河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

くたびれたあ

2019-11-26 16:12:28 | 絵画

午後3時半、今しがたお風呂に入って気持ちがいい。

昨晩、暗くなって、岩国の実家から浜田の家に帰宅。家の前の海は4mの大波で、ヘッドライトに波のしぶきの細かなミストが舞っている。これが我が家の車を真っ赤に錆びさせる。

荷を降ろそうとしても、誰も迎えに来ない。普段は何匹かの猫が迎えに出るのだが・・・・「もう父ちゃんは帰って来ない・・」とでも思っているのか? 居間に入ると皆寒そうに固まって動かない・・・が14匹しかいない。他に私のベットに4匹巣くっていた。

居間の猫茶碗をカーンと叩いて「まんまだよーー」と呼ぶ。とりあえず缶詰を食べさせる。

岩国から浜田まで155㎞で、ほとんど休まず運転して3時間半。くたびれたあ。

夕食も取らずに一寝入りするが、足がつって痛くて寝れない。風呂にも入れないほど疲れていた。・・・・とそういうう訳で先ほどやっと風呂に入った。しかしまだふくらはぎが攣(つ)りそうだ。

と、ここまで書いて失礼した。

トイレにも行くにも猫たちの抗議の痕を注意しながらよけて歩かねばならない。今回は三泊四日で16か所のウン子が廊下にしてあった。どうも犯行はしょうゆちゃんひとりではない。独りでは8個が限度だろう。水浸しになるほどのオシッコは下の癖が治らない兄やんの仕業だろう。他に誰が参加したのか見極めなければならない。

で、また掃除!!くたびれ、くたびれ。

そして、しょうゆちゃんは拘置所に入ってもらう。そしたらこの二日間、誰もウン子をしない。兄やんはおしっこをしまくる。本当にもう直ぐ廊下が抜け落ちる。

この時期、岩国の実家に帰ったのは、父が亡くなってから誰も世話をしていない家が心配なのと、もう直ぐ霜が降りてくるので、柚子を少なくても収穫しておこうと思っていたから・・・。がしかし三泊四日で作業は辛すぎた。大きな香りの高い柚子は、手の届くところから誰かに盗られていて、高い所に豊作の残りがあるので、これを取らねばならない。

梯子(はしご)、高枝切ばさみ、皮手袋、剪定ばさみ(せんていばさみ)、ヘルメット、厚手のジャンパー、収穫かごを用意して、朝から作業開始。初日は晴れて汗だくになるが、実は風呂は太陽熱温水器が壊れていて風呂に入れない。

初日のメインの作業は高い所に生っている「汁ゆず(果汁を取るゆず)」が例年通り豊作であるが、手が届かないので木の一部を倒すことにした。ここでチェーンソウが登場。目の高さで枝分かれした直径10cmほどと他にも15cmほどの枝から上を切った。これが大変だった。切り離しても倒れてこない。つまり上の方で枝が詰んでいるので倒れてこないのだ。そこで引き倒すのにひと汗かいた。

柚子はご存知だと思うが、アチコチと枝にとげがある。触ると痛いからヘルメットや皮の手袋が必要だ。引きずり倒した枝には500個ぐらいのい汁ゆずがなっていて、これを取るにも枝の間に手を突っ込むととげが刺さる。切った枝を不用意に地面に落とすと長靴に刺さって痛い目に遭った。いずれにせよ二日間で1000個以上の柚子を収穫した。あちこちに配る。

まだ万を超える柚子がなっているのが見えるが、「柚子さんごめんねこれいじょうとれません」と置いてきた。

名前の如く、家の前には川が流れているのだが去年の西日本豪雨の時に壊れた土手の修理工事が進行していた。もう二か所来年になりそうだ。この川は10年ごとに氾濫して、我が家の田んぼや畑に被害をもたらした。

早速だが、汁ゆず絞って鳥の水炊きの着けだれにした。美味しかった。今日は焼き魚にかけようかなあ。しかし実は去年に収穫した柚子の汁が冷凍庫で眠ってているのだ。もう一回「柚子さんごめんね」。

 

 


11月10日講演内容のまとめ

2019-11-11 11:11:13 | 絵画

島根県江津市川戸町の今井美術館で開催中の天野勝則展で行った講演の趣旨です。

天野氏は江の川で鮎漁を本業とされるプロの川漁師です。趣味で絵を描かれているけれど、今回の展示作品数は40点に及び、自身の生活体験から湧き出るイメージの世界を水彩絵の具で描いています。彼の画業に貫かれているのは鮎漁を通して、自分の願いや江の川や住んでおられる山郷の風景そして漁の最中に出合う動物たちを愛しんでおられるそのままを素直に表現されていることが魅力です。

しかし彼のような表現はこの国の現代美術あるいは現代アートが幅を利かせる中で、決して失われてはならない創作のモチベーションです。天野氏に講演の機会を頂いて是非とも話しておきたい「描写する絵画」とそうでない「現代アート」についてその区別を述べておきたいと思って、講演の主題を「絵を描こう、何をどう表現する?」としました。

講演会に来られた聴衆の方々は美術愛好家でしょうが、昨今の日本における美術の流れに対する誤解などが生じないように、「現代アート」と「現代美術」を区別する方法で話を始めました。

現代に「美術」と呼べる流れはイタリアルネッサンスに始まる「描写の美術」で、この世にない世界を絵にして見せる、つまり虚構として「無いものを在るがごときに」という理念でフランスの印象派が登場する辺りまで続いていた。社会に大きな変革が起きると文化に対する考え方も受け取りかたも大きく変わってくる。神話や宗教画を描くことが画家として優れていたことが、新教のカルビン派が台頭した北ネーデルランド(オランダ)では静物画、風景が、人物画と「偶像崇拝」から離れて画家は地位を保てた。そこにオランダ絵画の黄金時代が到来する。

フランス革命(1789年~1799年)から無政府状態の混乱期、ナポレオンの帝政時代、パリコミューンと変遷する中で、画家たちは生活の庇護者である権力者、金持ち、教会が力を失って、神話や宗教を題材とする絵画は失せ、画家個人の自立意識が高まる。自然主義、写実主義など自然や生活を描いたものは「依頼主」による注文にこたえたものではない。

この時期に登場した印象派は「光と色彩」に表現の力点を置いた「明るい絵画」を描き始めた。(1870年頃)これはある意味で形の表現に厳しかった「描写の絵画」の終焉を意味した。マネ、モネ、ルノワールなどアカデミックな教育を受けてもデッサン力はそれまでのサロンの画家たちと比べ者にならないほど稚拙であった。この時期から世界の画家たちからデッサン力が失われるれ。印象派に参加した画家たちの多くは、経済的に親の遺産を食いつぶせる幸運な者たちだった。

フランスでは芸術の都としてのプライドから、次々と新しい芸術表現が求められたが、旧態依然とした保守的な美術界に対して案的なものが現れた。その一人がマルセル・デュシャンであり、彼はギャラリーの展示室に《泉》と題して小便器を繰り返して展示した。これはたとえ便器でもギャラリーに持ち込めば芸術とされる陳腐な現実に批判を行った。

デュシャンは新しい表現を受け入れるアメリカを目指してしばらく滞在するが、フランスに帰国して晩年は旧来の絵画を描いて暮らしたと言われている。

しかし、一方で彼が残した視覚表現に縛られず「観念的主題」を表現することを主張し、伝統や旧来の習わしに束縛されないアメリカの若い画家たちに受け入れられる。これが今日の「観念アート」であり、今日私が聴衆に分別した「現代アート」である。

現代アートは「主題は何でも良く、表現方法はどの様な方法でも良い」という。表現の目的性が良く分からなくなってきているが、手段は視覚のみでなく、聴覚、嗅覚、味覚、触覚と五感に訴える方法で良いということで、次第に表現方法を拡大してきた。表現する側は何でも良いと思うが、それを受ける側が感じたり考えるときに混乱していることは置きざりにされてきた。視覚表現に拘らなくなったことで、美術ではなくなったのだ。

以前に述べたことが在るが、ドイツの社会学者であるアーノルド・ハウザー言葉を紹介した。「芸術とは何か一言に説明できないが、少なくとも芸術作品というものは、この我々が住む世界から離れ自律し、それ自体で充足した世界であり、その世界の存在が感じられる錯覚が強ければ強いほど感動が大きい。」という意味は「芸術が虚構である」ということであり、そこに我々の生活する世界とは次元が異なる世界が存在しなければならないということだ。

現代アートから、目的性を感じられなくなって、表現の完成形(行先)が見えなくなっていて、彼らは終りなく試し続ける行為だと言う。

講演の中で「あいちトリエンナーレ」の問題を取り上げて、混乱する問題の「表現の自由」を要求している点で、何が混乱の元かという話をした。展示された「慰安婦像」や「天皇の写真を燃やす映像」は歴史問題や人道主義と混同して扱われていて、事実関係が調査研究されてしかるべき内容であるものを、表現の主題として扱った点にあること。これを彼らは「芸術表現」や「美術作品」と述べており、「・・・である」かどうかの議論を封印している。「歴史的事実だ」として考えると、其れは虚構でなく、事実を批判する目的の政治的プロパガンダだとしか言えない。

これらを現代美術として理解してはいけないと述べた。現代アートは美術とは全くの別ものであり、現代美術は「虚構の世界を描写したもの」として流れているのであって、今日ではまるで観念アートが主流で、「描写する美術」は骨董品のように扱われているが、個人の感性をもう一度大事にしてほしい。絵を趣味で描く人は「自分が最も描きたいことを描きたいように」するために、画材を買ってきて頭で考えて形から入らずに、自分で感じる実感を大切にして、デッサンを重ねてから始めて欲しい述べておいた。

講演の時間を気にしすぎて、話の中身はそのようなもので終わってしまったが、もう少し聴衆の興味に沿えるように話すべきであった。

左の子はしょうゆちゃん、現在拘置所に収監中で廊下にウン子、おしっこを100回ぐらい繰り返して、器物損壊の罪で、反省を待っています。檻の中には砂のトイレが入れてあるので、毎日使うように仕向けています。その右隣りはみりんちゃん、私の食事中に膝の上に乗り、強烈なおならとウン子を漏らして、ズボンを汚し、食欲を無くさせた罪で、書類送検。対応策が見つかりません。

講演内容は、もう少し言い足りなかったことを描き足すことにする。

地方の美術の問題は、おそらく県立美術館などが出来た当時、美術教育、制作活動など盛んにするために、地元の作家に呼び掛けて、県展などに出品するように働きかけてから、いつの間にか各美術団体の勢力争いの場になってしまって、美術文化を盛んに出来なくなってきているのが現状だと言える。島根県展も、既成の日展系、二科、国画会、東光会などの25人のメンバーで審査を行い、己の陣営を有利に入選させようとするあらその場になっていると聞いた。

こうした環境はビギナーにとって最も悪く、候補作品の品評会でアドバイスをもらうのに、「自分は偉い先生だ」と威張っている者が、ろくでもない意見を言う例が多くみられて、「権威主義」に近づかないようにアドバイスしたい。

日本が不得手なのは「自己主張」であるが、個人性を明確にして生きようとすると、この国では「集団の価値観」を押し付けられる。しかし個人の自由であることには、目覚めて欲しい。周囲や歴史から学ばないものは愚か者だが、ビギナーが人まねをするのは当たり前で、日本語も真似して覚えたはずだから、基本的なことは先人の優れた成果を真似るのが良い。先人の優れた作品に触れて絵を描き始めることは自然なことだ。「他人の真似をすると個性がなくなる」と言われた人がいたが、言った者は「無能」であるに違いない。個性は自分の中に時間をかけて育まれるものだ。最初からあるものではない。

昨日、レオナルドの少年時代まで遡って彼の天才を検証するNスペがあったが、幼少期は親からも見捨てられて学校にも行けず、独り自然の中で、現象を観察することで才能が開花していった内容だったが、天才はともかく、普通の人も観察によって、現象を洞察し,真理を見つけ出す行為は「凡人」にとっても同じである。

絵を描くビギナーにとっても大切なのは「観察」から始める好奇心である。それは個人のものである。


NHKスペシャル ダビンチミステリーから

2019-11-10 22:21:53 | 絵画

先ほどNスぺを見たばかり。ダビンチミステリーの第1集ということで、ダビンチに関わる新発見の作品についての調査報告を兼ねて、彼の技法を解き明かす番組だった。

新しくダビンチ作とされている《糸巻の聖母》という作品は板の上に描かれている様な外観だったが、番組では明らかにしなかったが、この作品のX線写真には「キャンヴァス目」が映っていた。これは何を意味するかと言えば、作品の中にキャンヴァス布が入っているという意味で、外観が板なのに布目が映ると言うことは、オリジナルは板の上に描かれていたにもかかわらず、誰かが剥がしてキャンヴァスに仕立てた可能性があったということ。何故そのようなことをしたのか?可能性として原作の板が虫食いで傷んで保存が難しかったということか、あるいは自分の腕に溺れる修復家が「移し替え技法」が出来る能力があることを、何も知らない持ち主に自慢するために原作の板から新しい板に移し替えて見せたか・・・。私の推察では後者の方で、修復が現代の厳しい基準に従う前にはこのようなバカげた行為を許していた時代があって、ロンドンナショナルギャラリーでさえ、70年代以前の古い世代の修復家が「移し替え」を行ったことが記録に残っている。

この《糸巻の聖母》についていた板の裏側は見た目に健全そうであって、クレードル(英)と呼ばれる格子の補強がされており、これも70年代よりも古い修復処置で、不必要なあるいは不適切な処置であり、場合によっては作品の保存には全く適さないもの。

キャンヴァスの布目が現れる理由はこの「移し替え」のときに作品の薄い絵の具層と地塗りをはぎ取るときに、表から保護の補強を行っているが、裏の板を削り取ると、新しい板に移すまでに必要な支持のために貼り付けておくものである。

東京の国立西洋美術館のロヒール・ファン・デル・ウェイデン作とされる《ある男の肖像》(現在ではフォロワー作とされる)作品も同じような悲劇にあって、原作の板から合板の板に移し替えられている。これはアメリカの画商が修復の為にスイスの修復家に任せて移し替えられたことが分かっている。西洋美術館作品の板の裏面には肖像画のモデルに関した紋章まで描かれているが、これも原作から模写されて、もはやオリジナルではない。

この作品は当時、板に継ぎ目の開いた問題点はあったが、移し替えをしなくてはならない損傷はなく、オリジナルの板から浮き上がっていた痕跡もなかった。悪いのは画商と修復家である。

美術作品を壊すのは画商、学芸員そして修復家であることは明らかである。

今回のNスぺではモナリザの顔を映したX線写真には必ず反応する鉛を含んだ白色顔料である鉛白の痕跡が現れなかったことに注目してレオナルド独自の技法として昔から注目されてきた「スフマート技法」と呼ばれる「柔らかく肌をぼかす技法」が紹介されていたが、鉛を多く含まない絵具で十数回描き重ねていることを紹介していた。

NHKはいつも今回初めて分かったような発表をするが、これは昔から知られていて、むしろその十数回描き重ねている下の層について分析すべきであった。レオナルドの絵画の描き始めというのはバチカン美術館にある下描きに近い状態で放置されている《岩窟のヒエロニムス》を見れば、この上にスフマートの肌の描き方がされることが想像できる。その下描きとは地塗りの白の上にイエローオーカーやアンバーで濃淡の単色に近く描いたテンペラ絵具(顔料に卵の黄身を混ぜて描く)の下描きである。その上に油絵の具で薄く柔らかく肌を感じさせるように描くのである。

これまでの内容では特段に新しいことはない。しかし《糸巻の聖母》の存在とクリスティで450億円で落札された話は初耳だった。現役を離れるとこれだ。

番組中にこの柔らかなあの肌の表現をアメリカ人の画家が「点描」でやったに違いないと「再現」を作って見せていたが、これも過去に紹介した映像で・・・単なるおまけである。技法を知らない素人に「それらしく感じさせて」紛らわしい。レオナルドのスフマート技法は顔や手の肌以外にも使われていることは昔から知られている。また絵具のサンプル分析は1970年頃に行われており、十数層にわたるグレーズ(半透明絵具)を重ねたことも判明して報告されていた。

昔から分かっていたことを「最新の情報」として番組を作るのはNHKの十八番だ。私もかつてリューベンス作品の科学調査の展覧会を行ったとき、一年後になってNHKの記者Kが近づいてきて、調査内容をスキャンダルにされたことがある。

実は今日はこの記事を書くのではなく、今日行った天野勝則氏の展覧会の講演で話した中身をまとめて書いておこうと思っていた。Nスぺの方を忘れるかも知れないと思ったので、先に書かせてもらった。

次回第2集があるようだから期待しよう