河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

美術品の防災対応1

2019-06-22 10:12:46 | 絵画
また新潟で地震で、震度6強で被災された方々にはお見舞い申し上げます。
震度6強は私は経験していない。怖ろしいほどの荷重が体にかかり、動きが取れなくなる大きさと聞いている。
東北大震災の時丁度、上野にある国立西洋美術館では展覧会のオープニングが行われており、多くの招待客が会場に入っていたころだった。西洋美術館はレトロフィットという既存建物に免振装置を取り付ける工事がされていて、その地震では建物はゆっくりと船に乗っている様な感じで揺れていた。地下の展示室は免振装置はついていないけれど、地下と地上とでは揺れの差はかなり違ったであろう。実は私は免振装置の着いている本館で外国人専用受付の当番で、庶務課の女の子たちと立っていたところだった。
「これは大きい地震だ」と思って、とっさに前庭に出て、《地獄の門》や《カレーの市民》がゆっくりと動いているのを確認した。前庭に展示されている彫刻全てに免振装置が付いているから、その機能を確認するには絶好のチャンスだったのだ。
だが、しかし、同じ当番で机の前に立っていた女の子達から「自分独り逃げた!!、裏切り者」「みんなを見捨てた」とか非難された。・・・・これは本当に誤解です。私の仕事として、美術館での美術品の保存を担当している以上、また特に前庭の彫刻に免振装置を付けたのは自分である以上、観察しておきたかったのだ。ごめんよ!!
この時の震度は上野で5の弱ということだった。
5の強で墓石が倒れる。つまり結構重いもので、重心が真ん中にあって日頃安定しているものが倒れる。これも遠くから来る地震力か、真下から来る地震力かによって異なる。真下から来るような「直下型地震」は上に向かって突き上げる力で、固定されていないものを持ち上げて倒す。もしその力が重力より大きい1000ガルを超えれば、戦車でも空中に浮くということになる。実際には戦車の重力を受けている地面の性格などで異なるようだ。中越地震で小地谷で記録された1080ガルはがもし東京であったらどうであったか想像を絶する。
そこで、美術館ではいろいろな対策が必要になった。絵画にせよ展示の仕方、場所によって対応が異なる。地下では地震力も揺れが少なく、地上高くなれば「応答加速度」が大きくなって振れ幅が大きい。つまり破壊力が大きくなる。
神戸の震災の時堺市だったか、私立の美術館が北欧から借用した焼物の展覧会を開催中で、運悪いことに高層ビルにあったその美術館は陶磁器をたくさん壊してしまった。また悪いことに割れたものを、一緒の箱に入れておいたために借用先の美術館からひどく怒られた。割れたものは仕方がないが、修復して少しでも文化財としての価値を後世に残そうとしていた北欧の美術館の保存に対する意識が無かったために、割れたものをさらにぐちゃぐちゃにしてしまったのだ。
もういらないとでも思ったのだろうか?
 
保存修復はまず災害が起きないようにすることが大事で、自然災害では人知、人力では負けるから、可能な限りの努力でその被害を少なくする努力が求められる。壊れたものを修復すればよいと思っている学芸員もいるから、先の、物を大事にしない学芸員が恥をかくことになる。
で、災害についてよく理解し、対策を少しでもすることで、美術館のような機関で出来る事とは違った自宅でもできることを考えよう。
災害には地震だけでなく自然災害、人為災害とあって、今回は自然災害について考えよう。
①地震
世界で起きている地震の40%が我が国日本で起きていることはご存じだろう。それほど地震は日常化していて、特に東京にいた時には重量鉄骨ALC工法の4階建ての家に住んでいた時には、毎日震度1程度の揺れは感じていた。本来微振動はもっと回数起きているらしい。先に述べたように一階に住んでいるより、4階に住んでいる方が地震の揺れを感じる。千葉市立美術館は10階ぐらいの高い場所にあるから相当揺れる場所に作ってしまったと言える。東北大震災の時どうであったか、感想は聞いていないが・・・・。
地震揺れは三次元的に揺れている。直下地震は殆ど縦方向が主で、少し遠くの浅い地盤で起きている場合、横揺れが激しく、複数の発生では振動している時間が長くなる。短周期振動と長周期振動とあるが、短周期は1~2秒周期で振動し、破壊力も大きい。一方長周期振動は4秒のように長い振動で、ゆっくり横揺れがおきる。ゆっくり揺れても超高層ビルのように5~6mに横に揺れれば中にいる者は床に這いつくばるしかないほどで何もできない。
地震対策はまず建物が耐震、免震などの対策がされていることが大事。美術品のことを考えると美術館は耐震ではなく、免震でなければならない。
 
ワイヤーで吊ってある絵画はワイヤーが長いほど地震力は伝わりにくく、短いほど伝わり易く振動が激しく破壊力が大きい。これが細いワイヤーであれば、上下動が伝わったとき、額縁ごと1cm持ち上げられて下に落ちる上下振動が加われば、ワイヤーの太さ2mm直径は何もない時に60kgの吊りに耐えるが、つまり1cm持ち上げられて1cm落とされた場合は、額の重量が20%増しで切れることもある。2cmであれば40%ましで確実に切れる。2本のワイヤーで吊っているからと安心できない。地震力が加わるとき平衡に均等に落ちるとは限らないから、切れることも多い。ワイヤー展示そのものは縦横の揺れだけでなく、前方向の揺れ、つまり、後ろは壁で止められているが、前方には動くので、バタンバタンと壁に打ち付けられることがある。そのためには額の後ろに低反発ゴム(スポンジのような)を貼り付けておいて、衝撃を吸収させる。
重要な作品には2mm直径のワイヤーで良しとしていた考え方を変えて、3mm直径にするほかない。しかし3mmのワイヤーは展示室で目立つから、照明を工夫するとかの気遣いも必要となる。まあ気遣いくらいは仕方がない。事故るよりましだろう。
この国ではワイヤーで展示する方法が多いのは消防法の関係で、展示室の壁は「石膏ボード」のような耐火性の高い材質でなければならないと決められているからだ。しかし2mmのワイヤーしか準備できない、つまり吊り金物も3mm用にするなど、経費が掛かる場合には困るから別の方法も考えなければならない。
 
大きくて重量がある作品、つまり欧米から借用する作品では200kgというのもざらにある。これらはワイヤーで吊らない方が良い。壁に直接金物を取り付けて吊る方法に、更に上下動で飛び跳ねても、落ちないように上にも下にも固定する方法が必要だ。下方向が特に大事で重量をかける。そうすると「馬」とよばれる台を額の下にあてがうか受けの金物を独自に製作して取り付けて見えにくい工夫をする。そして上方向には額の後ろ横に金物を着けて壁にビス止めする。
しかし、これが「石膏ボード」にはネジが止まらないから、壁に特殊な工夫が必要。その場合、壁に補強の板を貼って留めてしまう。只に板ではなく経師が必要で、見た目も悪くない化粧がされていれば、不自然さは避けられる。この板がしっかりと石膏ボードに留められれば、縦方向の引っ張りには耐えられるので、重い作品も展示できるようになる。
 
彫刻の場合は転倒が怖い。展示室のように観覧者がいる場合には、あってはならない事故も考えられる。したがって、作品の保護と観覧者の保護が同時に成立しなければならない。
先に述べたように、震度5の強であれば転倒荷重が固定されていない物に転倒するだけの力となって加わるので、ここがポイントである。震度5の強とはおよそ250ガルである。
西洋美術館では屋内彫刻には石の台座とその下に「滑り板」と呼んでいるテフロンコーティングされたステンレス板が装着されている。この板のお陰でゆっくり寝れるということになった。この板は250ガルで滑って動き出すように出来ているが、しかし普段観覧者が触っても、あるいは倒れ込んでぶっつかったとしても動かないようになっている。これは滑り板の摩擦によるダンパー(衝撃吸収)効果である。また必要に応じて展示替えする場合、取り外して収蔵庫にしまえることも可能だ。台座は石だが、彫刻は固定できるように金物が台座の中を通っていて、高さのある立像のように高いところが揺れる力、つまり応答加速度が大きい場合、固定部分に負担がかかるのも考慮されている。
前庭の彫刻はそれぞれ独自の免振装置が付けてある。これらは機械的に動き、東北大震災の時、その加振状態は想定通りに機能することが分かった。ただ免振装置や取り付け工事は高価であり、簡単ではない。

こうして書いているうちに記事の一部が飛んでしまった。
美術品を鑑賞する設備内での防災対策は絶えず美術品と人との関係を考慮しなければならない。こうした宿命は美術館内で共有しなければならないが、文系の学芸員に地震対策を理解してもらうには、手間暇かかる。学芸会議の最中に「免振って、科学的に説明できるのですか?」と質問する若い学芸員がいたが、天然としか言いようがなかった。で、スタッフ全員が私の反応に聞き入ったが「科学的に説明すれば分かるのか?」と聞き返した時には、全員次に何が起きるか恐れたに違いない。「いえ、結構です」との返事で、私は黙った。こうしたことは何処の組織でも考えられることだ。免振装置は今の基準では、神戸の震災が640ガルであったものを80ガル程度、つまり8分の1に減衰させることが出来る機能が付いた機械的な装置である。様々な種類があるが値段は高い。議論はいろいろあってよいが、東京のように直下地震が起きる確率がこの30年以内に70%にまでなっている状況では、賢くふるまうことが必要だ。

西洋美術館の前庭の彫刻にはすべて免振装置が付けてある。すべて石の台座の中に設置されており、ひとつひとつの設計と設置には時間と労力が必要であった。丁度タイミングよく地下の展示室の工事が認められ、一度撤去した後、再度彫刻を戻すにあたり、前庭のデザインも彫刻の免振化も同時に行う必要が出て来て、予算化できたが。一番の大仕事は《地獄の門》の免振化で、鋳造後60年から経た彫刻内部の骨組みの鉄骨は錆びて、交換する必要があって、その設計工事から免振装置の発注に至る作業は大変であった。その記録は一時期美術館の売店で売られていたが、今は絶版になっているだろう。アマゾンで200ドルになっているのを見たが・・・・。次から次へと前庭の彫刻は既に決まった位置に、免振装置とともに設置されていったが、最近これを取り外そうとする馬鹿な意見が学芸の中から出て、私も急遽、抗議の手紙を館長あてに書いた。学芸の意図はそろそろ前庭の防水工事を考慮しなければならない時期に来たということで、特に「《カレーの市民》はロダンの遺言に従っていない」とか言う学芸員が居て、誰か専門家が免振装置は必要ないと言っているとかの話も聞こえて来て驚いた。作者のロダンはカレー市の市庁舎の前に置かれた《カレーの市民》を「皆の身近な所においてくれ」といったという訳で多くの美術館が低く展示するようになった。しかしロダンがどの程度低くしろと言ったの曖昧で、皆色々で、地べたに置いた美術館もある。しかし身近に置いてくれといったのはカレー市の市民の為にそう言ったのであり、すべてそうしてくれといったわけではない。その証拠にロンドンでは5mの高さに、ブリュッセルでは1.5mの高さにしている。これも彼が決めたことで、そもそも彫刻は当時モニュメントとしての役割があって、現代のように芸術作品として鑑賞する目的は無い。だから、カレー市に建てられた当初は2.3mのコリント式の石の台座の上に設置されていたのだ。むしろ作者は見上げられることを意識して創っており、それを尊重すべきであろう。しかし資料文献が好きな、いやそれしか理解しない質の悪い学芸員は、馬鹿なことを言い出すのだ。
危うく、免振装置を外して、地べたに直接置かれることになるところであった。ちなみに装置本体は2000万円した。石の台座に工事費込みではその倍以上する。そして被災した時だれが責任を取るのであろうか。私ではないことは確かだ。それから防水工事は彫刻が設置されているところは全て30年は耐える金属防水といってせ点レスの板が敷かれていて、その他は15年ぐらいの耐久性とされるアスファルト防水がされている。こうした配慮も後続の無知、無関心な連中には教えてやらねばならない。
工芸品のような小間物はケース内に展示するのが一般的だ。ケース内もフェルトを貼るとか、作品をナイロン糸で固定する、ツボのような物には中に散弾銃の弾のような小さな鉛玉か、テルの弾を袋に入れたものを入れて、重心を下げるなど工夫する。それから衝撃吸収ゴムやジェルなどを使って、転倒を防いだり、転倒後の衝撃を吸収させる方法もある。展示ケースに入れたからといって、それで万全ではないので、ケースそのものを免震化する、あるいは建物が免振化されていれば、ケースを床に固定するとか、発展的解決方法を選択する。
何事も三倍の強度、三倍の安全性が想定されなければ、簡単に「想定外でした」という言い訳をすることになる。

では、もし美術館が被災したらどうするのかを述べよう。
もし直下地震の被害でなくても、例えば活断層が近いところであることも大きな被害が想定される。神戸の例でもそうだが、朝早く職員がいない時間帯に大地震に見舞われて、その悲劇的な様に驚くに違いない。停電のせいで通用門の電子キーが開かないかもしれない。だからに宿直がいないと門の周りで売浪るすることになる。電話で誰か呼び出すにも回線が混んで全く通話できない状態かも知れない。電子キーも停電時にはバッテリーで24時間から対応できるようでないと困る。
で館内に入ると、次のことをチェックすること。
①窓ガラスが割れていないかどうか確認。
②外部に出る非常ドアが使用可能かどうか確認。
③非常対応グッズから懐中電灯を持ち出し、展示美術品をチェック。
 ワイヤーの切断、絵画作品の落下、彫刻の転倒、を確認。
 確認したらすぐ担当の修復家を呼びだす。
 恐らく、通勤もままならないかもしれないが、保存担当者のプロとしての義務だから、七難乗り越えて通勤する。
 ニ三日帰れないであろうことは覚悟する。
 状況が分かってきたら、関係者に連絡し、翌日からの作業を決める。
 もし、国内外の他館から借用した作品で展覧会を行っている場合、優先的に被害状況、作品の状態を知らせる。そしてすぐに取り掛からなければならないのは、借  用美術品のケアで停電や、給水障害、ガスの供給停止などのインフラが支障をきたしている時には、真っ先に空調が止まることを考えて、借用美術品が輸送されてきたときに入れられていた、輸送ケースに戻すことだ。密閉度の高いケースの中で、温度湿度が安定してくれることが一番で、インフラが回復するまでに持つだろう。そして貸し出し者に、地震状況や取り扱いを連絡することを忘れずに。相手を安心させて信頼を失わないことが貸借の常識だ。
④余震があるから、美術品は放置できないので、他の学芸員や庶務課員でも協力を求めて、状況の記録を行う。
 写真撮影、筆記による記録を取る。
 記録を取りながら、余震で破壊されないように、一つ一つ丁寧に保存手当をする。修復を必要とするものは、作品の破片などビニール袋に収める。
 時間や状況、処置の優先順位も記す。
⑤初期的な手当てが済んだものは、収蔵庫に入れる。展示室と同じフロアに無いもの、つまり階上や地下に収蔵庫があると、停電であるうちはエレベーターが使えな
 いから、非常時にある程度動かせるだけの電力を得るディーゼル発電機が備わっているのが常識と思うが、なければ今すぐ設置されたい。
 もし、展示室全体を空調できるだけの電力が確保できれば、ただちに作品を収蔵庫におろすこともないが、被害が生じている作品にはより安全な場所が必要だ。
⑥地下は地震動が伝わりやすいという事実に対して安心はできない。神戸の震災では地下の図書室に地下水が湧き出て大変な被害が出たし、池が壊れて空調機のある地下に水が流れ込んだ。馬鹿な建築家と役人は格好だけで水辺に美術館を建てるが、あるいは渋谷の松涛美術館のように館内に落下する滝があったり、ニューヨーク・グーゲンハイム美術館(ニューヨーク近代美術館)には観客が斜めに歩きながら鑑賞しなければならないらせん階段に、その真下に噴水があって(現在では使っていない)こうしたデザインは意匠権の問題があるから、撤去変更できないのが問題。とにかく水は遠ざけるべし。
  
ここまで書いて、美術館という場所が被災した想定でも、相当に予備知識や対応するための資材が必要だと明らかであろう。
もし、窓ガラスが割れていたらどうしますか?
大きな四八版のベニヤ板(1200x2400mm 厚さ9~12mm)が非常用としてストックされていること、ブルーシート(4x6mが5,6枚)胴縁板(24x60mm 長さ6m)が10本程度。電気ドライバーとビス(長さ48mm)が一箱(きっと400本ぐらい入っているかも、協力粘着テープ10巻くらい必要になるだろう。それ以外に想定できるだけ何かを。

地震はこの国のどこでも起きる。数多くのプレートの上に位置し、火山国であり、マグマが地下に煮えたぎり、温泉があちこちに沸き、そして活断層が必ず近くに存在する。東大地震研究所の国内の地震地図に載っていない活断層がある。私の住む島根県は最も自信が少ないとされていたが、原発のある松江近くにに関する活断層が、また温泉津(ゆのつ)は世界遺産の石見銀山の近くで、数年前これまで知られていなかった活断層で震度5の強で被害があった。前にも述べたが震度5の強は、墓石が倒れる被害が出る。油断してはいけない。日本人は情緒的判断で何事にも大丈夫だとバイアスがかかり、合理的な理解が不得意で、対策が遅れるのは見えていて歯がゆい。
ついでに富士山が噴火する可能性について、皆にバイアスがかかっているので、誰も聞きはしないだろうが・・・。しかし宝永の大噴火の時には、上野でさえも9~12センチほどの火山灰が積もったと言われている。現代であれば都市機能はマヒ、政府機能もマヒだろう。さて水道の水も飲めるだろうか?鹿児島に父がいた時、帰省して丁度桜島の噴火に出合った。ドーンという窓を揺らす轟音とともに、その時火山灰が1,2センチ積った。洗濯物は外に干せないのが日常だそうな。
空気にはフィルターが必要だ。硫化物を除去しなければならない。
箱根の火山の河口に美術館を構えているポーラ美術館や箱根彫刻の森美術館のスタッフは腰が抜けるであろう。日頃から硫黄ガスを浴びて、窓も開けられない場所にあり、観覧所の出入りにも気を使うであろう。ブロンズ彫刻、あるいは銅を含む金属彫刻は直ぐにまっ黒になるから、磨いてばかりいるであろう。防錆塗膜も毎週施すようなものだ。だが噴火の時にはどうするのか、災害マニアルがあるだろうけど、実行性があるだろうか。

美術品を収蔵する機関では必ず宿直担当者を置いて、非常時に対応すべし。
いざことが起きた時、情緒的(感情的)に対応しない。合理的にスマートに行う。ここで中には官僚的な、事務的な対応をする者がいるが、ぶっ飛ばしてよろしい。
彼らは「何を優先すべきか分からないから」被害が拡大する。 では。
 
以下のテーマは次回に回します
 
②水害
火山噴火(これは地震災害に所に追加で記載しました)
④生物被害
 
工事中で・・・す。
子猫のことが気になる。西日本はまだ「梅雨入り宣言」をしていない、異常事態です。
ゲリラ豪雨でなくても、子猫は夕立ぐらいで、直接当たれば体温が下がって死にます。
もうすぐ梅雨入りだ

子猫の季節(追記あり)

2019-06-18 00:53:20 | 絵画
我が家でも春猫の季節がやって来た。

だいたい5月ごろが春猫の誕生で、六月となれば母親に連れられた子猫が人目に触れる場所に登場する。猫の母親は猫が生まれると普通は一目にも、他の猫にも見つからない場所を選んで子供を育て始める。猫の妊娠期間は63日と言われているが、その間も他のオス猫がさかって啼いて歩いているから、それは同時に子猫たちにとっては危険な時期で、父親とは違ったオス猫が子猫を殺して交尾を求める時期だから、子猫を隠す。我が家にやって来た野良のあいちゃんが私が5月13日に東京から戻ると4匹産んでいた。階段下の段ボール箱の中で乳を欲しがる子猫の鳴き声で気が付いたが、ずいぶんと誰にも気づかれるラフな場所に生んだものだと思った。もう一匹の野良のともちゃんにも生まれたが、こちらは最初からどこにいるかも知れずに、夕食に時間に通ってくるだけだが、お腹が辺ちゃんこになっているので、生まれたのだろうと推測。何匹か、生きているのかも知れないが、ともちゃんの乳を見て、とんがってきれいに見えれば子猫が飲んでいる証拠だ。しばらくするとともちゃんが子猫たちを連れてやって来た。3匹のどうもメスばかりの子猫たちだ。それと入れ替わるようにあいちゃんが4匹を連れて何処へ移動したかと思うと、直ぐそばの棚の下で子猫たちが鳴いている。そしてゴミだらけになって目の見えない子がひょろひょろ出て来て、こちらを驚かす。ひょいとつかんでゴミを取ってまた押し込んでおいた。

人が触るとやはりよくない。あいちゃんは子猫4匹を連れて、家の外に出て行ってしまった。悪いことをしてしまった。一方のともちゃんの子たちは軒下で、室外機の下にいたが、このところ雨に打たれたりするので、危なくてしょうがない。子猫には危険だ。子猫は脂肪がないから直接寒さがこたえるだろう。

他の猫のことも心配だが、父の一周忌があったので岩国の実家に4日出かけたが、やはり他の猫たちもみなちりちりバラバラになっていた。猫は家に付くと言われているが、人に着く猫もいる。私がいないと何匹かいなくなる。今回はずいぶん多く5匹帰って来ない。その理由として感が和えられるのは、新しく子猫が家に上がってきたからだろう。夜遅く帰宅して見ると、足元に目の開いて間もない子猫がうろうろしているから、驚いた。ソファーの下に置いておいた段ボールの中に住んでいるが、居間が運動場だ。この子たちはあいちゃんの子だが3匹しかいない。家から離れて子育てする間に1っ匹死んでしまったのだろう。あいちゃんにとっても初産で4匹全て育てられないだろう。まだこれからも死ぬかもしれない。ともちゃんは家の軒下に3匹の子猫を置いたままだ。家の中に入れない。

こうして子猫たちが登場すると、大人の猫たちは遠慮するのだ。食事の時に戻ってくる猫たちが少なくなった。家のそとで待っているが、雨が降らないから・・・・中国地方は梅雨入りしていないのだろうか・・・・雨が幸いにして降らないから、今夜は満月で昼夜の温度差が激しいが、あいちゃんは子猫3匹を外に出して夜更かししている。この文を書いたら、ちょっと様子見に行ってくることにする。

猫が我が家に増えるのは困るが、野良猫が我が家を頼って来て、生まれた以上私は最大面倒を見たい。死なないで大きくなって欲しい。住む家があっても子猫たちが無事育つとは限らない。市役所などでは野良猫にエサをやると爆発的に増えるようなことを公報しているが、身勝手な言い分だ。自分たちの主張に都合の良いようにフェイクニュースを作るのだ。

野生でない猫は決して防衛本能が発達していなくて、人を頼りにして居るから、質の悪い人間に簡単に殺される。食べ物よりテリトリーに拘り、自分のいきかた に合わなければその家を出ていく。いきなり命の危険ががあっても、自分が自分であることが大事なのだ。 子猫が生まれると、他の猫たちが遠慮して、差しさわりのないように気を使っているのが分かる。干渉はしない。だから猫は生きたいように生きていく個人主義なのだ。 人も少し学ぶべきだ。特に日本人は。日本だけだ引きこもりが問題になるのは。自分が自分であることを許さない国だからだ。

追記:6月18日
あいちゃんの子供たちが居間に戻ってきた。夕食の時間にソファの下の段ボールから出て来て、なんとマグロの缶詰を大人と一緒に食べ始めた。彼らは手のひらにひょいと乗る大きさだが、低い大きさの皿に載せたほぐれたマグロなら食べれるのだ。一番恐れの白っぽい子が遅く出て来て、茶碗の中に入って食べ始めた。ひょっとして、あいちゃんの乳が出なくなったのかも知れない。あいちゃんは外で遊んでいるから、そんな気がする。子供が生まれて1月と1週間だけど。
一方のともちゃんの子供たちは相変わらず軒下で生活しているが、体はあいちゃんの子たちより大きいのに食事デビューはまだだ。
あいちゃんんもともちゃんも私に食べ物をしきりにねだる。子供たちの為に食べているに違いないと思う。
 
追記:6月21,22日
21日、雨が突然降った。あいちゃんが子猫たちを外に連れ出すので心配だったけど案の定、一番小さな「みそちゃん(この子だけ名前を付けた)」がいない。二匹はあいちゃんが保護したのか、雨のかからないところに避難していたが、みそちゃんが見当たらない。この子は一番小さな割に大胆に人間を怖がらないから、単独で表に出てしまう。上空にはトンビが、木の上にはカラスが群れているから、一番死に近い。
私はこの子を捜しまくったが見つからない。諦めて死んだものとして部屋で仕事をしていたが、やはり気になる。何度も庭を捜すが、4時間して居間にいるところを見つけた。毛はずぶぬれになったのか、立ち上がっている。あいちゃんが見つけて居間に連れてきたのだろう。こんどは他の二匹がいない・・・という調子で。みそちゃんにはホッカイロを与えて、その上に座らせた。古いホッカイロであまり熱くならないから、じっとして寝てしまった。しかしあいちゃんには乳をやってほしい。体が冷えてお腹もすいているだろうから。しかし人間の言うことを聞くものではない。
結局、夜になって他の二匹と一緒にまた外で寝ていた。しかしみそちゃんが一番小さいのは他の二匹に押されて、いつも乳を十分に飲めないからだ。
何とかしないといけないと思って、翌22日急遽、猫ミルクを買いに行った。そして縁の低い茶碗に入れて猫たちの前に差し出したが、真っ先に飲んだのは、あいちゃんだ。みそちゃんが飲む気配なし。無理や私の指に浸けてみそちゃんの口元に着ける。反応は悪くないけれど、なかなか積極的に飲まなかったが、私の指に噛みついたので、やれやれという感じ。茶碗に向かって顔を近づけて飲み始めた。哺乳瓶を買うことは無かった。
これで、この子は助かると思う。
 
追記:6月23,24、25日
23日は買い物に出かけている間に突然の雨。まだ梅雨入りはしていない。曇り空に濃い雲がかかっていたため。気になって急いで帰ると、案の定、あいちゃんが赤ちゃんたちを外に連れ出して、日光浴をしたいたのだろう。長けの長い草むらに二匹、みそちゃんが独り、短い草の陰に・・・。いずれにせよ、みなずぶぬれだ。私はいそいで猫キャリーを出して、隣の水産高校の庭に向かった。くたびれていたのか、鬼ごっこは無し、すぐに私の手の中に納まって、かごの中に入った。肝心のあいちゃんは家の中。あいちゃんが初産の母親であること、子供たちに外の空気を吸わせたいが、雨に打たれてぐったりとさせてしまった。
私はなるべく赤ちゃんに触らないようにと思うが、こういう場合は仕方がない。赤ちゃんたちを玄関の廊下に放つと、あいちゃんが舐めてやっている。
あいちゃんは猫ミルクを独り占めして、飲み過ぎたせいで下痢をしている。この猫ミルクは子猫用とは限らない。乳離れしてから与えよと書かれていたが、酪酸がやっぱり含まれているのだろう。猫には向かない。
 
翌24日はは取り合えず彼らは家の中にとどまっている。ご飯は柔らかい缶ペーストの缶詰、水でふやかしたカリカリを与える。がしかし、大半をあいちゃんが食べる。やはりという感じ。
25日は梅雨入り前の晴れ。空は雲一つなく青い。熱い。昨日ペットの熱中症についてTV番組があったけど、赤ちゃんたちは陽の差すところに行きり、あいちゃんはまたしても赤ちゃんたちを外に連れ出す。一番大きいのがまた隣の庭に飛び出している。
家の中にいる間は,私の姿を見ても逃げないが、外では走って急いで逃げる。これが悪いかくれんぼ。見落として見つけられなくなる。あいちゃんに「おまえ母親だろう。さがせ!!」とどなる。
そろそろ三匹に名前を与えようと思う。公募したいところだが、面倒なのでこちらで付ける。一番小さいのが「みそちゃん」鼻の横に団子のみそだれを着けた子供の様だから。ついでに「みそ」とくればなんでしょう?正解は「みりん」に「しょうゆ」だね。世の中には「プリンちゃん」とか「イチゴちゃん」とかなまえおつけるだろう。食い物の名前が難しくなくて良い。で決まり!!
さあベイビィを迎えに行こう!!
 
26日になって、いきなりとんでもないことが起きた。27日から梅雨入りの可能性があり、その予兆として昨日も通り雨が少し降った。子猫にとって最も危険なのは雨。去年も子猫3匹が親に連れられて外に出て雨に見舞われて帰れなかった。悲しいことに一匹だけが庭の通路までたどり着いて、そこに横たわって死んでいた。それほど私にとって雨と子猫は悪夢の関係だ。なのにあいちゃんは子猫たちを外に連れ出す。そこで私が猫キャリーをもって探しに行き連れて帰る。あいちゃんは「自分の子供に何をする」という気分で、また連れ出す。夜中の雨が予報で出ていたので、子猫を無理やり家の段ボールの家に押し込んでおいたら、26日朝の八時半には子猫たちは家の中にいなかった。私は急いで子猫を捜しに庭に出たら、プランターの隙間にみそちゃんが横たわっていた。もう死にかけている。あんなに元気だったのに体は冷たくなって死ぬ直前だった。私が手のひらに乗せた時に、三度小さな口を開いて啼いた。まるで「助けて!」に聞こえたが。急いで家に戻り、ホッカイロを集めた。封を開けても直ぐには温まらない。みそちゃんは僅かに呼吸をしているが、私の手のひらに乗せて温め続けていたが、ようやく温まってきたホッカイロに挟んで寝かせて様子を見た。しばらくして呼吸が大きくなって良くなったような様子だったが、10時ごろに一度寝返りを打った。その時に目を開けて一度啼いた。まさかこれが最後になるとは。11時ごろに息を引き取った。小さく口を開けて、つらかった出来事を訴えているようだった。みそちゃんを昼過ぎに庭に埋めた。これで今年に入って3匹目だ。皆人目につかない場所に行って死ぬ余裕もないほど疲れて死んでいる。だから遺体は私の手で埋葬した。他の動物がひろ返さないように、なるべく深く掘って直に入れ、すぐ腐るように何も包むこともなく、そして臭いがしないように水をかけておく。
 
さらに残りの二匹だが、親に言いつけられてか、私から逃げるようになった。まだよちよちいだったみそちゃんは、毎回あいちゃんがくわえて移動したに違いないが、他の二匹はもっと元気だったため逃げ足が速い。またプランターの隙間に逃げ込んでしまう。あいちゃんが何とかするだろうと思いきや、何度探しても見つからない。夕方からまた雨の予報。他の多くの猫が外で過ごしている。梅雨が遅れたこのタイミングが悪い。びしょ濡れで帰ってくる大人の猫ははしからタオルで拭いてやるが、子猫たちは戻って来ようにも、親の命令に従って外にいる。そこであいちゃんだが家の中で寝ているから、もう育児放棄だと思った。
27日は朝から雨。プランターの間には子猫の影もない。あいちゃんに子猫たちを捜せと言っても、分かる子ではない。
一方のともちゃんの子供たちは母親と一緒に軒下にいる。マグロの缶詰やカリカリを持っていくと、どうも食べていると思える。一度居間に上がって来ていたのに、この子たちも母親の判断で、軒下にいる。渋り雨の今日はまだいいけど、風を伴う雨がそのうち降るだろう。それまでに家に入ってほしい。もう子猫を埋葬するのはごめんだ。
7月2日
ちょっとこの間が開いて、あいちゃんの子猫は私に大分気を許すようになった。親の言うことを聞いて、雨の中、外に出たのはいいけど何も出来ずに軒下の作業台の下に隠れて過ごしている。出てきたところを、むんずと捕まえて家の中に戻す。この繰り返しで、あいちゃんも曇り空でも家の中で、子育てするようになった。そして大中小の中であった「みりんちゃん」が大人たちの夕食の時間には、食事デビューを始めた。誰彼となく食べている皿の中に課大突っ込んで食べる。子猫はアンタッチャブルだから誰も意地悪いことはしない。無視して一緒に食べている。これで少し安心。しかし、乳離れしたという意味ではない。彼らは生まれて二か月近くになるが、役所の公報が言うように「年に三回妊娠可能」はあり得ない。悪徳ブリーダーの所業をまるで実際に起きていると思う役人仕事だ。妊娠期間が63日、それに子育ての授乳期間が2か月以上あるのに、子供を置いて次の盛りが付くか!! そこまで異常な猫は見たことがない。子猫たちを殺されればあるのかも知れない。ブリーダーがかわいい盛りの子猫を親から引き離して売りに出す、この残酷で異常な人間の拝金主義の犠牲にさせてはいけない。とにかくうちの子猫たちは無事に大きくなって欲しい。我が家では良くTVで言われる「多頭飼育」の犠牲者は出さない。可能な限り不妊手術と去勢手術で数を増やさないようにしている。ときたま、触らせないメスの子が妊娠して帰ってくるので、現状で30匹くらいに増えているが、まだ死ぬものもいる。私としては資金がある限り、彼らの面倒を見ようと思っている。私の食費が一日600円、彼らの食費が1200円となってちょっときついが。
今日はみりんちゃんが玄関の猫トイレの砂に挑戦している。これまで猫シートに、時には私の風呂の足ふきマットにウン子していたのが、今、砂をかき分けている最中だ。すこし成長したね。
いつの間にか7月14日。
大変なことが起きている。あいちゃんの体調が悪く、下痢とトラコーマになっている。抗生剤と抗生剤入り目薬を指してやる。もうそろそろ生まれて2か月を経て乳離れしても良いころだが、子猫たちは乳を欲しがる。その父が問題で子猫たちが戻している。白いヨーグルトのような嘔吐物を二匹ともみりんとしょうゆが戻している。母親のあいちゃんは行くへ知れずになった。帰宅せず、二日目の昼過ぎに現れて、連れ戻そうとするが嫌がって抱いて引っかかれる。しかし子供たちの所まで連れて行く。子供たちに全くつれない訳ではないが、また庭に出てしまう。そしてまたいなくなった。体調が悪くなって死に場所を探しているのかも知れない。ふたりの子供は母親を捜して窓際から離れない。見ていて涙が出そうになる。
逆にいつの間にか私が親代わりだが、ふたりのいる居間にしゃがむと、あれだけ私を避けて逃げ回っていたしょうゆまで股の下に入って鳴いている。私を頼っている。食べたものを吐き出し、大分やせてしまった。顔にしわのようなものを感じる。背骨がごつごつと感じられ、どうにかしないといけない。猫ミルクを買ってきたが評判すこぶる悪く、皆飲まない。子猫に至っては見向きもしない。やはり母親から乳を飲みたいのだろう。明日も休日だが明けたらすぐに医者に連れて行くつもりだ。
一方のともちゃんの子供たちは元気。一人私と軒下で出会っても逃げなくなったのがいて、ときどきゆらゆらと寝ているから名前をゆらちゃんと付ける。他の二匹は逃げまくって、遠くから私を観察している。まあ健康に問題なく育っている。
7月16日
夕方、あいちゃんが帰ってきた。まだ生きていると思ていたが、やはりかなり痩せこけて帰宅した。片目は少し良くなっているようだ。やはり母親だね。みりんと醤油が走って行って、乳にしゃぶりついている。乳がまだ出るのかどうかわからないが、吸えばまた出るようになるだろう。育児放棄ではなく、親離れを誘っているのかも知れない。でも子供たちの姿は嬉しそうだ。見ていてまた涙が出そうになる。
みりんとしょうゆの健康状態は少し改善しているようだ。みりんのウン子は小さくても形がウン子らしくなって、しょうゆのウン子は色が少しグレーだけど形になって来て、量も増えた。今朝八時の食欲はすごかった。何か欲しがっているなと思って、缶詰を開けたら勢いよく食べ始め、病院に連れて行く必要もなくなったようだ。もう一度ウン子の具合を見てみよう。・・・・ナニ!! 親ばかになっている??・・・。
7月20日
つまりあいちゃんの子たち、ともちゃんの子たちは産まれて二か月と十日立ったという訳で、もう十分に固形の食べ物に手を出す。特にみりんとしょゆは居間で他の大人たちと夕方の缶詰の夕食は待ち遠しくて、皆と一緒に騒ぐようになった。茶碗に一投目の缶詰が入れられると、真っ先に飛び込んで、しょうゆはうなり声をあげて食べる。追加のマグロを入れてやろうとすると、ウーと唸ってさじを押さえつけて、横取りされるのではないかと、茶碗の中に入って食べるようになった。行儀を教えるどころではない。すでに「個性」を発揮している。一方のみりんは頑張るが、そこまで品悪く食べない。
やっとお腹の具合も良くなって、食欲も十分にあり、ウン子の色も黒くなってきたが、少しまだ柔らかい。これが硬くなれば安心だが。いや困ったことに、彼らは廊下やソファの下にウン子オシッコをするのだ。しょうゆの奴!!日に三回廊下にウン子して、その周りにオシッコまでしたので、私も危なくて歩けない。特に夜はあぶない。廊下で砂をかける真似だけはするから・・・。砂のトイレは直ぐそばにあるので、私の教育が悪いのではありません。

あいちゃん、ともちゃん双方の子たちはすでに乳離れしたかというとそうでもない。あいちゃんの乳は出ていないが、しゃぶられている。ともちゃんは出るのかも知れない。毎日三匹がしゃぶりついているのを目撃する。邪魔をしないように遠くから眺めているが、しゃぶっている間は出ると聞いている。あいちゃんは途中体調を悪くして、中断して、みりんとしょうゆまで体調を悪くしたから、その片鱗は残っている。母乳は免疫力を高めるために必要と聞いているが・・・どちらも痩せて、まだ顔がETみたいだ。
行政が「野良猫にエサをやらないでください。膨大な数に増えます」とか公報しているが、我が家のように食べるところがあっても、無事育たないことが分かると思う。もし、誰もエサを与えなかったら、交尾はして生まれても育たないから、すぐ死んでしまい、酷なことをするのは行政であり、猫を捨ててしまう人間である。彼等には必ず、報いがあるだろう。それから「猫は年に三回出産できると」とふざけた言い方で猫を排除しようとする者がいる。しかし現実は違う。猫の妊娠期間は63日、乳離れに要する期間は2か月以上だから4か月は最低必要で、この無理な期間を年に3回にさせるのは、金もうけのブリーダーである。乳離れが終わり切っていない子猫も無理やり親から離して、次に発情させるのである。どうやって発情させるのか知らないが、年に3回子を産むとは、このことらしい。全く行政も無責任なlキャッチコピーで野良猫対策を作り上げるのだ。
我が家で野良猫が生んだ場合は「生まれたからには死ぬまで生を待った全うして欲しい」と思っている。私の年金と貯金が尽きるまで。
しかし、ともちゃんの子供たちは私を見ると走って逃げる。ゆらちゃんだけは居間に上がってみんなの食べ残しを食べにくる。どうどうとみんなで食べに来て欲しいけど。では。

世界は美味しいものであふれている?いいや!!

2019-06-09 00:51:07 | 絵画

ここ浜田では美味しいものが少なくて我慢がならない。

かつて、郵便局のお姉さんの話を書いたと思うけど、「なんでこの町に来たの?東京に居れば何でもあるのに」と言われて。そこで「いや、人はなんもかも必要なことはなくて、そんなにいらないよ」と答えたが・・・。やはりおいしいものは食べたい。ある程度覚悟はしたが、仕方がないと思って、料理の本をたくさん買ってきた。

和食、中華、京料理、おせち、パンの本、パスタ、魚料理とさばき方、世界の野菜、などなど。もし結婚していたら、奥さんがきっといろいろ試してくれて、おいしいものも教えてくれたに違いない。これだけは、後悔先に立たず!!で、仕方がないから自分で創ろうとしてきた。父が生きていたころ、年末はおせちを作って重箱に入れて届けた。最大25品が記録だ。黒豆、野菜の炊き寄せに始まって、伊達巻たまごに真鯛の西京焼きなど、やれるだけ試したが、銀座のデパートで買えた頃が楽でよかった。独身男が人のために作っているというのも奇妙な絵面だ。

やはり、自分が作ったものより、人に作ってもらった方が美味しい。

先日、上京した時、渋谷の東横デパートの地下、食品売り場でイタリアンチーズにサラミ、スペインのハモン、オリーブの塩漬けを買い、御徒町の吉池ではホヤの塩辛、カニなどを買った。(カニはホテルでビールを飲みながら食べてしまった)みな浜田にないから、都会に出かけた時はこうして物資を調達する。しかし思った通りにものが見つからない。上野に行けば、昔よく食べに行った「絵のある街」という焼肉屋に行ったが、肉も質が落ち、もみだれ、着けだれもまるで別物になっていた。もう行かないだろう。食い意地が張りっぱなしで浜田に戻る。

結局、東横デパ地下で買った、なつかしの「クスクス」を作る。これはベルギーで画学生をしていた時、お金が無くてたどり着いた「腹いっぱいになる食事」として、美術アカデミーのモロッコ人のクラスメイトに教えてもらったアラブ料理だ。クスクスとは小麦粉で作ったパスタのようなものを顆粒状に粉のようになったものに野菜っスープをかけて食べる、要するに「ぶっかけめし」だ。クスクス鍋というものがあって、下でスープ、上でクスクスを蒸す二段鍋だ。貧乏画学生でも、これを買って持っていた。これを最近、再現して食べてみた。当時、鶏がらを買ってきてお出汁を取って、野菜スープにした上等なものにしたら、おいしかったが、5回続けて食べたら、もうしばらく食べたくなくなった昔を思い出して、懐かしかったからイイカ。まあ、作り過ぎたカレーみたいなものだ

この町で食べれる美味しいもので満足すべきものは、となりの水産高校のN先生の無添加で塩だけで発酵させて作る「いかの塩辛」「無添加のさつま揚げやマグロやサバの缶詰」「かまぼこ」などが美味しい他に家の前で春にとれる「わかめ」「アカモク」。渡船金時丸で沖の波止に連れて行ってもらえば、時期が来ればヒラマサや真鯛がいるし、今この頃、剣先イカが釣れている。このイカは釣れたてが美味しい3日寝せた方が美味しいという人もいるが、釣りたてはぷりぷりで味が繊細で品がある。夜釣りだがまな板やしょうゆにワサビを持参して最高の味が楽しめる。これは東京にはなかった。

そう言えばまだ出雲そばの本格的なものを食べていない。神田の出雲そばは年の暮れによく行ったが、島根は本場だろうが、意外と求める質の高い物には出会えない。

世界は美味しいものであふれていません。手間暇をかけて、お金があればね。

追記:生ハムを作ろう

豚肉は肩ロース肉が良い塊が大きくて少し脂肪のさしが入っている方が良い。①塩を全体にまんべんなく、しっかりかけて、二日間水気を出してやる。②ソミュール(漬け汁)を作る。A.日本酒に漬けるタイプは、酒にお砂糖を入れて漬ける。B.白ワインに漬けるタイプは、ニンニク、セージ、ローズマリー、タイムなど好みの生ハーブをミキサーにかけたものにやはり砂糖を入れて、月桂樹の葉を一二枚入れて、そこに二三日つけこみ、何度かひっくりかえして味がきんとうにしみこむようにする。そして乾かす。AもBも乾かす時にあらびきの黒コショウを振りかけてから、カギにひっかけて風通しの良いところに干す。陽に当ててはいけない。脂肪が溶けだしてしまう。ヨーロッパの家屋の地下は室温が18度kurtid保てるので良いが、日本では梅雨時期はカビに注意。乾燥した日を選ぶ。乾燥は肉の塊の硬さが均等に硬く、どうじに反発力がある弾力がある状態が良い。乾燥が進めば、売っている様な表面に塩気が白くなって出て来て、中の肉は美しい赤黒い色に変化する。食べるときは薄切りで、じっくり噛んで味わえる硬さが良いだろう。Aのタイプは少しだし醤油を入れても良い。その後にイタリアンハーブミックス(市販の)を振りかけて乾燥させても良い。保存方法はラップに包んで冷凍か、冷蔵する。冷蔵で一週間ほどするともっと味わいが深くなる。

薄く1ミリ程度に切って、ビールのつまみに。次はサラミを作ろう。


引きこもりを生きよう(書き加えました)

2019-06-08 00:41:23 | 絵画

引きこもりの問題がNHKで語られていた。

引きこもりになる人のタイプは「物事を敏感に捉える人」「高度な知的領域を目指していた人」とか挙げられていた。そこに外部からの要因で自分の目指す方向を失ったり、疑ったりしてしまう人が引きこもってしまう傾向にあるそうだ。少なくとも私は違うタイプだ。

引きこもりになるタイプの人が受けている、この社会環境の問題から考えてみたい。

以前から取り上げているように、この国では集団の価値観が優先されて、生き方を束縛されている。この国以外の国でどのような考え方があるのか考えたり、感じたりすることが出来なかった人たちは、この集団の価値観を当たり前のこと、つまり「正義」として考えている。最近の殺人事件で母と息子が息子の妻の異常な性格に耐えかねて殺してしまったという事件で、裁判員裁判の中で、中年女性の裁判員が法廷に控えていた妻を殺した息子の父親に対し「貴方は息子に人を殺すような教育をしたのか?」と質問した。そして「親として謝罪したらどうか!!」と言った。フジテレビのお昼のグッディの中でのさいげんVTRでの話だだが、少し誇張した演出は感じられたが、大筋裁判員の発言に違いはあるまい。この裁判員の発言をどうして裁判官が許したのか?想像もつかないが、裁判員が何故事件と無関係の父親に責任を問うのか理解できなかった。父親の返答は「アメリカで長年育って、この場合謝罪することはしない」と。当たり前のことである。

この国ではメディアが加害者の家族を見つけ出し、インタビューを試みる。「加害者の親としてどう感じるか」とマイクを向けるのが日常的にある。だからこの裁判員は、ここで親に謝罪させようとしたのだろうか?

謝罪は何か悪いことをしたときにするものだが、その謝罪すべき原因と結果に合理的な理由がなければならない。それにしてもこの国では皆ペコペコ謝るのが日常化して軽く感じる。「謝ったのだから如何する」と聞きたい。これまで書いたと思うが、ベルリンに居た頃、ある日本人の学生が国立図書館で本を写すのをめんどくさがって、1ページを破いて持ち帰った。当然それを見たドイツ人が許す訳はない。彼は裁判で「追出来心で、初めてやりました」と認めた。「初めてだから許してください」と言ったかどうかは定かではないが、彼は9か月の実刑判決を受けた。器物損壊と窃盗の罪だ。日本であれば執行猶予付きであろうが、ドイツでは応法刑主義である。謝罪は罪を認めることで、罪を許してもらうための手順の一つではない。責任を取るということだ。

この国の裁判では、犯罪者が「謝罪」したかどうかで「量刑」が異なる。そして裁判官は判決以外の「判決理由」として、「被害者の家族の無念さをおもんばかれば極刑もやむなし」とか言う。殺人事件などでは被害者の家族も法廷で傍聴し、裁判官は意見を述べさせるようになった。昔はそんなことは無かったのだが・・・・裁判員制度とともに法務省が始めた制度である。殺人事件であれば、被害者の感情としては「極刑を望む」となる。そして死刑判決ともなれば、私にそれは「裁判で被害者と被害者の家族に代わり「報復」を行うとしか思えない。先に述べたドイツでの裁判であれば応法刑つまり「法律に従ってのみ量刑は考えられる」ということで、これが責任を重んじる合理主義というものだと思う。

この国の社会環境の問題は、このような一場面でも議論が尽くされていなくて、国民が情緒的にどう感じるかで世の中が大きく動いていることに気が付いてほしい。これはとても危険で、この国の個人は集団の中の一人で、自分ではない。自分がどう感じようが、逆らってモノが言えないことが一人の人間としての独立性を阻害しているのだ。裁判員で父親に「謝罪を求めた」女性は自分が考えたことではなく、周囲に同化して「正義」であると思い込んだことを自分の外に発信しているのである。この女性のタイプと対極にあるのが「引きこもりのタイプ」である。

引きこもりのタイプの人は外部の環境で起きていることに自分を照らして見ている。例えば親や学校の教師、同級生、仕事の同僚、上司などが個人を取り巻く環境要因だ。彼らが何気なく発する言葉に敏感に感じる。自分の考え方や感じ方が他の者たちと違うことが問題と感じてしまう。私に言わせれば「これで当たり前」なのだが、自分が確立できなければ、この環境に負ける。悪意のある言葉では追い詰められることもあるだろう。悪い奴は「人を追い詰めるために、傷つけるために言葉を選択している」こともあるだろう。私のように「はみ出し者」で結構!!とか考えられる生き方を選択できるだけの人生経験がないことが悲しい方向に人を向ける。つまり自分をダメ人間だと思い込んでしまうことで、世の中から遠ざかることで解決しようとする。何かをしたいのはやまやまなのだろう、しかし外に向かってはできない。いや、させてくれない環境がある場合もある。大学を出たらすぐ就職しなければならないとか、(今年の就職内定率は70%を超えている、すでに!!)私に異常だ。もっと若い内に経験すべきことが山ほどあって、本来人生の時間は自分で自由に配分できなければならない。欧米のどの国でも、日本や韓国のような悪習じみた社会構造は見つからない。(国連が日本のメディアの独立性が危ういと言ってもピンとこない政治家ばかり・・・で気が付かないのだ)欧米と比べて社会構造に問題があるのだ。そこに自分の立ち位置を置けない社会がある。要するに最も自分が自分らしく生きようとする時期に、教師や親が当人の為にと、ああしろ、こうしろとおせっかいを焼くこの国の人間関係がある。安倍が「美しい日本」という旧式の家族関係が日本民族の強さだと言う・・・まさに集団でいようとする考え方が個人の成長を妨げている。そこに引きこもりがある。

最近、元事務次官の人が引きこもりの息子を刺殺した事件があって、今回のテーマを語るべきだと考えた。この事件の場合、追い詰められた家族の暴発ということらしいが、殺された息子のケースは「引きこもりの問題」を超えている。もう年も40過ぎの息子のことだ。中学生のころから外部環境と自分の関わり合いが出来なくて子劣等感と優越感が(劣等感、優越感は同時に存在する裏返し)がコントロールできなくなったのだろう。(親が優れていると無言の圧力を子供は感じているものだ)そして暴力で解決を試みるところまで行ったのだ。

今引きこもっている人たちの多くはここまで至っていないだろう。彼らに最も大事なのは「自分が自分であること」だろう。他人と比べないことだ。自分の最も好きなこと、やりたいことをやるべきだ。

私は絵を描きながら、自分の芸術的主題について考えた。長い間自信が持てなかったが、現代美術界がよしとするもの、流行しているもの、美術史上優れているとされるもの、「くそくらえだ!!」ここでは自分しかいない。

今私は引きこもっているのと変わらない。それでこそ、いい絵が描ける。

ともちゃんが2匹の子猫を連れてきた。茶トラとキジトラだ。エアコンの室外機の下に暮らし始めた。彼らの人生は始まったばかりだ。早く一緒に遊ぼ!!

今日の朝、子猫をチラ見しようと、室外機を見たら向うからガン見している。何ともう一匹いた。三匹で私を見つめているこういう時手を出すと、母親がみんなをどこかに避難させてしまう。もう一時、我慢だね。


我が家の生物多様性が・・・・

2019-06-01 12:15:34 | 絵画

我が家には多くの動物がいる。最近、突如いなくなった猫がいて、とても寂しい思いをしている。

絵を描くことも大事だが、猫は家族だからもっと大事だ。気持ちが落ち着かずにイライラしてしまう。浜田に引っ越してきて、一番最初に居なくなったのは、間違えて東京から連れてきてしまった本物のねこオスの野良ねこヤンキーだ。今の家にみんな放して、寒い冬だったので家に閉じ込めていたら、他の猫たちをいじめたり、噛みついたりで大変だった。この子は自由にするしかないと思って、最初に戸を開けて出してやったら、数十秒でいなくなった。可哀そうなことをしたと思う。仲池上にずっといた方がよかったのだろう。その次に居なくなったのは、仲池上のボス「ハヤブサ」(なぜはやぶさっだったのか仲池上の猫お姉さんに聞いてみないと分らないが、相手が犬であろうとも、じっと腰を低くして尻尾を数回降ったかと思うと、いきなり襲いかかる獰猛な猫だった)。自尊心が強くみんなと一緒に住むのがいやだったのだろう。ある時は私の布団にきて泣いた。啼いたのではなく泣いたのだ。「なんでこのんあ所に連れてきたのだよ・・・・」と、今まで泣くことが無かったハヤブサが悲痛な声で泣いたのが忘れられない。仲池上の家の駐車場でエサを与えていた野良たちを皆連れてきたのだ。その時、13匹がハイエースに乗って引っ越した。その次が初代「珠ちゃん」(たまです)私が一番最初に飼ったアメリカンショートヘアの珠ちゃんが、正月を挟んで一か月半いなくなって、・・・・やばいと思ったが・・・浜田に来て3年経ったまだ寒い3月に居なくなった。いなくなる2週間前から毎晩私の布団に来て一緒に寝た。まだ寒かったので、温かくして居たいのだと思ったが、後で考えると「これで、さようなら!!」だったのだろう。彼女も他にいっぱいの猫たちがいるのが許せなかった。

最近、10日ぐらい前であったろうか、突然大雨が降って、外に遊びに出ていた子たちが帰って来なかったことがあった。25匹のうち10匹から帰らなかったが、ぽつりぽつりと帰って来て、後はミミだけ返ってこない・・・といことになって、今まで遠出しなかったミミだから、いやな予感がしている。彼はハヤブサの弟分でいつも仲池上では二人が仲良しで遊んでいた。ハヤブサが居なくなってからは、この家の猫たちの世話役で、ケンカしないように皆をまとめていたジェントルマンだった。最近歯槽膿漏だったのか、口の中は歯が一本も見当たらず、一度口に入れた食べ物がポロリと落ちるようなことが多くなっていた。しかしまだ元気だったので、ふらっと帰ってくるのを待っている

市役所が野良猫対策として「野良猫にはエサをやらないでください。やるとあっという間に増えてしまいます」という広報を出していたのに抗議して、「愛護動物保護法には愛護動物にエサをやらないのは虐待です」と書かれている、猫は人間が作った動物で、彼らが野にいるのは、同時に違法行為である「動物の遺棄」に依るもので、彼らは被害者だ」と訴えてから、何年たっただろう。市役所は「改めます」という返事をくれたが、不妊手術の補助金にいたるまで随分時間が経った。しかしこの町で港への「捨て猫」は減らないし海に猫を投げ込む奴も減らない。魚を水揚げする埠頭に猫を捨てれば生きていけると思うやつがいるのは許せない。結局私がひらって来ることになる

それでなくとも、我が家には野良のお腹が大きくなったメス猫がやって来て子供を産んで置いていく。すでにあいちゃんが4匹産んでしまって、あちこちに隠している。ともちゃんにこどもは何匹なのか分からない時々おっぱいを触って乳を飲んでいるか確かめるが、良く分からない。それも最近になって触らせてくれるようになったのだから・・・・エッチなことは考えていません・・・誤解無きよう。

3月の末にまた狸があらわれて、これが回線病を患った危ない狸で、追い回して逃がした。回線病は細菌感染(おなじくカイセン病というのが、ダニによるもの)で、毛が抜け落ちて最終的に命に係わる猫にも人にもうつる。他に大きな動物はイノシシで、これも危ない。クマが市内の真ん中で目撃され、一頭はわなで捕まえられ処分された。だれが食べたのかなあ・・・。次に大きいのはトンビで家の前で釣りをしたり、釣った魚をさばいてあらを投げると飛んでくる。口笛を吹いてピューピューと繰り返すと、空の上で見ていたものや近所の巣で聞いていたものが飛んでくる。かわいいけど不用意に釣った魚をてに持って油断すると、急降下して手から奪い取って行く。これは危ないから怒ったほうが良い。誰に?トンビにです。他にカラスがゴミ焼き場のゴミを散らかすし、プランターのトマトを食べられた。カラスは頭が良いから、怒ると来なくなった。

逆に来て欲しいのはシジュウカラとかホウジロ、うぐいす。でも猫に食べられてしまうので・・・初代珠ちゃんはツバメやカケス(カラスみたいに大きな鳥)まで取って食べてしまって、往生した。畳の上に羽を散らかして、心臓だけ残して血まみれにしてしまう。生きた状態で雀をくわえてくると、取り上げて空に投げることにしている。それを知ると殺してから見せに来るようになった。殺生は魚以外にはやりたくない。そう、ある夜、猫が生きた状態のフグをくわえて帰ってきた。私はフグを取り上げると、急いで懐中電灯を下げて庭に出て「おい!!猫にフグを食わせるんじゃない!!」と暗闇に大声でどなって、フグは海に戻したが、間もなく次には生きたメジナの子をくわえて帰ってきた。もう頭にきて木刀をもってそこいら中を走ったが、釣り人は見つけられなかった。

他に我が家に出没する生物で大きいのはカニで、切り土の土手に穴を掘って住んでいる。彼らの食べ物は腐った木の葉だ。家の中まで入って来て、玄関からお風呂まで入ってくる。食べられないけど、石鯛釣りの餌にしてしまう。他に恐ろしいムカデ、気持ちの悪いげじげじ。家中巣を作るクモ。今朝、マグカップの中にクモの巣が張られていて、がっかりした。山が家の後ろにあるので昆虫は名前が分からい物が多い。蚊取り線香を焚くとクモも嫌がるようだ。まあ、このクモは蚊取り線香の代わりだと思ってきたが、朝のコーヒーを入れようと、マグカップを覗くとクモが巣を作っているから、(一時間もあれば玄関先の通路もクモの巣で通行止めになるくらいだから)驚かされる。勿論クモは飲まないから、どいてもらう。御多分に漏れず、ハエは銀バエ、ニクバエ、コバエ、アカ家蚊にやぶ蚊。しかしハチはオオスズメバチ、小型スズメバチ、熊蜂で、残念ながらミツバチがいない。西洋ミツバチを一度見たことがあるが・・・・。西馬込のミッキー・カーチス氏のミツバチがスイカの受粉に来てくれていたのが懐かしい。ここでは小筆を取り出して、自分が受粉して初めてスイカが食べれる。ズッキーニも同じ。時々熊蜂が変わりをしてくれているようだ。

ああ、それから一番この時期に迷惑しているのが猫のノミだ。寝る前に布団から排除しなければ寝れない。最低10匹は殺すことになる。2年前の夏にうちに来た(要するに拾った)メガちゃんは、まず一番にシャンプーしたが、洗面器に350匹程、ノミ取くしで50以上殺したから、この子が我が家の記録かな。梅雨時期はノミ大繁殖の季節だから、殺虫剤とキンカンを用意した。毎年片足だけで200か所から噛まれる。廊下に猫からこぼれたノミが私の足に飛びついて血を吸うのだ。どうです!!??我が家に遊びに来ませんか?歓迎しますよ!!東京の仲池上ではハエも蚊もめったにいなかったが、田舎暮らしにはいろんな命が身近にいる。

そうそう忘れてはいけない。我が家が誇る二年前から住み着いている(同じものではなく世代交代しているかも)のが「大アマガエル」だ。少し暗くなると大きな声で啼く。ゲロ、ゲゲゲ、ゲロ!!と何とも言えない風情がある。一昨年は庭のイチジクの枝に大きな泡の卵を産んで、楽しませてくれたが、なんせその泡の真下にあるはずの水はゴミ用の青い90リットルの大バケツだが、卵からかえった子供たちがそこに狙い通り落ちるかと思いきや、どうも外れているから、枝をひもで引っ張っておいて、バケツの上に来るようにして置いたが、その後どうなったか。「また今年も産んではるわ・・・」なんてね。まだ卵は無い。今日は曇り空でしきりと鳴く声が聴ける。

また忘れてはならないのが亀ちゃんだ。いや、カメムシです。プランターの唐辛子の茎の汁を吸いに今年もいっぱいいる。子供のカメムシだが、気持ちが悪いし、一向に唐辛子の苗が大きくならない。そして不良作物になってしまう。もう100匹上始末した。トマトがなって食べれるようになってから、安心して口に入れないことだ。ミニトマトとともに私が食べたのはカメムシだった。これがきつい味だった。急いで家の洗面台に行って、うがいをしたが、あの味は今でも恐怖を覚える。カメムシは食べれません。

ぬぬ・・・玄関先をカニが歩いている。猫はカニは食べない。安心して歩いているから・・・たまらんちゃ!!

お隣の水産高校の生徒が「おじさん、むこうで猫が車にひかれて死んでいるよと言うから、急いで近くの道路を捜したら、何と死んでいたのは「オッポッサム」だ。ネットで調べたから間違いない。生きた状態では見たこともないから話に聞くと、むかし益田市(山口県寄りの町、浜田から45kmある)で繁殖していたらしい。我が家の猫であったら気が狂うところだった。

街の中を熊が歩いているとか、サルが出たとか・・・きりがないが…