河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

昨日の今日!!本当にまたやってしまった。

2023-04-29 10:37:12 | 絵画

前回のブログを書いている間にまた鍋を焦がした!!

台所が何やら炭のようなにおいが取れないと思っていたら、言った端からまたやってしまっていた。先のブログの最後はジョークのつもりだったのに。

野菜とチキンのスープ以上の衝撃。なぜなら真新しい鍋にラーメン用の鶏がらスープを作っていたからだ。このスープは特別だったのは、これまでかつての山口市中市にあった春来軒という御当地最高のラーメン屋のスープを目指して作って来て、やっとそれに近い味が出せたのだから。ちょっと大げさでも「黄金の味」と言わせてほしい味が出来たのだから。それを3回ほどラーメンスープとして食べて、残りを大事に温めていてまた焦がしたのだ。

残りを最後の最後まで食べようとするとどうなるのか知りたかったが・・・・焦がしてどうする。

今やラーメンは世界のラーメンとして各地で様々な作り方で流行っているというTV番組があったが(それを紹介する若い俳優の知的で語りの分かり易さと早口調に感嘆していたが)いくらなんでも世界的流行の基礎が「豚骨ラーメン」だったのは解せなかった。

中学2年生(1965年)だった私を春来軒に連れて行ってくれて「目からうろこ」の経験をさせてくれた叔父の一声の「美味しいものを食べに連れて行こう」を最初は疑ったのだが・・・・当初は八木という山口唯一の百貨店の裏通りに小さく店を構えていて少し高い位置から店のスープ鍋が見下ろせた。その中にあったのは「牛の頭と鳥の足のもみじ」で、子供心に恐ろしくてよけて通ったものだったが、その店に連れていかれて鳥肌が立ったのだ。しかし狭い店の椅子に座って覚悟を決めてから出されたラーメンに驚いた。いやそれまでラーメンという物を食べたことがなかったから。ラーメンどんぶりに見たのは麺と薄い醤油色の汁の上に海苔が一枚。その海苔の上には茶さじ一杯のコショウが載っていて驚いた。こんなもの食えるのだろうか?・・・と迷っていたら叔父が皆混ぜて食べるのだと言う。これは初体験としてあれから半世紀も経っても頭の中にこびりついているのは・・・・その味だ!!

その時衝撃を受けた「味」を忘れることが出来なくて、ずっと試行錯誤してきて、これまでで最もその味に近い味が出来たのだから大事なスープだったのに・・・焦がすとは・・・何たることだ。

今日は4月29日土曜日、雨が朝から降っている。また材料を一から買い直して作ろうかと迷う。

ここにレシピを公開しておく。皆興味があればやって見て欲しい。

①材料は鶏がら、鶏皮、牛切り落とし(    )

②鶏がらと鶏皮を水から入れてゆっくり時間をかけて煮る。けっしてグツグツ煮たててはいけない。なぜなら豚骨  スープのように白濁するからです。鶏皮の脂肪が大事でこれがガラの味を引き立てる。

③牛切り落としをフライパンで炒める。油は引かなくても良い、牛脂が出て赤みが少し焦げる程度まで炒めたら鶏ガラと一緒にして煮る。同様に煮たててはいけない。ガスの火も最も小さくして、もう季節が過ぎたが、もし石油ストーブであれば火を弱くして真ん中から少し外して火にかけておく。

④5時間くらいゆっくり煮ると全体の味が整ってくる。これがベースになる。

ベースのスープに塩あるいは醤油で味付けしてラーメン汁とするが、春来軒のはしょゆ味だった。そこで山口市のしょうゆメーカーである「ヤマコー醤油」を取り寄せて試みたがちょっと味がきつい。それではということでヤマサの昆布つゆ醤油を使うと糖分が邪魔をする。スープベースはすでに甘みを感じさせるから、しょっぱいしょゆが良いが、キッコーマンは生臭い。結局スープに加える醤油は一度煮切って生臭い味をまろやかにして使えば良い。

⑤麺がどうであったか記憶が定かではないが、西日本での麺は当時は博多のとんこつラーメンと同じ種類であったように思う。また春来軒のチャーシュがどうであったか、メンマがどうであったか記憶がない。スープが大事だから、邪魔にならない味であれば許されよう。

とここまで書いて、焦がしたのを思いだした。くそお!!なんてことだ!!なんと手間暇かけて作ったスープなのに。

自分の絵を描くまでは大事に丁寧に仕事するが、出来上がった絵はぞんざいな扱いを受けている。自分の作品は修復で受けた仕事の作品と比べれば「天と地」の扱いの差があるが。医者の無養生と同じだ。

何故、私は鍋を焦がすのか・・・・認知症が始まった?いや実はせっかちなのだ。ずーっと同じところに立っていられない性分で、次は何かと気が飛んでしまう性格なのだ。人に質問してうじうじ答えを渋る「優柔不断」な性格の人とはなかなか上手く付き合えない。その人より先に答えを出してしまって相手を怒らせるような・・・。

で、放置して焦げるのだ。人の心も焦がしてしまうかも・・・。ここまで分かっていて反省しないのだから許して。


また鍋を焦がした

2023-04-28 11:26:44 | 絵画

毎週のように鍋を焦がして、毎回金束子(かねだわし)で鍋底をこすっている。

今回は漢方薬のせんじ薬をつくろうと「ネズミモチ」の葉っぱと黒い実を煎じるつもりでガスの弱火にかけて、長と忘れて2時間ほど寝てしまった。ガスの火は消えてしまっていて、5リットルの大ヤカンは、手に取るとあらっと軽い。

えええっつ!!なんじゃこれ!・・・・。ヤカンの中は黒いタール様のものがこびりついている。昨今物価の値上がりはすさまじいが、プロパンガスだから基本料金も高い、何リットルも蒸発させて・・・・私の田舎ではヤカンを沸かしっぱなしにすると「ほら‼蔵が建つ!」というが、それだ。

年のせいか物忘れがひどく、人の名前もわすれ、絵画用語でさえも使わない・・・いや人としゃべらないからか忘れてしまうことは多大な量に及んでいるだろう。

でも、今やっていることも、ちょいと何かの用事が出来るともう忘れる。しかもその用事も二階に上がって・・・「ええっと・・・何だったか?」と思った瞬間には頭の中は真っ白で空っぽである。

もう一度最初からやり直しと・・・椅子に座って思い出すまで座っている。

ここで忘れてしまったことさえ思わなくなると「認知症」かも。

去年からこっち!!忘れて鍋を焦がしたのは

①いちごジャム

②ぜんざい

③肉じゃが

④レンコンのきんぴら

と思い出すのも大変だが、一番ショックだったのは4リットルのチキンと野菜のスープを炭のようにしたこと。

最近のガス台は火事にはならないように最終的に消えるようになっているのか?独り者の老人には有難いがそう言えば一人住まいの老人が火事で一人焼け焦げて死ぬ話しよく聞くねえ。

さて、またお昼が来た。何を焦がそうかな。


アルタミラの壁画を見て言葉が先にあったと? (加筆、追記あり)

2023-04-11 11:25:55 | 絵画

難しいことを言うね。昔、考古学は非科学的で「推測で考える学問?」だったが、今日は文系ではなく理系の学問に成っているが、まだ文系の頭で考える人がいる。アルタミラの壁画となれば「芸術」として受け取ることが出来るが壁画が描かれるのに「先に言葉があった」と言い出すと、ちょっと論理的に説明してくれるだろうと思ったが・・・NHKの教養をくすぐる番組で大学教授がそういうことを言うにはもっと論拠を明確にしないと、多くの美術評論が観念論にすり替わっている現代アートの時代に、これもまた同じ類かと欲求不満に陥るではないか。

同じ番組で「言葉」について人類にとっての言葉の始まりが何であったのかを大学の先生が述べるのがあって、これにも面くらった。「学問的」となると研究者個人の興味や意見が優先されても仕方がないが、言語学の先生は今日の科学的考古学の末席にも座れない。

それでは末席にも座らせてもらえない私としての意見を述べて、今日を面白くしよう!!

原始人が言葉を発明したような言い方はしない。最初は「ああ」とか「いいー」とか言ってコミュニケーションをとるために、まずは言葉とは言えないような伝達方法で生活していただろうと思う。サルの世界をみれば「あれだー!!」と思う。しかしこれを言葉とよべるほど「具体的な意味」と持っているというにはもう少し説明が必要だ。東大のある若い研究者が山のシジュウカラの鳴き声を研究し「啼き方で意味を伝達している」と言えることを学会発表している。

ネアンデルタール人が滅んでしまったのは集団が家族中心で、ホモサピエンスのクロマニヨンは対照的に仲間社会を広げ集団で生活したからだと・・・聞いて、つまり集団が家族でコミュニケーションを行うより、集団が大きいほど食料を集める力も大きく強くなって、コミュニケーションの内容も複雑になって行ったと推測する。「ああ」とか「うう」とか言っていたのが、もっと具体的で正確な意味を集団で持つことが不可欠だったであろう。仲間がいなければ言語は成立しない。

言語が成立するには音声がくり返されて、音声が示しているものが何なのかを理解する感性が相手である仲間の間で共有される必要がある。おそらくその最も最初に登場したのは生存欲に関するつまり食物を得ることだろう。そこにある植物の実や動物を得るために働く欲は彼らの脳に強く共有を求めたであろう。そこで発した音声が言葉に代わって行ったのではないか。

仲間同士で共有できる言葉と言えるものを組み立てられなければ複雑な表現は出来ない。そこに思考というものが必要だろう。だからこの組み立ては「弓矢」の作り方に似ているという人がいる。

文系の先生のアプローチでは、原始人が弓を用いて狩りをするようになって、この弓の作られ方が言語の表現のメカニズムと同じだと言う。矢には矢じりが必要で、これを棒の先に固定しなければならない。そして棒の後ろには真っすぐ飛ばすための矢羽根を固定させねばならない。これらの一つ一つが合わさって一つのものが出来上がる複雑な行為の集合だと・・・・。言葉も一つ一つを並べてより正確な表現を完成させるから、弓矢で狩りをしたころに既に言葉による思考が完成していると。

しかしこの弓矢の先に矢じりを固定するという物造りの始まりは人類の「人たる始まり」であって「大発明」である。そこで言葉が先にあったから棒の先に石を括り付ける行為が「思考」として生まれたのか?実に怪しい!!

この石や棒に名前があっただろうか????脳が働いて「先に思考が働いて言葉は後だ」だと私は思うのだが。

 

しかしアルタミラの壁画の話に戻ると、「最初に言葉あってあの壁画がある」というのはどうも納得がいかない。アルタミラの壁画やラスコーの壁画に描かれ動物や「弓」を持つ人物をよく見て欲しい。動物のデッサン力は半端ではなく高度であり、動物をよく観察しリアルに描かれている。これは視覚的記憶力と想像力の賜物であり、現代人の脳の働きと比較にならないほど優れている。優れた感性の塊であって「思考」で出て来る形や構成ではない。

原始人が「言葉で表現しきれないものを絵として描いた」というと、現代人も同じように言葉では表現できないものを絵に描いていると思われるとちょっと困る。もしそうだとしたらその者は天才的な能力を発揮していると思えてしまう。実を言うとこの在り方は観念アートの手法だと言える。表現したいコンセプトが先にあってそれを具体化しているのが観念アートだと・・・私は信じないが。これは何かを発明でもするような行為だろうかアートをやっている者たちがそれ程頭がいいのだろうか?発想が小中学校の図画工作と変わらないレベルなのに。

私は絵を描くときに理屈は考えない。言葉で表現できるほど国語能力は良くないし、文学者でも哲学者でも自然科学者でもない。ただ感覚的に視覚的な記憶として残っているイメージが複雑に合わさっているものが時間とともに失われる前に具体的にしたいと欲求するから絵を描く。たとえ下手糞でも。つまり紙一枚、鉛筆一本で感性をぶちまける・・・(と言ってパフォーマンスと勘違いしないで)。

アルタミラの壁画を描いた人たちも美味しい食料(牛とか鹿)を描いてみたのではないのか。日頃絵を描かないやつには分からんだろうと思う。

 


バターが高いと思いませんか?

2023-04-06 13:18:16 | 絵画

バターが無いと暮らせない訳ではないけれど・・・。パン食が常態化している今日ではミルクにバターは普通にあって当たり前になっていて、一年前に350円だったものが最近すっと450円で止まっている。一度値を上げたものが下がることがない日本の経済システムでは「ちょっとおかしいのでは!!」と声を上げないと、全てこんな調子て済まされてしまうと思いませんか。

北海道では搾った牛乳を棄てているそうだ。どうしてそんなことになるのか?そしてツィターのchange.orgで酪農業者を助けるように求め署名を集めている・・・・おかしくないか!!??

一説に酪農業者がピンチなのは当人たちのせいで、酪農組合、酪農族議員に農林省の酪農担当者の作り出した生産と消費の不均衡だと。

私も不思議に思ったのは、むかしベルギーに居た時、友達が所有する別荘のあるアルデンヌの家に行く途中で立ち寄った酪農家でバターを買い求めた時に初めて見た「出来立てのバター」に感激したのを思いだす。出来立てのバターは色が「白い」のだ。しかも味はクリームみたいだった。こんな農家でこんなに美味しいバターができるなんてすごいことだ思った。しかしどうして日本では搾ったばかりの牛乳が捨てられているのか?牛に悪いと思わないのか!!

どうやら日本の酪農家で自家製のバターは作らないらしい。その技術もないのか?それほど難しい技術ではないように思う。牛乳をゆすっていると脂肪分が分離してバターが出来、残りは脱脂粉乳になるそうだ。つまりそんな面倒な仕事にするよりミルクだけ搾乳して売ることで家業にしている酪農家が多いこと・・・それを流通させる会社に任せた方が楽だと・・・。

で、そのシステムが上手く回らなくなったのは・・・バターと脱脂粉乳の需要のバランスで洋菓子などで需要が増えれば脱脂粉乳は輸入に頼るしかない。輸入が増えれば国内生産の脱脂粉乳の価格は下落する。それでは困ると酪農家で作る酪農組合は政治に訴える。そうすると価格を上げて酪農家の収入を守る。しかし経済は需要と生産のバランスはいつも均衡しない。ここで余るほど牛乳を搾ると結局棄てることになる。それが購買者である庶民には理解が出来ない理不尽な裏社会があることに気が付けない。しかし農林省の役人は知っているから、元農林省の役人が実情をばらす書籍を出す。それは瞬間的ではあるがネットのニュースとして掲載された。

御存じだろうか?紙パックで売られている牛乳に対して、そうでない乳製品と書かれた「濃厚」と「特濃」と書かれた商品があるのを・・・これは原材料名の所にバターと脱脂粉乳と書かれている・・・元の牛乳には戻らないから「乳製品」という名前でもう一度商品化して売ろうとしている。日本のバターはフランスのバターと同じだと思うか?ちがうよ味が。牛乳も違う・・・なぜなら加熱処理する温度と時間が違って、日本の牛乳は高温で短時間加熱し経済効率を優先するから本来ある味を殺してしまっている。

イギリスで暮らした時に「ミルクティー専用ミルク」があるのに感心した。それは賞味期限は3日ほどしかない。ほっておくと脂肪分(つまりバターの原料になる)クリームが分離してしまう。まあそれでもお腹を壊すわけではないが、どうすれば「美味しい」かを大事にしていいるのが素晴らしい。

何なんだ!!くそ!バターの値段が下がらないのは酪農家、酪農組合、農林水産省と族議員のせいではないか!!

TPPは何処に行った!

と、ここへんで止めておこう。


70歳から新しい人生が始まる

2023-04-05 13:01:17 | 絵画

・・・と誰かさんがおっしゃいますがね・・・一番きつかったのは従姉の女性から「ここでやらなきゃ人生は終わるよ!!」と言われたのが一番きつかった。父親が亡くなって糞田舎の実家を相続して・・・田畑4500坪、山林5000坪をどうするか悩んでいる時、農業が出来るわけないのにめんどくさいから岩国市に「全部上げるから・・・もらって!」と言ったら「いらない!!!」と言い返されて・・・・要するに市は固定資産税を払わし続ける方が得とふんでいる。

実は最近この浜田から脱出するために、ここ2年近く、3歳から山高を出るまで15年間を過ごした山口市にUターン移住をしようと準備してきた。これがこれがまたストレスの積み重ね。なんせ不動産屋で紹介された土地は「農地(第一種」だった。

不動産屋は途中で投げ出してしらんぷり。場所は大変気に入っていたので持ち主を法務局で捜してコンタクト。私の目論見を大変理解してもらえて・・・この問題山積となる「農地」を将来のアトリエ兼死に場所として計画を発展させてきた。持ち主は高校の後輩で大学の教授で研究者としての理解があって、この農地を購入するために市の農業委員会に「農地転用許可申請」なるものをすることになった。そこでもらった許可申請のために必要な書類、登記簿、公図などが山ほどあって、しまいにはそこに建てる建物の図面(平面図、立面図)から資金を証明する銀行口座残高などを提出させられる。やっと大方集まったところ。

ストレスはピークで。ちょっと一息休みたい。

今月中に農業委員会との戦いの結果が報告できるでしょう。