河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

ものは個人で創るか?それとも集団で創るか?

2017-10-29 01:54:43 | 絵画

今度の衆議院選挙の結果には大変残念に思う。

得体のまだ判らない希望の党が出て来て、どうなるのか分からないうちに、野党が惨敗した。今回の安倍解散選挙はもちろんもり・かけ隠しで、安全保障の危機を北朝鮮のせいにして「戦争」が起きるような気分に国民をさせ、情緒を創り出した。踊らされる国民。だいたい戦争がそう簡単に起きるはずもなく、もし北朝鮮が一発ミサイルをアメリカに向けて撃ったら、彼らはお終いだということは、いくら何でもよく知っているだろう。何しろ彼らの目的はアメリカと対等に交渉が出来る立場がデスティネーションなのだから、最初から安倍の扇動なのだ。彼が言うような国難であれば、悠長に解散総選挙は出来るはずもない。だが投票率で言ったら50%程度が与党に投票したことだが、選挙のシステムのせいで70%近い議員数を確保した。自民党の幹部はもり・かけ問題も国民の信任を得たなどとうそぶく者もいた。

安全保障は安心のための様に思う者もいるだろうが、武装すればするほど、相手も同じように武装を行い、危険性は高まるのが常識だろう。やられたらやり返すというのは、子供の喧嘩だ。やられた時にはお終いだと思わないから・・・・自衛隊を憲法に明記する・・なんて

いやなことはこれだけに終わらなかった。民進党の前原が言い出した希望の党への合流問題だ。彼らも野党として、国民の信任を得ていると思い込んでいるようだが、勝手に解党して、政党交付金を持って合流したのだ。そこで希望の党の代表の小池百合子氏はちゃっかりと「誰でも受け入れるわけではありません」と言って、自分の考えと合わない者を「排除する」と言い出して、選挙結果に思いもよらない道筋をつけたのだ。希望の党という名前だけで勝てると思ったのか200名を超える候補者を擁立し、たった50人程度しか当選させられなかった。

都知事選では彼女は独り自民党と戦う戦士のような印象があったが、結局は独善的判断で、国民に良く分からない都民ファーストの会の方針に、議会運営も良く分からない、築地・豊洲問題もほったらかしで国政選挙に動いて、安倍政権を倒すどころか、安倍によく似た傲慢さを感じさせて国民の期待を裏切った。希望の党とは皮肉な存在となった。

その一方で国民の失望の受け皿となったのは立憲民主党と、これまた出来たばかりの党であるが民進党の排除されたリベラル議員によるグループだ。そこで、これまでの民進党の内部の対立のような形が分化されて、分かり易くなったという人もいるが、片方で野党として希望の党が出来たと考えるには、あまりに楽観的に思える。要するに小池百合子氏の「新保守党」が出来たにすぎず、何を期待できようか。

ここからが本文で・・・。

政治は独りでやるものではない。独りでやって世界をとんでもない方向にもって行ったヒトラーのような奴がいた。金正恩やプーチン、シリヤのアサド、トルコのエルドアン、そして多くのアメリカ人が危惧するトランプと、自分が全てを支配したがる者が幅を利かせる時代なのか。とても危険な状態が世界にある。意見の違うものを排除することから始まって、対立する者は殺すことまでやる。

この排除の論理は、この国にも伝統的にある。集団の価値観に従わないものを排除することは、子供時から「いじめ」として形作られる。つまり個人であることが許されない国民性がある。学校では集団行動が義務付けられ、学生服も強制された。ちょっとでも違うことをしようとすると「皆と同じになぜ出来ない?」と言われて、先生から、同じクラスメイトからも攻められる。だから「いじめ」る側は当たり前だと、自分は正しいと思うことになる。社会に出ても個人は決して自由ではなく、会社や組織の中で必ず、集団性を強要されるのだ。ここではみ出すと大人社会でも差別や排除をされる。(現に私も美術館で排除されて、購入作品調査で、作品の科学調査資料貰っても誰も見ずに、結局、美術史系の資料文献しか見ないので、工房作を真作として購入するようになった。視覚的経験を積んだ修復家の目を信じないから。)

アメリカでトランプが大統領に当選し、性差別、民族差別、宗教差別を公然とするようになって、路上でいきなりマイノリティが殴られたり、侮蔑の言葉を投げられたりするようになったという。それまで口には出さず、行動にも出さなかったものが差別をするようになったのだ。「やってはいけないこと」が「やっても良いこと」に変わってしまう主体性がない者がたくさんいたのだ。アメリカの場合は日本のいじめや差別とは形態が違う。個人がベースで、個人の主体性が身に着いていないから起きているのだ。アメリカが個人主義の国だと思うのは止めたが良い。個人主義はヨーロッパの国では定着しているが、アメリカでは9.11事件の時、あちこちの家の庭先や車に星条旗を揚げる者がいきなり増えた。個人主義は他者との相互関係で成立しているが、アメリカでは憲法で銃を持つことが認められ、これを誇りにしている国民であって、自分という個人は武器によって成立させているのだ。

武器は相手を排除するための道具であって、個人が自由や自分の意見、感性を大切にするためのものではない。ここに創造性のあるなしの原点が感じられる。共通認識に達する前に議論さえしなかった小池由百合氏は都民ファーストからも離脱者を出した。先に武器をちらつかせて、意見封じをし、会の運営を暗いものにした。同様に排除を行えば、この国の国民が日常的に感じている危惧が見えたのだ。政治は集団で行うものだ。

同じく集団で行うのに「ものづくり」がある。自動車産業はその典型である。コンセプト、設計、生産現場と多くの者が一人一人の能力を出し合って、形になる。ある者が突出しても仕方のない世界である。もし一匹オオカミで生き残りたければ、何かよほど優れた才能で、ある程度形にしてから訴えなければならないだろう。それを受け入れる土壌にこの国はまだないと思う。

個人で行う「ものづくり」は芸術のような分野であるが、ここにも社会の影響は必ずある。社会のの要求にこたえなければ生計は経たないだろう。社会が目論んで、個人を天才のように扱って資本主義のシステムに引き込んでお金に換えてしまう傾向もない訳ではないが、誰もがこの運命にあるわけではない。しかもこの流れに乗ると個人の才能は個人でなくなる恐れがある。

しかし宗教的社会観があふれていた時代に宗教絵画や宗教音楽で優れた功績を残した作家がたくさんいる。個人の才能と時代の要求が合致していたのだろうと思う。

この国の個人の在り方を認めず、集団の価値観を押し付ける社会では、個人はどうあるべきか。個人であることを感じた者は「はみ出し者」になるだろう。私はこのはみ出し者だ。だから職場でもパワハラを受けた。自分は自分であって自分の人生は自分で決定しなければならない。だからと言って集団からハラスメントを受けるいわれはない。ドイツで4年を過ごし、個人主義の合理的な社会を感じさせられて、考えの違うものは意見を戦わせて、お互いを理解するシステムに共感して、今の自分がある。オピニオンは感情的に言い合うのではなく、考えとしてお互いが持ち寄って議論する。これはこの国では根付いていないし、根付くことはあるまい。個人主義では個人責任はハッキリしている。罪を犯しても個人の責任であって、上司や家族が連座制のように責任を追及されるこの国の習慣はまるで江戸時代だ。しかも権力を持っていれば、個人責任も何もない。福島第一原発の責任はいまだに誰もとらない。

この国で自分が自分でありたい「はみ出し者」は独りで生きる環境を作らなければならない。自営業でも、会社員でもなく、その他に分類される職業でも探してふらふらと生きる。ある者は200万円の原資で株や金融取引で200億円の資産を手に入れて、ベイエリヤのマンションのペントハウス住まいである。(お昼はコンビニで弁当を買って食べていたが、これも自由さを感じさせる)

私にはこのような強者の運はなかったが、ぎりぎり切り詰めれば何とか生きていられる年金で、貯金を食いつぶしながら、自分を追求できる。そうしていつの間にか自分が描く絵が認められようがられまいが、どうでも良くなってきた。これが「はみ出し者」の最適な環境だ。自分そのものが環境になる、つまり心境が大切なのだ。自分の才能のあるなしも「そんなの関係ない!!おぱっぴー」だ。もし私と同じような「はみ出し者」がいたら、元気を出して自分の信念を貫いてほしい。継続は力なり。きっと何かが出来るに違いない。

今、家の中を掃除中だ。二十数年前に別れた元カノがアメリカから来るので、家の中を掃除しなければならない。もう二か月以上掃除しているのだが、猫23匹が汚す。この浜田に引っ越してきて5年たったが、そのままだったので5年分の大掃除だ。このままだとホテルに泊まると言い出しかねない。引っ越しでそのまま放置された荷物は捨てるか洗うか、片づけて仕舞い込むか、最期には間に合わねば、箱に入れて隠してしまうのが良いだろう。昔から直前の試験対策で頑張ったことを思い出す。今年拾った子猫が布団の上で下痢をした。可哀そうに間に合わなかったのだろう。布団はお風呂で洗って、その後洗濯機に入れて・・・・無茶苦茶になった。これで修復家として生きていた証は消え失せた。

 

その内、家の中が片付いたら作品の写真を撮って掲載することにする。(期待はしない方が良いと思う)

 

 

 

 


Iターンの美術

2017-10-11 00:29:59 | 絵画

地方創生大臣もいる国だが、ある地方出身者が故郷の町に厳しい思いをネットに載せていた。若い人が地方にあこがれを抱いてIターンで移住するケースが増えているが、多くの人が思いしなかった地方の問題にぶっつかっている。ほとんどの地方自治体ではIターン、Uターンを受け入れるための担当課を設け、様々なサービスが受け入れられるような体裁を整えているが・・・・。想定外の出来事が事故のように起きているのではなく、地方の現実が、都会から思う生活の常識と違っているのである。夢を抱くには調査が必要だ。 

この浜田市でも介護サービスの担当者不足から、補助金を出してシングルマザーを県外から募集した。シングルマザーにとってみれば生活が安定し子育てが出来ることが人生最大の目標になっていたところを援助するはずだった。市長の久保田氏もNHKの番組に出演して、やたら行政サービスを強調していた。しかしこの介護サービスを担当しながら子育てをすることが破綻した。なぜなら市の担当は彼女たちを夜中に呼び出して働かせたからである。シングルマザーの子育ての障害となる時間の拘束は耐えられなかっただろう。多くの人が辞めて行った。この町に来て、また去るという手間は彼らに思わぬ負担をかけてしまった。この行政サービスを思いついた者は反省したかどうか・・・。どこか上から目線で、これはどうだと言わんばかりの気がする。ネットで故郷の町の硬直化した現状が「年寄りのルール」だと批判した彼の言う通りのことがどこでも起きている。この「年寄りのルール」とは、既得権者が自分たちの利益を確保しながら、一向に他者の現実の問題に興味を示さないことだ。

地方都市のシャッター街はどこにもある。原因は街の機能のグローバル化で、高等教育を受けるためには都会へ出なければならないし、留まる若者に新しく魅力的な職業がないこと、十分に欲求を満たす物がないことなどで、コンビニ、スーパーや大型商業施設の出店を許してしまう。そして家族一人一人に一台の車が普及する。かつての繁華街のさび付いたシャッター通りを車が走り抜ける。止まりはしない。こうなる前に誰か、この流れを止めようとしただろうか?

この町は漁業で栄え、国から指定港として港整備の補助金を境港、新潟港、函館港など6港に重点的に受けていたにも拘わらず、水揚げ量が極端に減っている。ここで水揚げされる魚の大部分は加工用の魚ばかりで、市民が消費する魚は他県から持ち込まれるものが多い。だから東京のスーパーの魚と値段は変わらない。魚種も東京の方が多いのは築地が流通で機能していいて、この浜田では機能していないということだ。浜田に水揚げするより、隣の大田市の港に揚げた方が漁師が満ち込む魚の値段が高いらしい。つまりここ浜田では仲買に叩かれてあまり儲からないから、隣の港に持ち込むのだ。若者の就職先として「漁師の息子は漁師になる」という伝統はもはやない。ただそれしか出来ないと思う若者が従事するのだ。とても好きで」自分の人生を選んでいるとは思えない。市と漁協は補助金つまり税金だけ食ってしまった。

私はこの町にIターンでやって来て5年になる。つまり定年後の生活をここで初めて、魚を釣り、絵を描き、畑をいじり、猫と遊ぶ・・・というのが願望であった。自分の願望は自分次第であり、わがままであれば良いことだ。しかし生活となるといろんな所で想定外のことが起きる事に成る。ある日、東京から乗ってきたハイエースを買い替えようと島根トヨペットへ出かけて見積もりを取った。全く安くならない・・・おまけに店長いわく「貴方は一見さんだから手付を50万円払ってくれ」と言う。30年間トヨタに乗ってきたが、こんなことを言われたのは初めてだ。馬鹿野郎!!と山口まで行ってレジアスエースというのを買った。ごみ捨ての問題で町内とトラブル・・・「あんたは町内会費を払わないから、ここにゴミを捨てるな」と町内会長と近所のばあさんが言う。ゴミステーションの外に置くと最初から言っているのに。まあ排他的であることはいとまがないほどある。

だからこの町にある美術館には足を向けなかった。嫌な目に合うと思っていたからである。

石正(せきしょう)美術館というのと、浜田市世界こども美術館というのがあるが、石正とは石本正という日本画家のことで、日本画では三流で、あまり有名ではないが三隅町生まれで「おらが町の大先生」というので町が現存作家であるにも拘らず、美術館を建ててしまっていたところ、市町村合併で浜田市の美術館になってしまった。石本正は最近亡くなったが、それまで美術館で日本画教室などを開いて市民の美術教育に貢献していた。が、しかし現存作家の美術館を公金で建ててやること自体はタブーである。(美術館は本来評価を受けた作家の作品を調査研究しながら保存していく施設である。死なないうちに評価は定まらないとするのが常識。ちなみに鎌倉市は平山郁夫の生前贈与を断った。良識ある選択だった。人はまず金、次に名誉を欲しがる。)

こども美術館はなぜこの町にあるのかという理由が分からないが、当初この美術館の参与をやっていたブリヂストン美術館で学芸員をやっていた者が関わっていたことは知っているが、この浜田市と愛知県岡崎市にだけこども美術館がある。子供に特化して何があるのか?何故都会にはないのか? 逆に、美術館づくりのアイデアが何もなかったから、他がやっていないことを提案して、奇妙なものを、ふさわしくもないこの町に作らせたのだろう。おまけに建物も美術館の体を成していいない。教育委員会のお偉方が海外視察とか言ってあちこち遊興三昧して歩いて、つまりはまた美術館がどういうものか学ぶことなくガラス張りの展示室に坂道になった回廊展示室を作ったのだ。建築家は日本海の波をイメージしたのだそうな。坂になった展示室は海外にもあると威張っている。(おそらくニューヨーク近代美術館つまりグーゲンハイム美術館のことだと思うが)実際に観覧者がどの様な思いでいるのか調べもしなかったであろう。程度の低い建築家のエゴである。

グーゲンハイム美術館は逆円錐でぐるぐると巻貝の中を歩いて絵を鑑賞するように出来ている。おまけに建物の真ん中は吹き抜けで空調も効かない。らせんの展示室では身障者は排除される。健常者でも片足に重心が載って、体は斜めになっている。美術鑑賞の環境ではない。浜田のこども美術館も坂のある展示室をどのように身障者に利用させるのだろうか?問題は教育委員会の幹部が自分たちのやってきたことは素晴らしいと思っていることである。

かつて西洋美術館の在職中にモネ作品の貸し出し依頼が来たことがあった。この浜田市に引っ越す前からヒラマサ釣りに何度も来ていいて、一度だけ見学したことがあって、施設設備についてはチェックしていた。外光、照明、温湿度、展示室を見ていた。来館者はほとんど居なくて、ロビーに乳母車と若い母親が4人。こども美術館だから子供は週日は学校だ。土日に何かワークショップをやればよい方だ、子供用の展示には現代アートが置いてあった。触って壊すこともあり得るから・・・・それが基準かも知れない。子供を対象とした美術館運営に失望して他館に去った学芸員もいた。当然であろう。美術館の機能としてある美術作品の収集、保管、調査研究、教育普及などのメインの仕事が見えないのである。子供用ギャラリーとでも言うべきだろう。貸し出しの件は当然ながら断った。

実は、この町の美術文化について良きにつけ悪しきにつけ様々な話を聞いてきたので、浜田市が開催している「浜田市美術展」に出品して見ようかと、つい色気を出したのだ。ある人曰く「坂のある展示室で中学生の作品の間に展示されるよ」と。まさかと思ったが、そのまさかであった。

作品搬入のとき、ロビーに受付があって、そこで作品を渡すのであるが、受付の女性がひょいと作品をつかんで、台車に載せた。「ご苦労様でした」・・・・「あのう・・・受け取りというか、預かり証とかはないのですか?」と尋ねたら「えーー!!??」という顔をされた。作品票というのを名前や題名を書いて提出するのであるが、それのコピーならあげますという。参加料1500円を払ったが、その領収書もなかった。・・・・ということは後日の会計報告もないのだろう。数日後、賞をあげるから美術館に来てくださいとのはがきがあった。教育委員会賞だそうで、市長賞、市議会議長賞に継ぐ、三番目だった。

まあ授賞式当日、他の出品者の作品も見る事に成ったが、流石に坂の回廊ではなかったが、私の作品は中央の部屋の隅の壁の間際に掛けられていた。真ん中には「市長賞」だが、驚いたのなんの、市長賞は表現の精彩を失った「くず」のような作品で(後でわかったことだが、美術担任の教師が手を入れたらしい、当人は気に食わなかったが、賞の選考を行ったこの教師は教え子に賞を与えたのだ・・・自分がいじったからか?)・・・・浜田高校二年生の作品。この町の不幸は、これだ!! 

ある人曰く、去年も高校生で、どうも審査員の教え子らしいのだ。高校生で天才的な作品が欠ける者がこの日本にいるとは思えないことぐらい、誰にも分るだろう。しかしこの町では世間も判らない高校生に市長賞と、他の大人の作品を出し抜いたような賞を与えるとは・・・.現に大人に向かって「あんたには言われたくないわ!」と生意気を言う生徒もいるぐらいだから。この子たちが将来、美術方面に進学すると、否が応でも厳しい現実に叩きのめされるだろう。悪いのは生徒ではなく、訳の分からない大人だ。

どうもこの「浜田市美術展」の正体が見えてきたのだが、主催は浜田市、浜田市教育委員会、(公益財団法人)浜田市教育文化振興事業団浜田市世界こども美術館で、主管(管理の中心となるもの)浜田市美術展実行委員会だそうだ。問い合わせなどは市の教育委員会が受けている。浜田市の教育委員会に美術が分かる者がいるわけがないのだが、主催者は名前だけで、美術館の学芸員の関与が見えないのは、この美術館の性格からも自然な成り行きだろう。まともなコレクションが無くて、作品い実際触れる機会が少ないのだ。子供の為に現代アートを展示しても、子供の遊び道具になっているし、その程度の認識だから。結局、実行委員会という「ちょいと美術に関係してきた人」その人達が、優れた成果を残してきて、現在の美術展があるのではなく、資質のあるなしを問わず集めた人達によって審査員が構成され、展覧会の傾向(体質)が作られてきたのである。こども美術館の館長は元高校の美術教師であり、高校教師では岡山大学教育学部出身が島根県には多い。教育学部の出身者は小学校、中学校の教師をするのが常識だと思っていたら、ここ島根では歴史が違う。彼らが子供たちに「古いところの美術を学んでも何もならない」と教えているのだ。そして勿論美術館業務の経験者はいないから、ある意味では独自性が際立つ美術館になる。それでもかまわないが、博物館学で言うところの業務内容は学芸員として身に着けて置かねばならないし、館長がそれを知らないでは済むまい。

それで分かったことは、アジアのどこかの発展途上国の総理大臣が友達や同じ考え男持つ者に特別な計らいをするという体質はこの国の地方の名産品でもある。それで人と人の関係がつながっていて、これに入らない限り仲間ではないのだ。だから市長賞をもらった女の子は一生、この口利き先生に仕える事に成るのだ。早いうちに彼女は解放されるべきだ。

島根県の展覧会ではもっとすごいことが起きている。絵画だけの審査員で20人以上いる。なぜかというと、日展系、国画会系、東光会系など・・・団体展のつながりで、自分の会派の者が入選するように計らうために数が増えているのだ。足のケタグリ合いなど珍しくもない。こうした県民の美術展の趣旨を飛ばしてしまう傾向を排除したのが山口県美だ。山口では普通の県民のための展覧会は止めてしまって、現代アートの展覧会で県外の出品者も入れた公募展にしたのだ。私は現代アートは興味ないから、どうでもいいけど、苦肉の策で地方にある既得権を主張する「年寄りのルール」をかわしたのは仕方がない。

浜田に他県から来ている人たちはクールに過ごしている。私も5年になるからそろそろ、雑念を払って欲を捨てて自分自身が「年寄りのルール」にならないようにクールかな。