ドイツ留学から帰国した時、東京国立文化財研究所の新井先生に「君は天を衝く勢いで帰ってきたね」と言われた。その時意味は良く分かっていなかったが、自分の思うことはハッキリと言い、思った通りに行動することがもはや日本人的ではなかったのだ。ドイツで「言うこととやることが一致しなければ信用されない」のが当たり前だった。だから日本もそうだと思って行動したら・・・違っていた。西洋美術館という組織の中で、既に違っていたのだ。
釈迦が生まれて間もなく言ったとされる言葉に「唯我独尊」というのがあるがご存知か?自分が一番正しいという意味ではない。「自分は唯一であるから大事にする」という意味であるが、これは仏教国のこの国では理解が進まず、キリスト教国である欧米で「個人主義」として今日在る。自民党のあるバカな憲法審査会の国会議員が改正案の中に「我が国は個人主義が蔓延して社会が荒廃してきた・・・」というような理屈をつけ「一部人権は制限すべき」と述べていた。個人主義を「利己主義や自己中心主義」と誤解している自民党議員。個人主義さえ知らない者が「人権を制限しよう」など・・・あきれた。要するに集団の価値観を押し付けて国民を支配する「阿部流の美しい日本」を唱える権威主義的な「日本会議」の連中の考えが背景にあるということ。こういう連中が登場するのは、自分たちの政策が実行力が無く、「失われた20年」と批判されているからだ。
個人の考えが独創的である事、他人と違っていることは当たり前のヨーロッパで8年半を過ごすと、この国が情緒を優先し、忖度で重大なこともあやふやにして過ごす・・・のど元過ぎれば熱さ忘れる・・・争いは避けるため虐めも知らんぷり・・・ガラパゴスであることが明白であった。だから自分が自分でしかないので自己防衛のために戦うしかなかったのだ。
今私が書いている備忘録の中に「私の怒り」しか感じられないとしたら申し訳ないが、こうなる事件が私の西洋美術館退職後に起きていて、このことはハッキリと関係者に宣戦布告しなければならなかった。
まず国立西洋美術館学芸課の中で分業化が始まっていたにもかかわらず、その認識が無く「私の業務」を無視し、自分たちが学芸課の主であると振る舞う者と日々軋轢が生じた。トラブルに誰が責任を負うのか・・・誰もそんな事は思いもせず・・・・村八分が行われていた。私の後、美術館情報係(旧資料係)と美術館教育・広報係が新設されたが・・・・彼らも同じく業務内容を「無視」された。
或る時、東京国立近代美術館がリニューワルで展示室を工事して、そこでリニューワル展を行うから、西洋美術館が寄贈を受けていた現代絵画を貸し出してくれという要望が来ていた五か月前に、館としては新展示室の新建材が放出するホルムアルデヒドや他のアルカリ環境測定を行って適正であれば貸し出すという学芸課内合意を決めていたが、時の学芸課長幸福輝は「これは自分が処理する」と言って学芸会議は終わっていた。開催記述が近づくにしたがって近美からは催促が繰り返されるが、近美の担当も「ガスなんて大したことじゃない。貸せ!!」と強引であった。開催記述の一月前にはなんと当の幸福はブタペストに出張(原因は展覧会の仕込み)で14日間留守。近美からは「そんな話は聞いていない、貸せ!!」。そこで学芸課内で絵画係、保存修復係で緊急会議。とにかく近美が計測データを出せば貸し出しを許可する。貸し出し作品の添乗は絵画係で・・・と。学芸課長幸福は平課員である頃は「学芸課長が海外出張など許されない」と言っていた当人であるが・・・ブタペスト出張は「展覧会の仕込み」という大義名分も「嘘」で、その後に何も無し。時期はリニューワル展会期直前で「貸す貸さない」でもめたため、なんと近美は館長裁量で貸すことに圧力をかけて、結局貸し出した。計測データを出すという約束も無視された。そこで学芸課長が5か月前に「自分に任せろ」と言ったではないか、しかも放置して学芸課長が出張とはどういうことだったのかと問い詰めたら、なんと幸福が逆襲!!
彼は「今後河口とは一緒に仕事はしない」という「連判状」を作って、学芸会議で私に押し付けたのである。なんて奴だ・・・とあきれてものが言えなかった。「河口は自分勝手なやつで、学芸課内で一緒に仕事はできない」というのが理由付けだったようだが・・・ちんけな権威主義。そのとき私は連判状に名を連ねた課員に直接問いただし、連判状に印鑑を求めたら、沈黙!!一人だけ「前庭の彫刻の免震かでも、河口さん一人ですべてやろうとするから・・・」と理由を述べた。「じゃあ、どうして自分がやると言わなかったのか?」と尋ねたら、沈黙。
これらの学芸課員の行為は「公務員の職権乱用罪」に当たる。これを独立行政法人の理事長に訴えたら、第三者委員会を設けて処理すべき法律があったににもかかわらず、関西の知人の弁護士を採用して、聞き取りを行って報告書を作らせて「関係者全員、訓告処分」にした。何が問題かというと「理事長はリニューワル展に無理やり貸し出せ」と圧力をかけた張本人だった。この理事長は文科省時代、教育改革として「ルート3.14で計算せず3で計算するように」とした有名人でもあった。この後、庶務課長がまた暴言を吐く。訓告処分に不満だった私に「あの時、殴ってやればよかった・・・」と。私は「じゃあ、やってみー・・・」「世が世なら家に在る日本刀でお前をなます切りにしてやったが・・・」と言い返してやったら、沈黙。
なんでこうなるのか?
しかし、その後も幸福の「村八分政策」は続いた。貸し出し作品の「点検調査」は外注で、私と仲がうまくいかなかった外から修復家を呼んできた。こうした行為は直接弁護士に依頼して告発すればよかったのだが・・・。
さすがに作品購入に関して、当初は資料だけ私の研究室に持ってきた・・・・「一応見せたぞ・・・お前にも責任があるぞ」と言わんばかりだったが・・・その内、購入会議など何の連絡もなくなった。そして彼らは画商の言いなりになって高値で購入したり、工房作(画家当人ではなく弟子の作品)を当人価格で購入したりする「愚」を繰り返した。問題は最初にも書いたが、彼らが受けた教育に欠陥があった。なんせ実技を知らない。どうやって絵を描くのか知らない者が何億も出して作品を購入すれば「偽物」を買うことは必至である。「目利き」であることは、この業務をこなすためには必須な能力であり、間違えれば数千万円程度の工房作を億円単位で購入することになる。何度もこの場面に出会ったが、例えば唯一所蔵のヴェネチア派のベロネーゼ作としている聖母マリアと幼子、ヨハネマグラダのマリアが描かれた商品であるが、これをイタリア担当のKは「若描き(若いことに描いた)」として2億5千万で購入した。彼は本当の若描きがどんなものか知らないから、ちょうど私がロンドン大学コートールド研究所の客員研究員でロンドンに対峙している時にロンドン・ナショナルギャラリーに行き、ヴェロネーゼの作品を示して「若描き」とはどのような描写力であったのか教えた。ヴェロネーゼ印(しるし)である特徴は若くしてそこにあるが、筆さばきがフレッシュであるのだ。「これだよ」と言ったら「いやーフィラデルフィアのヴェロネーゼの専門家で権威ある女性研究者が「若描き」と言っていたので信じた」と言い訳をした。本当にそう言ったらその女性は権威ではない・・・・工房作を買った嘘の言い訳に聞こえたが。
他にドイツデューラーが専門だとするものがクラナッハの作品二点を購入候補として会議で発表したが、即、「これは工房作でしかも出来が悪い、クラナッハ調を踏んでいるが上半身と下半身を描いた者が居て、バランスが取れていない」と言ったら「えええー」と「どこがー??」と分からない。同じ者が今度は「初期のオランダ静物画の影響を受けたドイツの静物画家ゲオルグ・ヘーゲルの作品とされるものを持ってきたから、これまた即、「ああこれはコピーだ」「どうしてー?、どこがー」と怪訝に言って、「このヘーゲルの権威が良い作品だと言っている」と毎度おなじみの「権威が言っている」が登場する。自分にはわからないから「権威」という言葉を選択の「枕詞」として用意している。中にはおバカな者は「画商がそう言っている」と墓穴を掘っても気が付かない者もいる。画商は「詐欺師」と思え!!そのコピーだが前に以前話したことがあると思うが、同じ作品が二枚位あると分かったら、どちらかがコピーだ。しかも比較して「ここの花びらが一枚足りない。こっちは葉が少ない」といった具合でよく見ればわかることだが、最初から思い込みがあるために「見えなくなっている」のだ。こうして私は何度も偽物や工房作を買うのを阻止したが、定年まじかでは務めを果たせなかった・・・と言うのも私を排除して購入を決めたのだ。ティツアーノ作とされる「サロメあるいはユディット」とされる女性を描いた作品だが、まず世界に何枚もあるということは、西洋美術館に「本物」が来るはずもなかろうと疑え!!しかし担当者は渡辺で「描き直しがあるのは画廊が本物の証拠だと言っている」と公表しているのだ。その価格は5億円。顔は相当損傷が見られ、リタッチが見え、ティッツアーノ風に仕上げてあるがほとんど修復家の技量だ。同じ作品がメトロにもあるが収蔵庫に眠っている・・・分かるだろうか、収蔵庫行きレベルなのだ。作品の紫外線写真、赤外線写真、そしてX線写真、そしてマクロ写真を見て、損傷部が大きく他の美術館は買わない作品であること。この事実は当時の館長青柳正規に厳密な報告をしたが「いやーまた美術館の為になるようなアドバイスを頼む」と言って笑っていた。
ちょいと目利きの訓練をしてほしい。実践が乏しい者にいきなり鑑定は無理だ。少しづつ海外出張したら必ずルーブルとかアムステルダム王立美術館とかで何日間か通って「視覚的記憶」を繰り返すのだ。目で見て状態を憶えるのだ。私はそうした。その積み重ねで分かるようになる。そして画家がどういう表現を目指していたのか理解するべきだ。西洋美術館にも貧弱ながらコレクションは展示されているわけだから、昼休みにお駄弁りばかりせず、作品を熟視したらどうか!!!そう言われると彼らが「日頃から誇りにしている権威」が不満が鬱積していたのかもしれない。しかし自分を磨かなくてどうするのだろう。彼らから美術作品に関する学術的質問が来たことは無い。私が研究員であったベルリン国立絵画館(ダーレム)ではルーベンスの購入に関して、日本人の私にも「意見」を求めてきた。学芸員のレベルがあまりに違うが、研究熱心でいろんな意見を吸収しようとする日常に感心させられた。
しかしフランスの美術館を模範としてきた西洋美術館にはフランス近代絵画が主で、行う展覧会ものはフランス近代絵画のマネ、モネ、ルノワール、ゴッホなどが大衆的で入館者が多く見込まれるので、これが殆どであったが、80年代以降借用作品の保険料が上がって大きな有名画家の作品展は困難になった。こうした中でもっと学術的な美術館の役割としてあるべき研究企画展が求められたが、故中村俊春の研究企画以来実現していない。フランスの影響が残るのはフランスが誇る権威主義や階級主義だろう。弊害以外、何の役に立たない。
幸福の村八分が続く中、私も少々くたびれてきて、とうとう大森の総合病院の心療内科を訪ねた。それから精神安定剤、睡眠導入剤、胃薬を毎回処方される。住まいの仲池上からバスで大森に、出勤時間に遅れながらJRで上野に向かうのが3年半続いた。河口は悪い奴だ・・・が定着したようだ。
ある日、帰宅する地下鉄の上野駅でドイツ美術担当の田辺とホームで出くわしたら、彼は近寄ってきて、唐突に「皆には家族がいるんだよ・・」と言う。「はあー、何それ?」と聞くと、もういいというようなしぐさで離れて行った。私が独り身であるのが私の「性格の悪さ」だとみんなで噂でもしていたのか? 家族ならいるぞ!!大事な「珠ちゃん」。ここでおおぴらに行ってやろう「皆を200回以上殺してやりたいと思ったさ!!」しかし実際に実行しなかったのは「珠ちゃん」がいたからだ。彼女を置いて死刑になるわけにはいかなかった。