河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

左右の靴下がちがうね

2022-03-24 19:26:00 | 絵画

毎日のことだが、朝から靴下はどれを履こうか考えるのは職務期間中のこと。美術館業務では拘って生きてきたから、一つ一つがこだわりの積み重ねだった。

今はもう、毎日が日曜日で働かないから好き勝手にしていると、こだわりが無くなる。それは靴下の柄、冬物、夏物だろうが気にしなくなった。ある日、歯医者に行って診察台に座って足を見ると、左右の靴下の柄も色も違っていた。片方は黒、もう一方は青だった。青い方には横線の模様に成っていて、一目でそれはペアではないことが分かった。仕方がないことだ。洗濯しても面倒で乾燥後にペアにして仕舞い込むときに「プイっと」しておく。そのせいだ。

日頃から自分は年寄りだと思わないように・・・しているつもりでも靴下は、まさか年のせいでと思わない。只昔から人生の大事と思わないことに気を使わないようにしていたから。(しかし穴の開いた靴下は冬場は冷たいから、ちょっと避ける)しかし、日ごろから運動不足を分かっていて、今一真面目に取り組まないから・・・・高い所にあるものに手を伸ばそうとして、飛び上がって20cmの高さの物に手が届かなかった。これはヤバいと思う。人生の先が不安になる。

人は生きている以上「こだわり」は必要だろう。若く見せるために姿勢を良くして歩くとか食事中もテーブルに顔を近づけないで、背すじを伸ばして食べる。これは誤嚥(ごえん)を防ぐために大事らしい。

独り者の男が「食事中に背筋を伸ばしている」のは奇妙だろうね。

いや、一方で、実は絵を描く上では「こだわり」が邪魔になってスランプの原因になっていた事を書いた。こだわりは素直さを押しつぶしている時もありっ見えるものが見えなくなることもある(ここで言う見えるものとは、心に見えるもの、つまり創作イメージの世界)。

ああ、それと最近はコロナとか以外に、家の事つまり自分は何処で最期を過ごすかということ。この浜田を引っ越して、山口の方でもう一度新鮮な気持ちになりたいと思っている。しかしそこにも障害となるものが山ほどあって、飛び移れる身軽さはない。ここにも「こだわり」がある。

左右の柄が違う靴下を履くような軽い気持ちが欲しい。

と言いつつも、先週は片道3時間かけて鳥取県境港市のスーパープラントまでカニを買いに行ったのだから・・・・やることが恣意的で、独身だったせいだね。


やっと見えてきたかもしれない

2022-03-19 20:58:47 | 絵画

完成イメージの無いまま絵を描き始めてしまうと、時には気持ちが中途半端になって、そのまま放置して何か月、あるいは何年と過ぎてしまうことがある。そんな無駄な作品がアトリエに埃をかぶりながらいくつもある。

最初のモチベーションのエネルギーは消滅し無駄となるのだが・・・・もう一度描き加えればと思われるかもしれないが、そう簡単にはいかない。最初の気持ちに裏切られたような気がして距離が出来てしまうのだ。またそれぞれの欠点が見えるとしばらく放置したくなる。

ほんの手に持てるほどの大きさの作品でも描き直して何か月も描くと、地塗りの明るさを維持する絵具層は上に他の色が塗り重ねられて、随分と沈んだ調子の雰囲気が漂う作品になってしまう。まあ、それでも完成にこぎつければ・・・無駄はしても許されるのだけど。

で!だ! そんなに悩んで来てポジティブに考える日が来ることもある。

ここをこうすれば良いのではないか・・・と。それは単純に技法的な手順がカギとなったりする。作品の完成イメージは最悪60%程度でも、白い下地の上に下描きデッサンが線描で描かれると、次は着彩の手順であり・・・基調となる全体が暗い絵であるとか、明るい絵である、いや茶っぽい調子で温かく感じさせながらまとめるとか持続可能な感覚的な意識が生まれると、実はどんどん描き込まれてイメージが出来上がっていくのである。

実は絵を描き始める時、今回はフランドル絵画風のテクニックで美しい透明感のある仕上がりを目指す・・・とか、欲を張った気持ちが描画の工程を邪魔し、気がそれたところで止めてしまうので・・・気を付けなければならない。

それよりむしろ我流で質は高くなくても、描画に関して素直に描いていられるとどんどん進んでいくのである。それを忘れてしまうので、これまで失敗作が多いのである。

こだわりが失敗のもとだったのだよプーチン君。

ここでまたよそ事を書くけど、去年のブログに同じように「カニ食いに行こう」というのを書いたけど・・・今年も3月20日で禁漁となる日本海ズワイガニ漁が気になって、絵を描くどころではなく、鳥取県の境港のスーパープラントに出かけた。片道3時間だが、着いてみてガッカリ。去年の暮にも同じように出かけて、今年は天候不良でカニ漁は最悪だと。3月まで寒波の影響は残って海が荒れて船が出られなかったのだ。

魚屋のおじさんに「これしかないの?」と分かっているのに聞く。大きなベニズワイガニが並んでいるが、ビニール手袋をくれるから触ってみると「軟蟹(やわがに)」だった。値段を見ると980円だからね。軟蟹は産卵後か生け簀に長いこと飼われていたのかも知れない。島根県の浜田から遠路はるばる来たからには何か買わないと・・・。二杯掴んでおじさんに渡すと、おじさんは一杯をよけて、奥から別のカニを持ってきてビニール袋に入れてくれた。なにやら色が黒っぽいので聞いたら、「これはズワイのハイブリットだ」って。足をつかんでみるとギシっと身が詰まっている。気を使ってくれたね。じゃあと私はアサリを買って「カニを食べたら、締めはアサリ汁だ・・・」とか言いながら鮮魚部門を後にして、イタリアとスペインの生ハムを10パッケ買い占めた。いつもこれだ。浜田のスーパーでは子の生ハムが高いのだ。

あまりにくたびれて浜田に帰りついたので、猫にエサを与えたら寝てしまった。夜中にカニを食べ、アサリはとりあえず生きている内に火を入れた。翌日結局ボンゴレビアンコにして食べた。

まあ、今年もカニは終わったから、絵を描こう。


新入り野良ネコに名前を付ける!

2022-03-10 23:33:52 | 絵画

三日目に既にほかの猫にスリスリ、ずっと前からここにいるようなリラックスで石油ストーブ前にいる。居間のキャットウォークに他の猫たちは登って新入りを観察している。無視しているようで気にしている。新入りは私の姿を見ると、むくっと起き上がり私の後を追いかけ始め、台所、書斎など他の猫たちはでいる禁止区域だと分っている所もお構いなしに付いてくる。年寄りの新入りだから、いきなり叱るのを躊躇う(ためらう)。彼の選択に任せ、ここを「終の棲家」とすれば、それも良しとする。

変な例かも知れないが、昔こんなことがあった。父が広島・大竹の簡易裁判所兼任判事をしていた時、父は私を試したのか・・・「今、前科12犯の窃盗事件を扱っている。また窃盗を繰り返していて、私が判決しなければならない。私は懲役12年まで与えることが出来るが、なんせその人は年寄りでも、情状酌量が出来ない。日本の教育刑の刑罰の限界だろう・・・お前ならどうする?」と言う。私は「13回も窃盗を繰り返したその人にとって、刑務所は「終の棲家」であるに違いない。また入れてあげたら?」と返事したのを思い出す。

で、その子に名前を付ける事にした。たいして意味のある名前ではないが、「ごろ」とする。なんで??・・・つまりもうごろごろしているから。

明日病院に連れて行く。どうも流行性鼻炎で体力を消耗している。抗生剤の注射は4千円だ。2年前に浜田市で猫の伝染病が流行って、うちの子が一年間で15匹亡くなった。もしワクチン5種の注射をしていれば皆助かったかもしれないが、気が利かなった。申し訳ない。

寝室の飾り棚に自分流の仏壇を作って、猫たちが亡くなるたびに線香をあげている。昨日はスーパーで少し洒落た花を買ってきて活けた。そしていつも五本の線香に火をつけ、順番に「神様、仏様、御先祖様、母ちゃん・姉ちゃん、そしてニャンコ達」と手を合わせる。ついでに宝くじをそこに並べて・・・・。

なに??どこまでマジかって??!!

猫に聞いてみてくれ・・・とうちゃん腹減った、何かくれ!!

 


行先の無い野良に厳しい冬

2022-03-08 06:24:48 | 絵画

我が家は街の場末。日本海に面し、瀬戸が島という小さな島との間に水道があるが、その端っこの為に寒波で起きる大波が目の前の岩に砕けて、それを西風が我が家に潮水の雨が降る。そんな場所に行く末の無い野良猫がやってくる。

うちの子を捜しに家の周辺を歩いていると、それらしき猫に「おーい!まめちゃんマンマだよー。お帰り!!」と声をかけたら、見慣れない猫だった。キジトラのしっぽの短い子だ。

家の側に作った猫レストランにカリカリを置いておいた。翌日には器が弾き飛ばされていて、中身は食べたようだ。しかし食べたのはうちの子かも知れない。翌日には家の庭でその野良を見かけたが怖がって近寄らない。しかしその夜のレギュラーメンバーの夕食に時間に、掃き出し窓に顔を近づけて啼く、その野良の子がいた。ガラス戸を15センチほど開けてやると入ってきた・・・お腹が空いている・・・缶詰のマグロを目の前に置くと、それは「かつえ子」のように異常にむしゃぶりついて食べる。缶詰の次にカリカリを差し出すっと、それも皆平らげてしまう。まだ怖がっているので戸は開けっ放しにして、自分の食事の用意をしていることにした。その子は食べたら行ってしまった。

その次の日は海は大時化で家の子たちも外に出ないようにさせた。また野良の子がやって来たのは翌日の少し海が静まって来てからだった。やはり夕刻の猫が藩の時間にやって来た。掃き出し窓のガラス越しに開けてくれるのを催促している。

我が家の食事のメニューは毎回同じだ。時々味に飽きないようにしてやるが、ぜいたくは言えないほど手間がかかる。昨日はまだ寒く24時間石油ストーブで暖を取る。野良の子も寒かったに違いない。食事をもらったらストーブの前で動かなくなった。他の子たちとケンカさえしなければ放っておく。私に目を合わせるから、触ってみたら受け入れた。もう怖くはないみたいだ。毛並みはボロボロで年寄り猫だ。13~14歳くらいだろうか。腹回りは肉がげっそりとしている。私はあちこち触りまくって「診察」した。食事を毎日したら少し元気を取り戻すに違いない。

夜中の三時に、ストーブの灯油の継ぎ足しをしたときにはソファーの上で寝ていた。皆と同じ場所にはいかない。少し遠慮しているようだ。死ぬまで我が家で飯を食って行けばよい。また「老々介護」だ。また、名前を考えないと。

私も坐骨神経痛の残りの左足がしびれて、冷たくすると神経痛が起きて歩くにも気を使う。絵の主題を思いついた。「老人のボヤキ」だ。「プーチン!私より先に死ね!!」とか。何を言っているのだろうか??


三度目のワクチン

2022-03-07 05:26:28 | 絵画

「三度目」と打ち込むと「正直」とでる。

そうか、三度目の正直かと思うが、最初の二度のワクチンで経験した副反応がないので、これが「正直」かと思うと複雑である。これが当たり前であったのか、それとも免疫が効いているのか水ワクチンであったのかと色々思ってみる。

二回目は腕が重くて「独りで運転して名古屋へ行くなんてダメです」ときつく言われて、後日ということで正解であった。腕が重くて、もし運転していたら大変なことに成っていただろうという思いをした。だるくて腕が上がらくなっていたのである。しかし今回は違う。注射の当日は予め巻きずしを買っておいて、それを食べて夕刻には寝ると計画したのである。

しかし何にも起こらなかった。

少し構えすぎたかもしれないが・・・次を考える。ワクチンが終わったら、安心して境港に「カニ」を買いに行こうかと思っていたところ・・・天候が悪くなって家の前の海は大時化(おおしけ)だから、境港の漁師もカニ漁どころではあるまい。しかも今回はロシアのカニもウクライナ制裁で入荷しないであろうから・・・しばらく様子見だ。

では、絵を描こうか・・・と。いや長いこと絵を描かずに過ごして感覚がぼけている。いくらかビジョンはあっても新しい作品に取り掛かるのはまずい。なんせ中途でやめている作品が山とある。それらがなぜ完成されずに放置されているのか・・・解決のモチベーションが崩壊しているのだ。

もし絵の中に入り込んでしまうと、猫のことも自分の食事のことも忘れてしまうので、そんな状況が出来ることが理想だったが、いつもの仮説で・・・もし女房がいたら一切合切世話を焼いてもらってとか・・・・女性蔑視の昭和的発想・・・なんて。そんな独りよがりないい話はない。

仕方がないので玄関が猫のオシッコで臭いので掃除でもする・・・そして風水的に良い気が玄関から入ってきて書斎(私の小アトリエ)に運気を上げる気を火込めるようにでもしようか・・・・とまるで神頼みになっている。

ネットでウクライナのニュースを見ると気が重い。これまでロシア人の生活状況が悪くなっていたのも初めて知った。ウクライナはソ連時代から白ロシアの中でも先進していて、一方のモスクワを中心とした白ロシア人はいつの間にか欧米の民主主義が憎く怖いのだとか、彼らの日常に偏見から抜けられる心に余裕がなかったのだ。ロシア人の心の解放を願うだけ。

この国では、民族自決のウクライナ人の抵抗の決意を「揶揄」する馬鹿な高学歴の評論家たちがいることが恥ずかしい。連中は日本が侵略されたら真っ先に逃げるだろう・・・逃げるところはない戦うしかないと気が付く頭がないのだから。

私の三度目のワクチンとウクライナの現実はギャップがあり過ぎて恥ずかしい。