まず絵画修復家にとって「目利き」である必要性は絶対ではない。目利きであることが正確な保存処置の為にあればあったに越したことはない。絵画作品の保存状態のどこを見るかによっては、多くの知識、経験が修復家としての能力とみなされる。
修復家が理屈をこねるとき、素人目には「鑑定が出来る」と映るかもしれないが、疑うべきだ。なぜなら実技を知らない美術史系、科学系出身の修復家もいるからだ。実技経験がないというのは、多くの感覚的な情報の整理ができず、彼らの目は作者の絵画能力を見極める訓練はしていないと言える。また強い興味がなかったために、美術史系であり科学系を専攻していたのであるから、感覚的に作品の表現性を理解することから遠く、即物的に、あるいは逆に概念的に対応するほかないからである。
つまり「目利き」というのは、なろうとしてなれないし、アカデミックなコースにそんな授業はない。当人の興味が働いて、見ることが持続されて蓄積する「視覚的記憶」の産物だからである。
しかし、美術館などの所蔵品を収集する立場の学芸員は、絶対的にこの能力を持っていないといけない。偽物を本物とし、本物を偽物としかねず、国民の税金を無駄にする恐れがある。また美術史研究者となれば、歴史の枠組みが作者の作品の全体から語られなければならず、作品の情報について誤認はあってはならない。
ここで、今回は目利きになるため(あるいは近づくため)のプロセスを整理してみる。
まず、一瞥して当作品がおおよそ「どの時代の」「誰の」「作者のいつの時代の」制作か見当がつかなければ、目利きの「入口」に立てない。そのためにもより多くの美術作品を鑑賞し「視覚的記憶」を蓄積するほかない。
「何でもできます」という能力は要求されていないので、少なくても自分の得意とする範囲を決めて、例えば「オランダ17世紀絵画を専門に研究している」という枠を決めて、さらに特定の画家についてであれば、その画家の生涯の生い立ちから画業に至る知識は網羅して当然であろう。(ニューヨーク・メトロポリタン美術館の修復家にはオランダ17世紀絵画専門で保存修復業務に当たっている女性がいた・・・うらやましい環境だとジェラシーを感じたことがある)
①まずはアプローチとして、自分の専門の範囲を決め、作家名、作品の表情、作品名を憶える。
②該当する時代の前後の絵画史の中から、時代に流行した表現様式について整理する。作者がどの様な影響下にあったのか認識する。オランダ17世紀であれば16世紀には北ネーデルランドと分類され、南の現在のベルギー地方のフランドル絵画と呼ばれる絵画様式との関係はかなり強い影響関係にあった。オランダ17世紀絵画と狭められた範囲になるには表現様式、技法材料の伝統以外に、オランダでは宗教的な分離がカルビン派の「偶像破壊」によって絵画主題に大きな制約をもたらした為に、作品の大きさに至るまで影響を与えたことなど知っておく必要があるだろう。
③この影響関係は使われている技法材料の変遷は表現方法の変遷でもある。オランダ17世紀絵画の絵具が艶やかな輝きを持ち、同時期のイタリア絵画とはかなり違った表情をしていることが分からなければならない。この絵具はメディウムに油脂(亜麻仁油)の他に樹脂(硬質樹脂とされているが)が混ぜられて、絵具自体に艶や色付きガラスのような層(磁器の釉薬であるのエマイユと例えられることもある)の様な効果を与える。この絵具は度々油絵の具の発明者(実際には当時その周辺で使われていたされる)とされるファン・アイク兄弟(15世紀初頭から半ば頃)の時代にさかのぼる。この絵具を使いこなす技巧が特にベルギーからオランダの地方に、個人の画家の資質として分類できる。絵画がカンヴァスに描かれるようになった時代は北方ルネッサンスと呼ばれる15世紀の終わりごろから16世紀にかけてであるが、布の上に絵具で何かを描く方法は12,13世紀頃に見つかる(人類史上最も初期の例はムミーぺインティング(ミイラの肖像と言われる)の例にこどものミイラを布で包んでその上に絵具で顔を描いたものがあるが、絵画として発展しなかった。)カンヴァス画の歴史はそれ自体、初期の汎用例としてブリューゲルやマンテーニャの作品に登場し、麻布に地塗りが無い時代から、地塗りを丁寧に施した大画面の(つまり板絵では大きな作品は重量や加工、運搬など扱いに無理であり、カンヴァス画が大画面の作品の需要とともに発展したことなど、時代性とともに理解すべきであろう。
こうした技法材料に関する情報は、より具体的に役立てるためにも常に作品表面を観察しながら(美術史研究者の多くは観察ではなく『鑑賞』をしてしまうが)視覚的記憶の訓練を積み、この方法に「慣れる事」が必要だ。この観察に興味がもてない人は「美術に関する仕事」を止めた方が良い。好きでもないことを持続させるのはストレスでしかないだろう。
観察の要点を述べると、
①時代性の確定(主題、表現様式、おおよその作者、流派)
②作者個人の能力、嗜好を見極める。
何をどの様に表現しようとしているか、理解できなければ始まらない。つまり作者の視点に立つことで、どの様な技法で、材料でどの様に独自性を出そうとしているか?感じ取って視覚的記憶を蓄積することが必要だ。
③工房の存在によっては分類の幅は広くなるが、作者作、バージョン、工房作、模写(copie、facsimileとも言う)、模 作、贋作、アトリエ作品(工房作とは違う)などある。
作者作は作者が単独に制作したもの。バージョンは作者が同主題の作品の構図やモチーフとなる人物などを入れ替えるなども含まれる改変をいくつか試みたものを示す。作者自らの創作的意欲は否定しないものの、職業である以上「生計を立てるため」の制作は主体であったと考えるべきだろう。
工房作は弟子が加わって制作したものでメインのモチーフを弟子が制作し、サインだけは作家が書き入れたものなど。工房様式というのは技量が劣る弟子たちが描きやすいように、簡略化したデッサン、着彩技法を採用している。例えばリューベンスなどは比較的判別しやすい様式で、リューベンス自身の手練れたデッサンの実力に肉薄できないために、助手として弟子の描いた部分は直ぐに分かる。一方でロヒール・ウェイデンなどの時代の工房作は制作方法が塗り絵的であり、基本となる下描きや構図がウェイデンのものと思える点が多く、判別には多くの作品を並べて洞察する経験を積む必要がある。工房作は一点だけということはまずない。数点あると考えるべきで、大美術館では収蔵庫に眠っていることもある。参考資料として注意しておかねばならない。さもないと原作者作品と工房作品との違いが判別できない者になる。つまり研究者とはいえない。
模写は追随者による練習の為に行われるとも言えるが、販売目的であることが多く、原作者の描き方にもよるがラファエロの描いた肖像画の模写は原作と並べてよく観察しないと、どちらかが判別できない。イギリスで活躍したヴァン・ダイクにはお見合い写真の代わりに制作したとされる作品や人気のあった主題の作品は複数描かれて模写が存在する。模写の特徴は原画にあるモチーフが細かい点で簡略化、あるいは見落としで失われていることが多いことと言える。
模作は原作者の表現様式が好きで自分の表現の中に取り込んで描くことは良くあることで、「優れた巨匠の影響」として解釈できる作品が考えられる。ピーター・ブリューゲルの子供には父親の作品の模写と言える作品が多くあるが、描き方を真似て主題も少しだけ変えた模作と言うべきものもある。自立した息子は風景画や花を描くことに特化した者もいる。孫までいるから注意しよう。原作者の作品が2000点ぐらいとされるカミーユ・コローの作品はコローとサインの入った作品は2万点以上あるとされる。コローが認めた助手による作品があって、サインもコローと書かれているのであるが、コローより描き方が達筆で、すぐ判別できるが、日本の画廊でも堂々と高値で売られていた。コロー自身が否定しなければ工房作としても許されるが、原作者の手に依らない以上、値段は相応にすべきであるが・・・・コローの原作の良さが分かっていない人たちが画商であればまずい。(私は尋ねられない以上、工房作だとは言わないから)。
昔、西洋美術館で開催されたゴッホ展での話。私はまだフリーランスで作品点検の仕事で保存状態を観察していた。本来は展示前に、あるいは輸送業者の通関手続きが行われる保税倉庫で開梱し点検するのが一般的であるが、まだ当時、そうした点検プロセスは完全に確立されていなかった。また更に展覧会では国内から借用して展示することもあるために、やっと最後の展示の段階で初めて点検することもあった。展覧会の開催日が押し迫り、明日には開会式という日の夜、最後に借用した作品を点検しに展示室で「とんでもないもの」を見てしまった。銀座のギャラリーから借用した「無名の作品」(この時、新発見の作品だった)がなんと、どう見ても絵具はゴッホがいつも準備したダマー樹脂をよく混ぜて描くものではなく、現代のチューブ入り絵具で盛り上げて描いた贋作であった・・・・いや描いた当人は贋作を作るつもりではなかったとも思えるほど、見た目が悪い作品が、堂々と展示されていて・・・慌てた私はこのゴッホ展のコーディネーターであるピックバンス氏を呼んだ。それは参考資料として残っていたゴッホが描いたデッサンが残っていることを示す資料展示もされていて、「いかにも」という感じだったが、美術館側の担当者は現物を見ないで、急ぎで企画を行ったために起きたことだった。明日開催という段で、カタログも刷られて「完璧!!」だったのだが・・・・。それで、どうしたかって? みんな知らんぷりしてやり過ごしたのだ。
贋作は意図的に原作者が描いたように見えるような技法、材料を用いて、犯罪である事の認識があって制作される「模作」である。メーヘレン事件というのがあって、第二次大戦中にオランダの画家メーヘレンがヴェルメール作品の贋作を作って当時オランダを占領していたドイツ軍将校に売りつけたことなどから、略奪された美術品の戦後収集委員会で調査されて露見した贋作事件である。フェルメールとなれば、贋作には相当な技量を要するがメーヘレンにはその実力が無かったため、若描き(若い時分に描いた作品)とされるような表現方法で、17世紀のカンヴァス(17世紀の絵画が描かれたカンヴァスから絵具層を剥ぎ取って)の上に描いた。しかし戦後収集委員会には保存科学などの専門家が加わっていて、X線検査に現れた消し忘れた古いカンヴァスの作品が僅かに確認されて贋作であることが露見。実際の作品は正直言ってヴェルメールと比べてあまりに下手糞であり、見た目で否定できるが、そこは既に科学の時代であった。論理的に証明できないと許されない時代であり、メーヘレンの犯罪を裁く証拠として成立させたのだ。(Dr.P.B. COREMANCE Director of The Central Lboratory of Bergian Museum VAN MEEGEREN'S FACKED VERMEERS AND DE HOOGHS 1948 この報告書は私がブリュッセル王立美術アカデミーで学んでいた1973年時、街のもっとも有名な古書店で見つけて購入したものである。国際的な事件であったためか、英文でアムステルダムの書店から出版された。)
アトリエ作品というのは、作家が亡くなって、その者のアトリエに残された作品でサインが無いので遺族がサインのハンコを作って押して、巷間に出現させた作品のことである。ドガのようにパステル画にサインをしなかったものに、このハンコをついて売った例もあり、世の中を混乱させる。ユトリロのように死に方が尋常でなく、当時の状況が分かりにくいのにアトリエ作品としてハンコの着かれた作品が世に出ると・・・・。私のアトリエに持ち込まれたユトリロはどう見ても贋作であった。近現代作品の問題は贋作を作るためのカンヴァスなどの材料が簡単に入手でき、真似るにも高度な技巧や技法が不要な作品が多いことが贋作が作られ出回る原因である。こうした贋作を見破るには絵具の成分分析など科学的な方法も必要になる。
他に、目利きとしてあまりに低俗な問題であるプリント(ものによってはファクシミリとも言われる)つまり印刷ものである。これが見極められなければ、美術関係者としての地位を失いかねない事態となるはずだが、時々そういう方もおられるので、あえて記載しよう。西洋美術館在職時にも、シャガールの版画作品で当時多く出回っていた小さなサイズで25万円程度で売っていたものを持参した紳士がいて、同時のフランス美術担当の女性学芸員に「ちょっと河口さん・・・どう思う、これ・・・」と歯切れの悪い「呼びかけ」で質問され・・・・すぐに私は・・・彼女が自分で言うのではなく私に言わせようとしているのが分かったので「ああ、これは印刷ですね・・・」と周りを気にしながら言うと、紳士は「25万円も出したのだ!!」と言って憤慨して帰った。他にもあって、フリーランスで仕事をしていた時に、飛び込みで火災に遭った作品というものを持参した紳士が煤(すす)汚れをとったり、もう一度きれいに見えるようにしてほしいと現代作家の作品を持ち込んだ。「汚れを取って、ニスをかければよく見るようになるでしょう」と言って作品を預かったのだが、紳士が居なくなって、煤を除去し始めて、偉い問題に気が付いた。プリントだ。プリントに透明な樹脂のモデリングをして、迫力が出るようにしてあった作品は表面が焦げていたために、初診を間違えた。すぐに電話して紳士を呼んだ。一部分しかいじっていなかったのが幸い。また紳士は誠実な対応で、「この作品は2000万円で、ある弁護士から購入した」ということで、私は「必要とあれば鑑定書を書きます」と言ったが「大丈夫だろう」ということで火災の汚れを除去してニスを塗って返却した。プリントであるかどうかを見極めるのは簡単であるが、思い込みが先にあれば、それが印刷されたものであるとは疑いもしない心理がこうしたトラブルを産む。1980年代に25万円から30万円程度のピカソ、シャガールなどの版画を購入した人は、虫眼鏡を持ち出してよく見るが良い。印刷は小さな色の点で、視覚混合と呼ばれる手法で作られている。
さて、いろんな問題があることを紹介したが、観察から洞察そして「確信」に至るには、もう一つのステップがある。現代では頻繁に科学調査が行われているので、その結果から学ぶことが「確信」を得る方法である。一般人にはなじみがないから情報収集に多くの障害がある。この項については「目利きのレッスン 2」に続けます。