河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

飼い猫のあるある

2024-04-24 23:46:56 | 日記

来るもの拒まず、去るもの追わず・・・ですが、家族の猫で一杯です。

14匹でしたが、黒猫のメスの春ちゃんは出たり入ったりで、このところ家に居ません。夕ご飯お時にだけ居たりして・・・。だから13匹ということでしたが・・・・また夕ご飯に居ない子がいて・・・・茶トラの6歳ぐらいの音ちゃんが居ません。家の周囲を名前を呼びながら探しましたが・・・・・やばいなーっと!! 実はこの子は突然やせてガリガリになってしまっていて、何か体調がわるかったので・・・もう先が無いと思っていたところでした。ちゅーるだけは喜んで食べるようになって・・・・ひょっとして、これが最期の食事になるかもしれないと思って、日に何度も食べさせてきたのです。

そして二日後に、荷物を運ぼうとして、玄関先の一輪車を動かしましたら、そこに音ちゃんが横になっていました。死んでいました。

何回こうした場面に出会ったことでしょう。・・・無常です。

ハエが一匹飛んで来たので、すぐにでも埋葬しないといけなかったです。もう家の周りに敷地には多くの猫が埋葬されています。40っ匹以上でしょう。母屋の周辺を掘ると、先に亡くなった猫の誰かが出てくるので、注意が必要です。倉庫の裏の思いっきりツルハシで掘れる場所を探しました。というのも、ガリガリとは言え、音ちゃんは大きな茶トラの猫でしたから長さ60センチ、幅50センチ、深さが40センチほどの穴を掘りました。そこに音ちゃんを運びましたが、何とも軽くなっていて、かわいそうでした。筋肉が付いていないので「死後硬直」がハッキリとありませんでした。穴に横たえて「ごめんよ、私もあの世に行ったときに、また会おうね」と言って、毎回土をかけます。土をかけ終わると、必ず水をかけます・・・たっぷりと・・・なぜかというと、我が家の周辺には、タヌキ、キツネ、ムジナ(日本アナグマ)などが掘り返してきます。何度かやられて、骨をひらったことがありました。

部屋に戻ると、我が家の小さな「仏様」に線香を手向けます。また一言「またが会おうね」と言って。

涙が出るときと、目が乾いて出ないときがあります。今回は出ませんでした。

もう5年前になるでしょうか。猫の感染症が流行って、年間15匹が亡くなった時には辛かったです。去年も多くの生まれたばかりの子猫が亡くなってしまい、辛かったです。どうしても愛する家族が亡くなると、残りの猫たちの顔を確認します。

そして「お前たちが生きている間、私は死なないよ」と言うのです。もう今の年では、保健所も保護猫を譲渡してくれません。「誰か後の猫の面倒を見てくれる人がいますか」と言われます。だから野良猫でも家を訪ねてきたら「よく来たね」と迎えるのです。


情緒的なしつけ

2024-04-13 21:33:19 | 絵画

大衆の中で「泣く子供」は、この国ではよく見かけるが、欧米で見かけることは殆ど記憶になかった。SNSでも取り上げられるほどだが、飛行機の中、新幹線の中など・・・子供が泣くと周囲の人に嫌がられる。

どうしてヨーロッパにいた時、そういう場面に出会わなかったのだろうかと、ふと考えると国民性にその起源があるように思う。

昔、姉のうちの子供が部屋を散らかして片づけないで、姉に怒られていた。「早く片付けなさい!!」と言うと、子供は「のどが渇いたーーー」と言い訳する・・・そして姉は「のどが乾いたら自分で飲みに行きなさい!!」と怒鳴っていた。これがまあ日本の家庭の事情なのだろう。で・・・・私は「あのねー・・・お姉さん、貴方は完全に馬鹿にされているよ!!」と一言。「自分で飲みに行きな際の前に、片づける前に水を飲むな!!」といわないの?」と付け加えたら・・・・・。「えー!!??」と考え込んでいた。

この国では「しつけ方法に問題がある」と言える。つまり親が感情的あるいは情緒的と言える思考に支配されているようだ。そうそう一度ドイツに居て、スーパーで買い物をしているとき、母親に連れられた子供が床に寝転がって地団駄踏んでいるのを見た。しかし親も子供も「無言」であって、何やら親子で「勝負」しているようであった。親も手を出さない。子供も服が汚れようがお構いなしだ。私は面白おかしく見物させてもらった。母親は私を見て笑って、私はうんうんとうなづいていた。母親は黙って買い物を続けた・・・。何とも賢い気がした。

子供の反抗期はどこの国でも同じだろう。しかしその対応が違っていて面白い。しかし情緒的に子供に接することは、子供に状況が理解できずに、親が怒るからとか・・・理由を説明してもらわないで受け入れなければならず、時間の無駄をしているのと同じだ。つまり合理性に欠けるということ。子供には感情や情緒だけは伝わるが・・・犬猫ではない。感情表現以外の表現・・・つまり知的な表現は後回しになるだろう。子供は生まれた時から知識も何も持たないから、親は冷静に説明できなければいけない。しかも地道に教え続ける必要がある。しかも親の言うことが絶対であるように思わせてはいけない。また他のみんなと同じであるように教えてはいけない。「選択肢を与える」ことこそ子供の頭脳の発達を促す。

日本人の多くは何かを見て、「わー!!」とか「きゃあー!!」とか、感嘆詞が多いのに気が付く。驚きの表現も「すごーい」とかで終わる。言葉で的確に心情を表すのが不得手で「すごー!!い!!」とかで済ませてしまうのは日本人特有だ。女性も「きゃーきゃー」というのは欧米人の前で見せたくない。彼らの受け止め方は・・・「・・・」と黙ってしまう。「きゃあー!!」以外に何を言うのか待っているのだから、それで終わると困るのだ。

言葉で理路整然に語ることが出来る「訓練」が必要だろう。論理的に個人の考え、感想を述べられる自分で居られるように。

 

 


一年前にバターが高いと書いた

2024-04-07 09:45:03 | 絵画

一年前に書いたバターの価格は450円、その前の年は350円だった。ことしはスーパーによっては500円を超えている。どうしてかはネットのニュースに「酪農組合と酪農族議員が暗躍している」と言われていた。その片方でミルクを捨てないと売れないという、酪農家の嘆きがニュースで紹介されていた。どうしてかそうなるからこの国の経済、金融、流通などのシステムが異常なのは誰が見ても分かるだろうが・・・・。消費者の怒りが伝わらない・・・・みんな平気だろうか?

パン食が当たり前のベルギーの酪農家は小規模でミルクとバターを作って売っている。小さな農家が「めちゃくちゃ美味しいバター」を作れる。作り立てのバターは「白いクリーム」のようで、皆に食べてもらいたいと思った。それがこの国では酪農家は「大金の借金」をして牛を工場化して、価格次第でせっかくのミルクを「苦渋の決断」とか言って捨てているのだからおかしい。何が「苦渋」なのか??自分の望む価格で売れないと捨てた方が経済的と考えているだけではないか!!川下にいる消費者の食卓を考えたことはあるのだろうか。

何もかも食料品は高騰して・・・市民は買え控えで対応して我慢しているようだ。これまで日銀は2%のデフレ脱却措置を取ると言って、長期貸出金利を下げ続けて、企業に有利な政策を取ってきたが、その間、巷の物価は上昇し、国民の給与も上がらず、企業の為に円安を維持してきた。輸入品は石油から家畜の飼料まで高騰して・・・・その分を製品価格に転嫁し国民に広く負担させてきた。

一方で財務省は日本は1000兆円を超える借金があるから、これを減らすために消費税他、あらゆる税金で賄うしかない・・・・??と言う。これがおかしいことは言うまでもない。この借金は誰が作ったのか?我々か???   絶えず国債を発行し、日銀に560兆から買わせているから、実際には借金はもっと少ない。財務省はこのような無知な国民をだますトリックで課税案をいつも作ってきた。二重課税も改正しない。新しい課税法案を作った財務官僚は出世し、定年後も天下りで出世するそうだ。

これは自民党の経済金融を優先するために、教育から就職に国民が企業の労働力として繋がるように政策を行い、一方で企業献金を禁止したはずなのに、パーティー券で未申告の裏金をもらい続けていた現実。経団連会長もグルになって自民党を支えてきたことは誰も知るところだろう。しかし騒がないと出てこない「不正」は正せないのだろう。

 

こういう世の中を作ってきたのは自民党だ。岸信介の時代にGHQと反共政策を作るために統一教会を利用し、統一教会の「詐欺行為」に目をつむり、協力関係を作ってきて、今更にバレると知らんぷりっしている。政治は「国のため国民のため」は嘘!!自分のためです。しかも「お金と権力」。

この国の国民であることを誇れますか?