河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

また猫の話と、もう一つ恐ろしい話

2023-07-31 11:51:26 | 絵画

5月末に生まれたミーちゃんの子猫たちは順調に育ち、私に朝から飛びかかってくるなど、やんちゃはもう度を越している。チャッピーの爪が私の足に突き刺さり、かゆみを伴うのは汚い足でバイ菌も入ってかゆくなり・・・・キンカンも欠かせない。一方の白ちゃんの赤ん坊たち3匹は相変わらず「やせ」で乳の出が悪いのか。知ちゃんと白ちゃんが交代で乳を飲ませているようで・・・不十分だったりして・・・いまだに白ちゃんの3匹と比べると半分のサイズだ。

先週の水曜日に「玉」をとったふーちゃんや玉付きのプンちゃん(1歳3か月)が二階の子猫たちのテリトリーにくると大変。家の中の猫で最近二階に上がってこないのは、もう大御所のまめちゃんだけとなり、やたら二階がうるさい!!気を付けていないとまるで喧嘩が始まると思って飛んで行ったら・・・ぎゃーと声を上げて威嚇しているのは、なんと白ちゃんの子供の「はくちゃん(白ちゃんそっくりなので)」が聞いたこともないような大声でプンちゃんを威嚇中!!!かわいいおしりを突き上げて「やるんかい!!」ポーズ。 まあ驚いたのは私。プンちゃんは面喰っておろおろして私の方を見ている。へーこんなこともあるの??と・・・面白いものを見たので書いている。はくちゃんは気の強い子なのでしょう。

それからもう一つ、面白い経験をした。画材屋の田辺さんが自宅で収穫したブルーベリーと巨峰をもってやって来てご馳走様。で家の前の海に生かしてあるサザエをチェックしたついでに、石鯛釣りの餌として有効な「ニシ貝(小さな巻貝)」の大きなのがたくさんいるので捨て石があるところにはしごを使って下りた。結構たくさんの大きなニシ貝があって、以前は夏にはサザエがたくさん家の前で採れたのだが、今年は取れないので代用となってくれている。

そこで私はズボンの裾をまくって浅瀬に入り岩についた西買いを集めていたら・・・私のサンダルがいきなり引っ張られてびっくり!! なんとサンダルにしがみついて引っ張っているのは「たこ」!!食い物と間違って食らいついてきたのだ。 おいおい、こら!!っとつかもうとすると逃げられたが、先にカギが付いた「ギャフ」という道具で岩の中をまさぐっているとまた手を出してきた。よほど腹が減っているに違いない。こんどは田辺さんが水に入りギャフであちこちかき回したらタコが引っ掛かった。しかしすごい力で岩の奥に逃げようとしている。とうとう諦めたが。

確か、子供の頃「海底⒉万マイル」という小説にタコが出てきて潜水艦を襲う話が合ったけど、大きければ潜水艦も負けるほどの力だろう。我々二人は奇妙な経験でひと汗かいた。暑い夏真っ盛り!!皆さんもいい経験をしてくださいね。

 


農地にアトリエを建てるⅡ

2023-07-26 23:08:27 | 絵画

Ⅰでは農地を選んだところまで書いた。しかしこの「農地」とは何か??!!を知ってもらうためにはウィキペディアで農地を引き出して読んでほしい。そこには農地法という法律1952年の成立、だれが何のために作ったのか・・・簡単に言っておくと、朝鮮戦争(1950~1953年)真っ盛りの時の政権岸信介内閣の時、占領していたGHQが我が国の農村の状況を見て、零細から抜け出せない小作制度の為に日本にも共産主義がはびこるようになると想定し、土地を持たない小作者の為に「農地改革」を行い労働の見返りを与えることで農村の共産化を防ごうとしたというのが始まりだった。昨年安倍晋三銃殺事件で明るみになった岸信介時代からの反共団体「勝共連合(統一教会)」の本部を岸総理の自宅の隣に置くなど、いかにも政治的で農地法の「国内の食糧生産確保」などの綺麗ごととは違う隠れた目的があって、今日なおこの「農地法」が生存し、農地を開発など他の目的に転用するには「厳しい規制」をかけたままであることは一般には知られていないから・・・何故に不動産屋の広告に「農地」が出て来ないのか理解できなかったであろう。

その点は詳しくはウィキペディアを参照していただきたい。

農地法のもう一つの大義は食料の国内生産確保であり、戦後の食糧難が続いていた頃だから余計に厳しい政策となった。つまり田畑は農業以外の目的で使用させないという規制が、農地の売買は可能でも転用は出来ないように厳しい縛りをかけた。だから不動産屋が扱う商品として農地が出てこないのは、買うメリットが小さいからだ。しかし戦後の復興が進んでくれば田んぼの中を道路が通り、開発があちこちと必要となった。一方で農家も黙ってはいない。自民党支持母体である「農協」「全農」が現れ農業も政治に影響を与える団体となった。農地法を変えられなくても「米価」を左右し、コメ生産が過剰となると「減反政策と補助金」を引き出した。そこで減反政策で休耕地が多く現れ、草がぼうぼうで耕作を再開するには問題が生じるようになり、ご存知の外来種の雑草「セイタカ泡立ち草」が日本国土を蹂躙している。私の実家の田畑土地4500坪は誰も耕さないので中に入るのさえも困難な状況で、去年植えてきた果樹もどこにあるのか見えなくなった。この草、何一つ良い処が無い。

この国の不耕作地の増大は、遺産相続した者が農業経験がなく手の出しようがないということだろう。本来ならばすぐにでも政府は手を打って農業の再生、新たな展開を作るべきだが・・・・やはり官僚は無能で無関心。

さて、それでも農地を買うことにしたわけだが、前にも述べたと思うがアトリエに必要な広さ、修復業でもし絵画が運ばれてきたら最低4トントラックのアクセス、絵画教室であれば生徒さんたちは皆車で来ることになるので駐車場が必要。などと選択の余地は少なかったので大きな土地イコール農地となり、場所も町から少し離れなければ見つからなかった。しかし見つかった場所は椹野川と千見折川に面した、目の前が広大に広がる解放感のある場所・・・・いや、これがどうなるのか住んでみないと分からない。今住んでいるところは気候も近所の住人とのトラブルと大変な場所であった。「どこに行っても同じだ」ではあるがちょっと心配はある。

 

そうそう農地を買うには、その地方の農業委員会(市役所の中にある)に行って、様々な申請書類を出し転用許可というのをもらわないと土地を活用できない。ここで私に大きな誤解があって、大きく時間を費やしてしまった、それはもう本気で農地を買うと決めたら、農業委員会に申請するのは「農地」を買いますよという申請がまず一番で、土地の持ち主と先に売買契約を結んで土地を購入し、土地の用途を申請して置くことができる。(今年の4月まで1400㎡を超える農地は購入できなかった)それからその土地に住宅を建てる場合は「農地転用」という許可が必要。500㎡以下で事業所と住宅を併用で建てる場合は1000㎡以下となるようにしなければならない。もしこれ以上大きな農地であれば分筆(農地の名義を変える)を行ってそこは農地として残して活用しなければならない・・・・などうるさいうるさい。私はその土地が1000㎡以上あったので残りを文筆で土地を土地家屋調査士が計測して(62万何某払わされた)費用がかかり、もう引き返せないところまできた。

本当はこういうことは素人がやることではなく、不動産屋が仲介して土地家屋調査士、司法書士などに金を払って実現させるものだった。これが問題だ。わっしの性格がせっかちで突進して始まって・・・・面倒な経験・・・人生を波乱万丈に仕上げていく。

ちょっと鬱陶しいかも知れないが、私が経験した事務手続きを書いてみると・・・・・。

①農地転用許可申請(第6号様式)・農地等の転用のための権利移動許可申請書(第11号様式)

②土地の登記事項証明書(全部事項証明書):法務局で一部600円で入手

③住民票または戸籍の附票

④位置図(縮尺一万分の一か五万分の一)申請地を緑色で塗る:ゼンリン地図の写しで構わない

⑤付近見取り図(住宅地図等):ゼンリン地図の拡大で構わない

⑥公図の写し(法務局で入手):該当する土地の近辺がわかるもの

⑦地積測量図(転用する場合は規定面積より大きい部分は分筆させられるため、土地家屋調査士に依頼し測量し地籍調査図を作成)

⑧事業計画書(転用は事業を行うということで、その内容計画について申請)

⑨土地利用計画図・排水計画図(平面図に排水計画を記入し添付)

⑩施設計画図(新たに建築物を建設する場合、平面図、立面図などを添付。間取り及び建造物面積が記入されているもの)

⑪被害防除計画書(第9号様式)(近隣のうち所有者、水利権者への説明が済んでいること)

⑫資金計画書(第8号様式)

⑫ー2自己資金に係る残高証明書(銀行口座等の写し:土地購入、事業所、住宅などの建築費以外に、その後の生活費が十分にある    かまで見られる。

⑫ー3借入金に係る融資証明書(ローンを組む場合)

これ以外に分筆によって生じた農地部分の取得ならびに農地の活用、農具の有無など申請書類が別にある。

つまらぬことを書いたが、本当に農地法に従った農業委員会の業務が「いかに農地を取得させないか」の方向に向いていることが分かると思う。GHQと池田隼人が作った反共主義の産物がいまだに息吹いて「人権蹂躙」の政策となっているのを誰も手直しが出来ないとは・・・。

 

私が岩国市の実家の土地家屋を相続した事を書いたが、農地4500坪、山林5000坪を岩国市に寄贈すると言ったら「いらん」と言われた。固定資産税56000円ばかりでも、毎年徴収する方が得らしい。「くそったれ!!!」

これで3か所(岩国市、浜田市、山口市)に不動産を持つことになり、一つに絞りたいところだが・・・今回のアトリエ兼住宅の建坪は約80坪になる。しかも二階建てで一階は木工などの作業室、材料倉庫3か所、客寝室(要するにホテルのようなシングルルーム)その向かいに「猫部屋」6帖。二階は絵画修復室、隣に収蔵庫、ギャラリー(勘違いが多いが自分の作品を掛けて置き、時々眺めては自己満足に浸る・・・(おバカだけど)・・・打ち合わせ室、台所、自分の寝室、書庫(書斎)という内容。

建物以外の金食い虫は猫の逃亡防止フェンスを土地の外周に施すと・・・いくらかかるかまだ概算が出ていません。要注意は建築業者の都合で押されたり、内容がごまかされることだ。

完成は来年の3月までに・・・と言うような調子。残念ながら新しい年を新居で迎えるのは無理のようだ。アトリエ開きもその時開催します。

これから気を入れて実施設計に入る。


農地にアトリエを建てる Ⅰ

2023-07-23 12:56:40 | 絵画

家を建てるときは、普通は宅地と呼ばれるところに建てるが、何時もそことは限らない事情がある場合、山林、雑地、農地などに建物を建てることがある。今回の私の事情とは、修復アトリエと絵画制作アトリエと、ついでに絵画教室を建て、同時に住居を併設する必要があった。

また今住んでいる浜田市ではなく山口市を選んだこと。なにせ今住んでいるところは袋地(道路から離れたどん詰まりの奥の土地)また囲繞地(いにょうち)とも言われる場所にあり、購入時には海に面して山林もあり、古屋を撤去すれば300坪という大きな土地であった。しかし住んで都とはいかず、年間を通して吹く潮風に冬の恐ろしい西風には閉口してきた。人口4万人程度でその4割が無税・・・つまり所得が80万円以下で市民税が無料ということ。その反面に福祉予算が少なく、市に任されている介護税(介護保険と呼んでいるが、保険ではない)が日本一に値する。山口市や実家のある岩国市の2倍徴収されるが、実際に介護される身分になった時、何もしてくれないということが分かった。そのくせ市長は何もないのに浜田城資料館を建てたが、資料に値するものなしで開館していいない。次は市の歴史資料館を建てると言っている。市の財政は10年くらいで破たんすると言われてきた。こりゃみんなと一緒に心中したくないね。絵画教室でも開いて市民に貢献しようと思ったら、この町唯一の画材屋さんに「そりゃ止めたがいい」と言われて何故だか聞いたら「必ず足を引っ張るやつがいて・・・」市の教育委員会からも足蹴にされるから・・・」と。確かに浜田高校から芸大を目指したい生徒の面倒を見ようとしたら、浜田高校の美術教師に「修復家は絵も描けないから・・・」と言われたと聞かされて、一度は「ええじゃないか!!やってやろうじゃないか!!」と思ったが・・・。面倒くさい。

いつの間にか何かするなら、この町を出て行かねばと思うようになった。

前も書いたが夏目漱石の「草枕」の一節・・・・地に働けば角が立つ。情に掉させば流される・・・とかくこの世は住みにくい。どこに行っても同じだと思ったとき、ふと「詩」がある・・・・と言うのを思い出し、いつも自分の心に言い聞かせてきた「どこへ行っても同じだ」と。しかし私の左の手のひらには「海外生活が長くなる相」が出ていて、どこに住んでも外国だと感じるように運命づけられているのではと思うことしきり。結局、自分の気持ち次第で「放浪して生きる」性分の為に決められない。そうこうしている間に元カノは去り、見合い結婚の機会も良縁があったにもかかわらず、自らとんずらした人生がここにある。親が亡くなり実家と田畑、山林を相続したが、これが身の置き所のはっきりしない人生が余計に揺らいでしまう。実家は岩国と徳山の中間にあり、どりらからも25km離れ、光市、柳井市からも20kmばかり離れている。その家に固執して孤独に亡くなった父を見てきたので、そこで同じ死に方になるのは嫌だと・・・最期を迎える場所を探す羽目になった。そこで結局選んだのは山口市だ。

山口市は私が3歳から山口高校を卒業する18歳まで住んだ街だ。母方の親戚もあり、学校時代の学友もいる。そこに住む論理性はないが情緒的な親近感はある。ずいぶん時間が経った故郷だけど。一つにユニクロ社長の柳井氏が山口市に本社を置いたのは、少しでも法人税でも払って故郷に貢献しようとしたことが理由だろう。

県庁所在地としては最も人口の少ない10万人程度の町だった(山口大学の学生を入れても)。市町村合併で今は17万人程だが旧市街の中心部がシャッター街になったのは、ちまきや百貨店の社長と湯田温泉街のホテルなどが「新幹線誘致」に反対したからだ。つまり新幹線駅が出来れば町が壊れるとでも思ったのか・・・結局山陽本線の小郡駅に併設されて新山口駅となり、むしろ小郡駅周辺が再開発でにぎわい経済的にも豊かになった・・・・そのあとおバカな経営者たちは気が付いたか。山口市の中心部から12km離れた小郡町と市町村合併で巨大な市になった。小郡駅周辺は新幹線、山陽自動車道、国道2号線が通り、9号線の起点でもある。まだ再開発の余地があり発展性は十分にある場所だ。

この新山口駅から車で5分、宇部空港から車で20分の所に縁があったのだ。

場所は山口市を流れる椹野川(ふしのがわ)と千見折川(ちみおりがわ)が丁度合流する場所に面していいる場所。どう見ても元河川敷を埋め立てて造られた田んぼだが、高嶋易団の四柱推命による風水占いで忌み嫌う「河川敷」は災害に遭いやすい場所として住宅を建ててはいけないとしているが‥‥そういう場所しかアトリエの規模からして適当な場所が見つからなかったこと・・・それ以外に「農地」であるために法律による規制が強い土地であること・・・・大きなストレスの元となった、しかし。

農地と言うのは殆ど不動産屋の売地に挙げられることはない。法規制によるややこしい問題が障害となるし、いくら価格が安くてもみな避ける土地なのだ。

それは私が決意してから取得まで2年以上もかかってしまうとは思いもしなかった。しかも不動産屋の手を離れたら、自分で法規制を理解し、一つ一つの条件をクリアしなければいけないが、どれほどの苦労と費用がかかるか分からなかったから。今日ここまで来てくたびれた。

実は一昨日前に、この手続きを扱う山口市の農業委員会から、書類選考が終わり宅地部分について「農地の転用許可」が下りたことを知らせる電話をもらった。電話をくれた人の声がとても嬉しそうであったのは、そこに理由があった。

 

第二部に続く


お絵かきの基礎

2023-07-17 11:19:26 | 絵画

「紙一枚、鉛筆一本」で「お絵かき」は始まるのだけれど、小学校や中学校での美術の授業にあったような「面白ければよい」で始まって、それで終わる方法では、今日、アートと呼ばれる中身のない行為で終わる。勿論、面白くなければ、まともな始まりも結果もない。何かを成し遂げようとすれば「理念と、その実現のための方法」が必要だ。そして結果のクオリティを求めるならば「技巧・技能」というものが不可欠だ。

紙一枚の中に虚構世界を描き出すためには「能力」が必要だ。ルネッサンスの時代には宗教画が終わって、自然や現実から学んだ世界が描かれるようになって、それは作り出す者たちの間では、いかに「無いものを在るが如きに」作り出せる能力を競い始めた。

私が画学生を始めたころ美術関係の雑誌と言えば「芸術新潮」「芸術生活」「美術手帖」と言うのがあって、芸術新潮は先に述べた「能力を競った美術」を紹介していたが、一方美術手帖は当時流行りの抽象画を主に紹介する雑誌であった。浪人生と言えどもこの美術手帖を小脇に抱えて気取って歩くのが流行っていた。しかし私には「美術手帖」は糞であった。

私にとって「能力」こそが信奉の神の賜物であり、訳の分からない「観念」に引きずられて「感性」を奪われていくのは許せなかった。小学校、中学校の美術の延長では「やりたい放題」「永遠に試しが許される表現」など、私には受け入れない行為だった。さて、今に見ろ!!・・・・AIがこのレベルの行為で生み出されるものを飲み込んでいくだろう。いろんな情報を与えると「作品??」を生み出してくれるなんて馬鹿げている。

その内、AIが物質社会を均等化し、精神生活を退屈なものにするだろう。そのとき人間の多くは自分の精神性を再構築しないと、AIの奴隷になるだけだろう。しかし同時にAIに対する拒否反応も始まっているが・・・・どうやって自分が作り出せるものとAIが作り出すものを分けられるだろうか。また他の人達と自分はどう違うのかを確認しないでいられるだろうか?特に集団主義のこの国と欧米では方向性は大きく異なるだろう。

70年代に大学生の間で政治運動が流行り、社会に対する疑念、当時の民主主義に対する不満が芽生えていたはずだが、80年代に小泉純一郎と竹中平蔵の唱えたグローバル社会と人材派遣会社の解放で、一気に個人の生き方の基本の方向性は失われてしまった。それこそAIならぬ小泉竹中マジックで集団主義が個人の能力を失わせた。今またAIで個人の中にある「感性」が見失われてはいけない。この国の国民性になってしまった集団主義から個人を大切にする個人主義を育てるなんて、私個人の力では何ともしがたい。

だから私が絵画教室の先生をするなら個人主義的な方向性を与えることで「個人の素質」を見出したい。正直言って、物を作り出すのに、誰にも才能があるわけではない。しかし「基礎力」を与えれば、個人で展開できる。AIに惑わされることはない。

その基礎力とは①目の前にあるものを正確に捉える、②それを紙の上に再現する ③自分の感性と他人の感性が異なることを感じ取る、 ④自分が最も快く感じる世界を作り出す

この時こそ「唯我独尊」である。


また子猫の話です

2023-07-15 23:26:39 | 絵画

先に生まれたミーちゃんの子たちは、5月25日ごろ生まれてもうすぐ生後二か月がやってくるけど、10日くらい前から盛んにカリカリを食べるようになって、やることは大運動会に猫レスリング、カーテンクライミングに時に私に襲い掛かり・・・・今日は茶トラの子チャッピーが私の右手の人差し指に針のような爪を突き刺して・・・私はは思いっきり「ぎゃあーあ!!」と・・・それが指の神経に触ったのか、ものすごく痛くて深さもあったので、指を絞って血を出し続けて・・・抗生剤の軟膏を探す羽目に。それにしても痛くて、今日は絵筆を持てない・・・修復の仕事があればメスも持てないと・・・まあ仕事は来ていないから。とにかくやんちゃが止まらない子猫たち。これまで二階から降りてくることはなく、階段を見下ろしながら行儀よく待っているのが日常だったが・・・やんちゃのやんちゃチャッピーがまず第一に階段を下って・・・「これ待ちなさい!!」と言っても、そのままリビングの掃き出し窓から外に飛び出て行った。「ちょっとやりすぎ!!こらーツ!!」と言っても日本語がまだわからないからね。私は玄関から出て勝手口に回って、外で遊び始めたチャッピーを「御用だ!逮捕する」と片手に捕まえる。

そろそろ大変な年ごろになって、次の白ちゃんの子たちはまだ小さいがひょこっと畳の上に登場。足はまだおぼつかないのは母親たちのミルクが足りないからだ。それが心配でたまらない。生育が悪い例はあっても不思議ではないが・・・こちらは別の心配。

いきなり「こんにちは!・・じいじだよ!!」と言ってみた。よその人にはおバカに見えるだろうね。・・・写真を撮っておこう!