高校二年生になってから、美術の道に志した。一年生の時は水産大学でクジラの養殖をしようかと考えていた。まあクジラの養殖をやってみるのも面白かったが・・・・しなくて良かったのだろう。ただ釣りが好きで、魚が好きで・・・という程度のモチベーションだった。今魚釣りはやっているが、必死さは欠けていて、いまだに大鯛の記録は作っていない。やはり「釣れた」ではなく「釣った」でなくてはいけない。その点、絵を描くことには明確な意識と欲望があるから続けていられる。
一年生の終わりになって美術クラブの部室を訪ねた。先輩たちが狭い部屋で石膏像の木炭デッサンを描いていた。後で思えば、みんな受験が念頭にあって、芸大の受験に必要な石膏デッサンを身に着けるのに必死で、「あのおー、美術を勉強したいのですが・・・?」と部屋の扉を開けた時、皆が振り向いた顔がちょっと怖かった。誰かが空いた場所に私の為にイーゼルを立てて、そこでデッサンをするように言ってくれた。目の前にあったのはラオコーンの石膏像で・・・今から考えると、最も初心者には難しい角度だった。私の横で同じラオコーンを描いていたのは一年先輩で彫刻家志望だったN氏。彼のデッサンはまっ黒だったので、同じように描いていたら、「君も彫刻志望か?」と聞かれて「そうです」と答えた。本当は絵画も彫刻も良く分からなかったのだ。「彫刻のデッサンはボリュームを描くのだ」と言われても良く分からなかった。
まあ、初心者にとってボリュームだの、、立体、空間だの言われてもちんぷんかんぷんである。誰も教えてくれなかった。
そう、高校の美術クラブと言えば、まともな先生はいないと同じだ。美術の教科は選択科目で、情操教育の一環で、音楽、習字、美術のうち一つを一年生の時に選択して単位を取るだけだった。高校教育の美術の位置づけは、40年経っても変わらないらしい。美術クラブの担当教員はこの美術の教科を教える先生であったが、クラブには年に一回程度しか来なかった。だから何かを教えてもらったことはない。
何かあれば先輩に聞くほかなかった。クラブに与えられた活動資金の補助金はすべて「木炭デッサンの洋紙、木炭紙」の購入に充てられていた。「木炭で描くのですか?」「画材屋さんはどこにあります」などなど。将来、美術に進むことはずっと親には内緒で、画材を買うお金ももらえなかったので大変であった。
まずは彫刻家になりたいのだけれど・・・という告白は親をなんとか説得した。というのも、当時は私は左翼思想にかぶれた高校生で、山口大学の全共闘学生たちと頻繁に密会したりして、警察にも目を着けられていたので、途中で水産から法科に行って左翼系弁護士になる・・・と考えていたのよりは許せると思ったのだろう。父は職場の裁判所の先輩の娘がやはり彫刻家を志して、大金を支出している話を聞いてきて「ノミの打ち間違いで10万円もする大理石が一瞬にして粉々になるらしい・・・」と将来の負担を気にして「絵画ならねえー!!」と一言漏らしたので、絵を描くことになったのだ。しかし、毎月の小遣いで油絵具のチューブ1本づつ買うことになった。
もう一つ、美術志望を許すキッカケがあった。山口高校のクラブの先輩たちの進学率は悪くなく、東京芸大にも多摩美、武蔵野美大、東京造形大学などと、皆そこそこ現実的に合格していた。というのもクラブの先生が教えてくれなくても、山口大学の助教授の先生にみんな時に完成したデッサンを持参して、教を請いていたのだった。山本文彦先生で後には筑波大学の教授なられたが、当時、先生は30歳ぐらいで、「お兄ちゃん」という感じで、実に親切で教え方も誠実な方であった。多くの高校生が世話になった。
父が、松江の地方裁判所に転勤となっても、私は山口に残って先生に師事できた。これが私の将来に大きかった。
ビギナーという者は、何も分からないので「格好から入る」のが普通である。「絵画」という大きな概念も、小さく限定される一枚の作品にあるはずの「虚構世界」も何も知らなかった。描くことになって、白い紙の中に何かを作ろうとしていることさえ分かっていなかった。
目の前の石膏像が置かれているから、紙に描く・・・が。何をどうすべきか?どう描けば「良し」と認められるのかも誰も教えてくれなかったが、ある時山本先生は「ほっ!!、立体感が見えてきたね!!」と言ってくださって、やっと「デッサン」が始まったのである。
いま受験生を預かっているが、私が今度は教える番で、デッサンのデの字は「立体感」だと口を酸っぱくして言っている。そこから始まり、いろんなことが見えてくる。線のつながり、形のつながりが見えると楽しくなるはずだ。物が出来上がる楽しみは初心者の特権みたいにある。
ただ疑問に思うことは、小学生や中学生であった頃、物を見なくても、色んなものが描けたのを不思議に思わないだろうか?大人になるにしたがって描写が出来なくなるのはどうしてだろう?ある時、交通安全のポスターの中学生の作品に驚かされた。斜め3・7に構えた自転車のタイヤ、リム、スポーク、ペダルの上に運動靴をはいた少年の足が載っている。少年の顔は頑張って自転車を漕いでいるようで、歯がむき出しになっている。どうみても誰かがモデルになって描いているのとは違う自由な描写に驚いて、このポスターの作者の想像力の力に感心した。このイマージの一つ一つは観察と記憶によって出来上がっている。この中学生は「絵心」も持っているのだ。
こうした経験を忘れて、大人になる。「私は絵が下手で・・・」という人は視覚の記憶があいまいな人だが。きっと子供のころ見ることが新鮮であった経験が失われてしまったのだろう。
さて、美術を志す若者は、この視覚的経験の楽しさが忘れられないのだと思う。私もそうであったように思う。
皆さんも絵を描きますか?美術史を研究している人たちも絵を描けばもっと楽しくなると思うけど。