河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

個性と才能

2019-03-23 12:52:10 | 絵画

年度末後半になって、すべての公立大学の入試は終わった。私の愛弟子のKちゃんの芸大入試も、油絵学科の二次試験で終わった。二次試験はデッサンで、課題は「世界を見る、世界を考える」だったそうだ。前から述べているように、この出題方式で「デッサン(木炭あるいは鉛筆画)」で描けというのだから、よほどこの手の出題から、絵画イメージを構想できる訓練を積んでいないと対応できないし、そもそも「観念的な意味」に違和感を感じない観念的な人間である必要がある。観念的な表現が嫌いな私はこの選択は向かないから、二次試験で排除されるであろう。しかし本気で芸大の教授たちは、これで個性と才能がある学生を選抜できると考えているのであろうか?まあ、本気であるならそろそろ「才能ある美術家」が輩出されても良かろうが・・・・?さらに三次試験は、これに輪をかけたような、観念的イメージを作り出すことを求められるが・・・。何か中途半端な選択方法だと感じるのは「観念性」で選ばれた学生を紹介するNHKの爆笑問題が担当する「00爆問」とかいう番組で芸大の教室で学生が制作する状況を紹介しているのを見た時「なんだ、これは小中学生の図画工作の延長ではないか」と思ったときから、心配していた。まさに美術と観念アートの境をはっきりさせて、「観念アート学科」を設けるべきだと・・・・しかもこれは哲学的意味を消化できるハイレベルな教授と学生がいないと成立しないと思うが。

Kちゃんにとって、私が「構想画の描写」を重んじる先生である以上、芸大の油絵学科には向かない。Kちゃんが私に「洗脳」されて、入試の準備をしてきた限り、同様に油絵学科には向かないのである。で、Kちゃんも描写で表現する「構想画」を好んでいる現状では、まだ描写力を試験する「日本画学科の方に行くしかない。前にも書いたように、日本画と油絵との違いは「すでに画材の違い」だけになっていると言える。だからKちゃんがこの先、どのような在り方を求めるか「好き」で選択するほかない。

週刊ダイヤモンドオンラインのネットページに「東大推薦入学に合格するスーパー高校生の素顔・・・」の紹介があって、小中学生であったころから、どのような興味で、様々な優れた体験をしてきたかが問われて推薦の基準となっている。普通にアカデミックな勉強で入試をこなした学生と違って、学業の成績優秀は当然ながら、それ以外に何か「研究課題」を自主的に決めて、成果を出して、中には企業の研究開発部門レベルの研究成果を上げた理数に強い高校生とか、親が外国人で、子供時からバイリンガルであるとか、突出した者もいる。こうした高校生には入学試験は必要ないであろう。そこには既に「個性と才能」が光って見える。

そこで芸大もこうした選出の仕方をもって、才能がある学生を集めるべきと思う。

そのためにも、推薦枠を設けて、自薦で「何を求めて表現したいと思っているのか」「これまで何をどうする活動を行ってきたのか」などを文書で経歴なども含めて提出し、同時に制作活動の証拠となる作品を、原作、写真、デッサンはポートフォリオで提出などで審査すればよい。もしズルをして他人の作品などを提出したものは、その後、その者の実力はばれるであろうから「退学」させれば良い。どっちみち50人合格しても4年生まで残って制作する者は4~5人程度でしかない。今時、高校生の時から、個性が際立った者はたくさんいるだろうが、地方に行けば未だに「集団の価値観」を押し付けられて「個性」を発揮できない若者もたくさんいる。この国が「国際標準」に達しない国民性や社会制度が未だに改善されていない以上、例えば「いじめ」があっても、教育委員会が調査しても「そう判断できませんでした」とか発表し、責任逃れが頻繁に起きる、「無責任体質」など状態化したままの世の中で「個性や才能」が育つわけもない。必要なのは筋の通った「合理的な社会」である。物事が曖昧に放置されて終わってしまうところでは「判断力」が育たず、時間やエネルギーも無駄になる。男女差別や不公平、不公正な基準が放置されて、社会の歪みの是正が遅れるのは、島国根性で単一民族だと信じ込んだままで、海外からの労働者に国際的な基準ではなく、日本的な基準で接するところなど・・・見ていられない。

特に地方では「個性と才能」が潰されやすい。地方の町の教育委員会のメンバーは席のたらいまわしで、縁故関係で繋がっていたりするから、彼らの資質には担保がない。で、自分たちは一流の人間だと自負したりしているから、学校教育も良く成り様がない。昔のように地方から育った維新の志士が出るはずもない。何故なら、現状に問題意識がない人たちが少ない利権を抱え込んで生きている現代の姿に希望が感じられないから、一度地方を離れたエネルギーとなる若者が帰って来ないのである。

私の入試のころは東京芸大のは競争率44倍、2200人の受験生で50人合格だった。今は18~19倍だそうだ。昔は、ただ「素直なデッサン」「素直な描き方」が入学後に「成長できる者」とされたのであるが、逆に教授が「学生の好きにやらせる」で育つほど「自主性に富んだ若者」が居るというのは、これも「観念的な思い込み」に過ぎないと思う。そこでは教授陣の能力が求められるのだが・・・・。

才能ある人材を育てるために、今年から授業料を値上げしたという芸大であるから、その責任は大きかろう。


春は花

2019-03-20 22:49:47 | 絵画

日本語で花と言えば「桜」だそうな。今日もテレビのニュースでは「開花宣言」が騒がしい。首都圏の桜の名所の開花が最も重要なニュースらしい。靖国神社、目黒川沿線、上野公園と・・・・自分は上野で仕事をしていたので、毎年春には何時桜が咲くのか楽しみだったが、上野公園とくれば「花見」で宴会で夜八時過ぎまで騒がしかった。しかし誘われて何度か桜の下で夜の花見をして、酒をご馳走になったので、「行儀の悪い客」を責められない。

あれは、1997年頃、ロダンの《地獄の門》の免震化工事で一年を通して忙しかったのだと思う。一緒に工事をやってくれた竹中工務店のメンバーが、近所で工事があったときには、その都度私や学芸課の者をさそってくれたのである。工事の後であるから、問題にならないだろう。

いろいろ忙しかったが、その前の94年は前庭を掘り起こして、企画館ギャラリーを地下に建築する建築委員をやり、その最中に母がなくなり、よく年95年正月に神戸の震災で文化庁災害派遣、3月15日ごろやっとロンドン大学コートールド研究所に客員研究員として文部省在外研修で1年4か月ロンドンに滞在し、帰国後すぐ、その《地獄の門》の免震化工事のために入札業務。ロンドン滞在中には、パリのロダン美術館で行われたさびた骨組みの交換工事を請け負ったクーベルタン鋳造所の所長を訪ねて、下調べを行っていた。だがこの一大事な工事の報告書は「ない」という。(フランス人は嘘を真顔で言うことが出来る。ゴーンの奴も大うそつきだ)本当は実在するという話は後日聞いた。要するに西洋美術館の《地獄の門》には一番貫(最初に鋳造したという意味)であると長い間主張してきた。ロダン美術館、フランス美術関係者はいつもそう言ってきた過去があって、工事調査が行われて、いろんな秘密が隠されていたのである。ロダン美術館の《地獄の門》の裏側(この彫刻は後ろは衝立でふさがれているので、後ろのふたを開けて見学したのだ。見てびっくり!!西洋美術館のものと随分違う鋳造がされていたのである。それが見抜けなかった思うなフランス人!! 調査中に一番貫がフィラデルフィアの美術館、二番貫がロダン美術館、そして三番貫がチューリッヒ美術館、そして四番貫が西洋美術館のものである。幸いにしてこの四体の《地獄の門》はルディエ鋳造所で砂型鋳造で創られたもので、彫刻の見た目、重量感が違っている。 その後クーベルタン鋳造所で鋳られたものはセラミックコア方式と呼ばれる方法で鋳造されて、石膏原型には忠実なようでも軽く感じる。またコア方式の欠点として、型に使う蝋型が収縮変形する欠点がある。こうしたことが分かるにつれて、すでに彫刻をくみ上げている鉄製の骨組みが錆びて8トンと推定された重量で全体が沈降し始めていたのを改善するための処置計画が決まったこの鉄製の骨組みを撤去するには、表側を下にして裏から除去するほかなかったが、パリでは表に材木を当てたそうだが、私は門を鉄の箱に縦に安置し、発泡スチロールを吹き付けてから、そっと寝かせる方法を採用した。これは寝た時に全体が均等に沈む計算であったが、四隅で竹中が図ってくれた誤差は15mm程度であった。他に独特な方法として新たな骨組みはステンレスを採用し、ステンレス骨組みと力が直接かかる接合部にはブロンズで鋳造されたワッシャーや軸受けを採用した。これは異種金属が触れた時に起きる「電食(力がかかる場所に電気が発生し、金属元素がイオン化し彫刻のブロンズ側から銅イオンが析出する現象)を防ぐためにブロンズで各所鋳造した。こうして修復保存処置が完成した後、免振装置がセットされた台座の上に設置された。

この工事の免震化の工程はメルボルンで開催された保尊修復・保存科学の国際機関であるIICの国際会議でポスターとして発表された。その後、さらにこれがゲッティ美術館(ロスアンゼルス)の保存部長の目に留まり、国際シンポジュウム「美術館・博物館の地震対策」で招待発表することになった。この国際シンポジュウムはロスアンゼルス、アテネ、イスタンブール、東京(西洋美術館)と開催された。その間にギリシャの地震工学研究者から講演の中で「ギリシャの国宝のヘルメス立像の免震化は、東京を訪ねた時、西洋美術館の地獄の門の修復プロジェクトを知って実現させた」と聞いて、うれしかった。なんだか研究論文が引用されたような気分であった。

これも竹中工務店の東京のメンバーが私のわがままを聞いてくれて、プロの精神と「気合」で工事完成まで付き合ってくれたおかげである。いまだに忘れられない経験をさせてもらった。だから花見も一緒に大事な記憶なのである。

桜を絵に描く者は大胆である。本物より美し描けるだろうか?絵を描くより「花より団子」!!


また、見る2

2019-03-16 13:20:33 | 絵画

「見る」には一般的にたくさんの意味があって、最近チコちゃんがうるさいので「ぼーと、みてんじゃねぇ!!」という意味を書くことにする。

人が何かを見るときは、最も情報量の多い「確認」を行っていると思う。視覚障害のある人には申し訳ないけれど、見えることで活動のための判断を簡単にできる。五感のうち最も優れた感性であると思う。いや、耳が聞こえなくなっても、作曲を続けられたベートーヴェンにしてみれば、経験で積み上げた音の感覚で作曲に関しては障害が無かったと言えるだろう。

つまり、赤ん坊の時から何でも判断できたわけではなくて、目の前の物も手を伸ばして、何度もつかもうと繰り返した経験から手が届くと、次第に判断できるようになったといえるが、見えているからと言って誰もが同じ経験則で理解しているとは限らないことが分かる。個人的経験が根底にあって、見て得られる感性の積み上げを行っていると言えるだろう。

そう、「誰も同じ見え方をしているわけではない」と言えることが、今回の主題です。「見る経験」を各自どのように行っているかで、思考回路も随分個人差があって、特に視覚表現を重視している画家にとって(していない人もいるのだけれど・・・・)大変重要な感性です。

私は2012年まで油彩画の保存修復家をしていた。前にも述べたように保存修復で求められる「見ること」は保存状態の観察であり、絵画表面の保存状態を見て、どのような状態にあるのか診断し、記憶することが、まず一番先にやる仕事である。この記憶することは「視覚的」に記憶することである。ここで先に診断する能力に個人差があり、記憶した内容にも差が生じる。相手が人間である医者なら「誤診」で命にかかわることもあるだろうから、必死でなければならないが、修復家の場合は人格に問題があるような者でも、修復家として働いているから、個人差は問題である。しかし素人目には個人差が分からないから、修復家の業務の優越は変わらないだろう。この国では修復家に能力基準となる公的な資格制度がないのが問題だろう。

見る事には、個人的な興味つまり趣味嗜好が左右する。私は昔から絵を描くことが基本に在って、ベルギー、ドイツで修復家の修業をするとき、技能を認められた。つまり、歴史的な絵画技法、材料に興味があって、文献資料から学び、そして第一義に実物の絵画から学んだ。そして帰国後、新聞社の主催する展覧会の借用作品の日本到着時から各会場移動、作品展示、最古の撤去返送までの間に、多くの巨匠の作品から、二流の画家までの作品を点検するときに、保存状態を記憶し、原因などを頭に叩き込んで置く作業を繰り返した。このことは私の目利きとしての基礎である「作家の技法、材料、技巧、表現様式そしてそれらが原因の経年後の劣化、損傷」を頭に記憶させた

つまり、目で見て記憶して感性で分類することができた。これは誰もが出来ることではない。まず絵画が描けて、歴史的な技法材料に興味が必要だ。そして絶えず、それらを分類しておく習慣が必要だ。こうしたことは「絵を描かない美術史家」には向かないだろう。だからネーデルランド絵画史の先駆者であるドイツ人のマックス・フリートレンダーは私とは違った「目利きの方法」をあみ出している。それは表現様式の発展史のようなまとめ方に、作家個人の特徴的な表現方法を見つけておくことで、原作者に近い工房作品との区別などを行ったのである。現代の美術史家で欧米の研究者はこうした方法を大事にするが、この国では一般的ではないらしいだからと言って、特別な目利きの方法は無いようだが。

私は、絵を見るときに保存状態ばかり見てきたわけではない。画面全体が見渡せるところに立って、作者の表現世界を味わうことをしなかったことはない。ここでも視覚的記憶をフルに生かして、作品の完成度を捉えるようにしている。

ここからが本題で、やはり「美術は見るための表現がされたもの」と言いたくて、この主題を再度選んだ。それというのも、今年も芸大の油絵学科の入試で、二次試験となる実技「デッサン」の課題が「世界を考える、世界を見る」だっという。描写力のテストではなく、発想力を問うものらしい。それは言葉の意味から連想するイメージを描けということだ。貴方ならどうします?「世界を考える」と何が頭に浮かびますか?「世界を見る」と言われて「見たこと」がありますか?この観念的と言うべき出題が出来る人物に会ってみたいが・・・・。言葉のヒントから、絵画的表現が生まれることが期待されているのか?それとも奇抜な対応をする受験生を選抜する手段としての出題であったということなのか・・・まあ受験生には「絵画表現」という高度な品質は要求されていないだろうから、後者かも知れない。合格者の作品の復元を紹介している「すいどーばた美術学院」の案内によると、合格者の資質には、「観る者が感じる基準」が無くて、「考えること」が基準だとしか思えなかったこれでは美術はお終いである。観念アートは美術ではない、美術と別の表現方法とと理解すべきというのは、これまでにも述べてきたが、芸大の中にもすでに、混乱して存在しているのは、教授たちが観念アート、現代アート、現代美術などの言葉に厳密な違いを求めない(これは国民性)こともあり、美術館関係者、美術研究者でさえ、視覚表現の範疇を決められないからであろう

先に芸大美術館の館長の「展覧会に行く前の前知識(先入観の勧め)」は典型的な「美術への観念的傾向」である。先入観で思い込みを与えていると、見る側は「分からねばならない」と自分に言い聞かせて、自分の「思い込み」と照合しながら美術作品を見る。これを鑑賞というだろうか?

世の中には情報があふれていて、キャッチコピーは人を釣り込み為に、言葉の手段を択ばない。(それに乗る人は、詐欺師に騙されるのだ)

美術館で開催される展覧会の宣伝は時として度を超える。大枚の経費を回収するために、少々大げさな、事実と反する宣伝文句が使われる。かつて西洋美術館で開催されたバーンズ・コレクション展を憶えておられるだろうか?共催の読売新聞は十数億使って準備をしたので、費用回収の為に、宣伝に「門外不出絵画作品、本邦初公開、このコレクションは東京のみの限定公開」だと宣伝し、観衆を煽った。そのせいで毎日朝から押すな押すなの大盛況。巷でも「もう、バーンズを見た?」というのが挨拶のように聞けた。それはまるでディズニーランドへ行った?というのと同じレベルであった。

連日、朝6時ごろから(開館は特別に早めて、9時が8時半、そして8時、と変わった)人は並び、開館時間にはすでに4,5時間待ちであった。そして昼近くには7時間待ちの人もいた。普段の閉館時間も5時から、6時、6時半、7時と変わった。

長時間、寒い時期に外で待った人たちには、本当に申し訳なかったが、そんな状況になるとは美術館側としては想定外であった。入場制限として時間チケットとか、曜日チケットとかいろいろな手段はあったはずだが、読売新聞は「無料観覧券」をいくら配ったのかさえ言わないから、入場制限が掛けにくかった。連日待った人は寒空で、トイレに行きたくても「我慢」して、並び続けて・・・・中には美術館の裏口から飛び込む人もいた。その一方で裏口から入ろうとするもの後を絶たず、当時元気だった「長嶋茂雄」は裏口で「いよー!!」と声をあげて入ってしまったし、政治家もずるした。これは読売が裏で手配したのだ。会期中には美術館側と読売との間ですったもんだもあった。館内の収容人数の基準を超えた時には、入場を一時止める事に成っていたが、読売の担当者がかってにゲイトを開けて、大混乱した。学芸課の打ち合わせ室では読売担当者と学芸員(私も含めて)怒鳴り合いで、もう少しで殴り合いだったのを思い出す。(今から思うに、あの時、殴っておけば良かったと、イヒヒ)

入場者の収容基準と言えば、新館展示室1500平米に対し、瞬間滞在者2500人は少し多かった。美術品との間には堅固なバリケードがあって、事故防止を図っていた。だから1平米に2人以上立っていたと思える。保存管理者であった私は、たとえ開催時間中であっても、人ごみの中を押し分けて、作品の状態を観察しに行かねばならなかった。しかし、人を押し分けるたびに、周囲の人たちに睨みつけられた・・・まあ、当然だけど。作品の展示は、普段額縁のセンターが150cmくらいにするが、そのときは180cmであった。温度20℃から23℃、湿度50%から55%との設定も、空調機は殆ど効果なかった。それから二酸化炭素濃度は公共の多くの人が出入りする場所はやく2000ppmが基準であるが、展示室内は6000ppmを超えた。気分が悪くなった人の為に救急車が何度か呼ばれた。何もかも異例ずくめであった。中庭にまでセットした仮設トイレは連日、満杯!!そこにも行列。特に女性用だった。館内の女性トイレも数が少なかったので、申し訳なかった。閉館時間に名残惜しい入館者を追い出して、館内を点検すると、毎日必ず2,3か所はおしっこが展示室で見つかった。ある時はウン子もあった。人のプライドもかなぐり捨てさせたこの展覧会は二度と開催させてはならない。ちなみにこの展覧会で読売は十数億使った言うが(本当のことは知らない)6億ぐらい儲かった言う。そこで西洋美術館は1億貰って、それを原資に「財団法人:西洋美術振興財団」を作った。(私は2009年に「美術館・博物館における地震対策」という国際シンポジュウムの為にすこし資金を融通してもらった。が!!

7時間も並んで、展示作品を見るために費やした時間は平均「わずか30分」であった。見るとはいったいどういう意味であったろうか?作品より人の頭を見に行ったという感想も多かった。

そこまで「見なければいけない」展覧会であったろうか。開催は東京会場のみとされていたが、それが違うことを読売は知っていただろうに。東京のすぐあと、東京に来た輸送箱のまま、ミュンヘンに送られて、そこで大々的に「バーンズコレクション展」が行われていたのだ。たまたま出張でミュンヘンでそれを見る事に成った。まあ、日本人の熱狂は、ドイツ人は見せない。静かでゆったりとした会場であった。

主題に戻ると・・・・。美術鑑賞というものは、落ち着いた雰囲気の中で、ゆっくりと全感覚を用いて、作品に描かれた世界を感じとるものである。

やはり美術は「視覚表現」を手段としたものであり、絵画は「視覚的表現方法で作り出された虚構世界」であらねばならない。作品中に「我々が住んでいる世界とはまったく別の次元の虚構の世界が充足した形で存在しなければならない」と考える。こうした考えに基づく制作活動を行いたい者は芸大の油絵学科では無く、日本画学科へ行くべきだ。こちらはまだ描写力を基準とした「入学試験」を実施している。日本画の教授がもし観念的な表現を望んだら・・・・伝統的な絵画としての日本画は消滅したことになる。まあ、すでに多かれ少なかれ、教授陣のデッサン力は明治の画家たちと随分かけ離れてしまっている・・・・というのも石膏デッサンのせいだろう・・・・立体感が日本伝統絵画の失態間や空間感ではなく、西洋的立体感や空間感になってしまっているから・・・・画材だけ日本画でと言われてしまう。それとモチーフの選び方が「個性的ではなく、皆同じ」で、そのモチーフを選んだ「モチベーション・理由」が感じられなくなっている描く方がこれだと見る方も困るだろう。

かつて日本の絵画は「明確な主題性」を持っていた。だからモチーフの選択が突拍子もないということはなく、時代背景から主題の要望に応えてきたのだと思う。雪舟の水墨画をご存じだろうか?禅僧であったから、絵画も宗教であったと解する人はいないと思うが、それこそ絵画の中に描かれた世界を「無言で感じ取る」ことは・・・私のいう「見る」ということであり、観念アートなどとは全く別物であることがお分かりいただけるだろう。観念アートは観る事より「コンセプトを考えること」が目的となっているため、表現したい画家当人の自力の限界でむかっても、見る人に伝えられる保証がないのである。

私はやはり「描写」によって、見る人の心を惑わす「虚構世界」を描写によって構築したい。観る人には「それ以上でもそれ以下でもない世界」を・・・言葉の説明なしに…見ただけで伝わるように作り出せたら、それが完成だ。いまだに、その修行中であるが。

 

 

 


年度末やれやれ

2019-03-03 09:44:28 | 絵画

現役で働く多くの人にとって、年度末はいろいろと手間のかかることに追われているだろう。私も当時は残しておいた保存修復予算で、最後に何をしようかと悩んだ。修復業務をは注しようか、それとも設備に充てるか、修復材料の補填を行うか・・・・などなど。引き続き新年度業務にかかわる予算ではあるが、ちまたで見かける「駆け込み年度末予算消化工事」のような・・・・迷惑に感じるものであってはならなかった。しかし新年度では5月まで「みなし予算」であって、これまた積極的に使えなかったし、役所体制の歪みは、現場を悩ませた。

さて、退職して年度末と言えば、「税金の確定申告」程度で、わずかな年金で暮らしている身としては、年金支給前に源泉徴収されているので、普段はやることはない。

しかし今年は違った。昨年5月の父の死によって、相続手続きで、絵も描けなくなるほど気持ちが浮いた。さらに一昨年から続いている「妨害排除訴訟」(隣の地所から岩が落ちてくる、樹木がはみ出して我が家の屋根に倒れてくるのを対応を求める訴訟)が、相手方が「筆界(境界)が分からぬ」とごねて、松江地方法務局に有料の「筆界特定調査」を申請し、昨年末にやっと、その報告書が出て来て、その調査結果に不服を感じる始末で、これの不服審査は「筆界特定確認訴訟」を起こさぬ限り、改まることはない・・・・・という、行政の制度の傲慢な態度に、腹を立てて、収まっていない。余計なことに調査報告内容により、被告代理人(弁護士)が、私が日頃出入りに使っている未登記であった土地(前の持ち主の祖父の代に購入したが登記をしていなかった)が今回訴訟相手の被告のっ土地にされたため、ここぞとばかりに「この地を通してやるから、この訴訟と取り下げろ」とぬけぬけと裁判官のまえで言い出して、あきれさせられた。民法で「囲繞地通行権」というのが保証されている。それ以外にも私の住んでいる袋地(周りを他の者が所有する土地に囲まれている土地)で新たな建築物は建てられないと、私の新しい車庫が「違法建築」だと言い出して、「この揚げ足取りの馬鹿」がと思ったが、この車庫に隣の崖から500kgを超すような岩が落ちて来て、もう少しで車庫が壊れるところであったという話をしたところ、これに反論したつもり?の代理人の発言で・・・・こいつは本当に弁護士資格があるのか?・・・と思った次第。このように何も考えずに相手である原告(私)の心証を悪くして、どうするつもりだろう?これで和解を求めるつもりなのか?

もうひとつ面白いことがある。この弁護士が「通らせてやる」と言った土地には、倒壊しかけた冷蔵庫がある。これは市が指定した「危険建物」であって、土地の所有者が、これまで不明であって何も出来なかったのだが・・・・被告代理人が持ち主として名乗っている以上、管理責任が見えてきた。隣の水産高校、市、そして私とで、この危険建物を解体撤去することを求められる。昔の見積もりでは撤去費用は100万円であった。馬鹿な弁護士だと思う。3月20日に次の口頭弁論がある。

父の遺産相続では、欲しくはなかった不動産(田舎の山の中の家屋、田んぼ山林など)は嫡男である私が引き受けざるを得ないことになって、少しでも支出を抑えるため、司法書士に任せることなく、自分で手続きを行った。その書類は40枚を超し、一つでも間違えれば、浜田から岩国まで、160kmを出向いて修正しなければならなくなる、手間のかかるものであった。3月末が期限であるが、まだ終わっていない。

それから確定申告は僅かでも還付が得られればと税務署に出向くが、駐車場が一杯なので一度は追い帰された。これが一番簡単だった・・・・終わった。他に何があるかと言えば、どうも花粉症がブリ返している・・・・朝からくしゃみが出る。さらに去年の10月に突発的におきた坐骨神経痛の後遺症である左足のしびれは日本海の西風の強い我が家では、リハビリもままならぬ。歩こうとすると体が左方向に傾く。こうしてブログを書いている間も、足のリハビリに「貧乏ゆすり」をしながら、少しでも運動不足を解消しようとする。足のふくらはぎは「第二の心臓」らしいから、血液の循環を促進させることにしている。

やっと絵が描ける環境が整ってきた。