河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

ミーちゃんに赤ちゃんが生まれました(追記あり)

2023-05-31 15:38:00 | 絵画

去年の夏に近所の巻き網漁船団の網本の吉勝丸の若社長からもらった4匹の子猫の内のメス子猫なんだけど、4月から市役所から不妊手術補助金が出るはずだったのだけど、のんびり構えていたら‥‥次第にお腹が大きくなって・・・一週間前に突如・・・よりにもよって私のベッドの上でご出産!!もう一週間前の話。

ということは妊娠期間が63日だから3月末には「男を見つけてHをしてた!!」ということ。いやー!!一番せわしくて気が回らなかったときだった。いまさら言い訳にもならないが・・・本音では「ミーちゃんの赤ちゃんを見て見たかった」のです。夕方テレビを見ている最中にミーちゃんお挙動がちょっとおかしいと思って「巣箱」を用意しておいた私の寝室に行くと・・・・。うむむ・・・ベッドが血まみれではないか、しかもそこにまっ黒な毛虫の大きくしたような生物が動いている!!しかも一匹だけというのも変だったが・・・・。

私はつい「ミーちゃん、子猫が落ちているよ!!」と叫んだが、来ない。作って置いた巣箱を除くともう一匹、いや更にもう一匹お尻の方から出て来るではないか。私は手に掴んだまっ黒の子を「ここに置くよ!」と言って・・・・深呼吸した。とうとう生まれてしまったなーと・・・・衝撃的うれしさ。

ところが、ところが!!

私が入れたはずの真っ黒い子をくわえて走る「くま」が!!こらー!!また誘拐するか!!我が家に子猫が生まれると自分の子でもないのに「誘拐」いや「どろぼう」する若いオス猫「くま」がまた恐ろしい事件を起こした。以前の件では自分の母親の子だが咥えて庭先で遊び道具にして殺してしまったことがあった。

私はおいかけて必死に取り戻して、みーちゃんのいる巣箱に入れた。ご存じだろうか、生まれたての子猫を人間が触ると「育児放棄」する猫が多い。まあしかしこの場合は仕方ないと私は部屋の中を確認して戸を閉めようとしたとき・・・またくまが黒い子猫をくわえていて驚いた。コラー殴るぞ!!と怒ると畳の上に放り出して逃げて行った。そこにすぐにみーちゃんが子猫をくわえて巣箱の中に戻った。

周りにもう他の猫がいないのを確認して戸を閉めて保護することにした。砂トイレ、エサ、水、猫ミルクなど巣箱の横に並べて、私は日に2階程度しか覗かないようにして、ミーちゃんが安心して過ごせるようにしたら、これまで距離感があって決して自らスリスリしてこなかったミーちゃんが・・・わたしが横になっているとぴたーとくっついて寝るようになった。

育児に疲れた時には外に出たがるし、いつも気を使って見ていると向うから親愛の情を示してきた。ミーちゃんの子たちは初産でもあるのにミーちゃんは100点満点のお母さんになって来て、四匹の子猫たちは毎日大きくなっているように思える。

で、で、なぜこの話を書いているかというと、じつはもう一匹臨月のお母さん猫がいたのです。そう「クマ」のお母さんでもある「ともちゃん」がとっくに産気づいても良いのに日に日に大きくなっていく爆発寸前の大きなお腹をかかえたままあっちへ行ったりこっちへ行ったりで、こちらも気を使っているのだけれど・・・・ともちゃんは我が家の猫で唯一「触れない猫」として不妊手術もかなわない子だったのです。そういう訳で我が家で人口減少いや猫口減少にわならないハッピー猫なのですが・・・・。

今日は少しそわそわしているので、とうとう生まれるかと巣箱を用意していて、場所はミーちゃんと同じという訳に行かず「書庫」を提供しようとしたら他の猫が悪さをしてしまったので閉鎖。しかたなく様子を見ていたら・・・・テレビの裏に入ってしゃが んでいるので、こりゃやばい・・・・ちょっとまって・・・・また巣箱を用意したら・・・入らないから・・・様子見していたら・・・突如、他の息子猫の横で一匹目を産んだようで・・・咥えて巣箱に入って行った。妥協したんだね。

しかし咥えていた子はミーちゃんの子よりすでに大きかった。胎盤は何処にやったのだろう?あまりの一瞬の出来事で私は大家族の「じいじ」になっていること・・・を受け入れる。

ともちゃんのお産が終わったかどうか見てくることにする。では。

追記:

この記事の後、えらいことになった。

ともちゃんはつぎつぎと6匹産んだ。白っぽいのが4匹、茶トラが1匹、黒っぽいのが1匹で。箱の中は溢れんばかりだ。いや、しまった箱の中に毛布を入れなかった方が良かった。窮屈で全員の姿が良く見えない。赤ちゃんたちはミューミュー啼いているが良く見えない。ともちゃんを懐中電灯で照らすと「これでどうだ!!」という顔をしている。

こうしてわたしの寝室にミーちゃん家族、テレビのある居間にともちゃん家族がいるがどちらも他の者は入室禁止にしなければならない。またクマが誘拐泥棒を働いて子猫を殺しかねないから。実に窮屈だがしばらくは仕方ない。

取り合えずミーちゃん家族は順調に育っていて、ミーちゃん自身も食欲は全開、何でも持ってこいという感じで、猫ミルクも買って与えると水は飲まないでこればかり欲しがる。

それでともちゃんファミリーは偉いことになった。黒い子がお膝部だれ多様で亡くなった。その子を取り上げようとするとともちゃんはウーッと威嚇してくる。それでもほっとけないから、ティッシュでつまんで取り上げた。その翌日には4匹の白い赤ちゃんが4匹潰れて死んでいる。もうだめだ!!例年の如く育児放棄状態だ。去年は赤ちゃんの頭が畳の上に転がっていた。そうなる前に見な取り上げたら、もう一匹残っているはずの子が啼いているが、姿が見えない。もう巣箱の中の毛布をはぐって・・・最初は良く分からなかったがなんと二日目にして毛布の折り返しの中で啼いていた・・・・二日、いや三日何も食べていない子が啼いていた。「ほらー!!」と言ってともちゃんに渡した。わたしはその後大きな間違いに気が付いたが手遅れだった。ともちゃんはその子も殺したのだ。そう全て6っ匹の子を殺した。また埋葬するため庭の端っこに穴を掘ったら、他の子猫のあごの骨が出て来て「ごめんなさい」だった。

最後の子はあれほど頑張って生きていたのだから・・・・・もし思いついていたらミーちゃんに渡せばよかった。これも不確実要素があるが、ネットではよく他のメスが乳母として育てたニュースが載っているから、実行すればよかった。ミーちゃんの子たちはその子たちより10日前に生まれているから個体差が出来ていてミーちゃんがいぶかしがったかもしれないが、母性愛満杯のミーちゃんだから。

以前は私とは距離を置いていたミーちゃんだが、私が触っても怒らなくなったし、どうも子育てには不可欠の「とうちゃん」として認めてくれたようで、足元でスリスリし、私が懐中電灯で巣箱の覗いても怒らない。そしてとうとう赤ちゃんたちを私のベットの上連れてきたのだ。私と一緒に寝ようという訳らしい。完全に信頼され、頼られて育児も「シェア」しようというのか・・・。あのう私の寝るところが無いのですけど・・・。

もうこれほど育児に関わることは、女房子供がいなかった私には初体験で・・・・スーパーにまた猫ミルクを大量に買いに走って、睡眠不足になってきた。

だが、何となく幸せです・・・。

 

 

 


想いを描く

2023-05-14 11:15:22 | 絵画

いい加減に生きるのは自分の時間がもったいないから本音で生きる。正直でありたいが他人との軋轢は心に傷がつく。だからか、多くの人は妥協して自分を殺して生きる。それが当たり前と考える者は同じ生き方を他人に求める。

幼稚園の時から制服を着せ同じ扱いをする。言うことを聞かなければ「たたく」「ののしる」のが今日なお行われている。少しぐらいの体罰は必要だと考える者まで居て、大学生になっても暴力を受ける。

今ではSNSとやらで「口暴力」を日常化させている者もいる。

何故そんなに感情的になってしまうのか。それは理屈でモノが考えられなくて、まず情緒に左右されるからだ。しかもこれはこの国の国民性であって、世界中がこんなではない。・・・・などと言うと「出羽守(でわのかみ)」と言われるらしい。世界中がこうではないと言われると「気分」を害するのだろう。私がこれに対して「井の中の蛙」「ガラパゴス」と言えばケンカになるから無視するが・・・。こうして私は世間から「はみ出し」てきたのだろう。

しかしもう少し日本人は海外の人たちの考え方や行動の仕方に注意して欲しいのだが。そうすることで自分を感じるだろう、長い歴史の中で日本人が最も不得意としてきたのは「変化」であって、ずっと同じで難しいことは考えなくて済むようにしてきた。だから「本音」では生きていけなくて「建前」が先に来るようになってしまったのではないか。役人の世界では「前例主義」と言うのがあって、新しくモノを考えないのだ。

そして見過ごされてきた「人権」や「個人性」が未だに歪んだ日本の社会を作っている。

がっかりする私。悪い意味ではなくて「はみ出し者」「唯我独尊」と呼ばれているのを素直に喜べないのは、私ひとりそう言われても仕方ないから、みんな個人性を主張し、唯我独尊で多様性の社会を実現できれば、個人個人が幸せになれるのにと・・・・一人思う。

こんなことをいつも思う自分が描く絵は、普通にそこいらに在るものではなく、つまり目の前にあるものを美しく描いて見せるのでは満足できなくて「想い」を描けるように努力している。

想ったことが描けるなんて「才能」が要る。このところずっと絵が描けなかった。浜田に来て訴訟をやったり病気をやったりで心の中がむちゃくちゃになった。落ち着きのない自分にまたイラつく。

すこし諦めてやっと見えてきた自分の流儀。無理を通そうとして、なれない高尚な技法や表現を望み過ぎたのだ。だから今、もっとも自分らしいレベルの表現を感じ始めた。

こういうのを絵を描く世界では「素直に描く」という。他人の事ではなく「唯我独尊」で自分を大切にすると「素直」になれるのだ。

その時の作品がみすぼらしくても自分だからね。


ひさしぶりに実家へ

2023-05-06 11:49:55 | 絵画

5月3日久しく訪ねなかった実家に向かう。朝になって出かける準備をしたので、家の食べかけの料理は冷蔵庫に。ご飯は梅干しとおかかでお結びに。猫たちにはカリカリのてんこ盛りとお水。「二泊三日で父ちゃんは出かけるよ」と言い残していざ!!朝から国道9号線は車の列で込み合っている。こりゃ昨日から準備はしたものの・・・みんなお出かけか!!

いきなり時速50km以下。遅い車の後ろに10台以上の金魚の糞が。中には久しぶりに車庫から車を出してドライブに出かけてきたのもきっといる。普段は岩国の実家まで155kmを2時間半だが今日は3時間以上かかりそうだとあきらめたが、なんせ去年の10月10日以降訪ねていない実家だから様子を見に行かねばと、ここは我慢する。

実は実家には誰もいない。両親も死んだし、親戚もいない。隣の幼馴染のよっちゃんは去年のうちに亡くなったみたいだった。家が重機で壊されて半壊状態で悲しい。もう実家周辺には誰も知り合いは居ない。

父は2014年頃に死んだ(もうはっきり思い出さない)が家の中はいじっていないから意外ときれいだが、問題は庭や田畑(4500坪)山林(5000坪)がめちゃくちゃになっている。公道からの私道のアプローチはアスファルトの割れ目から雑草や灌木が伸び放題で、いかにも無人家屋らしくなっている。去年の十月に少しは灌木は切除したが・・・意外ときれいになっていて、誰がやったのかと思うほどで・・・・気持ち悪い。

今回は二泊三日だから大したことはできない。最初からやることは決めてきた。一つは梅の木に実があれば採取し、枝はいくらか切り落とすこと。中庭の藤のカズラが屋根を伝ってやりたい放題だから完全に切除する。他に畑に植えた果樹の具合を見て、周辺の草を刈って置こうかと、これで3日は精一杯だった。

しかし現場を見れば計画は甘かった。「桜おるバカ、梅切らぬバカ」というがその梅が伸び放題で、屋根の上まで伸びてどっかりと瓦の上に枝が座っている。これは「瓦の修理は高くつく」ので仕方ないので翌日、切る。浜田かチェーンソウを持ってきたので、思いっきりバリバリと切った。枝にはまだ小さく蒼いが梅の実が付いているから、捨てずに一一ひらう。500個はあるだろうか大きなざるに一杯になった。梅酒か梅酢にする。

さて前庭の古い梅の木はまさに坊主になった。本来年末にやって置いて寒過ぎに梅の花が咲くようにしておくべきだったが、かわいそうに丸裸になった。これで昼過ぎまでかかって、家から1.5kmの所にある国道2号線に面したうどん屋「まる味」に肉うどんを食べに行った。この肉うどんは日本一の出汁の味だから一度食べに来て。

いや、午後はくたびれたが「藤のつる、かずら」を続けて切ることになった。このカズラは直径5cmが三本巻き付いて根元から、切るのだがこれはチェーンソウではなくドイツから40年以上前に帰国するときに持って帰こまるってきた「手斧」で叩き切った。父親には悪いが、藤は春先きれいな花をつけて、中庭にそれが見えると風流だったかもしれないが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」と何事も適当があって世話が出来なくなるような状態では藤のつるが屋根に登って瓦を引きはがすなど悪さをして困る。

実は屋根瓦が処所は外れ始めて、本格的な修理が必要になってきた。砂と漆喰を混ぜたものを瓦の隙間などに詰めていく。墓所によってはステンレスの針金で固定することになる。

だからこんな家いらないって言ったのに。姉と遺産相続した時に姉はちゃっかり萩焼の茶碗大きな花瓶を持ち帰って、私は嫡男だから・・と家を押し付けた。維持費が相当かかるからと言ったら、その時は援助すると言ったのだが、その姉も突然亡くなって、私一人になった。

一方でスモモに小さな実が付いていた。あんずとソルダム(スモモの大きなもの)は木ばかりおおきくなっていた。しかしこれらの木の周辺には雑草が生い茂り近寄るのも困難。

いやくたびれました。浜田に帰るのも一苦労。やはりいたよ!!久しぶりに車庫から車を出してきて走る人が。錦川ラインをくねくねと走る人がカーブの度にブレーキを踏んで、そこは50km規制なのだが、毎回40kmに落ちるから後続車が十台以上列をなして、私もとうとう「ピーストップ(おしっこ休み)」する。それにもかかわらず浜田まであと40kmの所でまた前にこの車が居るのを発見。

とうとう帰宅は暗くなってしまった。

2匹の猫が私の帰宅を迎えてくれた。あとの子たちは行方不明だが、茶碗をさじで叩いて大声で呼ぶと4匹集まって来た。缶詰を食べさせて風呂に入る。足がパンパンにはれ上がっている。東京で現役の頃、帰宅するとよく足がむくんでいたのを思い出す。足ばかりではない、腕もパンパンで手の甲も若返ったようにつやつやしていて、これは大事な教えかも知れない。二泊三日で若返ったであろうか??