河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

スーパームーンを見逃した月見草

2021-05-27 17:26:22 | 絵画

ここ島根県浜田市は5月25日は曇りだった。庭の可愛い月見草は夕刻には花びらを開いて待っていたのに、真っ暗だったのだ。もう月見草の季節になっているが、雨が降るとつぼみが閉じてしまって、梅雨の時期は寂しいけれど、頑張って雨の中咲いているけなげな子もいる。

梅雨入り宣言をまだしていなかったか?今日になって梅雨前線が思考の太平洋側に近づいているとか・・・。しかしこのところ雨だったり、晴れたり、曇ったりでおまけに大風が吹いて、プランターのトマトも風よけが外せない。

いや、気象庁はおかしいのだ。我が家は梅雨入りはとっくの昔にあって、湿度が高くなると「ノミ」が大繁殖する毎年の傾向が始まって、私は二週間前から毎日ノミと闘っている。なぜ湿度が高くなるとノミが元気になるのか分からない。何処で生まれて・・・おそらく猫だといえるが、だれが廊下に数十匹のノミをばらまいているのか?・・・・廊下にいるノミは(今年はしょうゆ君が突然廊下にウン子をしなくなったので・・・)私が歩くと。その振動で待ち構えてズボンに飛び掛かってくる。素足なら直接足の上に乗っている。明るい色のズボンに黒いゴマより小さな点が無数について、ヒッチコック劇場だ。私はこの時期には殺虫スプレーが欠かせない。思いっきり彼らに吹きかけて殺す。そのままズボンから離れずそこで死ぬものもいれば、飛んで逃げるものもいる。逃げたものも生かしておかないぞ!!私は目を凝らして廊下や畳の上の逃げたノミを追うと断末魔のけいれんを起こしてひろひろッと蠢く(うごめく)のが何匹も見つかる。しねッツ!!

ここの所毎日がこれだ。ウン子とどちらが良いか・・・。

ノミはベットの上で私が寝るまで追いかけてくる。寝始めて顔に飛んでくるものには閉口する。鼻の穴の周りがふわっとむずがゆくなって、明かりをつけるとノミが飛んで逃げるのを見つけて、「くそ!!おまえの洞窟探検の相手をするか!!」と必ず殺すまで追いかける。これで30分近く目が覚めて寝れなくなる。年寄りの睡眠不足は良くないそうだ。

寝るにも蒸し暑いから薄着で肌が露出して、そこを刺される。かゆくて目が覚める。

まったく対策が無い訳ではない。早めにノミ製造機である猫たちに「ノミ殺し薬」を首につけてやる・・・しかし中には触ることも出来ない「半野良ネコ」がいる。「ちょいとおいで」と言うと「シャアー!!」とやられて近づけないから、対策に完全はなく、ノミが出始めてから、晴れの日に限り、窓や戸を開けっ放しにして、掃除機をかける。部屋中を乾燥させて「ほこり」などノミが好みそうな場所を作らせないと数が減る。朝昼晩と気が付いたら掃除機をかけるのが有効だ。あとは飛びつくやつを減らすには殺虫スプレーを廊下にかけまくる。しかしくれぐれもスプレーの霧を吸い込まないように。

こんなこと書いていて、誰が喜ぶだろうか・・・とふと今考えた。

そうそう月見草だ。我が家の月見草には、夕刻に日が落ち始めると小さな可愛い黄色の花を咲かせるのが「姫月見草」という。姫月見草は日中はしぼんで花びらを閉じている。突然、マウスが動いて画像が張ってしまったが、この下を向いている白の八割れがしょうゆ君です。5月10日が2歳の誕生日で大人になり、突然廊下にウン子するのを止めました。不思議な子です。

ほかに昼間に咲く「オエノセラ」と呼ばれる月見草が隣の水産高校の庭に群生して咲く。花弁は同じ4枚だが花びらの先がピンク色で背丈も高く、一斉に咲くとかわいい。今日は風が強くてなびいてかわいそう。明日も元気でいて欲しい。黄色の姫月見草は秋まで次から次からと出て来て嬉しい。次のスーパームーンは20年後らしいから、それまで頑張っていて欲しい。

それから気象庁は日本海側の波の予報は「南の風」の時にはほとんど波が立たず、波高さ3mということはないから注意して欲しい。間違った予報は「釣り渡船」が2m以上の予報だと船を出せないから商売に響く。もっと勉強して欲しい。ちなみに波が高くなるのは「西風」「北東あるいは北の風」だからね。それからやはりもう「梅雨入り」したのではないかな?


絵画技法と技巧

2021-05-13 11:05:30 | 絵画

このところ、普通の人には面白くもない絵画技法についての講釈を述べてきたからこのブログの読者がめっきり減って250人ほどになった。是非もない。

ある県美の古い知り合いに「最近は県美展で描写の絵画展は受け付けていない」と言われて、やはり現代アートと言われるジャンルに重きを置いているのかと失望した。ある意味、県の美術展と言えばどこも団体展の利権がらみで審査員を輩出させて、身内を入選させて既得権を主張する「アーティスト」でも何でもない者が群がる会になってしまっているので、主催する側として「苦肉の策」として現代アートに切り替えたとも・・・思えるが、それでいいのだろうか?

これまで現代アートに関しての問題について批判的にブログを書いてきたが、美術に興味がある人たちの多くが「現代アートの作品は良く分からない」と面白くないと批判していることに主催者側が気にもかけず、反対に「認識が低いからだ」と上から目線で言ってきた。東京国立近代美術館の副館長までなった者がこう言う視点であったから、私は「現代アートの問題点」を述べてきた。とにかく私にも何を言わんとしているのか分からないので、付き合う気もなくなった。

前も書いたように、現代アートの存在意義は「何を表現しても良い」「どのような手法を使っても良い」「未完成でも良い。すべては試しである」といったところだから、それがどれほどの誠実さでどのような理念で行われた行為なのか分からなくなるのは当然であろう。是非もない!!

私は「芸術は虚構である世界が作品の中になければならない」「そこに世界があると感じさせなければ表現は成立しない」と言ってきた。文学、音楽、美術にせよこれまでの優れた芸術作品には、そこに「世界」が認められてきて歴史の中に残って来たのだ。

今の日本には有名で作品の値段は何千万円という御仁もいるが、これは市場があってそれに群がる資本主義者がやることで芸術性とは関係ない。芸術界とよばれる世界に属していると思いたがる者の煩悩は尽きることはなく、閉鎖的な世界だ。これに属さない自尊心の塊は「現代アート」を産んだのだ。まさにフランスで食えなかったマルセル・デュシャンはニューヨークで現代アーティストとして生きようとして・・・・しかし晩年は売り絵を描いていたと言われている。「好きなことをして食えたが勝ち」と人生をそう捉えるのも勝手だ。しかし芸術と呼ばれ特権階級のように思い、「他者に優越感を覚えている者には地獄あるのみ」だ。

自己の作品と誠実に向き合い、自己の表現性を大事にする者には虚栄もない。大事なのは自分であり「唯我独尊」でなければならない。何を表現したいか、何を表現すべきかを考えるのではなく、感じていることが物質主義や拝金主義から逃れさせるだろう。

最も自分の中にある世界を表現するのに私は具象を選んだ。具象であろうが他の手法であろうが、手に技は必要であり、感じていることを具体的にして見せるには感性に支えられた能力も必要だ。しかし現代アートにはその片鱗さえも感じないから具象に行き着いたのだ。

今日のテーマ「は絵画技法と技巧」だ。絵画技術と言ったり、絵画技法と言ったり良く分からぬ。絵画「技術」と言うほどに技術があるのかと言われれば無いような気がする。つまり工学的な技術ではなく、あくまで感性と技の世界だから「技法と技巧」と言えばよい。技法については先に紹介したドルナー本やヴェールテ本に書かれているが、言葉で読んだだけではちっともわからない。実際を紹介した見本が無いと分からない。そのせいかテンペラ画の技法にうるさかった者たちから優れた表現を行う者が輩出しないね。別の理由もあると思うが・・・ハッキリ言わない方が良いかもね。

分かったとしても、どのように自分の表現に用いるべきか、そのままでは食えない。結局本に書かれていることは、観念的で現実味が欠けるから自分で試行錯誤の上で具体的にするほかない。私も模写を通して再現して見たり、見本を作ってみたりした。模写は現物があるので再現可能かどうかで判断の一助にはなる。こうして理解は少し得られるのである。己の世界の表現手段としての技法は一つあれば良い。いくつもやってみて時間を浪費すのはもったいない。それで出来なければ才能が無いのだろう。

その1976年の後、修復家になるために巨匠の作品の修復の現場を経験した二十代後半から1982年に帰国して、四十代までに多くの展覧会の作品の保存状態点検するなどして、多くの作家の作品を観察できた。つまり視覚的記憶を得たのである。観察で終わらず作者の表現性まで(修復家としての仕事ではないが)洞察するように仕向けた。こうすることで絵を自分で描かなくても、まるで描いている様な感覚で観察できたので「技法」のバリエーションを見ることが出来た。

作者は何をどう描こうとして、どんな絵具を用いて筆をどの様に動かしたかも感じるようにしてきた。これは面白くて癖になる。

「技法」は画家にとって手段でしかないが、自分にとっての理想のイメージを表現するのに最も優れた「技法」が一つあれば良いのである。(この一つはトータルな完成度を得るための一つという意味である)そして技法は「技巧」として才能の伸びしろを与えるものでなければならない。「技巧」つまり能力であるから、出来不出来は「技法」のせいではなく、当人の才能のせいである。

現代アートのように「才能」を問わなくなった「表現」(はたして表現と言ってよいのか問題だが)は小中学校で学んだ図画工作の延長でしかなく、古典の巨匠たちが目指した「錯覚の世界」つまり優れた虚構性を構築することとははなはだ遠い。

アンディ・ウォーホールについてご存じだろうか。彼はマリリンモンローやキャンベルのスープの缶詰。ベンツの車などの写真をシルクスクリーンでキャンヴァスに印刷した作品で有名になった。彼曰く「シルクスクリーンで僕の絵が僕のものか、誰か他人のものなのか誰も分からくなってしまえば、それはとても素晴らしいことだと思う」と言ったそうな。確かに写真を印刷するだけで、アイデアでしかないのだが、何かそこに事ありげに発言し、それを多くの現代アートの評論家は更に彼の作品に現れていないことを「事ありげに」評価する。誰にでもできる手段を用いることで「作者の主観を消そうとしている」のだそうだ。物と自己との関係において、自己がその物の価値を定めるような主観主義的な態度ーーー世界に存在しているものを自分の主観でもって自分の立場から評価しようとするーー自己中心的ないし独善的なとも言える態度ーーーの対極にある姿勢なのです。このような反主観主義的な芸術創造的な居り方を断固として追求してきたことこそがウォーホール芸術の現代性の根源にあるものなのです。(この批評はNHK放送大学「芸術の理論と歴史」青山昌文著の教材から)

これを読んで、現代アーティストが事故の作品中に現れていないことを「表した」と自負し、作中にないことを「在るが如き」に言葉で補い、評論家も職業上の利益の為か・・・錯誤を扇動するのである。

誰もが自分の行いに価値を見出さねば生きていけないではないか!!ウォーホールも同じだからシルクスクリーンの技法を選択し、見せているのである。彼から自己中心的で独善的な考えを排除して表現があるとお思いか!!??

正直言って、このような詐欺的現代アーティストと評論家の時代が「観念主義的な弱さの時代」としてこれからも続くであろうことは悲しいが・・・。現実より観念的なバーチャルな世界にどっぷり浸かって「存在」が分からなくなっている。こうした連中がもてはやされて、一緒になって遊ぶのが流行なのだ。それは演技の一つで、嘘を如何につくかが評価の対象だろう。作品本体より演技が大切なのだ。

自分を否定せず、主観を大事にしてこそ生きている実感があり、表現があることを知ろう。

 

私はウォーホールの作品を見て「何だ写真を写しただけではないか」としか感じない。他人が撮った写真を利用して「著作権料」を払ったのかな・・とかしか感じない。彼の作品の前を通り過ぎてしまう。

現代の画家たちに技法書はいらない。ファン・アイク兄弟がテンペラ絵具を用いて描いたとか・・・どうでも良いことだろう。しかし図画工作の延長の作品など歴史に残りはしない。

葛飾北斎は弱い90歳にして「あと十年生きられたらもっと優れた画工に成れたのに・・・」と言ったとか。あと十年で得られる技巧があったということだろう。画欲が尽きないことが才そのものだ。今年の展覧会には何を描こうか?などと考える御仁は才能はないでしょう。私の描写をこの人たちと一緒にされたくないな。

まずはやりたいことは山ほどあるが、遅々として進まず手が遅い。技能がまだ十分でないから「技法」通りにはいかない。ファン・アイク兄弟の技法は簡単さ!まず完全な油絵だから・・・素地、地塗り、素描、目止め、下塗り(下描き)、上描きの順番だからね。しかし、この手順でイメージを完成するには、繰り返し身につける経験が必要だ。時間が欲しい。

いや、最近有難いことに家のしょうゆ君が成人を迎えて(19年5月10日生まれ)突然人格いや猫格が変わったのだ。廊下にわざとらしい毎日3~6か所の「ウンコ」をしなくなったのだ。これには随分悩まされたが終わったね・・・彼は私にストーカーしていたのが、自律してきたみたいで、体格も変わり独りで過ごす時間が増えて大人の猫っぽくなったのだ。まあしかし今は猫ノミの大量発生で、梅雨が終わるまで夜は寝所で5~15匹ぐらいのノミと闘わなければならない。梅雨が終わると居なくなるのだ・・・何故かね?

今日の嬉しいことがもう一つ。庭に三つの月見草が生まれた。黄色の小さな花が梅雨空の薄暗さに、あわてて出て来てしまったみたい。

もう夜中だ。つまらない文章を書いていて夕食を食べるのを忘れた。


絵画技法訳書における読み取り方

2021-05-10 12:00:00 | 絵画

ドルナー本(Max Doerner, Mal Material und seine Verwendyung im Bilde,マックス・ドルナー、画材ならびに絵画における使用)は日本語版、佐藤一郎訳 絵画技術体系 (ハンス・g・ミューラー改定 第14版)となり、1980年に出版された。この本の初版は1934年であり、ヒットラーのナチスが台頭してきたころである。初版より46年後に日本に伝わった技法書の扱いには訳者は並々ならぬ思い入れがあったに違いない。

それ以前の油彩画の技法について書かれたものはXavier de Langlais, LA TECHNIQUE DE LA PEINTURE A L'HUILE 1958, の日本語版 黒江光彦訳 ド・ラングレ著 油彩画の技術 1968年初版というのがあり、私の学生時代はこの本と先に記した熊本大学独文科教授に寄るドルナー本の試訳によって絵画技法を学んだ。この訳者の黒江氏は当時、国立西洋美術館の学芸員で修復技術を学ぶためにブリュッセルのベルギー王立文化財研究所に留学中であったようで、ラングレ本は彼が美術史系であった為に絵画技法について学ぶために訳し始めたことに起因すると氏は何処かで述べている。

この二つの例をとって考えてみると、絵画技法に対する切望が日本で絵を描く者にあったに違いない。私は1972年にラングレ本を購入しており、その当時如何にも真面目に読み解いて学んでいたか・・・赤線や書き込みが沢山あって今懐かしく思う。当時、具象絵画のジャンルでウィーン幻想派展やアンドリュー・ワイエス展などがあり、前者ではエルンスト・フックスの古典の巨匠的なデッサンに歴史上にも独特な色彩を用いて技法愛好家を感嘆させたし、ハウズナーの現代的な色彩を輪郭線の高度な扱いでみせたテンペラ・油彩混合技法という言葉が新鮮であった。ワイエスはアメリカのアカデミックな具象描写に水彩絵の具にアクリル絵の具など巧みに使って見せて、日本の現代作家たちに新しい表現の活路を開いたと言えた。当時は絵画技法に凝るのが流行したのである。

だがしかし、実物の優れた作品を見せられてもそれを身につけるに至った者は居なかったのは、どういうことだったのだろう?これが文章で案内された技法書であれば猶更理解し実技を身につけるなどは非現実的であろう。実はさらにもう一冊絵画技法に関する本K.WEHLTE, WERKSTOFFE UND TECHNIKEN DER MALEREI 1967.クルト・ヴェールテ著 絵画の材料および技法という本があるがこの日本語訳本は私は購入していない。この本の訳者はドルナー本の役者と同じ佐藤一郎氏他であり、私がニュールンベルグのゲルマン民族博物館で研修生をしていた1975年にドルナー本ではなくヴェールテ本を買うように言われた。その理由は両方とも同じ部類の本である事とヴェールテ本の方が様々な技法について詳しく解説しているからであると。実は私はこのヴェールテ本を翻訳しようとベルリン滞在中に知人を通して筑摩書房(だったと思う)と交渉していたのであるが、原本が900ページで訳本にすると二冊本となり、合わせて1万円を超える価格になるだろうと断られた。そうこうしている内に佐藤氏と彼の知人が共訳で出すことが美術出版社で決まったということであった。だからこの日本語役を購入しなかったのではなく、失礼ながらドルナー本では佐藤氏の翻訳で専門用語が彼独自の解釈による「新語」となって非常に読みづらく、ヴェールテ本でも同じ苦痛を味合うなら「ならばドイツ語で読んだ方が良いや」と結局、買わなかったのである。だが今となって今回のように訳書の比較を行いながら「絵画技法」について講釈を垂れるには一つ不満が残るであろう。

 絵画技法に関しての訳書の「大先輩」はチェンニーノ・チェンニーニ著 芸術の書 昭和39年中村つね(つねは当用漢字にないため)改訂版 昭和51年に翻訳家・藤井久栄氏により語句の修正 があるが、訳者の個人的なこだわりによる通用語ではない「新語」というか発明語によって構成されることはなかった。これらは翻訳の約束事であり、もしどうしても専門用語としての具体的な適合性が認められるならば、その内容を説明して広く公に問うべきであろう。さもなければ読み手は理解困難な状況に置かれて、勝手に推測するほかなくなる。これは技法書であればあってはならないことである。「世するに読んで分からない訳書」ということだ。それと言語の表記が横書きであるので、役所も横書きに倣ってほしいものである。なぜなら訳注などに言語を入れれば頭を横に振らねばならなくなる。冗談抜きで・・・。

ドルナー本の新語の適用について述べれば、多くの技法の場面で使われる「透層=とうそう」と書いて、横にルビを振って「ラズール」としている。ラズール Lasur(独語:辞書には透明塗料ラッカーと書かれている) とはどちらかというと日本でも通用されている英語のグレイズのことで、御存じのように透明に近い色味の絵具のこと。これを新発明の「透層」にしたわけだが、新語を作るには何らかの手続きが必要だろう。どうしてもこうしなければならない理由が必要だ。これに準じて「地透層=じとうそう」というのがあり、インプリミテウアとルビが振られている。これはインプリミトゥラ Inprimitura のことで一般的に「下塗り」と訳されるが、訳者は「透層」とは関係なく地が透けて見える層という意味でこの新語を発明した。この言葉の発明を擁護したものによるとルーベンスが盛んに描いたオイルスケッチに見られる褐色の刷毛目の目立つスケッチ画には適切な表現だと・・・。しかし通常用いられるインプリミトゥラは上層にくる絵具に下塗りとして、上からは見えないあくまでも下塗りである。その色味が強く発色し、例えばボルース赤であれば赤みあるいは温かみと言うべき印象を与え、グレーであれば絵全体が冷たく透き通った感じになるように施し、それは透けて見えるほどではない。新語を発明するには享受者の共通認識が得られえるようにすべきであろう。

他に訳者の趣味であろうか、やたら難しい漢字が当てられてドイツ語が原語である感じがしないこともある。訳者は「スタンド油のような稠性」と書いて, カタカナのルビをコンシステンシーと振ってある。コンシステンツ Konsistenz のことであろうが、要するに「ねばり」という意味である。「稠性ちゅうせい」という言葉は岩波の広辞苑にもなかったが・・・。新造語だろうか?別ページの訳注に稠性(コンシステンシー)非常に粘い液体を変形するときに生じる力学的抵抗・・・とあるが、何故「ねばり」と書かなかったのか?ものによっては非常に親切な訳注もあるのだが。

ドルナー本の技法解説部分は原本にある付録の図版が訳書には無いので、より分かりづらいと思う。ドルナーはフランドル絵画に見られるグリザイユが下描きとしてあるように描画法で解説しているが、その技法の中で「白抜き浮き出し」という訳語は実際の状態を理解するに困難であり、原本に付録としてある図版からやっと「これのことかもしれない」と思う次第である。白抜きがどの様に行われたのか実在する絵画の例がないと理解が出来ない。なぜならグリザイユはボッシュなどの祭壇画の裏面に単色で描かれた程度で、白抜きではない。それ自体で独立した表現の作品が見当たらない。それが多彩色の絵画の下塗りとしてあったような表現はドルナー自身の思い込みであろう。

翻訳とは全く困難な仕事で、専門的な言葉や意味を一般的な言葉、意味に置き換えなければならない仕事だ。ドルナー本の訳者佐藤一郎氏は始めてから引き返せない大変な苦労をしょい込んでしまった。彼の性格上、訳語のこだわりが引き返せなかったのだろう。

私はヴェールテ本の翻訳を断られて良かったと今更に思う。

 


プリミティフ・フラマン(フランドル)絵画技法再考5

2021-05-06 23:18:33 | 絵画

地塗りと目止め、絵具層

ドルナーが考察したファン・アイク兄弟の技法の解説には、まず一番に石膏の地塗りから始まっている。そしてインクやテンペラ絵具の黒でデッサンを行い、テンペラ絵具のボルース赤(?)やオーカー黄による下塗りを行うとしている。これはドルナーが自身の制作で最もファン・アイク絵画に最も近いであろうと推測して作り出した処方である。決してファン・アイク技法の事実を表したものではない。ドルナーは自分が画家としてどの様な作品を描いているかドルナー本には掲載していないので尚更それらの現実的な再現の程度が良く分からない。いずれにせよ、フランドル技法にはテンペラ絵具と油絵の具の両方が用いられていると考えてのことである。

これまでテンペラ絵具と油絵の具が下塗りとして、あるいは途中の段階でテンペラ絵具が油彩絵具で描かれた上に用いられた証拠はない。状況による推測であり、ベルギー王立文化財研究所(IRPA)の《神秘の仔羊》調査においても、科学的調査を行った根拠に基づいているとは書かれていない。AQAUSと書かれた絵具層の断片ちゅさによる層に科学的根拠が示されていないのである。勿論目視で判断できるようなものではなく、電子顕微鏡でも・・・「かもしれない?」とされる現状である。ドルナー本の執筆は1934年頃であり、IRPAの調査は後の1952年~53年とされているから、あるいはドルナーなどの言説に影響されていたかもしれないし、イタリア絵画の技法が中世には基本的な技術として伝播していいたと信じられていたからかもしれない。

いずれにせよ、分かっていることから判断すれば、地塗りは白亜であり、イギリスのドーバー海峡の「白亜の壁」は有名だがベルギーやドイツにまたがり多くの地方で白亜(石灰岩の層)は見られ、電子顕微鏡調査でココリス、有孔虫などの貝殻が蓄積したものが観られる。

勿論板の上には接着を接着を良くするために膠(動物の皮や筋、質の悪いものは骨を煮て得る)を刷毛かへらで塗布し、乾いたところで白亜と膠の液を複数回塗る。IRPAの調査で判明していることには、厚さは1~2mm程度でありそれより厚いものはない。乾燥がの表面はかなり綿密に磨いたものと思われる。

吸い込み止めにはまず一回膠が塗布され、他に油の含浸が認められるそうである。描画の手順として黒インクあるいは黒い絵具で葦ペンのような同じ太さに描ける線でデッサンする。アントワープ王立美術館のファン・アイクさくの小品《聖バルバラ》とされる制作途中の下描きデッサンが残る作品が有名であるが、この作品のように細部にわたって下描きされることはなかったと言える。むしろ当たりつけと言うべきデッサンはロンドンナショナルギャラリーの《アノルフィニ夫妻像》の男の手の部分に見られる描き直しを示した赤外線画像でも言えるように、「おおまか」と言える下描きがされた(この下描きは筆で描かれた)。これらの下描きは肌色などの明るい個所に鉛白が乳化して透明感が増して透けてみるようになった下描きデッサンが参考となるだろう。

そしてこの下描きデッサンは当たりつけ程度であって、決して人物や背景などの正確な位置、形を示さないので、上描きするときには往々にして邪魔となる。そこで多くのフランドルの画家の作法として、まずこの下描きデッサンを柔らかく消して見せるように、画面全体に「油に溶いた鉛白の層」があることが報告されている。この時の油性分が目止めの役割を果たしているだろう。この目止めの層が必要であった限りでは、ドルナーの想定した赤や黄色の下塗りがテンペラ絵具で行われたと考えたところから遠くなった。

つまりプリミティフ・フラマンの絵画の根底にあるのは白い地塗りの明るさを維持することであり、その後の17世紀のオランダ絵画にあるようなボルース赤やリューベンスが試みた数多くの有色地または有色の下塗り(imprimatura)と一緒にしてはならない。背景が暗い様式の前に色彩を明るく表現することで高価な絵の具を有効に召せたかったのかも知れない。元より宗教画が描かれた写本などは白い紙か薄ベージュ色の羊皮紙であったから、基本は白だったのではないか。

もしドルナーが推奨する地塗りの上の有色の下塗り(imprimatura)があれば、現在残っているフランドル絵画は現状より黒ずんだ外観をしているはずだ。また下塗りを黒くすれば、上にくる色が明るい場合には、下の色が透けて視覚的灰色と言われる冷たく見える効果が生じる。現存する作品から、こうした色調を得る試みは全く認められない。いずれにせよ今日も美しい色彩を維持保存しているフランドル絵画が地塗りを白としていたことは幸いだ。IRPAによる絵具断面調査にも、その有色下塗りは認められない。断面には地塗りの上には白っぽい絵の具が薄く引かれているだけである。これは先にも述べた下描きデッサンをじょまにならない程度の薄める効果と同時に地塗りの吸い込み止めと解せる。

だが、いずれにせよテンペラ絵具がフランドル絵画に全く用いられなかったという証拠はない。私にも全く予想も付かないことはラピスラズリ病という特殊な症状をした青の劣化があること。酸化によって色彩を失うとされているが、油絵の具として用いられたからか、それとも油絵具層と接触して参加したからか分からないがファン・アイク作品にもラピスラズリの灰色化が認められる。しかし青色はラピスラズリにせよアズライトにせよしろと混ぜずに用いるとその色の発色は弱く、十分な効果を得られないが、少量の白とまぜることでどちらも生き生きと発色する。それはテンペラのような水性メディウムを用いても、油性メディウムを用いても同じである。アズライトはヨーロッパの国々でもこの日本でも産出するのでその使用は空や海を表現するのに通常用いられた。

しかしラピスラズリに関してはテンペラ絵具として油性の絵具層が乾燥したところで上に用いられたと考える者がいる。つまり混合技法であるが、これは技法上可能であるが周囲の絵具とどの様に調和させるかは当人の才能であり、一般的な方法ではないから確証は得られない。ほかに私がこれだけはそうかもしれないと思ったのはロンドンナショナルギャラリーの《アノルフィニ夫妻像》の足元にいるプードル犬のような犬の10センチ以上もある細く長い毛が一本一本長いまま見ごろに描かれていることである。その細さは人の毛に近く、どうすればこれほどに描くことが出来るかいろいろ試したが、油性絵の具では無理!!パリまで行ってルフランのリスの毛で作った世界で最も細く描ける細い筆だが・・・テンペラならどうかと考えて練習したが、油絵の上に混合技法として描くには何年かかかりそうだったのであきらめた。頭がボーっとするほどだ。だがこれに近い油絵を見たことがある。それはヤン・ダービッツ・デ・ゾーン・デ・ヘームの静物画に登場した皿に載る甘エビの長いひげが白で描かれているが、これが同様に細く長い。出来る者はいるのだと・・・。

まあ、絵具その物が現代の感覚から離れている。当時は弟子が延々とムレットで練り砕いて4ミクロンくらいにまで出来たうえに、現代のチューブ絵具のようにアルミナのような添加物、増粘物は含んでいないので、純度が高く強い被覆力で色彩を構成できたと言える。要するに絵具の性質が違うのである。

さて、いずれにせよフランドル絵画の絵具層は、その後登場するルネッサンスやバロック絵画のような絵具の扱い方と違って際どく絵具層は薄く用いられている。勿論被覆力の違う絵具の種類で、効果の得られるその厚さは異なるだろう。何層からかなる絵具層は50~100ミクロンであり、顕微鏡で見る限りその一層一層が濃い。つまり添加物が無く絵具の純度が高いから盛り上げる必要が無かったと言える。

デッサンの上に直接描かれる形は正確に描かれ、ほとんど描き直しが無いとも言える。赤い布であればその下塗りとなるべき色は、明るい箇所では不透明絵具で薄オレンジ色にしておき、布の折り目に影が着けば、少しづつ茶系を混ぜ暗くして最も暗い個所までグラデーションを施す。そしてこの上に半透明の赤のグレイズがかけられて赤い布になっていく。グレイズの下にある不透明層がしっかりと形作られていれば、グレイズが美しくなる。グレイズの層も2~3回かければ完了する。絵具断面調査でもやたら多くのグレイズの層は確認されていない。

とにかく不透明層である描き込みが最も重要で、ここも分厚くないからこそ下地の白から透けて反射する光で出来る美しさがフランドル絵画の特徴である。

現代のチューブ入り絵具でそのまま古典絵画の再現は困難であるのはこうした一つ一つに起因するであろう。おっと。そのまえにデッサン力が大切だからね。