前回はこの国が民主主義は実現する目標ではなかったことを述べた。
では何だったのかと言えば、今日も議論に上がる「選挙に勝つこと」と「保守的な慣習を守らせる」政策の優越を絶えず目指して、後は自分たちのやりたい放題を「嘘をついてでもやる」のが毎日だった。「遠い未来の国民の幸せを実現しよう」とに日々努力するなんてことはしなかったことは明らかだ。
この国の国民は「無宗教」だと言えるとか言っても、イザヤ・ベンダサン(山本七平)氏の『日本教について』という著書に書かれている、日本人が良く気が付かないうちにまるで絶対的価値のように信じて止まない「人間とはこうあるべき」という伝統的な集団の価値観が信仰の対象としてあることを忘れてはいけない。
しかしこの価値観は誰かが扇動すれば、「曖昧」に説明のつかない状態で変化してきた。戦後直ぐはアメリカの言いなりで「反共」「反社会主義」が権力者によって社会に築かれた。60年代から70年代は「人権」を主張すると「赤」と言われたものだ。60年代後半に県立山口高校の生徒だった私は教師に「おまえらに人権などない」と怒鳴られた。今なら暴言だが・・・当時は当たり前の教育の一つだった。ではその後何が変わった?ブラック校則とか言われている「生まれつき茶色の髪は黒く染めてこい」とか変わりはしない。何なのか?教育者は権力者であり、自分体に従わない者は押さえつけて従わせる・・・のが教育だと思う精神性は戦後の自民党が(特に安倍晋三が美しい日本と言った)全体主義、伝統的家族主義と言えるのだろう。半世紀以上たっても変わらない体質には、そこに統一教会という裏の組織がいた。日本の会長は「献金は求めていない」とかメディアに言って、6日後には「献金は大事であるから忘れないでして欲しい」と檄を飛ばしている。大噓つきめ。嘘をいけない事とは思わない日本の権力者と持ちつ持たれつだった。あるメディアは自民党は統一教会とは関係ないとか言っているが、これから色々出て来るだろう。