河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

お盆の墓参りは済ませましたか?

2020-08-28 07:43:47 | 絵画

自分の死生観と現実のバランスが取れていないように思うのは、私だけではあるまい。

私が自分が描く絵の中に求めているのは「生き方であり、死に方である」が、目に見えないから、見えるように絵として描写しようとしている。切羽詰まる現実ではなく虚構だから、気が楽と言えばそうなのだが、自分が感じているように正直に生きることが具現されなければ、虚構も「うそ」でしかなくなって、恥ずかしいだろう。

そう、自分にとって絵の世界は「うそ」ではないと思う世界なのだ。

だが、現実の生活の中に、この国では「お盆」があって、墓参りが行われる習慣がある。死んだ先祖を祀り、特殊な存在として「この世とあの世との接点」として存在している。あの世があるとは信じない人も居れば、霊魂と繋がっている人も居る。かつて在職中に西洋美術館で彫刻の保存のための新しい台座を作り直す仕事があって、地下の収蔵庫から彫刻を出しては、彫刻に台座と取り合う金具を用意するために外部から職人も呼んできた。その職人に青森出身の人が居て、一緒にエレベーターに乗ったとき、我々以外に「もう一人乗っているよ」と言い出すものだから・・・・「ええ!!??何それ?」「ひょっとして、あれ!?」と聞いたら「そうだ」と言う。そう言えば西洋美術館が建っている場所は、かつて徳川時代の大奥の女性たちの墓がった場所で、建設中には多くの甕棺(かめかん)が出土したと聞いていたが・・・・。

その他に展示室の仕事で、ヤマトや日通の人たちと仕事をしている時に、トイレに立ったある者が「出たー!!」と言って蒼くなって帰ってきたのを憶えている。この世には霊が見える人が居て、そこに触れないけど見えているのだそうだ。西洋美術館で見えるのは着物を着た女性の霊だそうだ。前述の青森の職人は「兄はもっと良く見える・・・祖母は死者との口寄せをするイチコ(いたこ)だったという。

問題は私は見えないことである。見えないけど、全く信じない訳でもなく、だけど絶対的に信じることも出来ていない。そう言えば、大工が地下で仕事をしている時に、お昼を食べた後少し昼寝をしたときに、金縛りにあったという、私は鉄や仕事があって、地下の修復室で仮眠をとったとき、ちょっと黙祷(もくとう)してから寝た。金縛りには合わなかったように思う・・・。

今の家では多くの猫が死んだ。庭は墓だらけだ。キリスト教ではあの世ではペットと会うことはできないらしいが、私はしばらく「モモちゃんにお化けでもいいから会いたい」と思い続けていた。私はあの世があって、我が家で死んでいった50匹からなる子たちに、皆会いたい。

みりんとしょうゆ

しょうゆ、向かって左は元気に廊下にウン子をしてくれている、

岩国にある実家の墓参りはした。朝早く起きて、道筋の草刈りをして、チェーンソウで木も切り、墓の周辺は落ち葉を掃き掃除した。菊とケイトウ、母の思い出の桔梗も飾った。

しかし、この実家の家に住もうとしていない。時に来て掃除をしたり、庭の草取りをしているだけだ。実家は交通が不便で、岩国駅から26km、徳山駅から25km、柳井駅、光駅から25kmあって、孤立した感じが嫌でしょうがない。だから、この実家の墓に入るのだけは嫌だと思う。死んだ後の話だが、誰が実現してくれるか分からないが、出来れば骨は海に撒いてほしい。

私の心は絵の中に残すから。誰かが観て、そこにシンパシーを感じる世界があればいい。


やらかしちまった!!

2020-08-26 11:13:55 | 絵画

ここの所、良いことは全くない。何か気が抜けているのか・・・・それとも運命的に加齢なのか、全く言い訳ができないことばかり起きる。

暗い廊下の先にある洗面台の前に子猫がやらかしたウン子を踏んづけて、むみゅうーと滑った時と同じ感触がする。

こんな自分ではないと、何か言い訳を捜すが見つからない。

我が家の猫は自己主張が強くて、私の目の前で布団のど真ん中に「オシッコ」を思いっきりする子がいて、もう何度もやられたが、その時の始末を忘れて、何度も許してしまう。とうとう丁度私の顔が来るところにやられて、臭くて寝られなくなった。で、おねしょをした子供がいるみたいに、庭のフェンスに敷き布団2枚を掛けて、ジェットで思いっきり水をかけて洗った。シーツは洗濯機に4枚入れて洗って・・・・もうこういう事ばかり日常が・・・「新しい日常」なんてあるか!!

長雨の後に猛暑日が連続し、布団は周りをはばからず・・・とは言っても、隣は学校で生徒は夏休みか、誰もいないからと思ったら、目撃者ありN先生だ。まさかおねしょだとは思われなかったが・・・3日ほど放置した。尿の臭いを消すにはハイターを薄めたものをスプレーして、その後またジョットで上から下まで滝のように水をかけてOKだった。

その日の晩には押し入れから客用の布団を出して寝たのだが、今度はど真ん中にやられた。私のベットは天蓋ベットで周囲を猫に入られないように「防獣ネット」で囲ってあるのだが・・・・閉めるのを良く忘れる。そしてまたやられて、今度は物干し台の柵に掛けて、局所的にハイターをかけたら、布団の模様が消えてしまったが・・・・修復家がやることとしては乱暴すぎて許されないが・・・・もう寝る布団がなくなるので・・・まあイイカ!!??なんてね。

で、またシーツは洗濯機にぶち込んで洗った。そこでえらいことになった!! 洗い終わったシーツを洗濯槽から引き出す時に「ぽろっ」と何かが落ちたと思ったら、それは扇風機のリモコンであった。洗っちゃったよ。

使えるかどうか、確かめる前に分解して中の水気を拭きとったが、もう二度と扇風機はこのリモコンでは動かなかった。だから手動しか出来なくなったのだが、こうなる前に「ゆらぎ」というのを押したらしくて、この機能はリモコンでしか出来ない機能で、今後ずっと「ゆらぎ」で回ってしまうことになった。この扇風機はメーカー名は「ナショナル」で、「松下電器」でなくて良かったけど・・・本体はそう簡単には壊れないだろうから・・・ずっとこれかな。

お盆も終わってしまっても、まだ墓参りに行ってなかったので、4泊5日で岩国に行くことになった。実家での問題はガスはプロパンガスなので高い基本料なのに、何か月も使わないというのは経済的でないと、契約を切ってしまったら太陽熱温水器が壊れて、一切湯が出なくなった。この猛暑とはいえ風呂に入らないのは問題だと・・・まあ近所に温泉があるだろうから、そこに通うことにしようなんて思って出かけたら、なんと実家に入るカギを忘れたのに気が付いた・・・で、どうしようと思ったのが・・・ドアを壊して入ること・・・途中スーパーの中にあるダイソーでトンカチを購入した。本気でドアのガラスをぶち破って・・・と思ったが、勝手口や玄関にせよガラスは交換が高い。そこで考えたのは中庭にあるドアのかぎの高さに穴を開けて指を突っ込んで開ける方法。丁度、梅の木を切るために梯子を持参していたので、中庭の兵を上り、そして中庭側に梯子を降ろして草ぼうぼうの中庭に降り立った。中庭も藤のつるでカオスの状態、庭の草刈りばさみでガチガチ切りながら、ドアの前に立ち、ガラスの下のアルミの板の部分にはさみを突き刺し・・・とうとう穴を開けた。これで実家の家の中に入ることが出来たのだが・・・・これにも落ちがある。最初かばんを捜した時にはみじょんんも鍵の形跡はなかったのに、翌晩ゴキブリが、なぜ留守で人気のない家に大きなゴキブリがいるのか分からないが・・・カバンの中に入ったので、カバンをひっくり返して中身を全部出したが、空のはずのカバンから何やら音がした。「「きぇーつ!!」何と!!鍵が出てきた!!

そういうう訳で、翌日はホームセンターに行き、アルミの板と鉄鋼ビス、エポキシ接着剤を買う羽目になった。しかし店頭にはエポキシは分量が少なく、修理には不十分で、次に実家に行ったときに直すことにした。お巡りさんには見られたくなかったね。

猛暑日に墓掃除、そこまでのアプローチに伸びた木々の枝をチェーンソウで切り落とすなど、いっぱい汗をかいて、結局水風呂で(我が家は井戸水なのだが冷たく・・・入るときには準備体操する)しかし長い間使っていなかったので、水が黄色く濁っていて、飲めないし風呂としても、ちょっと悲しい。飲料水はスーパーに買いに行ったが。温泉に行く元気もなかったので、鉄分を含んんだ冷泉だと思って、美容にいいかも、なんてね。

もう、ちょっと今月はバイオリズムが悪い。コロナのせいにしておこう!

 


教育問題から個性を考えよう

2020-08-19 12:52:51 | 絵画

この国の教育問題を考えるテーマでエッセイが書かれているのを見つけたので、私の意見も添えて書く。

ダイヤモンド・オンライン8月6日の記事、「『うがい薬買い占め』で露呈する日本の学校教育の致命的欠陥」と題した窪田順生氏の意見は日本国民の精神教育に最も重要な時期において、大変な欠陥があるという考えで構成されている。

経済協力開発機構(OECD)が48各国の小中学校の教員に行った「国際教員指導環境調査2018」(TALIS2018)のアンケート調査に基づいて・・・指導として「批判的に考える必要がある課題を与える」つまり客観的事実に基づいてゼロベースでで論理的に考える指導をしているかどうかの問に出されたパーセント数値を尺度に窪田氏は問題提起を行った。

私がこれまで「日本の若者は個人の選択が出来るだけの教育を受けてきていない」とか「日本経済の労働力としてしか扱われていない」といった意見を述べてきたが、窪田氏は客観的数値を取り上げている点でより説得力がると思う。

そこでOECDの調査結果では欧米豪が高く、米78.9%、カナダ(アルバータ州)76%、イギリス(イングランド)67.5%、オーストラリア69.5%で、体制批判に厳しい国、中国でさえ53.3%、ロシア59.7%であり、これらからすると、「何でも言われたとおりにせず、自分の頭で論理的に考える」というのは世界的に常識であると言える。

48か国の平均は61%であり、47か国が40~87%に収まっているのに、なんと日本は12.6%であったと!!

ある小学校で、夏休みの課題として「自分が興味を持ったことに、ゼロから調べてリポートする」という宿題に盛り上がったそうだが、「なぜ学校に行かねばならないのか?」「何故、校則がるのか?」などはNGだとされた。・・・そもそもの学校教育を批判的に捉えるのを許さなかったという。

その他に、もう一つの日本の教員が実践しない指導に「明らかな解決方法が存在しない課題を提示する」という項目では、48か国平均が37.5%のところ、日本は16.1%だった。要するに「複雑な問題を先入観ゼロで自分の頭で考える」と子供に教えないという結果だ。

ある研究者チームが、教員を目指す大学生が教職課程で、4年間どの様な意識を形成していくのかを調べた。卒業に近づくほど授業技術のウェイトが増し、社会や人間関係などの繋がりを議論しなくなったそうだ。つまり「日本の大学は学校の現実を批判的に捉えて独創的に工夫する教師ではなく、決められた教育を堅実に行える教師を育てている」。

その結果かマスク着用を一同に従い、レジ袋有料化に疑いもなく従い・・・(レジ袋くらいで有害プラスティックの問題が解決するわけないだろう。まるで安倍のマスクと同じレベルの発想だ)・・・と「世界一規律正しい日本人」が個々人の批判的思考を止めているから、実践するのかも知れないと窪田氏は述べている。

この全体主義的教育が、属する組織への隷属化や集団の価値観に従わない者、皆と同じではない者に対するイジメや差別を生んでいることは確かだ。

親からして全体主義的な価値観で子供の「希望」に干渉し、「進路」まで方向づけてしまう、この国。みんなと同じであると「安心」する。子離れ、親離れが出来ず、犯罪を犯すと「親の責任」まで追及する国。外国人を利用するだけで受け入れない社会。国内でしか通用しない常識が世界でも通用すると思い込んでいる者の多いこと。英語は話さない。

小中学校に学んでいる頃が一番大事な精神性形成期だろう。自然と沸いた興味に向かって自分を試してみることで、自分を知ることになる。それを親が止めて「こうしろ」と言ってしまうことで、自分で感じ考える性格が損なわれていて、教科書を憶えてこなすだけのマルペケ人間になるのだ。しかし人間として生まれて「一番美味しい所」を味わえない人間になるだろう。

だから私は「はみ出し者」であることに「誇り」を持つように言ってきた。親の言うことは効かないバカ息子で良いのだよ。近所では変わり者で通せばよい。自分で感じて考えて、答えは自分のためにある。

今おかしくなっているこの国の現状を変えるには、現在の小中学生の教育環境とその親たちの現状認識を改めさせて、子供たちの未来を考えることから始めねばならないだろう。やりたいことをやらせるにも上から見るのではなく、横から並んで見守ることが個人としての自律を促すだろう。だから教える側の教師や親が主体的にチャレンジする意志を持たねば、それまで枠の中に放置された子供は「自由意志や可能性」を見つけることはできないだろう。


最近買った本

2020-08-05 16:36:47 | 絵画

正直言って、あまり本は買わない。特に最近は。

①デイリー六法、平成31年版 (1850円+税)

 民法、商法改正。働き方改革関係法改正。

 何故このような法律の本を買ったかと? 実は3年前から隣の敷地から、我が家の屋根に樹木がかかり、一部折れて瓦の 上に落下するなどして被害が生じた。他にも切り土の崖の上から落石があるなどして、隣地の所有者(稲荷神社)に対応を申し入れたが、手紙3通にもかかわらず無視され、「妨害排除訴訟」を起こすに至った。当方が原告で被害の立証の他、敷地境界の証明など、多岐にわたって準備書面を用意することとなったが、被告側は弁護士を雇い、(これが法律を操る暴力団の様なもので暴言、妄言の繰り返しでくたびれた)一つ一つ相手の申し立てに、法的根拠を持って反論する必要があった。事件は民法の範囲になるが、かつて西洋美術館在職中のパワハラに対して刑事告訴しようかと考えて購入した六法全書(平成14年版、有斐閣、約1万円なり)(結局告訴はしなかったが)では書かれていないことが、その後の判例で付け加えられた項目を確認しておかねばならないことを知って、浜田市立図書館で見つけた最新の改訂版を購入した。勿論役に立った。

 しかし、訴訟というものは勝つ見込みがあっても、そうそうやるものではないと理解した。7月22日に判決があったが、当たり前のことに3年も煩わされて、人生の無駄をした。只、相手を無視すれば、それで済むと思っている者が許せなかった。

②反日種族主義 19年11月15日刊 たしか文芸春秋社

 この本は韓国人6人の著者による、韓国内での反日行動に関する潜在的国民性を資料を基に明らかにした資料として購入した。まだ全部読んでいないが、知人に勧めて貸し出した。著者たちが韓国内で蔓延する反日行動が「韓国人の未来にとって不幸な結果をもたらす」という趣旨で、思い込みや作為を正す意図で書かれていて、決して日本側の主張を援護するものではないことが、人に勧められる点である。

③死の美術大全 ジョアンナ・エーベンシュタイン(北川玲 訳)河出書房新社 (6000円+税)18年10月30日初版発行

この本も浜田市立図書館で見つけて借り出したが、2週間で読み切れずに、結局本屋に直行し注文取り寄せ。田舎の町の図書館にあった本としては、私のためにあったのではないかと・・・思う。図版の面白さは病理解剖学的な視点から、様々な項目に加え、グラフィックデザイナー、写真家とか様々な仕事をかけ持つバイタリティーある内容になっている。

私としては、自分の絵画イメージの世界が「生と死と」であるので、思いっきり興味をそそられた。

訴訟が終わったので(控訴はしない・・・めんどうくせい!!)ゆっくり自分の世界に浸りたいと思っている。

④「高文脈文化」日本の行間 シンシア・リー 扶桑社 (1500円+税)20年6月5日 初版発行

この本はネットで紹介されていて、日本語と韓国語の違いを説明し、言葉、言語の成り立ちから精神文化の違い、背景を紹介している。まあ分かり易いというか。これまで言語の直接的な意味以外に、その言葉の使い方にある見えない部分を「行間を読む」として開設している点も、私は普通の日本人レベルだと思っていたけどこのリーさんの感性の新鮮さに驚かされて、改めて日本語に興味を感じた。

私は日本語が表す(日本人が表す)曖昧さが好きではなくて、具体的に、直入的に、しかも論理的に話すことが大事だと思っていたが、(この考えは別に改まるわけではないが)「感性で読む、理解する」ことの面白さは今回教えられた。このリーさんは日本に滞在して3年、あと2年で日本に帰化できると言う生粋の韓国人であるが、日本に来るまで韓国では歯科医であったが、休業してこの国にやって来た。子供のころから日本語に親しみ、日本語にあこがれて熟達。そこいらの日本人よりよほど日本語を理解し、愛しているところは見習いたい。他にも韓国についていろいろ書いた著作があるようだが、まずこの本をお勧めだ。・・・まだ読み終わっていないから、もしまた面白い点に気が付いたら話すことにする。

おっと、猫のご飯の時間だ!!