河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

老々介護が始まった

2021-12-14 23:14:32 | 絵画

年寄りが年寄りを介護するのを「老々介護」と言うらしい。自分はまだ老人ではないと思って生きたから・・・・その境目が何時なのかを考えるのを拒否してきたが・・・・自動車免許の更新で「高齢者教習」なるものを受けさせられて「ムッ」としても、まだ年寄り扱いするな!!と抵抗しても、同じ年齢とされる教習を受ける人たちの顔のしわや頭の禿げ具合はまさに「老人」ばかりであった。いや同じ年齢ということだったが、皆老け方(度合)が違う。

いやもう、最近「少しずつ受け入れるのも宿命」と思わないでもない。姓名判断からすると私は「自信家で周囲の意見もなかなか受け入れない性格」だそうで・・・・認めますけど。

分かっていてやっているので・・・・。それも一つかなと思っている。

私には一等身の父母、唯一の血のつながった二等身の姉が亡くなって、独りになった。結婚をせず独り勝手な生き方をしてきたから、今更「さみしい」などと言えない。だから猫たちに癒しを求めたが、情緒的な生き方を助長したに過ぎない。実際はもっと論理的で合理的な生き方を維持できればよかったのだが、理屈っぽい割りに自分の行動となると身勝手な判断も結構頻繁にする。

しかし人生は細るばかり、この先、後がない。二いとこの姉さまに「もう後がないよ、決め時よ!!」と言われて悩み始めた。

いつも言う漱石の「草枕」の一節「情に竿差せば流される・・・・とかくこの世は生きにくい・・・どこへ行っても同じだと思ったとき、そこに詩がある」というフレーズが痛い。私の「詩」は絵画である。絵画空間の虚構の中でのみ生きた心地がして、そこに行き着く。しかしそれを成し遂げるためには「決断」が必要だ。まだ「何処に行っても同じだ」と受け入れていないからだろう。今の住まいを棄てて、相続してしまった岩国の山の中の実家に戻るか、それとも山口の母の実家に近い、中学、高校の同窓生がいる町に行き場所を探すかだ。まったく知らない新しい土地の雰囲気が欲しい欲望もある。気持ちの整理が出来ないのは、貯金の残りでどんな生活が出来るかという問題に合理的な道筋が見えていないことにある。

ある時私の家族である猫たちは34匹に増え、年間のえさ代は50万円以上だった。いまはたったの10匹だから心配するほどではないが、実は老猫がいる。16歳のトラである。この子を連れて、ここを出て行きたい。トラは10月ごろまで大風、大雨の中でも近くの草むらで丸くなって寝ていて、つねに注意が必要だった。最近は外は大荒れの天気で命に係わる天気の日も多くなって、家にいるようになったが、食事は「ちゅーる」を3本3回食べるだけ。キャットウォークの上で寝ていて、そのまま上からおしっこをする。最初はポトポトと音がして、その内ザーっと落ちてくる。真下に石油ストーブがあって「焼きオシッコ」が出来上がる。その匂いにはがっかりする。ネットやテレビで紹介される可愛いネコとは程遠い。石油ストーブの上のやかんからお茶を飲んだ時、臭ったのはトラのオシッコである。これに怒っても何もならない。只あくびをしているだけだ。

この子を連れて行く場所を早く決めなければならない。