河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

黒かりんとう めっけ!!

2020-02-23 00:37:32 | 絵画

沖縄のサトウキビから作る黒糖を一杯まぶした黒かりんとうは美味しいよね。良く買って食べるから、思い出すと唾がわいてくる。

おや・・・畳の上に黒かりんとうが落ちている・・・と思って、暗い中よく見たらなんと、それは猫のウン子であった。う、う、う、何ということだ!!「くそったれ!!」思わず叫んだが・・・。大きな黒かりんとう・・・ではなくて。コロンとした感じといい、いい形をしているし、文句なしの黒かりんとう・・・ではなくて、ウン子である。猫たちの健康を知るうえで大切なのは、彼らの食欲と結果のウン子である。まあいいウン子であるとしても、誰のウン子か?

ここのところ問題を起こすしょうゆ(子猫の名前)はどこそこ構わず下痢のウン子をするから、彼のものではない。しかも大きさからして大人の猫のものだ。最近私の寝所に出入りするのは大猫のおとちゃん(おす)か、ぶんこ(めす)、他にしょうゆとみりん(子猫の名前)の母親のあいちゃんだが、前科があるのはぶんことあいちゃん。この二人は私の布団の上でおしっこにウン子をした。彼らにしつけは通用しないから、またやらかしても不思議ではない。おとちゃんは茶トラのオスで行儀は良い。これまで前科は無い2歳の大人の猫である。しかし彼が猫トイレで用を足すところを見たことがないので・・・一応疑ってみる。

そうそう、したてのほやほやのウン子は冬には湯気が出て、少し濃いめの黄土色で黒い訳ではない。空気に触れて黒くなっていく。そして3日ぐらい乾いてくると表面がグレーになってくるのである。完全に乾くまで待ってティッシュでつまんで捨てる。何の話をしているのか・・・。

最近、書くことが無くて、またウン子の話になったが、今朝は朝一番に寝ぼけた状態でスリッパに足を入れたら、また濡れてしまった。朝から目が覚めた。風呂へ行って足を洗い、また誰がやったか考えてみたが、最近恨まれるように叱ったことはない。3度目である。もうひと3度目がある。枕元のマグカップに残した水の中にノミが飛び込んで溺死していた。彼らは蚊と違って、私の顔を刺したことはないが、なぜこんなにノミの密度が高いのか・・・最近布団にノミが4,5匹は見つかって、私の服の中にまで入り込んで血を吸うのである。

猫の多頭飼いで崩壊している話は書いたと思うが、しつけも出来ず、ノミも退治できず、流行性鼻炎(猫かぜの一種)から解放していやれず、打つ手なしの状態。もはや私の生活は猫たちと一体化しているのである。

黒かりんとうと間違えるのは、そのせいかもしれない。

一つ書き忘れた・・・突然だけど・・・今まで17年間気が付かなかったことがある。実は昨日たまたまリビングに作ったキャットウォークを歩く勘助くんを見上げたら、気が付いたのだが、彼は三毛猫だった。万に一匹と言われる三毛猫のオスだったのだ。驚いたなあ。今まで気が付かなかったのは・・・やはり猫たちと一体化しているせいだろうか?三毛のオスは遠洋航海の船員が守護として連れて行くという、防災のお守り猫だった。気が付かなかったせいで防災にはていないみたい。

長生きして欲しいね。実は彼は馬込幼稚園の駐車場で捨てられていて、片目がつぶれていたので、当時大河ドラマ風林火山」の主役であった山本勘助が隻眼であったために命名した。当時一緒にえさをやっていた猫お姉さんが我が家に連れて来てくれた子だ。もうこの子が唯一残る東京から連れてきた猫だ。

 


やっと始めました

2020-02-03 12:35:19 | 絵画

ここのところ、気にかかることが多すぎて絵を描くことが出来ませんでした。頭の中には次に描きたい構想があるのに、手が付けられなかったのです。しかし何かのTV番組でロンドンのホームレスの男性が野良犬と一緒に生きるようになって、「前向きに生きる気力」と得て、路上で恵んでもらった僅かなお金で画用紙のブロックとインクペンを買って絵を描き始めたという話。子供のころから絵を描くのが好きだったけど、両親を失って祖父のもとに身を寄せていた時、祖父に見せた絵を破り捨てられてから、心になかにあった欲求を抑えて生きてきたことは、路上生活によって解放されたが、野良犬との出会いがなければ野垂れ死にする未来しかなかったが、二人が寄り添うことで芽生えた生きる気力を得て、ペン画を描き始めたことで人生の大転換を得た話。風景を描いたペン画は最初はだれも見向きもしなかったが、ある日通りすがりの女性に、相棒の野良犬の絵を描いてくれないかと頼まれて描いた絵が「少ないけど・・・」と言って、20パウンドで売れた時から「目からうろこ」の人生が始まり、うわさを聞き付けた町の画商によって、個展を開いてもらい、その売り上げで・・・1460万円ぐらいだったか・・・破格の収入があって、家に住めるようになった。しかし今でも彼はその犬と一緒に週に2回は路上で絵を描き続けているという・・・。

私はその犬に涙が出た。人に寄り添い苦楽を共にする・・・やはり愛玩動物とされる犬や猫は人が作った動物で、お互いに情をかわすことが出来て信頼できる相手だと・・・思った。

この元ホームレスの彼の描く絵は「拘りから抜け出た描写」で、風景画にせよ自由な表現様式だ。そこが最も魅力的で、山下清の絵を思い出した。決してアカデミックな教育から得られたデッサン力や空間表現などではない。番組では現代アーティスト(?)とのコラボのデッサンも紹介していたが・・・・全く無意味で、彼の個性を台無しにしただけで、見たくもなかった。路上で女性に頼まれて初めて相棒の犬を描いたとされる犬の絵は随分彼の描き方から異質で・・・・ひょっとしてこの再現VTRの為に誰かが描いたのではと思わせるもの・・・立体感があってアカデミックな表現だった・・・で、彼がいくつか描いていいる犬の絵が次第に「売り絵的」つまり手抜きになりつつあるのが心配だ。

まあいい、人のことは。自分のことを考えなくてはと思って、頭の中にある構想は吐き出しておかねばと思った。家の中には描きくさしの作品がいくつもあって、過去にこのブログで「制作中」として紹介して、以降全く進展していなかった言い訳は又にするとして・・・取り合えず、30x40cmのマット紙の切れ端に「スーパームーン」という題の下描きデッサンを始めた。これはもっと大きいサイズに拡大し油彩で描くことにする。この点は予定でいいのだ。頭の中の構想が吐き出されることで「生きている実感」を得ることが出来る。

また猫の話になるけれど、去年の暮れから2匹死んだ。どちらも5歳半で、母親は別だが同じ時期に生まれて当時の朝ドラで「花子とアン」というのから登場人物の名前から「あにやん、かよ、花子、蓮子」とか付けたのに、さらに「がね、たね」とか脈絡もなく付けなくなるほど、二匹の母親から一気に子猫が生まれて、最もにぎやかだった年の子たちが今病気などで死に向かっている。今もその彼らの中の3匹が体調が悪い。具体的には食事量が減って痩せて来ている。我が家の一番の長生きは「勘助(山本)」くん17歳で、今年になって食が細くなってきて、好き嫌いのわがままを言うようになった。寒い中外に出て、草むらに座り込んでいる彼を見ると、そろそろかと思ってしまう。我が家の多頭飼の限度は25匹になっている。生まれれば絵かが死ぬ・・・数が拮抗している。友人が「そろそろ数を減らしたら・・・」と言うけれど、正直言って「ぞっとする」助言だ。命あるものの数を減らすなど・・・・あってはならない。

さて、今一度制作意欲に目覚めて、新境地が開けますように。