思いがけずと言えば、なぜ定年後この町に来たのかをまた考えさせられる。
ここは島根県浜田市、漁業の町のはずだったが、どうも最近はその唯一の事業が振るわず、スーパーに並ぶ魚は、山口県萩産ののどぐろ(アカムツ)に長崎産のあじまで、地物の特産が消えて平気な街になっている。私が思うにこの傾向は既に20年前にあったようだ。大型船が入港して水揚げを降ろす荷下ろし場の前に在った大きな冷蔵施設が5,6年前に壊されて、更地に縫製工場が出来た。
要するに、水揚げが減ってしまって、冷蔵庫が役に立たなくなっているのだ。本来取れすぎた漁獲は買い手が来るまで冷蔵したりするためのものだが、その買い手も数が減ってしまうほどだったのだ。どうもそこにはこの町の仲買の独占があったようで、買い入れ価格はこの町の仲買が決めてしまって、他県から仲買を排除して、結局自分たちの首を絞める羽目になった。この町の仲買によって買いたたかれた魚は、隣町の港に降ろされることになる。隣と言えば江津、大田(おおだ)の港の方で高く買ってもらえれば、いつもそちらに船を回してしまうことになる。
それとこの町の船は巻き網漁船が主で、底引きは季節が限られているが、行う船が少ない。ということは上物(うわもの)と呼ばれるアジやサバが主になって、それらは地元の加工業者に回される。スーパーに出回るには地元の小型船で漁をする年寄りの漁業者が持ち込んだものが町に出回る。あるいはそれが不十分であれば、たとえ長崎であろうと、安く買える他県から持ち込まれる。この町の若者がこの零細の小型船の仕事をするはずもない。むしろ大きな船に乗り込んで「給与」をもらう方に流れる。しかし、この町の船では初任給が15万円と安く、若者に満足感は与えられない。だから大田の船などの「漁獲分配制」の頭割りで均等に労働対価が支払われる方に行ってしまう。そしてこの町から若者も消えた。(他の業種での就職はもっと困難で、ほとんど介護職以外にない)
錆びれ行く街にはそこに住む住人の人格の問題がある。
東京に住んでいたころ、伊豆に良く釣りに出かけたが、そこの住人の性格によく似ている。伊豆は平地が少なく、山が海際まで迫って、わずかな平地にみんなが住んでいるが、せせこましくうるさく、排他的であるが観光客には来てお金を落としてほしい・・・。世間が狭い。これらに浜田の町の住人に共通している、すべての人がそうではない。話しかければ気安く、初めての者にもあいさつも交わす。しかし中には入れない。
私は元より、この町の美術関係の人たちと付き合おうとは思っていなかった。絵を描くことは自分がどうあるべきかという問題で、他人と共有できなかったからである。しかしこの町唯一の画材屋であるみゆき画材にはお世話になって、いろんな話が出来る数少ない場である。この町に関する疑問もみゆき画材で解説されるから、分からない時にはここに行く。
この町に住む前から岩国の実家に帰るついでに、良く釣りに立ち寄ったもので、何となく親近感は持ったのであるが、ある時、西洋美術館にフランス近代絵画の貸し出し依頼がこの町の「浜田市立世界こども美術館」からあったのだが、一度来館して、内情を見ていたので、貸し出しは断った。この美術館は展示室が斜めに回り、大きな展示室に降りるが、作品を斜めに観るなど、愚の骨頂である。平衡感覚が展示物に必要な鑑賞方法はあってはならない。ニューヨークのグーゲンハイム美術館を真似たらしいが、馬鹿な建築家である。それを許した市の関係者は何も検討する能力がなかったということだ。がしかし、彼らは自信満々で絵あるから、何も話はしない方が良い。しかし作品の保存環境は世界基準を満たさないと貸せません。他人からものを借りるときは、自分の物を大切にするのと同じように扱わなければならないと法的な義務が明らかにされている。そうした常識は持つべきだが、どうして浜田市にこども美術館が作られたのか?この国の大都市には無いものが、どうして田舎の町に、しかも人口4万足らずの町で、他にはやはり田舎の岡崎市にもう一つのこども美術館があるが・・・・。都会ではなく、田舎町に必要なこども美術館で、何を子供たちに与えるのか不思議であった。その回答は未だに見えない。日常的に繰り返される展覧会は現代美術、いや現代アートの作品を展示させて、子供たちが触っても良いような企画ばかりである。それらを子供に対して、芸術作品のように扱うのは止めて欲しいものだ。展示作品が小中学校で学ぶ「図画工作」の延長であることは否定しないが、美術館で「鑑賞する」行為ではないから。私が国立西洋美術館で得た経験を役に立ててあげたいと思っても、全く拒否されるのだ。
まあそれは良いとして、町の美術家たちでプロと通用できる人はニ三人である。独りは版画、もう一人は石見神楽の面を作る若者であった。こうしたプロのレベルで仕事ができる人を中心に、この町の美術文化をけん引できれば良いのだが、先に述べたこの町の人格がそれらを排除する。僅かな平らな土地を奪い合うような性格が既得権や独占などで、資質の無いにも拘わらず人の上に立とうとする人たちが大勢居るということだ。この人たちには近づかないのが賢いとみゆき画材さんには教えられた。
そうそう、東京へ出かけて、久しぶりとは思えない人の多さに酔って気分が悪かった。東京にいた時も必要が無ければ新宿や池袋、渋谷にもいかなかった。都会暮らしが性に合わないと思って、田舎暮らしを始めたのだが、想定外の町の有様に想定外を受け入れなければならない。
例えば、住宅費は土地を購入するなら、東京23区の3000万くらいの土地ならその5分の1~6分の1くらいだろうか。家賃は1K8万円がこちらでは2,3万円であろう。しかしスーパーなどで売られているものの価格は東京の方が安い。漁業の町の魚も東京の方が安い。交通費は一人一人が車で移動するから、車を購入し、高いガソリンを買う。
美味しいものが食べれる割烹料理や専門のウナギとか天ぷらとか食べれる店は無いに等しい。だから私は料理の本をたくさん持参したが、梅干しづくり、ラッキョウ、梅酒、魚のみそ漬け、粕漬などは良いとして、ちょいと気の利いた季節の総菜など面倒くさくて、やめた。金を払うからうまいもの食いたい!!ウナギも自分で釣りに行って、夜遅く帰って自分でさばく。白焼きして翌日蒸してタレを着けて焼いて、やっとうな重だ。美味しい刺身食いたければ、自分で釣りに行けという感じ。
そういうことで、田舎暮らしが都会から眺めて、決して想定通りでなく、むしろ大変な目に合うということです。いまさら何を言う?・・・・。
いや、ここで考えておかねばならないのは、この町が高齢化社会の典型となって、もうすぐ自治体としての形が破綻するであろうことだ。東京に住んでいては見えない高齢化の問題は、ここでは死活問題として見えてくる。高齢者の町として典型的な問題は世帯数に対する納税者の割合いで、非課税世帯が4割以上で、驚かされる。自分も年金暮らしで、実は収入がない時は非課税でしかない。それはこの町に収める税金がなく、貢献しないことを意味する。多くの高齢者が税金が払えない状態で、戦後の繁栄を形作った人も、年を取ってからは、この国の未来を形作るメンバーから外れているのだ。
しかしこの国の政治を考えてみれば、政治家自身が未来像を語れないでいる。どのような国を目指しているのか?安倍の言い方は「美しい日本」だと・・・・人を食った話だ。彼のセンスでは権力志向で、この国が軍隊を持ち、他国に対して独立性を主張できる国になるため、憲法改正が目下の望みである。それで彼は日本の歴史の中に名前を残そうとたくらんでいるが、そんなことをしている間に、どんどん社会構造は歪んで、「働き方改革」が国民の中から求められても、70歳以上まで絵働ける社会を作るなど掛け声だけで、経団連会長やトヨタの会長など大企業のトップはこの時声をそろえて「終身雇用はできない」などと、示し合わせたように変え高に言う。国民には何を具体的に社会構造があるべきを言わず、「観念的主張」でごまかす。
私が観念アートを引き合いに批判する、現代社会が陥る病理としての「観念的理解」が曖昧な国民性と、無責任性と一緒に社会をゆがめていると感じてしまう。この様な社会の流れにとどめを刺してやりたいと願うのは、もう一度自然な日本人に戻したいと願うからだ。失われた持って生まれた感性と、素直な主張が再生されるように望む。
田舎暮らしから見える社会をテーマに今回書いたが、都会の生活にはもっとおどろおどろしい日本人の現実があるに違いない。