河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

パターンの絵画2

2018-02-13 23:46:33 | 絵画

またパターンかと思われるだろうが、言い忘れたことがあって、その点を書きたい。(しかし、全く申し訳ないことに、途中でどうもインフルエンザに罹ったようで、2週間に及んでベッドから起きられなくなって、元気を失った。頼る家族がいないというのは、こういう時食事のことも、冷蔵庫の中をのぞいても食欲がわかず、水とリンゴで多くの日を過ごした・・・・それでもウン子は出るもので・・・リンゴのウン子?・・・多くの読者が居るのに毎週新規出来ないのは申し訳なく感じてます・・・・)

 

我々の生活のスタイルはかなり複雑に多様化していて、世代、職業、住んでいる地域などによって、とても同じ民族で小さな国に一緒に住んでいるとは思えない精神性の断絶をも感じる。

その一つに、何か思いついたことを記述する(自動書記?)が潜在意識の表出につながり、その行為が芸術性を表すのに優れた方法であると考える向きがあって、現代美術の表現の多くを占めている。若い時分は、そういうこともあるものだと思っていたが、本当に潜在意識の表出が起きているのかと疑問に思うようになった。

私がこの傾向を認めたくないのは、これらの方向を扇動するのが作家自身ではなくて、評論家や美術研究者と自称る人たちに依っているからである。中には「作家と共に作品を作り出す」と言い、また「作家より自分たちの方が美術をよく理解している」と言う者もいるからである。しかし自分たちの方が「美術の専門家である」と自負するなら、自分で創って見せるが良い。こんな言葉があるの聞いたことがる「出来る者は自分でやる。出来ない者は人に教える」と。

作る側の実体、つまり制作が良く分かっていないから、平気であるのだろう。しかも「言葉」を放って、そのことがの持つ実体があるかどうか確認する能力がないのだから困ったものだ。しかし実態を確認する手段を持たない評論する側は「作家に騙されている」あるいは「自分で自分を騙している」ということだろう。

昔から何々風と言うのがあるが、要するに制作しているうちに「何々らしさ」と言えるような「印」が出来上がってくる。リューベンス風、レンブラント風とか呼ばれる特徴のことである。このらしさは作家の感性の独自性から生まれて、発展していくもので、発明品ではない。それほど作者がコントロールできるものではなく、どうしてもそうしたいと感じる部分である。特に形から始まり色彩にいたる部分で、私が常に言う「無いものを在るがごときにする」感覚的な快感がベースになっている。まさかこれを評論家は潜在意識の表出と言わないだろう。言えばどう説明するのか、出来ないのであれば、形や色を潜在意識だと洗脳する方法論をいかにも現代的だと言い含めるのは犯罪に近い。

人の感性は数百年前とどれほど違うであろうか?丸いものは丸く、四角いものは四角く感じている。物へ認識や感受性の度合いは違う・・・だから「彫刻美術はギリシャ時代で完成した(終わった)」という言い方があるが、まさに彫刻の特性が頂点に達したと言える完成度が認められるから、のちの彫刻の歴史はバリエーションに過ぎないとも言える。ギリシャ時代の彫刻に秘められたデッサン力は再現が不可能に近い。

しかし、終わったと言われても、のちの時代に生まれた我々としては、何となく納得のいかない未練んが残る。だから綿々として時代が繋がっている様なふりをする。かつての「力の時代」が再現できなければ、アイデアの時代で補おうとする。それが近代であった。パターンの絵画1で述べた中国の現代作家の絵画にみられる松の枝、松葉、鳥の描き方がパターン化して、売り絵そのままだと言ったが、ではピカソの絵画はどうで絵あろうか?大差ないではないか?誰が見ても「ピカソ印」の描き方であって、何か彼は追求するために同じパターンで描き続けたのであろうか?今や一点何億円もする絵画であるが・・・・。技法も表現も単純で同じ繰り返しが展開されている、贋作が最も作り易く、昔の巨匠の「力の時代」には程遠い作品であるから・・・サインまでパターン化している。

他に最近、水玉模様を使って制作する女性が居るが、もし他の誰かが水玉を使って表現すれば、間違いなく真似をしたと思われるだろう。アイデアの時代には先に手を付けたものが優越し、それがオリジナルとされ、そのアイデアを用いると意匠侵害で訴えられるかもしれない。水玉を作り出したのは彼女ではなく「利用したのが彼女」なのであるから、水玉が彼女のオリジナルではないはずだが・・・社会で認められた方が勝ちなのだ。

先手必勝はケンカの常とう手段ではない。現代美術の世界でも同じだ。「思い付き」で先に使うことが求められ、ぐちゃぐちゃでも良いから何か描いているうちに、出てきたものが「潜在意識の表出」にしてもらえる。これまで評論家たちが目にしてこなかったものが出て来ればしめたものである。例えば小さな虫のようなものを画面いっぱいに埋め尽くしてみたらどうだろう。それを繰り貸し描くと、異常なこだわりとして認められるだろう。ただし持続する必要がある。ただアイデアでは「持続可能」なほどの面白さやエネルギーが持続できるかは問題でるが、質の良し悪しは問われないであろうから、頑張れば「芸術家」になれるかも知れない。どこかでチャンスをひらう事だ。ピカソでさえ無名の1960年代のころ日本橋三越でサイン会を開いていたというから・・・・地道な努力も必要かもしれない。しかしパターンが勝つ時代では面白くない。

抽象絵画が出てきた時にこのパターン化は運命づけられていた。抽象画は要素を単純化することで絵画表現にしようと試みる方法だったが、視覚的に形と色にしか分解できない絵画にパターン化はつきものだった。で、パターンは「展開であって追求ではありえない」から面白くない。具象絵画には見える通りに描かないという約束が過去にはあったが、感性で描く方法の結果は対象の省略や抽象化はつきものだった。だが、パターン化と言うまでではない。

展開であるか、追求であるかに関して、一言い足すと、世界美術史に名を遺す最も偉大なグラフィックデザイナーが日本の江戸にいた。それは葛飾北斎であるが、彼は「絵師」としての位置づけより「画工」の名を冠することを選び、それこそ様々なアイデアの巨匠だった。当時は絵師というのは狩野派など大名や寺社のお抱えのような絵師のグループが沢山いて、その中を渡り歩いて学びながら、しかしその中に位置しようと思わなかったことが、彼の創作の基本に在ったと言えよう。当初は彼の作品も周囲と同じ表現様式を踏襲しており、他の者と見分けのつかない者も多くあるが、当然ながらミケランジェロやレオナルドが先人の教えから学んで天性を発揮したように、北斎もそうして成長した。北斎漫画に見られる様々なモチーフのパターンは「展開」を超えて「追求であった」ことは誰しも認めよう。様々なモチーフを筆の線描に略し表す当時の浮世絵の感性が19世紀フランスの画壇が新鮮な造形力を失っていた時期に衝撃的な新鮮さを与えたことは想像に難くない。もちろんデザインが西洋に無かったわけではなくても、アールヌーヴォーはアールデコという特筆すべき装飾絵画や工芸美術の流行につながったことは北斎漫画の意匠を見ればそのままである。北斎の制作がフランスでどのように影響を与えたかより、彼があくなき画欲の限り、遠近法など西洋画の影響も柔らかな油絵の具の画法に見られるグラデーション技法などを取り入れていることに私は感動する。死の前に「あと10年あれば、もっと優れた画工に成れた」と言い残している彼の欲の結果を見たかった。

 

 


Le cirage

2018-02-11 02:09:28 | 絵画

cirage(シラージュ)は仏語で蝋を引くという意味で、床や靴などに蝋引きすることを意味している他に「黄色く描いた絵画」を意味する。輸入ではなく西洋で身近に手に入る蝋と言えば「蜜蝋 beeswax」のことでミツバチが巣作りの時口から出して、あの六角形の巣を作るので、それをお湯に入れると黄色いワックスが得られる。つまりこの黄色からシラージュという。Rembrandtの下絵のシラージュは良く知られていると思うが、淡彩画であるため明暗の画面構成を作り易く温かみを感じる。grisaille(グリザイユ)はこの淡彩画の総称であるが、フランドルでは中世期から淡彩の絵画は描かれることが多く、大理石などの彫刻を描けば自ずと淡彩画になるが、そうしたモチーフの選択から発展したのかもしれない。単色の濃淡や明暗で立体や空間など描くことが出来、デッサン画の一歩進んだものと言える。別の稿で述べたこともあるダヴィンチの未完成下絵状態の《岩窟の聖ヒエロニムス》がテンペラでこのシラージュに近い状態であるのを見たことがあるだろう。下絵として上描きに彩色を増やす手前の構想を明確に捉え、次のプロセスを明確に示している。

これも前に述べたと思うが、ファン・アイクの絵画の下絵として淡彩画が先に描かれているという、この国独自の誤解について指摘したが、同時に大きな誤解としてグリザイユは「白黒画」だと思っている人も多いこと。いずれにせよフランドル絵画の下絵、あるいは下塗りは彩色そのもので行われており、画面を汚すこと、あるいは暗くすることになるグリザイユは行われていない。フランドル絵画の基本は地の白色を生かし続ける画法なのである。

ボッシュの《聖アントニウスの誘惑》のトリプティック(三簾祭壇画)の左右翼の裏面には白黒のグリザイユがあるが、全くの白黒ではなく、その下に薄い黄土色の下塗りがある。この裏面は日ごろ閉じているため表としてまず人々は見て、扉を開いて見せてもらうと「総カラー」になるという仕掛けだ。グリザイユのテーマは刑場にひかれるキリストと人々に卑しめられるキリストが描かれていて、まず観る者の気を引く。

この頃から淡彩画のデッサンも素地となる紙を黒豆の煮汁で灰色に染めたり、様々な色彩で準備した背景となる色を用いて黒チョークなどでデッサンした作品が多く見つかる。さらに白でハイライトの部分を入れて、立体感を強調するなどの工夫がされる。こうしたデッサンは保存上の理由から、光に暴露することを嫌うため、展覧会で目にすることは少ないが、もし観覧する機会があればぜひその役割と、下絵であるが故の「新鮮さ」を見ていただきたい。


油絵の具の魅力

2018-02-03 14:46:44 | 絵画

美術大学を志した頃、山口大学教育学部であったであろうか、展覧会を見に行った時、やたら油の匂いが鼻について「なんじゃこりゃ・・・」と言いつつ帰宅したのを思い出す。描かれていたものは全く覚えていない。絵具がまだ乾燥し切れていない生のままの絵具で、触らないでください「ペンキ塗り経てです」と言われなくても、近寄りたくなかった。

絵具の魅力というものを美学生であったころまで意識できなかったのは、身近にそれを感じさせるものが無かったことに由来した。1972年に東京造形大学で学び始めた頃、青木敏郎氏と出会って、彼がやたらと「お前ら、これをどうやって描くよ」とやたら感心して強調したのがレンブラントの晩年の自画像であった。当時は気味悪く「皮膚感覚」が感じられる絵だと思ったが、そのリアリティがこの日本には何処にも見当たらないものであることに、ある種の隔絶を覚えた。それは遥か歴史の彼方に失われた技術だと思ったが、それがレンブラント個人が獲得した「感性」であり、絵具の可能性を見出した洞察力の結果であることに少しづつ気が付くことになる。

これは評論家が実証なしに頭で理解することではない。模写に挑戦して初めて気が付いていくプロセスなしには得られない感覚的な理解である。

現代の我々はあらゆる場面で物質的な豊かさを享受できる。その物質は一人の人間が一生を通して手にすることが出来ても、その有益な使い道を経験できるだけの時間がないほどの量であろう。だから物質の有益性を最も効果的に自分が満足できるであろう程に手に入れ、使いこなすだけでも一生を費やすに違いない。絵を描く者にとっての「画材」はまさにそれほど物質的豊かさの時代に入って、使う側の選択が重要な方向性を与えている。

しかし、現実は多くの絵を描く者によって、いい加減な知識や態度で画材はまさに死んだ状態で使用されている。

横尾忠則の制作をTVで紹介している時、彼が「ピカソが自由奔放に描き続けているのに感銘して、彼と同じように制作しようと思っている」と発言したのを聞いて、まさに彼の作品では絵具には気を使う気がないのだとよく理解できた。ピカソ自身もチューブから出た絵具をパレットに移すことなく、筆にとってカンヴァスに練りつけているのを、作品上に認められる。横尾忠則も全く同じで、パレットは絵具を置くだけで、次の瞬間、筆にとってカンヴァスに直に塗られている。だから原色そのままで、彼の色彩感覚の基準がそれ以上でも以下でもないと言える。そして絵具は両者にとって単なる道具でしかない。カンヴァスに対しても、その白い地塗りがされている状態が露出して放置されている。絵具もカンヴァスもどちらも保存上不完全である。

これまで述べてきたように、チューブの絵具は利便上チューブという器に入れてあるだけで、そのまま使用できる状態にはされていない。パレットとパレットナイフの使い方も、パレットの上で絵具の混色や、メディウムと混ぜ合わせて描画用に準備するためのものである。そういう意味では、使い方を知らないというだけでも「幼稚園児なみ」であることに違いない。

現代の時代性から来る問題として、「物事の観念的な理解」というのをたびたび取り上げてきたが、説明書を読んで始めるのは初心者には許される(それさえしない者もいる)が、経験者となれば「経験的理解による教訓」というのがあって、しかるべきだと思う。我々は歴史から多くを学ぶだけの権利と機会を与えられても「観念的な理解」によって、「思考停止と感覚的排除」をすることで多くを失っている。

昔の画家たちの絵具を想像してみて欲しい。彼らは自由に何でも入手できたわけではない。突然「絵描きになりたい」と言っても独学で始められない社会だ。物がない、情報がない社会で何が始められよう。絵描きになりたければ17世紀頃の北ネーデルランドであれば、すでに絵描きとしてギルドに登録されている画家の弟子になって、画材の扱い方や画法を教えてもらう他なかった。つまり「伝統と伝承」を授かることで、プロの世界に近づくのだ。そして材料の入手は自分の師匠が持つ政治力に左右されたであったであろう。カラフルな土系の顔料はイタリアから、アズライト(群青)はドイツから、ラピスラズリはアフガニスタンから、朱は中国から、亜麻仁油は南ネーデルランド、ヴェネッアターペンタインはイタリア北部などと当時の海運力の賜物で、オランダ、イギリスの東インド会社などが物質世界を広げたおかげである。

画家たちがそれほど厳しい条件下で制作していたと言えることは、画材を大事に扱うことと、その結果生じる「完成度の高さ」に具現化されたであろう。スペインの画家ホセ・デ・リベラの画面をよく見れば5色ぐらいしかないことに気が付くであろう。結局、最終結果は「描写の力量」なのであった。彼が使った絵具は土系顔料、白(鉛白)黒(ランプブラックかブドウ墨)、そしてたまにマリアの衣のヴァーミリオン(朱)とアズライト青である。青は空の色かマリアの衣の裏の青色ぐらいで、あった。黄色はイエローオーカー、緑はテルベルト、肌の赤みはテラローザと土系で賄うことが出来たが、多くの人が古典絵画はみな暗いと思い込んでいるのはバロックの光と闇の扱いで表現様式であって、「時代が暗い」のではない。

バロック時代には光は絵画の劇的効果の為になくてはならない要素だった。

それまでの中世、ルネッサンスの絵画には光を劇的に扱うことで、絵画効果を与える方法は存在しなかった。それを広く活用し広めたのはイタリアのカラヴァッジョであったカラヴァッジョがハイコントラストな表現でドラマチックに登場人物に焦点を当てさせたのと違ってレンブラントは柔らかな光を演出した。この時代の人物画のX線写真には人物の明るい個所には必ず鉛白が用いられていて、白黒陰画ではなく、そのままの明暗を示す陽画をそのまま表すような使い方がされていた。勿論中には描き直しや描き加えをする画家もいたが、いかに絵具の無駄なく表現されていたか示している。そこに筆遣いというものはくっきりと表れ、達筆さが作家ごとに特徴として出る。

特に見事なのがレンブラントであり、表面上上手く似せたコピーや贋作が作れないのは、この筆遣いで現れるタッチ(筆致)である。彼の絵具は独特な硬さを持っており、豚毛のような硬質な筆で描くののではなく、オックス(オス牛)毛くらいの腰の強さの筆で、でペタペタと置いたような柔らかいものであった。鉛白の白をそのまま用いた個所では絵具が糸を引いた跡があり、かなり粘っこいものであった。しかも指触乾燥は早く、ハチミツの様にだらりと平たんにはならない。この絵具は亜麻仁油と樹脂の混合油で練り合わせた後、ツボに入れられて寝かせておいたものに違いない。彼の描く絵はモチーフすべて同じ絵具の硬さではなく、それに応じた絵具で表現したと言える。彼が少年期に指導を受けたペーテル・ラストマンが柔らかい絵の具で人物の肌をぬるっとした柔らかさで特徴的な表現を行っていた影響が大きいであろう。生涯にその影響と思われる絵具の扱いが認められる。彼が用いた絵具の感触は彼が多く残したエッチングにも表れていた。それほど描き方の感触は共通のベースになるということだ。

もう一人特徴的な絵の具の扱い方はファン・アイク兄弟であろう。白い地塗りの上に当たり付けデッサン、各部に不透明な固有色で描写を行い、更に色彩を美しくする透明絵具のグレーズを重ねることで成り立っている。その絵具の厚さは決して地塗りの白を殺すほどの厚さは無かった。いまだにこの国の絵画技法案内書では、下描きにグリザイユ技法を用いて、その上にグレーズを行ったように記述しているものが横行しているが、間違いである。またテンペラ絵具を用いた混合技法であると思っている者がいるが、間違った推測である。科学調査で報告が既にされている。

兎に角ファン・アイクは各色の絵具が持つ特色、メディウムをそれぞれの有効な加工などの準備と描き方で使いこなしたというべきで、当時としては最先端技術に相当したであろう。先に述べたように物質も情報も豊かでない時代に、自ら新しい見識を積み上げて「絵画」に仕上げたのである。今日なお宝石のように輝く彼の絵画表面はあらゆる条件の試みによって完成したと言えるだろう。

やはり「美術は視覚に訴えるもの」である以上、ピカソや横尾忠則で思考も感性も停止してほしくないものだ。