9月26日土曜日の夕刻のご飯に勘助は居なかった。珍しく食欲の塊の勘助君がいないとは・・・。
他の皆にまぐろの缶詰を開けて食べさせている間にも帰って来ない・・・と、ちょと待てよ思って、キャットウォークの上に箱を覗き込んだら、そこに勘助はうずくまっていた。去年あたりから急に痩せ始めて、食欲も落ちてきている毛皮もボロボロになって来ていたから、大きな体調の変化があって、他の猫たちがこの一年間で12匹も死んでいったことが何かの「感染症」で痩せて行き、最後は食欲もなくなってガリガリになって死んでいくのと同じかもと思った。
しかし何もしないで放っておけない「私の一番長い付き合いの息子」を獣医の所に連れて行ったら「18歳ならこんなもんです」と言われて、何もしてもらえず帰宅したことがあった。食欲さえあれば他の子たちが死んでいった同じ症状とは違うので、人間でいえば90歳の長生きに当たるそうで・・・式なものを食べさせてやるしかないなと、自分に言い聞かせた。
勘助がうずくまる箱に水とマグロの缶詰を置いてやったが、何一つ口にしようとしていなかった。もう食べる気力がなくなったということか。顔を床に押し付けている。箱の床には何やら赤い体液があふれ出ている。余り呼びかけずにそっとしておく。
翌朝、日曜日11頃から大声で啼き始める。「とうちゃん怖いよう!!」「痛いよう!!」「ああー、ああー・・・・」と何度も今まで出したことのない大声で啼いている。少し間を開けながら繰り返し啼く。
もうあぶない・・・・私には何もやれることがないから辛い。もうすぐ死ぬのだなと・・・思う。しかし私の知る限り、この勘助のように大声で啼きながら、臨終を迎える猫は居なかった。私は母が死んでも、父が死んでも泣かなったが、今度は違う。涙があふれ息が詰まる。嗚咽を繰り返しながら「家族」の死を迎えようとしている。勘助の悲痛な声が耳から消えない。箱の中を覗き込んでは「勘助、勘助・・・辛いか?痛いか?」と呼び「もうすぐ父ちゃんも行くから、また会おうね」と。午後2時を過ぎて啼き声は小さくなって、横たわった体の呼吸は次第に小さくなった。そして午後4時ごろ、逝った。
何故だ、金曜日には元気に夕食を食べていたのに。血尿が出て、ひょっとして腎臓がんだったのだろうか?
勘助は私が大田区仲池上に住んでいた2002年夏ごろ、馬込幼稚園傍の駐車場に捨てられていたのを、捨て猫の世話をしていたしていた猫お姉さんの申し出で我が家に迎えた保護猫だった。我が家には既に1歳になる初代タマちゃんが居て、複数飼った経験の無い私は彼女の助けを得ながら、家の中で飼う事にした。
その時勘助は生後2か月ぐらいで、同じ兄弟の白黒の子猫とともに捨てられて、しばらく二人でエサを与えていたのだった。勘助は臆病でなかなか人前に出てこなくて、猫お姉さんには少し出てくるけど、私には物陰に隠れて良く姿が分からない子だった。その内勘助が「隻眼(せきがん)片目」であるのが分かったから、当時大河ドラマで風林火山というのをやっていて、武田晴信(後の信玄)と山本勘助と言う名前に決まった。晴信はしばらくして、人懐っこかったので居なくなった。誰かが連れて行ったのだろう。それに対して人嫌い、簡単に出てこない勘助は片目のせいか誰ももらってくれなかったので私の気持ちを動かしたのだ。
我が家に連れ帰って、逃げ場として押し入れを開けておいた。直ぐに逃げ込んで出てこない。猫お姉さんが体をかがめて勘助を読んでいたら、そこにタマちゃんがやって来て、猫お姉さんの頭を三回思いっきり猫パンチしたのを思い出す。しかしこの頃勘助は生後数か月の子猫でしかなかった。タマちゃんは勘助が嫌い・・・「遊んで!!」とじゃれると走って逃げた。
勘助が来るまでタマちゃんは「お姫様」扱いだったから、怒ったんだね。
仲池上に住んでいたころ、家が小ビルだったので、屋上で仲間とバーべキュウをやった。4階の2LDKと屋上しか知らないタマと勘助は大勢来客があれば、行き場がない・・・がタマは人が居ても平気。勘助は誰にも会いたくないから、ベランダの室外機と壁の間に挟まってやり過ごすのがいつものパターン。皆は室外機を上から眺めて、「もう7時間もこんな感じ?」と勘助の背中を撫でてみる。私が「勘助君!いい毛皮着ているね!死んだらくれる?」と言ったら東京新聞の女性に「ちぃ!ちぃ!ちぃ!」と舌打ちされた。それほど彼はいい毛皮を着ていたのだ。
私の定年とともに、この浜田にやって来て、勘助の生活は変わった。2LDKと屋上しかない世界ではなく、地べたがあって、山に海があり、庭で遊べる場所を得た。しかし彼はこちらに来てからの7年間、私の声が聞こえなくなるほど遠くに行かなかった。周りに絶えず20匹以上の猫がいても、喧嘩もしない、いじめもしないおじさんだった。
月曜日の朝いちばんで埋葬した。さようなら勘助君、また会おうね。
それから何日も経っても、窓を開けて勘助の埋まっている場所が見えると、つい呼んでしまう「勘助!!元気か!!」