河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

山口に通うせいか、猫が家出した。

2024-05-28 12:04:50 | 絵画

我が家で一番気難しい「まめちゃん」が、三泊四日で実家の岩国と山口の建築現場に出かけたら、先週から7日間にわたって帰宅しなかった。毎日近所を捜したが見つからないから、死んだかもしれないと覚悟を決めたら、今朝雨の中帰宅。

雨は嫌いなようで、梅雨入りしてしばらく家出はしないであろう。今週末、また山口に行かなければならないが・・・。まめちゃんは自分をお姫様だと思い込んでいるから、他の12匹とは迎合しない。食べ物も別に用意して出かけなければならない。でもこの子は父親が亡くなる前に「いい子が欲しい」と言うから、最もかわいくて人懐っこい子として、養子に出した子だ。ヘルパーさんたちから「まめちゃん!、まめちゃん!」と呼ばれて大事にされたから、父が亡くなって葬儀が終わったら、私に連れ戻されたから・・・ふてくされてしまったのだ。

まあ、帰宅したから良いとするが・・・・今日は自分のご飯に「ウナギのかば焼き」を作って半分食べたところで、ちょいと油断した。ちょいと置いてお茶を沸かしている間に、残りの二キレのかば焼きが無くなっていた。「ああーあー」とわめいたら、食い意地の張ったトラ猫のふーちゃんが走って逃げた。「あっ、くそ!!」で結局半分食い損ねて・・・。むかし高級なフィレステーキを3匹の子猫に食べられたのを思い出した。よそ見をした瞬間に机の下で3匹が噛みつきあっているのを発見。床の上に落ちたぐらいなら肉も洗えば食べれると思ったが・・・3匹の好きにさせた。彼らは時間をかけて平らげたのだから・・・まあいいか・・・と。

我が家には「3秒ルール」というのがあって、怒るのなら「3秒以内」でなければ「根性が悪くなる」といわれる「猫の生態」を尊重している。

まめちゃんが家出すると、他の子たちが何か悪いことをするから。今日はわざと彼らの目の前で七輪に炭をおこして「焼肉」を食べてやろうか!!おまえたちには「やらん!!」ぞ。


アトリエ建築のトラブル 3

2024-05-28 11:30:16 | 絵画

中国地方は完全に梅雨入りだ。梅雨空の鬱陶しいこと!! 洗濯物も乾かない・・・独り者だから、外が雨でも気が付かず、干しっぱなしで・・・湿った洗濯物が匂い始めた・・・がっかり。

いや、悪いことに山口市嘉川の建築現場は雨が降るととんでもないことになっている。造成のために持ち込んだ真砂土がベトベトで、水たまりが出来ていて歩くのも大変になっていた。あれほど言ったのに!!

建築場所は農業委員会が指定した一級農地の水田だった。つまり雨が降ると水が溜まる。だから造成する前に「表土の黒土はどかせろ」と言っておいたのに、昨年の11月にダンプカーが真砂土を運び始めて、見た目綺麗な黄土色になっていて・・・その後冬の間は雨が少なくて、現場に何時も行くわけではない私は「手順」が整っていなかったのに気が付かなかった。同時に造成を担当すると言って、500万円の前金を要求した「斡旋業者の彼」も来ない。彼は浜田で別の仕事をしていると。黒土をどかせることが、どれほど重要であったか考えもしない。恐らく、「無料」で手に入る近所の工業団地の造成地から、真砂土を運び込むのに「都合」があったのだろう。これは造成地から運び込まれた「廃土」の処理地として、私の建築現場が利用されたのだ。彼は「土も運び賃も」無料で・・・・上手くやったと思ったであろう。彼は建築家ではなく、大工でもなく専門知識はなく、業務を分割して業者に割り振って利益を得る「斡旋業者」だったのだ。現場が良く分からない・・・だから「ご都合主義的」なのだ。

しかし、現場は雨が降ればずぶずぶでねちねちの前庭で駐車場である。冗談じゃない、全てどかしてやり直せ!!さもなくば契約不履行だ!!

私は「失望し立腹している」トラブルで睡眠時間も十分に得られない。

とうとう、きつい手紙を書いて、誠意をもって対応しなければ「訴訟」も辞さない・・・と伝えた。訴状の下書きは書いている。

そうすると訴訟は何処で? 山口地方裁判所か松江地方裁判所浜田支部か? こうしていると、何時まで経っても引っ越せず、仕事も始められない。


AIと共存できるか?

2024-05-27 10:39:32 | 絵画

スマホ文化によって・・・いや文化を通り越して「文明」と言うべきかもしれないが、人工知能がいろんな形で試されて、我々の生活に大きな影響を与え始めている。このAIに知能を与えるのは人間であっても、人間以上に知能を働かせて・・・ちょっと人間が出来なかったことをして見せると・・・・人間の側が「勘違い」をし始めている様に思える。その勘違いと言うのは「人間より優れている」と思うこと。

AIが人がやってきた仕事の時間の短縮やちょっとしたアイデアのバリエーションを作って見せることで、大きな助けになることは事実だろう。それは「知性」の幅の拡大であって、実際の創造性の拡大ではない。私が危惧するのは、現場を持たずに「観念的労働」をする者に、現実とはかけ離れた結果をあたかも「評価できると満足感」のような幻想を与えることである。

それでなくとも役人や会社の幹部など現場から遠い者は社会で起きている現実から遠くなりつつある。まさかと思うが財務所の役人はAIを使って「新たな税金の徴収方法」でも創りかねない。所得の47%を税として取られる日本国民がどこかに痛みの感性を忘れているのは「のど元過ぎれば熱さ忘れる」国民性のせいであるが、もしAIが社会に食い込んでくると日本人の生活がどんなに変化してくるのか想像したくもないが、AIに仕事をさせる世の中が始まっている。

ハッキリ言って「生きた心地を無くす」だろう。AIと現実を分けられないと、自分の感性はどこに行ってしまったのだろうかと疑問を持つだけではなく、失望や怒りが芽生えてくるだろう。人が人であれるのは「自意識」があるからだ。

あるとき自分の名前でブログを見ようとしたら、「河口公男の絵画」の項目があってクリックしたら・・・・「なんじゃこりゃ!」。私がブログにアプロードしたデッサンの類が掲載されているが、その下に「類似品のデッサンや絵画」が並んでいる・・・いやこの類似品は誰か担当者が選んだのではなく、AIが選別したもので、私に関係ない。その目的や意義が分からないから、むちゃ腹が立つ。ここでも私の「感性」が無視されているが、AIに向かって「余計なことをするな」と言っておこう。

AIが責任を取るとは思えないから、腹を立てると損だ。これを利用する者に責任感があればの話だ。


アトリエ建築のトラブル 2 追記あり

2024-05-20 11:37:08 | 絵画

相手の建築業者の営業が誠実な人間であるかどうか、確かめるのが一番!!

「営業」が建築の専門家であるかどうか? また営業として手順を踏んでいるかどうかは大変大事な事だ。もし注文主と建築業者の信頼関係が成立していなければ、注文主としては過大なストレスを受けることになる、何しろ家を建てるには「大金」がかかっているから。

まず注文主の求める「理想の家」が何なのか、理解しようとするアプローチが第一番にあること。まず最初に建築予算を聞いてくる者は「業者としての都合」でものを考えるから要注意だ。注文主にとって「仕事優先」「生活優先」なのか、営業なら「感」で察して、まずは予算は置いといて、どんな建築空間が可能なのか「提案」「アドバイス」が出てくるのが営業というもので、そのバリエーションが営業担当の能力だろう。

東京では小さな工務店では、過去の実績が豊富で、他者との競争に答えてきた能力がおおよそ信頼できるが、中にはトイレのつまりだけで数十万円もの費用を請求する悪どい業者もいるだろう。

田舎町ではこうした悪どさは見当たらなくても、営業担当の能力の欠如に出くわす。おおよその工務店は自前であらゆる種類の職人を抱えているわけではなく、個別に大工、左官、基礎工事の土建業者、造園業者などを集めて使うのだ。そうすると建築計画のマネージメントをする「工事管理業」である。そこにピンハネの利益で成り立っているので、見積もりもおおざっぱで、建築費から入る営業は信頼できないことになる。

私が修復家として美術館勤めをしていいた時、庶務課から東大の庶務に転勤した者から、東大資料館の絵画作品の修復をあるところに依頼したら、その見積もりが結構高いので、私に相談があった。中身を見ると事細かに使用する材料から処置代まで項目がたくさんあったが、驚くことにその見積もり価格が常識では考えられない基準で・・・例えば「画面洗浄用溶剤、500ml2本」とか画面保護のための「ダマーニス500ml2本」とか書かれていて、驚いた。作品の大きさからすると洗浄液も5倍から6倍、ニスは10倍ぐらいの量を予定している。これは素人には想像もつかないだろうから、こういうのは「ぼったくり」にあうのだ。

しかしこういうケースは公共機関であるから、100万円を超す費用であれば、他の業者との公平な比較が出来るようにすることから「相見積もり」をとるのが規則になっているが・・・・庶務は面倒だから「西洋美術館の修復家に相談した」ことにして放置した。

私の経験から、業務の厳密さは個人になってから厳格でなければと思うようになった。だから・・・自分の家を建てるとき「4千万円では無理、5千万円でも無理・・・・6千万を超えないようにしました」とか言われて・・・・「この野郎!!」と思うことにした。

さて、今回の建築業者の営業に厳しい手紙を出した。見積内容のいい加減さに「説明をしないうちに工事をするな」と・・・すべて文書で説明することと要求した。

これで誠実に対応しなければ・・・・・と、すでに「訴状」を用意した。訴訟は解決するまでに金と時間がかかるから避けたいが。

いずれにせよ、皆騙されないようにしよう!!

こうして今回の記事を書いていたら、「はち」が書斎に入ってきた!!もうやめ!!

 

追記:

どうも納得がいかない状況は、営業が専門家ではないのでは・・・ということ。彼は山口大学の経済学部を出ている。地元では山大の経済と言えば、最も競争率が激しい学部であるが。建築業とどう関係しているのかは・・・・彼は先にダイワハウスに務めていたとか聞いた。ダイワハウスは「在来工法の木造住宅」が主ではなく、軽鉄などによる現代的効率の良い建築工法が売りだといえるが・・・・。どうして彼が浜田の小さな建築会社(後日、建築会社というには基準が満たない会社だったと判明)に務めてい居るのか?

その「建築会社」は工務店と言わず「工務所」と呼ばれていて、その事務所には職人や工事現場の者が出入りしていない・・・・ということに、早く気が付くべきであった。つまりこの工務所は仕事を受けるのに職人や資材を持ち込む業者を斡旋するのが業務だった。だから現場仕事の手順より、儲けが出る契約を早く成立させて、あとは適当に専門業者にやらせる・・・と「利益」が出るようにしている。

私が結局頭に来たのは、見積もりばかりで、その内容に誠実な実行がなされていないということ。

いや、面倒くさいことになった。


何故、日本人はウサギ小屋に住むのか?

2024-05-14 19:34:07 | 絵画

自分のアトリエを建てるのに気が付いたことがある。

自分で作ったプロットの建築図が在来工法を得意とする大工の手で小さな家、小さなアトリエにされた。基礎を見て「これは小さい、小さい!!」と言ったら「大きい、大きい」と言い返した建築会社の営業に大工。彼らは注文主の希望を全く考えずに、「世間ではこれおを大きいと言う」と自分たちの基準や常識でものを言う。こういうところに、今の日本社会が相手のことを考えずに突き進むシステムで成り立っていることを証明している。

そこに基準や常識があるから良いではないかと・・・思っている。気が付いてからでは遅い。貴方たちは何かが起きる前に先入観を持つべきだ。自分の時は大丈夫だとバイアスを働かせてはいけない。注文主つまり「客」の言うことを聞いていたら「めんどう」なのだ。

日本の家屋は尺寸で出来ている。「さぶろく」をご存知か?畳一枚の寸法で、3尺と6尺(1尺は30.3cm)だが、畳の大きさにも京間畳、江戸間畳とあって、江戸間は京間より少し小さく2尺8寸と5尺8寸とする。

そこで、部屋の大きさが4畳半、6畳と割り振られて、寝室がその程度であれば上等であった文化がまだ続いている。6畳に布団を2枚敷いたら、もう何もできない。ベッド2つであるなら刑務所並みである。1970年以降であれば、国民の食糧事情も良くなって、日本人の平均身長は大きく伸びたが、在来工法の部屋の大きさは変わらなかった。畳の部屋が少なくなって板の間に代わっても尺寸で計算されている。

まえのブログの記事に「元号制」の無駄を書いたが、西暦に一本化することで、どれほど簡単になるか分からないのと同じ。尺寸をメートルに直せば廊下も階段も少しは体に合った「寸法」と変わっていくだろうが・・・この「寸法」という言葉も古語にすべきだ。貴方はスコップやツルハシを使ったことがるだろうか?柄が短くて腰を曲げないと使えない道具になっている。

要するに受け継がれる尺寸文化が不快であると思わず、そういうもんだと受け入れる日本人が多勢に無勢であるがため改善はしないだろう。

今の浜田の家の2階で「坐骨神経痛」を患って救急車を呼んだ時「狭い階段87cm幅だから」と申し訳なく伝えたが、今回あれほど伝えても95cmにしましたと大工が言う。たった8cm幅の拡張が何になるのか??

住む人間、そこで生きる人間が将来どんな生き方をするのか、将来が見えないほど理解が出来なくなっているのだ。

ウサギ小屋が減る訳は無い!!!!!