河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

70歳からの人生

2024-06-29 11:10:14 | 絵画

60歳定年でパワハラから解放されたが、定年は70歳でも良かったように思う。

ただ机の上で仕事をしている者と違い、「現場」があるものは積み上げの能力の質が異なる。様々な問題点をクリアするために「現場経験」を積んだことは、その個人の「財産」なのだ。見識の質の違いは明らかである。これを定年制で捨てているのである。

あるホームセンターの店長が定年でいなくなった。次に若い店長が来たが、何をしているのか存在が分からない。前の店長の時、私はチェーンソウの切れ味が悪く、チェーンの取り換えをすることにした。店長が店頭に現れ、チェーンの種類を捜して取り替えてくれた。たった2千円くらいのものであるが、手を油まみれにして交換してくれたのだ。こういう人は日頃から苦労を惜しまない。多くの商品の知識とその利用者のニーズにこたえられる経験は「60歳定年」ではもったいない。彼は定年後、郷里の同じホームセンターの臨時雇用(つまりアルバイト)となった。それまでの収入が減っても働きたいのか、そうせざるを得ないのかは個人のことだが、彼を使う若い店長は、彼の能力を生かせるだろうか?

メトロポリタン美術館のテキスタイル(織物)修復部長が日本人だという話は、何時か書いたように思う。彼女は定年無しで働いている。やはり実力主義の国では「経験と能力」は周囲から認められる。この国とは随分違う。その状況の違いは「論理的合理主義」が通用するかどうかだと言えるだろう。与えられた現場で実力を発揮して「結果を出す」ことは思考の論理的な組み立てと実行力が必要だ。「愚か者は実証に弱い」という言葉があるが、日本では「実証」して見せても無視する者が多いのは・・・・別の政治が働くからだ。ここにこの国の発展の限界がある。

だから、定年後はどう生きるかよく考えて計画を実現しなければいけない。所得も低く「たのしい老後」なんていう前に「死ぬまで戦い」と覚悟しないと。権力者が国民のことを考えてきただろうか?民主主義を唱えたか?

工事中です


思い込み(バイアス)3

2024-06-27 20:59:01 | 絵画

人の思い込みには「善」もあれば「悪」もある事は、我々、人間の性格の一部となっている。先に述べた様に警察官は業務として人を疑い、無実の者まで犯罪者として扱うことは日常である。だから無実が判明しても謝りはしない。仕事上そういうものだと「思い込んで」いるのである。彼らが暴走しないようにしなければならないが、不実は隠してしまう性格を産んでいる。また、実際に従って操作など面倒くさがって知らぬふりをして事実と異なる「ごまかし」をする。だから「監査」が必要だが、内部のものが担当すれば「適切な対応が行われた」としてしまう。外部から調査が出来る「権力」が必要なのだ。

しかし、その権力者(政治家や警察、検察)が犯罪をもみ消す事案がある。中村格という警察官僚が伊藤詩織さんの暴行事件を逮捕状が出ていたにも拘わらず「破棄」させた。その容疑者は安倍晋三の懇意とする者であったと・・・・。事後、その中村格は警察庁長官に登りつめた。メディアに色々叩かれても、世の中は簡単に変わらない。

思い込みは危険を伴うが、ごまかせば日本人の国民性で「のど元過ぎれば熱さ忘れる」となる。

これまでの思い込みと少し違うが、科学者が行う「研究」には「想定の結果に思い込み」が必要だ。つまり「当たりをつける」の出研究調査のプロセスが生まれ、多くの発見も生まれる。時には予期しなかった「結果」も得られる。その結果を想定して「予算」を組むが、大学の研究予算を削って、自分たちで金を稼げと「行財政改革」として「独立行政法人」化して、本来の大学研究機関の力を削いでしまった小泉純一郎はグローバリズムとして企業を中国に送り込んで技術や知識をただで中国にくれてやった。今になって反省しても遅いが、彼は反省しない。研究機関の将来的目標を失わせるほど海外に注力したのだ。

今になって財政に危機とか言っても、実際は日本の経済は国内に向かわず、海外に投資し利益は海外に保存され、再投資に回されてしまう。また国内企業も海外で得た利益には「特別税制」で少ない所得税として優遇している。本当は「財政危機」どころか、いくらでも資金は海外にあるのだが、「思い込み」で国民には安い賃金で国内で働くようにしたのだ。こうして自民党政治の長い支配が実態が見えないように思考停止させ「思い込ませて」いるのだ。

日銀は2%のインフレ率を求め続けてきた。誰のために・・・為替レートが1ドル160円を超えても、日銀総裁は「国民の生活はまだ耐えられる」と言っていた・・・日銀の役割は国民に向かっていない・・・日本の企業の財政経済しか目に入っていない。多くは輸出に頼っている企業にとって「円安」は利益膨らんで日本の経済は良くなると「思い込んで」いるようだが、当の国民は高い輸入品を買わされているから、実質賃金は低下し購買力は下がっている。野菜から肉、魚まで輸入しているからスーパーで次第に買わなくなってきた。スーパーは人件費を削り、キャッシャーの担当を減らして、セルフレジとか客に強いてきた。おまけに万引き防止に会計をチェックし始めた無礼も。それでも我慢するおバカな国民。これが直近の日本文化だ。


何故、警察は横暴を繰り返すか?

2024-06-19 11:09:51 | 絵画

何故、警察は横暴を繰り返すか?

簡単で!!職業が悪い!! 市民を拘束する逮捕権を持っているから・・・つまり、誰かを逮捕するための権力が与えられていると、それを使うのが仕事だからだ。しかも大方の警察官は警察学校で「警察の技術(やり方)」を学んでいるが、法治国家として常識的に守る法律はよく理解していいない。一般の公務員も含めて「他人の権利を侵害したり、義務でないことを押し付けたりした場合」は「職権乱用罪」が適応されるが・・・・島根県浜田市に引っ越してくる前に、渡船を利用して「ヒラマサ釣り」を楽しむために、岩国の実家に独りとなった父親の面倒を無るのに帰郷するまでの中間地点であるから、行き帰り浜田に立ち寄った。車であるから品川ナンバーである。この田舎の警察は「職務質問」として他県ナンバーの車を標的にする。岩国に帰るのに猫たちを東京に置いて帰れないので、たびたび車に乗せて連れて帰ったが、浜田のマリン大橋の下に車を止めて、すこし窓を開けて渡船で釣りに出かけたら、誰かが「いたずら」に窓を大きく開いて放置・・・・とんでもないことに、いい子の珠ちゃんは呼んだら車に戻ってきたが、若いオスの勘助が目の前にいても、これが走って逃げる・・・。結局、仕事があるので帰京するしかなく、渡船の御夫婦にお願いして帰った。一月もしない内に「有給休暇」を取って3泊4日で、罠など用意して、釣りはそっちのけして、なんと3回通った。

折は今よりもっとガソリンが高く、リットル197円ほどで、構想料金を入れても3回で24万円ぐらいかかった。

でこの時、夜遅くまで勘助を捜して、捕獲用罠をしかけて、マリン大橋の横で車に寝泊まりして、勘助が登場するのを待っていたら、パトカーがやって来て「こんばんは・・・」と。「ここで何っをしている!!??」。わたしはこういうこともあると思って、あらかじめ椛田警察署に手紙を出しておいた。「目的、場所、時間帯」などを書いておいたのだが・・・・・。「しつこい!!署に行って聞いてこい」と言いたかったが・・・・今度は翌日、瀬戸が島に公衆トイレがあるが、そこに車を止めたら、また「職質」だ。この連中は他県ナンバーの車イコール「犯罪準備中」のように扱う。もうむかついて「昨日も職務質問を受けたが」と機嫌が悪い状態が分かるように言った。「職質の要件は何です?」と聞き返した。「何か私がやりましたか?」「犯罪と言えるようなことを準備していますか?」と聞いたら・・・黙っていたが「いや、けっこうです」と。この田舎町に係わらず、ほとんどの土地で「職質」は高飛車にくる。

弁護士への「職質」に関する質問の回答で「あまり逆らわずに、受けた方が良い」とか言っている弁護士がいたが、「弁護士からぬ資質」としか言いようがない。「長いもには巻かれろ」式でこういうう考えの者が居るのは「失望的」だ。しかも弁護士とは。70年代を若者として過ごした年代なら「これは警察国家の始まりだ」と言うだろう。

今鹿児島県警察で起きている内部子告発事件はまさに横暴な権力者の暴走が原因だ、市民は黙認してはいけない。どうやら警察は市民の「安全安心」のためにあるのではなく、「警察は警察のためにある」のだろう。「政治が政治家のために在るのだから」この国は。


学歴社会の糞

2024-06-14 05:47:59 | 絵画

学歴社会と聞けばウンザリするが・・・・。

長期政権自民党が作った社会の歪みは直しようがないほど根付いている。人を見る基準が学歴であったりするのは「人権問題」だと思うが、国民が「労働力」として社会に位置付けられて、中卒、高卒、大卒と分けて評価される社会にしてしまった。これは教育で得た「能力」の価値基準として見られ、給与の基準にもされる。就職のときに、実に不平等に扱われ、とにかく「大卒」になるように文科省も、昔で言う「駅弁大学」を増やして補助金を与えてきた。その一方で小泉政権と竹中平蔵の時に、「行財政改革」を旗印に国立大学も「独立行政法人国立大学」とされて、名目上(うその)の公務員減らしにされ、「給付金は少しは自分たちで稼げ」と・・・大学教育そのもののみでなく、研究機関としての交付金を減らし、我が国の基礎研究の質を下げてきた。政治家が学問の価値を知らないのが問題だが・・・・それより政治家の性格の悪さから「物欲や金銭欲」のレベルで世の中を測る社会構造にしたことが、「失われた30年」に結びついている。

今になって「働き方改革」を推進しないと「行政の官僚機構」も存続が危ぶまれるほど「役人」になりたがらなくなってきた。役人の場合、給与の問題ではなく、仕事として身を粉にして働く「値打ち」が感じられなくなってきたのである。それはその会社組織にも見られるだろう。企業が利益が出ても労働者に給与として還元しないで働かせる不公平が蔓延してきている。

政府は大企業に優先な税制を与え、国民からはしょとくの47%近くを税として取り上げて、国庫は借金で膨らんでいると国民をだます。そろそろ「国民一揆」が起きてもおかしくないと思うが、長年自民党に騙されても気が付かなかっただけに、みな「ぼんくら」している。財務省の役人は「税収」の制度を「新しく発明」すると天下りまで保証されるという。やりたい放題だ。

結局誰が国民の安心安全で幸せな生活が送れるようにと・・・・考える者が役人や政治家にいるだろうか?

今私が住んでいる浜田市の家の隣は島根県立浜田水産高等学校で、我が家はこの実習棟にくっついているようなもの。ここの食品加工科の中村先生は、今朝は朝5時には仕事を始めている。学校の先生はブラック業務だと思うが、そうしないとやっていけない役割を与えられているから・・・抜けられないらしい。これが普通高校なら「大学受験のため」だけの教科で、教師は教壇に立って「教科書」を読むだけであるが、「実業高校」ではそうはいかない。卒業イコール労働力であるから、高校生を使い者になるように育てなければならない。専門性を与え、直ぐに使える労働者になるのである。

だが水案高校を卒業しても「高卒」であり、分数の掛け算、割り算が出来ない学生が理系大学にいる駅弁大学も「大卒」になれて、「学歴社会」では高卒は「下」の扱いを受けるのである。

ちなみに私は「高卒」である。東京造形大学2年中退でベルギーのブリュッセル王立美術アカデミー卒は専門学校卒扱い。しかし日本に帰国すれば「高卒」でしかなく、40歳で国立西洋美術館に就職した時に「格付け審査」で7歳年下の学芸員より給与が低くされた。その学芸員が私の給与査定を庶務で盗み見たのであるが・・・。で、60歳定年で年金が月あたり8万3千円であった。最後の頃、年金積立額は月あたり4万5千円だったのに・・・・7万9千円以下っだったら「生活保護」基準だが・・・ひどいものだ。

まあこれが学歴社会の一部だ。


自画像を描かなくなった

2024-06-13 19:00:59 | 絵画

いつの間にか自画像を描かなくなった。その理由は「鏡で自分の顔を見るのが嫌になった」からである。

時たま鏡の自分を見ることがある。ホテルの部屋のバスルームとかに「どこかの老人が映っている」のを見てビックリすることがあった。いつの間にか自分が老人であるのが受け止められない。許せない。

頭の中は「画学生」でいつまでも若いつもりだったから、恐怖に似た感情が湧いてくる。いや「若いつもり」はそのまんま。否定できない「精神性の未熟」が自分の中にあって、取り除こうとできないものなのだ。

今日、恐る恐る鏡の中の自分を見る。実は6月22日に山口市立大殿中学校の同期会が東京である。それに参加するよう返事した。どう見てもジジイとババアが集まって、どう見ても誰が誰だか分からないほど老化した顔でやってくる。みんな72か73歳だから・・・生きているだけでも受け入れて集まるのだ。恐る恐るが真実だ。

真実を受け止められるか・・・。

いや、自分は画家であるという自負があれば「自画像」を度々描き続けたレンブラント・ファン・レーンの「絵の中で息をする運命」を認めることが必要だろう。