悲しいかな!世界で起きる地震の40%がこの国で起きているというのに、日本中どこでも地震が起きる可能性がある。地震や津波が起きるたびに多くの人が亡くなり、家が壊れて・・・しかも同じ壊れ方をしている・・・のに教訓が生かされてこない。立派な黒い瓦の屋根がそのままの形で下の階を押しつぶして住人が亡くなっている。昭和53年に建築基準法が改正され耐震化が実行され始め、更に神戸の震災の後にもさらに改正されたはずだが・・・。一階でお店を営んでいる家は支えの柱が両脇に置かれて・・・地震動の揺れに耐えない形状をそのまま放置して、今回も家がつぶれている。また下の階に駐車場にしてしまって耐震壁が無くなっている家もたくさんあるだろう。年寄りが多くなったこの国では、年よりは下の階に住みたがるから・・・壁が無くて命の危険にさらされている。神戸で6700人から亡くなった大半がお年寄りだった。公共機関が用意する避難所で同じ繰り返しが起きている。板の間に段ボール板を敷いただけ、仕切りもなくプライバシーに配慮もなく、みんな同じ境遇だから??それで仕方がないのだろうか?
命を大切に思えば、どう生きるべきか知ろうとするのではないかと思うが・・・この国人々は楽観的だ・・・行動が伴わない。調べればあちこちに見つかる地震対策、津波対策が書かれてあるから、ちょっと実行に移せばと思うのだが・・・なにかのバイアス(思い込み)が働いている。
西洋美術館の前庭の彫刻《カレーの市民》に免震装置を付けたが、私が退職すると「《カレーの市民は》地山が大きくて安定しているから免震装置は要らないのではないか」と言った学芸課長になった者が言ったと聞いた。「この彫刻が倒れるほどの地震が来たら美術館も壊れているだろう」と清水建設の技術者が言ったとか・・・・おバカな話が伝わってきて・・・「防災」という理念が根本的に理解されない・・・いや毛嫌いされている、あるいは故意に無視される状態だと言える何かがあるのだ。
そこに科学的根拠はない。論理的思考の展開が欠如しているから、毎度同じ結果が生まれる。理系の者なら業務上、思考に論理的整合性は不可欠であるから、見た目彫刻が安定して見えるから「免震装置は要らないのでは」と論理的思考はあり得ないだろう。文系と理系の性格的方向性は行動にも顕著に表れる。
小学校時代から、誰もが同じ考え方、行動を強制される教育で育っている。教えているのは理系ではなく、教育学部を出た小学校教育法に学んだ先生であって「規律!礼!着席!」で「1+1=2」と教えられる。主体的に自分で考えて行動することは教えない。「自分が何者か」を教えられないのは、先生が「自分自身」の意識がないからであり・・・そうなると自分に気が付かないということになるから、教えられない。
その教育を受けて育っても、自分の主体性が分からない者でも東大は入れるから・・・・役人の世界の様に、そういう者が上司になると組織の機能が失われる。文科省で一時「ゆとり教育」という言葉がもてはやされ「円周率:3.14で計算するところを、3で計算するよう」に通達を出した者がいる。その者が独立行政法人・国立美術館の理事長となったことがあって、全く口先だけでいい加減な男だた。この者は文系だ・・・理系であれば「3.14を3にする」など考えもつかなかっただろう。
あわれな《カレーの市民》は免震装置なしにされなかったようだが、装置の上に載せただけでは全く目的を達成できない。私が1.5mの高さにしたのは石造りの土台の中に入ってメンテナンスが出来るようにしたのだ。装置のメンテ、彫刻の内側の酸化などの確認、装置と土台の骨組みとの固定、彫刻との固定などによって免震機能が満たされるようにしてあったが、低くしたらこのメンテナンスが出来ない。それから彫刻を装置の上に載せただけなら、地震が来た時に滑って装置から落ちる可能性が大である。金属の上にに金属で・・・良くすべるだろう。それ以外に設置場所を変えている。本当に考えないで馬鹿だと思うが、それまで地下の企画館の円状の上に設置するわけで、装置に働くZ方向の縦揺れに対して減衰が見込まれる「地下の展示室の柱の上」に設置してあったのだが・・・どこでも良いと考えたのか、柱のない場所に移した。これらの指示を行ったのは文系の馬淵明子館長だ。コルビジエのスケッチが残っているから・・・これを参考にして・・・・とは?現場の現実、実際問題を考えないで、机の上で資料文献を読んで判断する・・・ことは職業病だ。そんなにコルビジエの美術館だというなら、基本設計に戻って「耐震強度のないピロティの一階に細い柱、温度湿度を維持する空調もなく、照明も僅かな天井光だけで屋内はお化け屋敷だった。南側にデザイン性を高めるためか大きな天井まである紫外線がさんさんと降る窓もみなコルビジエの原作に従ったらどうだ!!今の館員の誰も昔のことは知らないから・・・。東京に来たことがないコルビジエの思い付きに、当時でも美術館建築をよく考えずに作った建築家だ。学芸員もフランス風に影響されて階級主義を取り入れて、分業化が成功しないフランスの美術館そっくりになって気が付かない・・・・いや問題意識や関心がない。
東京直下地震が30年以内起きる可能性は70%になった。必ず東京大地震は来る。私の責任は私が何を目的として実現させていたかを述べるだけ。友よ!!無事で生きていてほしいから・・・。
地震対策の話に戻そう;
今自分の家を建設中だ。アトリエ、絵画教室、修復室などと住まいが一緒になっているが、最初は重量鉄骨ALC(軽量発泡コンクリート貼り)の倉庫のような家を目指していたが、最初に相談した相手が悪かった・・・その彼は軽量鉄骨は担当したことがあると言っていたが、担当できる建築様式が軽量か木造だったから・・・予算の範囲で建坪も決まり、何もかも尺貫法で在来工法的で小さな単位でも、地震災害が起きるたびに建築材料が高騰していること、消費税10%と取られるとつまらん家の方向に来てしまった。材料工法で安価な状態を模索したが・・・あまり極端にすると木造家屋で,今回の能登地震の破壊された家の様になるから、耐震化のポイントだけは押さえることにした。今回は建築士と相談して注文を付けてきたので、屋内の壁の板張りは「構造合板(ちょっと値が張る)でくぎが打てることに加え、木の芯に木工ボンドで貼り付けてから釘止めするよう指示を出した。この木工ボンドは聞いたことがないやり方だったようだ。しかしこれが両面から貼り付けられると、間違いなく耐震壁になるだろう。
余計な事に大阪の万博とか、建築材料が高騰して問題が起きていると。悪い時期に家を建てています。なー!!
ああ、そうそう浜田の我が家は目の前に瀬戸が島、水路があって我が地所は目の前の海に直接している。そして家は海抜3.4mの高さに立っている。東大地震研究所の資料によると、過去に浜田沖地震というのが1867年頃にあって、2500人からの住民が亡くなったと聞いている。多くは家屋の倒壊によると聞いているが、我が家の立っている個所は1.2m沈降し、ここから3kmの岩山を中心として反対側の国分海岸の先は3.6m隆起して、今は天然記念物(?)扱いされ観光地になっている。今の住まいにくる前に西洋美術館の図書として東大刊行の「日本地震地図」を購入させ、調べて置いた。そろそろ繰り返しの大地震が起きても不思議ではない。まず猫のことを考えると、津波が来るだろうから皆を裏山に避難させて、カリカリと缶詰を車に保存して置くべきだろう。自分のために食料と水、寝袋2つ、毛布とまくら(?)、スコップやツルハシ、LEDランプを車に置いてある。とうぜん簡易トイレ(3900円のものを2700円で買った)と猫のトイレの砂も載せてある。地震が来たら直ぐに隣の水産高校の駐車場に移動し、猫たちの安否確認をする・・・と手順は決めた。