河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

思いがけず2

2019-05-26 11:33:11 | 絵画

思いがけずと言えば、なぜ定年後この町に来たのかをまた考えさせられる。

ここは島根県浜田市、漁業の町のはずだったが、どうも最近はその唯一の事業が振るわず、スーパーに並ぶ魚は、山口県萩産ののどぐろ(アカムツ)に長崎産のあじまで、地物の特産が消えて平気な街になっている。私が思うにこの傾向は既に20年前にあったようだ。大型船が入港して水揚げを降ろす荷下ろし場の前に在った大きな冷蔵施設が5,6年前に壊されて、更地に縫製工場が出来た。

要するに、水揚げが減ってしまって、冷蔵庫が役に立たなくなっているのだ。本来取れすぎた漁獲は買い手が来るまで冷蔵したりするためのものだが、その買い手も数が減ってしまうほどだったのだ。どうもそこにはこの町の仲買の独占があったようで、買い入れ価格はこの町の仲買が決めてしまって、他県から仲買を排除して、結局自分たちの首を絞める羽目になった。この町の仲買によって買いたたかれた魚は、隣町の港に降ろされることになる。隣と言えば江津、大田(おおだ)の港の方で高く買ってもらえれば、いつもそちらに船を回してしまうことになる。

それとこの町の船は巻き網漁船が主で、底引きは季節が限られているが、行う船が少ない。ということは上物(うわもの)と呼ばれるアジやサバが主になって、それらは地元の加工業者に回される。スーパーに出回るには地元の小型船で漁をする年寄りの漁業者が持ち込んだものが町に出回る。あるいはそれが不十分であれば、たとえ長崎であろうと、安く買える他県から持ち込まれる。この町の若者がこの零細の小型船の仕事をするはずもない。むしろ大きな船に乗り込んで「給与」をもらう方に流れる。しかし、この町の船では初任給が15万円と安く、若者に満足感は与えられない。だから大田の船などの「漁獲分配制」の頭割りで均等に労働対価が支払われる方に行ってしまう。そしてこの町から若者も消えた。(他の業種での就職はもっと困難で、ほとんど介護職以外にない)

錆びれ行く街にはそこに住む住人の人格の問題がある。

東京に住んでいたころ、伊豆に良く釣りに出かけたが、そこの住人の性格によく似ている。伊豆は平地が少なく、山が海際まで迫って、わずかな平地にみんなが住んでいるが、せせこましくうるさく、排他的であるが観光客には来てお金を落としてほしい・・・。世間が狭い。これらに浜田の町の住人に共通している、すべての人がそうではない。話しかければ気安く、初めての者にもあいさつも交わす。しかし中には入れない。

私は元より、この町の美術関係の人たちと付き合おうとは思っていなかった。絵を描くことは自分がどうあるべきかという問題で、他人と共有できなかったからである。しかしこの町唯一の画材屋であるみゆき画材にはお世話になっていろんな話が出来る数少ない場である。この町に関する疑問もみゆき画材で解説されるから、分からない時にはここに行く

この町に住む前から岩国の実家に帰るついでに、良く釣りに立ち寄ったもので、何となく親近感は持ったのであるが、ある時、西洋美術館にフランス近代絵画の貸し出し依頼がこの町の「浜田市立世界こども美術館」からあったのだが、一度来館して、内情を見ていたので貸し出しは断った。この美術館は展示室が斜めに回り、大きな展示室に降りるが、作品を斜めに観るなど、愚の骨頂である。平衡感覚が展示物に必要な鑑賞方法はあってはならない。ニューヨークのグーゲンハイム美術館を真似たらしいが馬鹿な建築家である。それを許した市の関係者は何も検討する能力がなかったということだ。がしかし、彼らは自信満々で絵あるから、何も話はしない方が良い。しかし作品の保存環境は世界基準を満たさないと貸せません他人からものを借りるときは、自分の物を大切にするのと同じように扱わなければならないと法的な義務が明らかにされている。そうした常識は持つべきだがどうして浜田市にこども美術館が作られたのか?この国の大都市には無いものがどうして田舎の町に、しかも人口4万足らずの町で、他にはやはり田舎の岡崎市にもう一つのこども美術館があるが・・・・。都会ではなく、田舎町に必要なこども美術館で、何を子供たちに与えるのか不思議であったその回答は未だに見えない。日常的に繰り返される展覧会は現代美術、いや現代アートの作品を展示させて、子供たちが触っても良いような企画ばかりである。それらを子供に対して、芸術作品のように扱うのは止めて欲しいものだ。展示作品が小中学校で学ぶ「図画工作」の延長であることは否定しないが、美術館で「鑑賞する」行為ではないから。私が国立西洋美術館で得た経験を役に立ててあげたいと思っても、全く拒否されるのだ。

まあそれは良いとして、町の美術家たちでプロと通用できる人はニ三人である。独りは版画、もう一人は石見神楽の面を作る若者であった。こうしたプロのレベルで仕事ができる人を中心に、この町の美術文化をけん引できれば良いのだが、先に述べたこの町の人格がそれらを排除する。僅かな平らな土地を奪い合うような性格が既得権や独占などで、資質の無いにも拘わらず人の上に立とうとする人たちが大勢居るということだ。この人たちには近づかないのが賢いとみゆき画材さんには教えられた。

そうそう、東京へ出かけて、久しぶりとは思えない人の多さに酔って気分が悪かった。東京にいた時も必要が無ければ新宿や池袋、渋谷にもいかなかった。都会暮らしが性に合わないと思って、田舎暮らしを始めたのだが、想定外の町の有様に想定外を受け入れなければならない

例えば、住宅費は土地を購入するなら、東京23区の3000万くらいの土地ならその5分の1~6分の1くらいだろうか。家賃は1K8万円がこちらでは2,3万円であろう。しかしスーパーなどで売られているものの価格は東京の方が安い。漁業の町の魚も東京の方が安い。交通費は一人一人が車で移動するから、車を購入し、高いガソリンを買う

美味しいものが食べれる割烹料理や専門のウナギとか天ぷらとか食べれる店は無いに等しい。だから私は料理の本をたくさん持参したが、梅干しづくり、ラッキョウ、梅酒、魚のみそ漬け、粕漬などは良いとして、ちょいと気の利いた季節の総菜など面倒くさくて、やめた。金を払うからうまいもの食いたい!!ウナギも自分で釣りに行って、夜遅く帰って自分でさばく。白焼きして翌日蒸してタレを着けて焼いて、やっとうな重だ。美味しい刺身食いたければ自分で釣りに行けという感じ。

そういうことで、田舎暮らしが都会から眺めて、決して想定通りでなく、むしろ大変な目に合うということです。いまさら何を言う?・・・・。

いや、ここで考えておかねばならないのは、この町が高齢化社会の典型となって、もうすぐ自治体としての形が破綻するであろうことだ。東京に住んでいては見えない高齢化の問題は、ここでは死活問題として見えてくる高齢者の町として典型的な問題は世帯数に対する納税者の割合いで、非課税世帯が4割以上で、驚かされる。自分も年金暮らしで、実は収入がない時は非課税でしかない。それはこの町に収める税金がなく、貢献しないことを意味する。多くの高齢者が税金が払えない状態で、戦後の繁栄を形作った人も、年を取ってからは、この国の未来を形作るメンバーから外れているのだ。

しかしこの国の政治を考えてみれば、政治家自身が未来像を語れないでいる。どのような国を目指しているのか?安倍の言い方は「美しい日本」だと・・・・人を食った話だ。彼のセンスでは権力志向で、この国が軍隊を持ち、他国に対して独立性を主張できる国になるため、憲法改正が目下の望みである。それで彼は日本の歴史の中に名前を残そうとたくらんでいるが、そんなことをしている間に、どんどん社会構造は歪んで、「働き方改革」が国民の中から求められても、70歳以上まで絵働ける社会を作るなど掛け声だけで、経団連会長やトヨタの会長など大企業のトップはこの時声をそろえて「終身雇用はできない」などと、示し合わせたように変え高に言う。国民には何を具体的に社会構造があるべきを言わず「観念的主張」でごまかす。

私が観念アートを引き合いに批判する現代社会が陥る病理としての「観念的理解」が曖昧な国民性と、無責任性と一緒に社会をゆがめていると感じてしまう。この様な社会の流れにとどめを刺してやりたいと願うのは、もう一度自然な日本人に戻したいと願うからだ。失われた持って生まれた感性と、素直な主張が再生されるように望む。

田舎暮らしから見える社会をテーマに今回書いたが、都会の生活にはもっとおどろおどろしい日本人の現実があるに違いない。


思いがけず

2019-05-14 22:07:34 | 絵画

13日午前0時17分、浜田自動車道浜田出口通過。一応夜間割引で12400円だったか。

家に0時半ごろ着いて、門を開ける。キーとかガラガラとかの音で、猫たちが集まる。その数7匹程度。月夜だが半月で薄明かりでよく見えない。

「父ちゃんだぞ!!」「今帰った!! てめえら!挨拶しろ・・・・なんてね」するわけないけど・・・・彼らは私だと分っている。だんだん機嫌がよくなったのか、数が増える。玄関まで並んでいる。家は開けっ放しで、カギはかかっていない。これまで二度ドロボウに入られて、掃き出し窓のガラスを割られてから、カギは掛けないことにした。その時の被害は12000円のガラス代。もう一度は釣り道具、ヒラマサを釣るための釣り竿とたも網の柄が入った竿袋とリール4点他道具一式、しめて30万円なりが盗まれた。私の家の庭は海に面していいて、釣り人が無断浸入すること度々で、その中の者がやったに違いない。で、今回は何も盗られていない様だ。プロは金しかとらないから、窓からのぞいて、部屋のあまりに汚いことに呆れて帰るに違いない・・・・窓を壊さずに、のぞいて分かったら帰れ!!

そういうことで、家の中は汚い。猫が掃除はしないから、そこいら中、ゲロが増えて、下のくせが悪い子があちこちにオシッコをしていた。で、出かけるのにてんこ盛りにしてい置いたカリカリは殆ど食べていないようだった。

まあ、皆うれしそうに集まってきたので・・・・「よし!!缶詰をあけるど!!」と居間の真ん中にすわると、15,6匹集まって騒がしかった。久しぶりでうれしいらしい。まぐろの缶詰をまず6缶開けて・・・・食べ始めると夢中に食べるが・・・・みゅーみゅーと啼く声。あれ?だれだ?声が変だよ?と思って・・・・まさか!!

そのまさかで・・・・あいちゃんが段ボールの中に飛び込むのを見て、覗いてみたら・・・・なんと毛虫の大きいのみたいな子猫が4匹!!うそだろ・・・??あいちゃん、お前はまだ子供だし・・・。そういえば出かける前に少しお腹が大きくなっていて、きっとウン子が溜まっているに違いないと思っていたのに・・・本当にお前の子なの??みな毛色は白を基調とするブチで、どうも女の子ばかりで。恐ろしいことになった。彼らの誕生日は恐らく10日ごろだ。

意外とあいちゃんは他の猫が居ても大胆に玄関を上がったところに置いた段ボールの中に生んだようで、周りを気にしていない。普通は他の猫に干渉されない場所で、子猫を守れる場所に生むのだが、彼女はまだ子供で初産だから気にしていないが、私は気にする。

昔、上野の西洋美術館で保存担当で《地獄の門》の免震化工事と保存処置が始まるのに、門の後ろについていた壁を取り払って、門の内側がむき出しであった頃、実は猫が子供を4匹生んだことがあった。人懐っこい母猫が「ニャー」と出てきたときには驚いたのなんの。学芸課や庶務課の女の子たちがキャーキャー言って見に来て子猫を触ったので・・・親猫が子猫を連れて引っ越してしまったので、悪いことをしてしまったと反省し、あれ以来、子猫のうちに触らないように、干渉しないように気を使っている。

さらに、もう一匹、本命の母親の「ともちゃん」が生んだかもしれないと思ったら、案の定だ。あいちゃんよりよほど大きかったお腹がしぼんでいる。正確な数は分からないが、5匹は生んだだろうどこで生んだか分からない。ともちゃんは周りからいじめにあっていたし、臆病だった。乳離れしてカリカリを食べる頃、つまり生後3,4週間ごろになって連れてくるだろうその時は騒がしくなるだろう。

意外と落ち着いているって?

ちがいます!!諦めているだけです。

次回からまた美術品の保存環境から問題点を書こうと思います。


久しぶりのお上りさん

2019-05-13 11:40:18 | 絵画

島根に引っ越してきて久しぶりとなるが、今回はこの7年間で4回目の上京だった。前回は確か東急文化村で行った「ラファエロ前派展」の撤収の時だった。撤収の後、次が山口県美だったので、新幹線で上京したかもしれない。これまでよく車で上京したので混同しているかも知れないが、新幹線だと浜田から広島にバスで出てのぞみに乗るので、7時間あれば東京に着いただろう。しかし車だとおおよそ15時間かけて走る。それは夜間割引を利用するので、いつも夜12時を少し回ってから出発する。途中くたびれて眠くなるので、事故防止のため3時間くらい仮眠するから15時間が必要だ。時間と交通費では新幹線が勝るが、ただ何も考えずにボーっと運転しているのが好きだから、あきもせず走るのである。

今回はKKR中目黒ホテルで4泊し、短い時間になるべく多くの人に会うことを目的とし、空いた時間に買い物をする予定だった。が最後の日には、、疲れのせいか首が回らなくなって、予定が狂い始めた。いつも上京した時には、帰りに久が原の島忠(ホームセンター)に立ち寄って材木か何か浜田より安い物を買って帰るのである。今回も木目のきれいな節がない桧原(ひわら)の桟木を買ってきた。他にシャインマスカットの苗木を買いたかったが、流行は終わったのか・・・無かった。

で、島忠の開店時間が10時で・・・・驚いたが、昔はもっと早かったと思う。朝が早い職人がその日の仕事に使う材料調達の為に8時ごろには並んでいたように思うが、朝早くホテルをチェックアウトして、急いできたのに待たされて、帰路に就くのが遅くなって心配した。というのも帰りも同じで夜間割引に間に合うように、浜田の高速出口を通過するのが重要だったのだから。結局帰りは、軽油を満タンにして東名高速に乗ったのが11時で、途中で睡眠がとれるかどうか心配な時間配分になった。

そこで結局、これまでじそく80kmで安全運転を心がけていたのを、少々冒険気味に80~120kmで走ることになった。まあ燃料が高くなっている時期だけど、割引時間に間に合うことと、家で待つ猫たちに早く会いたかったので、眠気を吹き飛ばして走ることになった。そして13日0時17分に浜田出口通過、まあ無事帰りました。

今回の上京の目的は、一番に「昔の友達に40年ぶりに会うこと」だった。

 ちょっとあり得ない話になるが、昨年亡くなった父の家に行ってかたずけ物に忙しかった時、夕方のTV番組でバラエティが嫌いなので、BSのNHK放送大学でやっていたフランス語講座をちらり見た時、どこかで見たことのあるフランス語講師が居るので、最後まで見ていると「なんと!!!」Patrick des vOS というフリップが出てビックリ仰天。彼は「私の人生を変えた恩人」であった。

こんなことは一人一人の人生ではそうあることではないと思う。ブリュッセル時代に出合ったベルギー人の友人が40年後に日本のテレビに登場したのだ。しかも東京大学教授となっていた。直ぐに私は東大教養学部に電話し、彼の所在を確認し、大学あてに手紙して、恐る恐る昔の話を書いて返事を待ったら、やはり当人に間違いなく、再会の話となった。

いや、彼とはブリュセル王立古典美術館でブリューゲルの《反逆天使の墜落》を模写している最中に出合ったのだが、ソルボンヌ大学日本語学科の留学中の東大生と一緒に、私の後ろから声をかけて来たのだった。二人とは、模写が終わった後どうするのかという話になって、「王立文化財研究所」でフランドル絵画の修復と技法を勉強したいと希望していることを伝え「誰か推薦状を書いてくれる人はいないか」と、日本人の留学生でしかない若者が向かうべき未来の可能性を聞いてみた。

その時、あちこと聞いて、なんとベルギーの国務大臣の「紹介状」を得てくれたのだった。国務大臣と言えば日本の外務大臣に当たる。その紹介状となれば、効き目は大である。だがそう簡単に文化財研究所で勉強できるわけがないインタビュー(面接)を許されて、所長直々に会ってもらえるというので、ウキウキで出かけたら、所長は所長室の椅子の上で「赤ワインの臭いをプンプンさせて」迎えてくれた。質問は「こういう絵を洗うとき君ならどうする?」というようなもので・・・・答えたら「君の知識は概略だ、ここで学ぶには不十分だ!フランス語は十分だが・・・」といわれて、「他を紹介するから・・・」と言われて、ドイツのニュールンベルグ行きを望んで、結局ニュールンベルグで決着した。しかしニュールンベルグで会ったボス、ブラハート博士は私のデッサンや油絵のポートフォリオを見て「君は珍しい奴だ、ヨーロッパには今では君のように16,17世紀のデッサンが描けるものは居なくなった。直ぐ来い!」と言ってくれて、私の人生の未来につながったのだ。これもすべてパトリックのお陰だ。彼もソルボンヌから早稲田の文学部に留学し「歌舞伎文化」の研究に専念したが、そのころから連絡が取れなくなって、今日に至り、40年の歳月が流れた。

だから、今回の上京がどんなに重要であったか分かってもらえるだろう。

彼は毎日忙しく、簡単には会える日が決まらなかったが、会う場所は何と簡単に決まった。彼が住んでいる場所は私が昔住んでいた場所からほんの5分ぐらいのところだったのだ。何年も会うこともなかったのは彼がバイクで大学へ通い、私は地下鉄で上野に通っていたからだった。それと私のテレビはBSが映らなかったからだ。たまたま岩国の田舎のTVに彼が見つからなければ、ずっとすれ違いであっただろう。

それと彼が例外的なフランス系ベルギー人だったことだ。普通、フランス人は親しい友人であっても、3年以上会わなければ、あるいは音信不通であれば絆はお終いだろうが、彼は違った。彼にはきっと日本での習慣が身に着く前から、性格が解放されていたのだろう。彼はきっとその性分からいろんな人と付き合って学術的なことも吸収してきたに違いない。今回も私の古い友人たちと集える西馬込のトンカツ屋で、彼の専門の常磐津の師匠と知り合うことになった。

この日は午前様でホテルに帰った。で、少し油断したかもしれないが首が回らなくなって、翌朝は出かけても一度ホテルに戻って、サロンパスを首や肩に貼って寝て過ごした。

だが、今回の第一の希望は最大の喜びになった40年ぶりに恩人に会えたのだから。わかります?

で、浜田に帰宅して、大変なことになっていた。



未来はどこへ

2019-05-02 08:45:02 | 絵画

みんな令和になって、浮かれている?浮かれているのは、いつも営利目的しか考えないマスメディアだろう。メディアが煽ればすぐ乗るのが、特段に考えもない人生を送っている者たちだろう。令和がどっち向いているより、自分がどっち向いているかを確認したほうが、今日が充実するだろう。私は元号は無い方が良いと思うから、浮かれることはない。

で、また絵の話。

実は描きたい気持ちが逸って、実は自分も浮いている。しかしやるベきことが沢山あって気が集中しない。

気候は少し春めいて、桜は寒暖激しくさまよう中で散ってしまった。しかし五月のゴールデンウィークにはプランターの野菜の苗も植えておかないと・・・。でも去年は連作がたたって、生育が悪くて収穫に結びつかなった。ミネラルの補充が必要らしい。プランターの土を掘り返したら、猫が来てウン子をしよった。まあ余計なことをと・・・・思うが。

他に、2年前から続いている訴訟がある。隣の地所から、木の枝が我が家の屋根にまで伸びて、時に瓦の上に落ちてくる。他に隣の崖から落石があって、たまらないから相談を持ち掛けても3通の手紙に応答なし。仕方がないので「妨害排除」の訴訟となったが、これが一向に解決に向かわず、相手の弁護士が隣との土地の境界があいまいだと言い出して、法務局が行う「筆界特定制度」というのを申請した。その費用70万円なにがしを払わされる。で、その報告書が出てくるまで9か月かかって、それが納得できない内容で、法務局が担当させた測量士に「海の中」に境界線を引かせたため、またこれに対して「境界確定訴訟」というのをやらなくてはならなくなった。ほかに我が家が建っているのは、人様の土地を通らなければたどり着けない「袋地」で、民法上の囲繞地通行権はあるものの、一部未登記で誰の土地が分からなかったところを、法務局が訴訟相手の被告の土地にしたものだから、被告の弁護士が「ここを通らせてやるから、訴訟を取り下げろ」とか「通行料を払え」とか言い出して、混乱してきた。私の方で昔の資料(明治大正に毛筆で書かれた登記資料)から、問題ないことが判明したので「通らせてやる」いや「通行料を払え」はなくなったが、どうも裁判官は被告弁護士とは顔見知りで、忖度して「何々先生」と呼ぶから、ムカついてきた。裁判官は和解を勧めてくるが「ネット高、テレビだったか、「なぜ裁判官は和解を勧めるか?」という記事から「判決」を不用意に出すと「控訴」されて、その判決内容が他の高等裁判所の裁判官に審査されるのを嫌うというのが、判決を避ける理由だというのであった。場合によっては、自分の経歴に傷がつくから。「何々先生」という言い方で、忖度する状態では、公平さを欠くとも思えた。もはや判決を出させた方が良いかもしれないと思うようになった。しかしこれもまた手間がまた増えるだけだろう。

そういう訳で、気持ちが落ち着いて絵を描けるような雰囲気ではない。絵に集中するには世俗的なことで悩むようなことがあるのが、一番の障害だ。早く終わらねば。

しかし、裁判官というのは信用ならない。(実は私の父も裁判官をやっていたが)法務局が提出してきた筆界特定報告書ならびに参考とした「資料」をよく読んでいない口頭弁論を勧めている。やっていることに合理性を欠くから信用できないのだ。それから、法務局が筆界特定制度というのを行って、出した結論には法的拘束力がないのだそうだ。要するに参考資料程度の話らしい。被告代理人(弁護士)はまるでもう決定したかのような理解で、「通らせてやる」とか「通行料を払え」とか言っていることを、裁判官が否定もしないのは、この制度をよく理解していないのではないかと思う。こういうのは本当に困るんだよね。こっちは素人なんだから、もっと正確にまた公正にやってほしいものだ。

で、何故この二年間、絵も描けずにいるか判明しただろう。人生で余計なことをしているからだ。なんて馬鹿な自分だろうと思うが、「揚げたこぶしはおろさない」のがモットー

しかし、いくら何でも、これが制度だからと言っても、法務局が申請者に70万円から負担させて、出した境界線が気に入らねば訴訟を起こせというやり方。しかも相手は、この境界線をいい加減に引いた法務局ではなく、境界線で分けられる相手、つまりお隣さんだと。相手はびっくりして、何が問題なのか?自分がしでかしたことではないことで訴えられるとは・・・・。この制度はいかにも無責任すぎる。今まで誰も文句を言わなかったのだろうか?いずれにせよ、どこかでこの行政の仕組みに改革を求めねばならないだろう。しかし先が良く見えない。


猫を殺すなオーストラリア

2019-05-01 00:01:48 | 絵画

最近のネットニュースに「オーストラリア政府が野良猫200万匹を毒入りソーセージで殺処分する計画」というのがあって驚いた。

しかし、オーストラリアならやりかねない。クジラを殺すのはまるで人類の犯罪として扱い、反捕鯨団体のグリーンピースを提出胃腸に扱い、基地まで提供しているが、一方で生き物に対するどのような理念を持っているのか全く理解が出来ないこともやって来ている。例えばカエルが増えて困るから、蛇を、蛇が増えて困るからマングースを、マングースが増えて在来種の希少動物を捕食するから処分しようとする。他に開拓民募集の時、趣味でウサギを飼っていたものが、何匹化のウサギをオーストラリア大陸に持ち込んで、これが増えて逃走し、何百万匹に増えて牛や羊の飼料となる草を食べつくして食害を起こしているとか。

彼らがやることは理解不能だ。クジラにせよ殺して油だけ取って肉は捨てて数を減らしたのはイギリス人と連邦国家であるオーストラリアやニュージーランド人ではないか。

いや、彼らの無神経さは前回議題とした「合理主義」とは無縁の行き当たりばったりの対応をする「観念主義者の国」であろう。かつてメルボルンで国際保存学会の国際シンポジュウムが開かれた時、私と保存科学担当と二人で、「地獄の門の免震化と修復処置」についてのポスター発表のパネルを持って空港の税関を通過しようとしたときのことだ。税関職員がポスターを保護している木箱を持ち込めないと言って、押し問答になったことがある。つまり相手は「害虫やカビが考えられる素材」として木箱がいけないというわけで、結局その場で箱を投げて、中身だけ持って会議場に行ったの事があった。

他にも西洋美術館で作品貸し出しの仕事があった時、オーストラリアからの借用申し込みの書類に非常識極まるリクエストが書かれていて、衝撃を受けた。なんと貸し出し受け入れ書類に「もし輸送箱にカビが見つかった場合、税関で燻蒸(くんじょう)を許す」という項目があって、私の目は吊り上がった。同時に「この馬鹿野郎!!」とどなってしまった。だいたい「燻蒸」というのはメチルブロバイドという毒物をガス状にして密閉した室内に送り込んで中の害虫やカビを殺すものである。木の奥に隠れている害虫まで殺そうとすればかなり長時間(3日程度)はガスにさらすのであるが、そこに同時に美術品が含まれていれば、例えばカンヴァス画であれば木製の張り枠、板絵の板材、そして額縁に至るまで対象となるが、その時この薬剤は色顔料に影響を与えるし膠などのたんぱく質を硬化させることが知られている。それを許可しろと書いてあったのである

私の返事は過激にこうだった。「もし当館作品ならびに輸送箱に生物被害がみつかった場合、指一本触らせない。直ちに当館に返送せよ」と。

ふざけんじゃない!!他館の物、しかも他国の物を展覧会の為に借りようとしていて、こんなリクエストするかね欧米から遠く離れて国際常識も持ち合わせないのだろうか!!結局、作品を貸し出したが何も起きなかった。幸いかな・・・。当たり前だが、もし秘密裏に何かしていたら・・・・許さん!!

くそ!!猫殺すな!!

我が家の猫、ただいま25匹ぐらいだが、もうすぐ知ちゃんに生まれそうだ彼女は触れないのらのメス猫だ。食事の時だけうちに来る。近所で生んで、その内お披露目に何匹連れてくるだろうか、それが問題だ。君のためだ、この次は不妊手術させてもらうよ・・・。他にもどうも怪しいのが居て、お腹が膨らんできたが・・・おかしい?不妊手術したと思ったが・・・・。考えただけでも恐ろしい。