河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

 抵抗の高齢者i

2021-11-29 16:08:57 | 絵画

高齢者教習を受けさせられ、その日のうちにゴールド免許をもらって岩国に走ると、途中で20kmオーバーで1.5万円の罰金。その白バイ警官曰く、「途中で逃げ回っただろう?」と言う。バッキャーロ!!安全に止まれるところを捜して走ったんじゃねえか!!と。若造の警官には言いたい放題言った方が良い。私は警官も検察官、裁判官、弁護士でさえ信じない。黙っていると不利益を被るだろう。ちなみに私の父は「裁判官」だった。彼は反面教師だった。

年を取ったことは認めない!!

ある時、釣り仲間が「ところで河口さん、年はいくつですか?」と聞くから、正直に答えた。「ええ!!??70歳には見えないです。60くらいかな?」嘘ばっかり言う。

こっちの気持ちはまだ40歳だ。ちょっと嘘っぽいいか?

朝起きるともう昼だ。寝過ぎではなく、寝るのが朝5時とかだから。しかしベットから足を床につくと、ひりひりと痛みを感じる・・・・糖尿病の卦がある人はそうなるらしいが、医者は全くの卦なしと言うから。

靴下はよく左右が違う色だったりするが、気にしない。ズボンのチャックは閉め忘れて、トイレに行くまで気が付かない。そしてそこでまた閉め忘れる。

家の前の海が荒れていなければ金時丸に行く。今日の釣果が知りたいから、皆のクーラーを覗く。浜田では日本海で国の指定港として補助金をもらっているが、水揚げされた魚は市民の口にほとんど入らない。なぜなら仲買が買いたたくから大田港の市場に降ろす。そこでこの町のスーパーでは長崎産アジとか萩産のノドグロとかを食べることになっている。美味しい刺身が食べたければ「自分で釣れ」が合言葉だ。今年は全く釣りが出来なかった。コロナのせいにする気はないが、気が進まなかった。

姉が6月に亡くなって、四十九日までに三回名古屋に行った。車でである。約650kある。先週また「姉をしのぶ会」に呼ばれて行った。夜間割引で夜中に浜田を出たら、一日中雨であった。途中事故で通行止めや大渋滞が頻発して、くたびれて久しぶりに旧東名を走った。ほんとにサービスエリアやパーキングエリアの名前を思い出しながら走ると隔世の感あり。

名古屋の義理の兄は元気であった。「しのぶ会」の準備は色々と工夫されていて感心させられた。私と兄を入れて15人が中華レストランで会食した。最初はみなマスクだが、一応、一人一人が姉の思い出を話し盛り上がると、もうマスクなどどうでも良くなってしまった。コロナを忘れた時間だった。

しかし意外と、私もお猪口三杯と紹興酒をもらうとちょっと体が火照った。そうすきっ腹だった。それは昼の一時頃。帰りは夜の八時に名古屋を出た。セルフに行って軽油超満タンで出発。酔いは無し。も少し飲めたかも・・・・て。

また帰りも夜間割引が欲しくて、どこかで一旦出てから、すぐにまた高速に上がる計画だった。帰りは新東名は空いていた。そして帰りは山陽道ではなく中国道を走って、米子道に入って境港のスーパープラントに立ち寄って「カニ」を買おうなんて思っていた。これが大誤算だった。

カーナビゲーションに目的地を打ち込むと、現在よりの所要時間で目的地の到着予定時間が提示されるから、それを見ると4時13分とある。いずれにせよエコ走りではなく、100キロ以上出せと言うこと・・・しかしここから、もう別の次元でしか考えなくなっていた。もうすぐ鳥取道路というところで、ナビはまだ真っすぐ走るように指示が出ているのに、「何を言う、お前なんか信じない」「私は鳥取に行くのだ」と鳥取道路に入る。この時点でこの先は無料区間であると・・・夜間割引が終わる。やっと12時過ぎであった。でもまだナビは、「そこを左」と言い続けている。行く先々「そこを左」というから、サービスエリヤで地図を見直すと、鳥取ではなく米子自動車道に入って終点米子で下りなければ行けなかった。このまま鳥取だと鳥取・米子間で相当の距離があることが分かった・・・・そこで仕方なく(?)「そこを左」に従って、鳥取道分岐まで戻ることになった。これで30分は無駄をしただろうか。

何故、私はナビゲーションの指示を信じなかったか?

あれこれ考えながら、やっと米子自動車道に入り取りあえず夜間割引はあるので、○○高原サービスエリアで休む事にした。三時頃だ。しかし寒いのなんのって、シュラフを二枚用意してきて敷き布団も敷いて寝ても、寒い。外は零下であった。朝8時頃起きて外を見たら付近の山には雪が・・・傍には「大山」がそびえていた。まあスタッドレスタイヤを履いていなかったので、路面が溶けていて助かった。無事米子インターを出て、まっすぐ行けば境港だ。実に分かり易かったのだが、どうして「鳥取道に入ったのだろうか」。

年のせいだと思いたくない。ナビのせいだと!!・・・自宅の住所を入れたら近所の稲荷神社を示して、そこに誘導しようとするから・・・信じなくなったと言えば・・・おバカだろうか。認知バイアスという言葉がある。あの上級国民は作戦で「ブレーキが故障していた」と言い続けたか、それとも自分を信じる認知バイアスがかかっていたか?

しかし週に二回以上車に乗らない高齢者は(高齢者に入らなくても)コンビニに飛び込む恐れがある。感覚の衰えは前もって「そういうことがある」と思うべき。

しかしナビの言うことは信じたほうが良いだろうか?

おまけ:

で境港のスーパープラントでは、まともな蟹が買えなかった。で売り場のおばさんに聞いたら、「今海が荒れているからね」と言われて納得。海が荒れていると冷凍物、ゆで物が出て来て、生でも死んでいて足がないとか当たり前、それでいて、価格は普段の1.5倍から2倍だから。

蚊の先カニを食べに行く人、買いに行く人は日本海の漁が3日以上良好な日が続いてから行くべきです。紅ズアイ蟹は深度1000m、本ズアイ蟹はしんど500m辺りで捕れるらしいから、網入れに一日翌日編み上げ、輸送、市場売りに一日と三日は必要だね。

 

 


優柔不断な性格と人生の断捨離

2021-11-20 02:30:51 | 絵画

人生の岐路だと感じる時に、貴方は思い切り選択をできるだろうか?これは自律した自分があるかどうかの問題だ。

国政選挙で保守を選択するひとは「変化を求めない人」だと言っても過言ではあるまい。今の状態が続けばそれで十分だと思う人は、この国には多いのに驚く・・・。今の自分に満足している?また未来にも希望がある?自分の周辺との絆にも問題はない?・・・と思えるのだろうか。

自分では決断が出来ずに時間が過ぎていく。

父親が亡くなって、遺産を相続した。その遺産は「物」である。それまでの自分には関係のない・・・父親のモノである中の「物」である。父にとっては大事な先祖から受け継いだモノであっても、私には「物」でしかない。そのものを維持しなければいけないのか?

少し片づけられるかと思って、父の職業であった法律家としての書籍を山口県や岩国市の図書館に寄贈できないか問い合わせたら、どちらも「地域に関係した資料となるもの以外は要りません」と言われた。裁判官であった時の事件関係資料は、個人情報が満載で・・・燃やすしかないのか?そう言えば裁判所に問い合わせてはいない・・・な。

他に田畑、山林、実家。私が生まれた家であるが、ここに戻れば私の人生が終わったように思える。終着駅みたいに思える。

私はまだ絵を描いている。それは自分の中にある「世界観」を描写することが目的で、まだ発展途上でしかなく、なるべく目的達成以外の他のことをしたくない。しかし誰かに認めてもらいたくて描いているわけではなく・・・つまり完成していないものを途中で評価されたくないからだが。

そのためなら田舎の実家も田畑も草ぼうぼうで、屋根にはぺんぺん草でも良いと放置できるのか?

ここのところ体調が悪い。毎晩寝るにあたって「せきと痰」で苦しんでいる。咳で苦しくて過呼吸になって飛び上がり。ぜえぜえと声も絶え絶えにのたうち回る。痰や咳をおさえる風邪薬を飲んでみるが、対処療法で根本的な解決にはならない。医者はアレルギー性肺炎の一つという。そう・・「ほこりアレルギーとスギ花粉アレルギー」があるそうだが。いくつかホコリ対策などしているが改善しないから・・・こんな感じで死ぬのかなあと・・・自分に言い聞かせる。しかしのたうち回る私を猫たちは見ていて、何とも思わないらしい・・・・無反応だ。

実家も売れるものなら売れば良いのだが・・・都会の家とはわけが違う。そこいら中無人住居が増えて、朽ち果てるのを待っている。実家は岩国、徳山、下松、光とも25km近く離れていて、山の中だ。私も買わない、こんなもの。

本当は自分の未来を考えて。もっとヨーロッパ旅行や上京するにも便利の良い山口市の新幹線駅である新山口駅の近くで宇部空港も近い場所を探し続けたのだが、時間ばかり過ぎてしまって土地も一度だけそれらしき候補があったのだが、役に立たない不動産屋で話は途切れてしまった。そのころは父は生きていたから、気持ちの選択は楽だったのだが・・・・相続して荷物が増えて、重しとなった。断捨離はもともと「持てない」ことが良いに決まっている。

いや逆に「宝くじ」でもあたってくれ。それなら人生の最期をブチ切れるように出来るかも。


名画は迷画でしょうか?

2021-11-07 09:36:15 | 絵画

前にも話したと思うが「近現代美術は文学的な批評で持てている」・・・と。

美術作品は視覚的表現で出来上がっていて、決して言葉による観念的意味合いで鑑賞者に理解を求めていないと考えるべきだが、多勢に無勢、いくら私がまずは何も考えずに感じ取るところから始めるべきだと言っても、美術館の展示でもまず「解説文」を読む人が多く、原物を見る時間より解説文を読む時間の方が多いのは、展示室で観客の流れを見ていると確信させられる。現物を見に来たのではないのか?

あるとき東京芸大の美術館の館長が「展覧会を見に来るまえに、予備知識をつけて来れば、もっと面白くなる」と発言したことがあって、私は呆れた。彼は実技出身の絵を描く方の立場であった者であり、作品の表現性を感じるより、頭で考える方を勧めたのだ。

こうした傾向は世紀末に登場したフランス美術の行き詰まりを象徴するボードレールやオスカー・ワイルドのような文学者が美術批評に「自分の詩の作品を書くように・・・すべき」と、原物に対して「害悪ともなる批評」を勧めたのである。これに多くの近現代批評家は乗って、「意味不明な批評」を書き始めたのである。この「意味不明」は次の世代の作家たちに「制作の完成度に対する甘え」や「表現の遊び」を与えた。

美大や美術アカデミーでも教授たちは生徒に「新しい表現、新しい絵画を目指せ」と激励した。その意図するところは「芸術というものは新しいものを求めている」ということであろうが・・・・私は聖書には「陽の下に新しきはなし」と書かれていると抵抗した。要するに「桂馬の高跳び歩の餌食」と・・・能力が高くない者が無理をして自分を台無しにする・・・と考えた。

しかし多くの作家は「新しきもの」というのを「観念アート」として、コンセプトに従った表現を行うことで「発明」を「新しきもの」として考えてしまった。それは鑑賞する側にとって「感じることも考えることも」非常に難解な問題となった。なにしろ「他人の心は悪魔にも分からない」と昔から言われてきたいことをひっくり返したのであるから。

「何が表現されているのか良く分からない」と言われれば、作者は「言葉で説明」して見せる。説明されても分からない者は「自分は頭が悪いのだろうか」と悩む人も出て来る。それほど「芸術」という名は孤高の世界のように思われているから、見る側は自分を責めてしまう。

実際は作る側は楽しく遊んで、何も考えずに小学校、中学校レベルの図画工作を延長させた「物作り」をしているだけなのに・・・。人との会話が分からない時は相手に意味する所を尋ねればよいが、作った当人も良く分からない「遊び」を説明できなくて、「意味ありげに」祭り上げるのは当人以上に「意味が分っていない評論家や学芸員」の人たちなのだ。なぜなら鑑賞者が「作品解説」を望むからである。

NHK教育の「知恵泉」という番組で日本古来の刀について、豊臣秀吉の刀狩りの頃から江戸時代にかけて「刀にはプレミアムがついて重宝された」という話をしていて、つまり「これはだれだれが愛用した刀」とか「新選組の近藤勇が愛用していた刀」とか「昔から日本人は物語が好きだから」という解説があった。うむ・・・昔からそうだと言えるなあ・・・。

モノの値打ちには見た目で分からない何かを付けないと気が済まないのが人間の生態なのか?刀が刀である以外の話の方に気を取られて「原物」から離れることに逃げるのは「原物」をよく理解しようとせず、目利きの感性まで経験として積み上げる機会を失うことである。もしプロであるならそれをしていはいけない。

だから西洋美術館の学芸員も目が悪くて工房作(弟子の作品)を作家当人の作として高額

な費用で購入してしまうのだ。

ごめん!!関係のない画像が入ってしまった。自分でも理解できません。以前にも同じミスがありました。消し方が分かりません。