとは疑いもしない心理がこうしたトラブルを産む。1980年代に25万円から30万円程度のピカソ、シャガールなどの版画を購入した人は、虫眼鏡を持ち出してよく見るが良い。印刷は小さな色の点で、視覚混合と呼ばれる手法で作られている。

さて、いろんな問題があることを紹介したが、観察から洞察そして「確信」に至るには、もう一つのステップがある。現代では頻繁に科学調査が行われているので、その結果から学ぶことが「確信」を得る方法である。一般人にはなじみがないから情報収集に多くの障害がある。この項については「目利きのレッスン 2」に続けます。

 


描写の絵画2

2020-06-03 13:32:41 | 絵画

かつて描写の絵画(2019年9月)と題して一度書いたことがあるが、今回はもう少し別角度から追記したいと思う。

いつの間にか「描写」の意味が問われないうちに、描写の絵画は「油絵」から追い出されつつある。描写の意味を問わないで、具象絵画もその価値が失われたかのような扱いを受けている。今年の東京芸術大学の油彩学科の実技試験は観念アートで出題し「世界を見る、世界を考える」でデッサンしなさいというものであった。それは視覚表現より観念的なアイデア勝負で資質を見ようとし、描写の基礎力を問うものではなかった。描写がしたければ日本画学科を受験するしかない。日本画は観念アートになれないのは「日本画」のアイデンテティを失う訳にはいかないからであろう。これにも少し問題があるのだが、何故日本画独自の材料で描写に拘って、洋画風な表現に変質してきたのか・・・・西洋クラシック音楽がその優れた音楽性と栄光を優れた演奏の才能で再現できなくなったら、なんとも人間の歴史はつまらないものだと思うが・・・・何事も曖昧で生きていようとする日本人には日本画はファジーで過ごしやすいのかも知れない。

何故「描写の絵画」が遠ざけられようとされているのか、日本画についても同様の問題が含まれるが、考えてみればこの美術界のマンネリ化が原因として大きいかもしれない。従って今回は「描写の絵画」を分類しながら考えてみたい。

誰もがビギナーとして絵を描き始めるとき、油絵の具など専門的な領域で使う材料を手にして、つい思い付きで・・・はやる心を押さえつけずに、恣意的に何かのイメージを描いてみたくなるだろう。これが最も創作的で素直な制作欲を反映していると思うが、すぐにこの新鮮なモチベーションは失われて、頭で考えて何をどう描こうか思案するようになる。それは小学生の絵画作品に現れている。お絵かきの授業の前に先生から「こういうものを描いてみよう・・・」とか言われて、その気にさせられてしまう。しかし中には奇抜で優れた発想で絵作りが出来る子もいるので、この頃が一番「見えるものを写生することより、思いつくもの」を思い出して描くのである。このことは芸術表現の「虚構性」に結びついて、見る側の者を喜ばすのである。実は私が「構想画」と呼ぶ最も理想的な創作意欲の成果としてある成果物に近いのだ。この制作態度は最後に触れるが、視覚的経験から「形」「色」そして情景を思い出しながら「描写する」ことは、子供にとって最も感覚的に受け入れられる絵の世界だろう。子供にとってそれが芸術であろうがあるまいが関係ないところが素晴らしい表現を産んでいると思う。

しかし大人になると、そううまく世の中は思いが実現しない。子供のころの創造意欲や視覚的記憶力は失われている。なぜかというと「観念的になるから」である。アイデアや先入観が先にあって、感じることを素直に自分の中に取り込んでいないからだ。

大人になって、ビギナーがまず一番に飛びつくのは「写生画」だろう。「静物」「風景」「人物」を主題として、目の前にモチーフがあることで、観念的な自分の対応に安心する。しかし多くの人はうまくいかない。結局、大人の人間にとって失われた感性で描き始めることは困難で、ここで「描き方のマニアル」を必要とする。つまり不足した感性を補うために「考え、考え」とりかかろうとする。趣味で絵を描くには、これは大賛成だ。働かない頭に方向性を与えるのだから。

しかし、ここでよく考えて欲しい。「写生」とは「目の前にあるものを、右から左に写す行為」であるから、決して難しいことではない。大事なのは「観察力」で、目の前にある現象を確認できれば、「描き方のマニアル」には「筆をこう動かして絵具をこう使いなさい」と、経験で身に着ける技巧を短時間に済ませてくれる。つまりこの程度の「写生」は決して誰にも難しいことではないから、楽しんで始めれば良いだろう。

この写生画のもっとも極端な例が「モチーフそっくりに描く」ことだが、正確に描くことが求められたのは「写真機」が無かった頃の話。だが現代絵画に「写真からそっくりに描く」油絵が多くみられる・・・が、技術的には「写実絵画の一つの極限」であろうが、創造性や芸術性とは関係ないことで、技巧を認められたい自己満足に終わる。まあ、「良くできました、それで?・・・」というレベルで、これは趣味の世界ではなく、プロを自認している者たちが陥っている世界だ。

絵画の基本は「そこに虚構の世界を作り出す」ことであり、作り手の喜びが観る側に伝わるためには、表現された「世界」に錯覚を用いて引き込むことである。つまりその世界は写真のような客観的に誰もが認められる現象を見せるのではなく、作者の感性を通して感じた世界が画面に展開されていることが重要になるのである。

後期ルネッサンス(16世紀)を生きたジョルジュ・ヴァザーリという建築家、彫刻家であり画家は自身の絵画論の中で、ルネッサンスの「巨匠たちの絵を真似ているうちに技巧が身に着き、絵画作品が描ける」、これをマニエラと呼んで推奨して居た。16世紀後半にはイタリアには多くのマニエリストが生まれ、独自の絵画様式が生まれ、北方にも影響を与えた。つまり模写をしていれば巨匠の影響を受けた「作品」が作れるということだが、優れたデッサン力で人体を表現するイタリアルネッサンスの画法がヨーロッパ全体に行き渡ったことは否めない。(模写は個人に限られた資質を発展させるには優れた学習方法である。特に巨匠の作品に限定するが。)一言述べると、どんなくずのマニエリストの絵画の方が「写真を写す」よりましだ。イタリアでは公開の教会の壁に壁画が描かれて、優れた巨匠の絵画を見て影響を受ける機会が多く、北方の絵画の在り方とは違った発展形式を持ったことは後続の画家たちには幸いであった。

そうなると次の「描写の絵画」は「写生」から一歩、二歩離れ、発展させられた絵画である。たとえ写生からの出発であっても、世に優れた「静物画」や「風景画」などがあり、人物画にあっては作者の感性で優れた精神的なつながりを感じさせて、絵の世界に引き込む力のあるものも沢山ある。17世紀には静物画や風景画、肖像画は宗教的主題とは関係なしに独立してより人間味を感じさせるに至った。当時はやはり宗教や神話を主題として描けることがが優れているとされ、静物画や風景画はその一部の練習程度の扱いを受けていたことは以前書いたことがある。独立した価値が認められるのは偶像破壊によって北ネーデルランド(現在のオランダ)でカトリック的な教義が否定されて市民が求めるものが変化してからのことである。静物画にせよ風景画にせよ、見えるがままに描くことはしなかった。誰もが同じ結果になるような絵画は求められなかったのである。だからそこにはデッサン力と言うべき画家個人の感性で描かれる形や色彩が独自の空間を作り出すことが求められていたのである。従って現代の趣味感覚の「写生画」ではなく、私がいつも主張する「虚構」として、現実には存在しない世界を作り出すことが是であったのだ。これが第二の描写の絵画である。つまり小学生のお絵かきの在り方と同じ視覚的記憶によって創作が加わってくるのである。最も当時の画家は屋外で風景画を描くのではなく(逐一練らねばならい絵具など屋外に持参するのは困難であった。たとえ豚の膀胱に油と練った絵具を保存できることもあっても。)、屋外では紙にデッサンをして家に戻ってアトリエで本作を描くというのが普通であった。だから視覚的記憶に創作が加わるのは当たり前であった。これまでどの様に描かれているのか判別できないような技巧で仕上げられたものが、レンブラントのように筆痕を巧みに使って迫力ある描写を生み出した画家も登場する。彼の筆さばきは独特でエックス線で見れば、彼の作品のコピーは直ぐに見破られる。晩年の自画像では「ほほの皮膚がやんわりと弛んだような表現」も筆先の加減で表している。この作品を見た時、観る者にゾクッとする感想を与えるだろう。

次には更なる発展形式について解説すると、この「虚構」が意識的に社会や注文主から離れて自由を主張した絵画がある。画家も地位と名声で注文が来るようになると、創作もより拡大できる。それが売りでもある。例えば料亭に行ってメニュを見て注文はしないであろう。通常はそこの当日の献立というのがあって、それを黙って客は楽しみに待つのである。だから作り手は相手のことを考えて献立は予め考えてある。画家にとっても同じであろうが、絵画作品は料理と違って深い精神的な満足感を与えねばならないので、誰にも同じ満足感を与えられるとは限らないが

「この世にないものを在るがごときに(錯覚させる)」というのが芸術の基本である。ここが料理が芸術にならない点である。(料理の味は錯覚では困る。錯誤ではさらに困る)

絵画の中では「建物も宙に浮いていても許される」し、「人殺し」も許されるので、表現力次第で観る者を虜に出来る。人物画で左右の足の長さが異なっていても構わない。バランスがとれていれば、それが作品の魅力だったり出来る。

今日、描写の絵画は「古物」扱いを受けているが、今後も発展する可能性はいくらでもあり、写真的(あるいは写真その物を写す)ことに走らないことで具象画の限界を打ち破らなければと思う。