河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

丸山知事を支持します!!

2021-02-28 10:45:02 | 絵画

進撃の丸山知事がコロナ禍に在って「壁」を壊す・・・彼の実直さを支持します!!出来るかどうか分からないオリンピックに、多くの者が政治の強引さに懐疑的になっても、まるで一億総突撃を要求する現政権が、オリンピックの聖火リレーをこのど田舎に9000万円の支出を求める非常さに反旗を翻し、県民のことを思う丸山知事を支持します。島根県民はおっとり素朴に生きていて、これッと言ったとりえもないけど、中央集権の政治にやりたいようにされる覚えはない。

皆が現政権の好き勝手に集団の価値観を押し付けられ、翻弄され黙って我慢している未来の見えない状況に「NO」を突き付ける勇気が丸山知事にあったと・・・感激している。

あいターンでこの島根に来た自分として、少し気が晴れる。島根2区で選ばれた竹下亘の暴言に、それでも理解を求めた丸山氏の対応は遥かに「人格」が上だと。丸山氏は県民に選ばれたのであって、竹下に遠慮してはいけない。

そもそもオリンピックは東京都に与えられた権利で国ではない。国は補助的な役割を果たすのが筋。オリンピックで誰が得をするのか?オリンピック利権はIOCと東京都、年に集中する利権団体それも自民党に関連付けられた一部の者が得をするように出来ている。それをなぜ貧乏な地方がコロナ禍で苦渋の選択で苦しんでいる県民の現状を訴えるのに「注意してやる」といった竹下は島根の代表でも何でもない。九州から来た丸山知事の方が最大限に県民の意を汲んでいる。

オリンピックが成功するには「精神論」ではあり得ない。楽観的にワクチン接種が出来れば解決すると思っていたか!!しかし4月にならないとワクチン接種も出来ない・・・しかも輸入物数十万人分しか得られず、残りはEUの輸出許可待ちだそうな。だれが国産のワクチンをまた治療薬の開発を遅らせたか?

安倍だろう!!習近平を国賓として迎えるつもりで、後手に回って外国人の入国停止も行わず第一波の感染拡大を招いた。そもそも島国である台湾やニュージーランド、オーストラリアなどは早期に抑え込みに成功しているのに安倍は放置して、PCR検査も「37.5度以上が3日つづいたら」「感染拡大国から帰国したもの」「クラスターに関係した者」など条件を付けて積極的に行わなかった。感染の抑え込みより経済活動を優先して、見切り発車で1兆7千億円のGOTOキャンペーンを始めた。国産ワクチンや治療薬の開発を放置し、医療従事者の手当ても不十分であった。安倍のマスクは思い出したくもない。

その間、政治スキャンダルは頻発し、なぜ政権が倒れないのか不思議だ。そんなとき丸山知事は島根県民を代弁してオリンピックに反旗を翻した。

オリンピックで恩恵を受けるのは東京都、自民党利権でしかない。聖火リレーで気分を盛り上げようなんて気になれない。


防災について

2021-02-21 14:50:42 | 絵画

日本人の防災意識について、これほど災害の多い国でどうして合理的な解決が出来ないのか、これまでも述べてきたがその欠陥は明らかだ。やはり教育の問題にたどり着く。将来起きる東南海地震では50万人を超える死者が出ると予想している。つまり、現状のままであれば50万人の命が奪われる。これから何をすべきか考えよう。

多くの人に自分で考える個人が存在しない。考えるとき、他の人はどう考えるかを重視する・・・忖度主義が見える。自分で主体的に考えれば少なくても今住んでいるところが自然災害である「地震」「火災」「台風」「水害(大雨、洪水、土石流など)」「火山噴火」「火災」また「感染症」などが起きた時、どうなるのか考えないバイアスがある。「自分は大丈夫だ」と科学的根拠もなく、それ以上考えないから原発事故も起きた。これは自然災害より防げたはずの人為災害だ。「14mを超す津波は来ない」「だから電源喪失はない」と一時的な経費を払うことをケチったせいで、何百兆円も無駄が生じている。当事者は反省せず責任転嫁しているだけだ。

自分を守るのは「事が起きて責任を問われた時」だ。それを「謝罪」で済まそうとするのが日本の習慣だ。以前にも書いたが、ベルリンに住んでいた時、ある日本人学生が図書館で蔵書の一ページを写すことなく、破って家に持ち帰った。それを見ていた者が訴えたらその日本人学生は裁判で「やりました、初めてです」と言ったが「懲役9か月」を食らった。ドイツは応報刑主義で、「やったことに、それ相応の刑罰を科す」法治国家なのだ。初めてで謝罪したから、撤回したから済むこの国と比べられない。日本人青年は罪の重さを学んだかどうか・・・ただ運が悪かったと思ったか・・・9か月間、封筒貼りをやり続けて大分貼り方が上手くなったには違いない。

もし日本で責任を確実に取らされる社会に成ったら、すぐに頭を下げる「政治家、企業、役所」のトップは絶対に謝らなくなるだろう。人殺しも「やりました」とも言わないだろう。

しかし責任が「誠実さの証」であることを教えられない教師や親がいる限り。この国は「個人の権利、義務」は議論にも登らず放置され続ける。

災害に会うのが自分だけならともかく、家族が居たら大人の自分はどの様な責任を負うだろうか。弱い者は自分が守らねばと、どうするかを考えたら、東京から脱出した。10数年以内に東京直下地震が起きる確率40%と言われて久しい。なんだか起きないではないか・・・と考える者もいるだろうが、いくらこのコロナ禍の時に目の前の課題が地震よりコロナに置き換わってしまって、忘れられたときにまた福島宮城で震度6強の地震が起きた。現地の被災者は東北大震災の時より地震は大きかったという人もいた。最近起きる東北地方の地震は先の東北大震災の余震と、つまり抜けきれなかった地震のひずみの解放が今頃あちこちで頻発しているらしい。忘れた頃やってくる。

熊本では数年前の熊本地震と同時にコロナのパンデミックが町を襲ったときの対処を想定して取り組みを行っている。これはとても真剣な気概を感じさせてくれる。人の命が最大限に脅かされていると認識した証だろう。これを子供たちに見せ参加させるべきだ。日頃から大人が真剣になって何かをするところは見たことがない子供が多いのだ。何かを感じ、何かを考えることの経験は未来を作るだろう。学校教育とは全く違う価値がある。

兎に角大事なのは「自分で考える力」を身につけることだ。その教育が必要だと、この原稿の前の「校則について」でも述べた。

アメリカで起きていたトランプの暴言、妄言、虚言で「マスクはいらない、あれは風邪のようなもの」という言葉を信じてしまうのには「教育の格差」が認められるだろうが、個人の中で合理的な根拠を大事にする人格は「自由の国」を強調するアメリカでは育ちにくいだろう。しかし「自由」にも限度があることは日本の法律にもあるように社会秩序を保つための法律は民主主義国家を形成する以上定めがある。要は社会性を身につけるだけの機会があるかどうかだろう。

その機会こそ教育現場でなければならない。

防災は自然災害、人為災害の一つ一つを取り上げて、その性質を知り、被災内容を知り、対応策を考えなければならない。面倒でも自分の命、人の命にかかわることだ。こればかりは「嫌いなこと」であっても自主性が必要だ。

しかし子供たちが学んでも、実行しない大人では困る。まず責任を負うのは大人だ。

次は私が行った職場での「防災」ついて書くことにする。


生徒が決める校則

2021-02-20 12:41:30 | 絵画

生まれつきの少し茶色の髪を黒く染めさせた学校、そして不登校となり中途退学した生徒の「存在」を名簿から消し去った学校を訴えた訴訟の判決が、なんと「学校教育の裁量の範囲内」として認め、ただ名簿から消し去るなどは人権侵害であるとした。この裁判官の全体主義的な国民性丸出しの思考を考えよう。

学校で教師が毎日様々な課題に追われ、教育委員会からの圧力にくたびれていることは理解できるが、校則で生徒を一羽一絡げにして、楽に扱おうとするのは教育とはちょっと違うだろう。半世紀前の教育現場には「人権」というのは無かった。私が出た山口高校では古典を教える教師に「高校生に人権はない」と言われたことがあるが、当時学生運動の起爆剤となったのは、自民党政治が「民主主義」を無視して、日米安全保障条約を堅持するために、反論を排除し続けたからだが、今もあの頃の校則の内容とちっとも変わらない現状に失望する。

やはり御都合主義が蔓延したままのこの国は、何時まで経っても「人権意識の欠如」「女性差別」からも抜け出せないでいる。

何処にこうした問題の「根」があるのか・・・。もう鶏が先か卵が先かの話で、繰り返すスパイラルはクルクル回り止まる先を知らない。言うまでもなく卵は「子供たち」で鶏は「大人たち」である。

校則で「型にハメられた」子供の思考は押し付けられた紋切り型のものであり、自主的に考え選択する思考は許されていない。そこに既にあるものに従う隷属的な個体が求められているのだ。だから何かおかしいと感じても、それ以上は「思考停止する頭脳」に仕立てられているのだ。この方針は自民党や経済団体が求める「隷属的労働力」に他ならない。そうだ80年代には「文系は労働力、理系は労働資本」と言われて皮肉られたものだ。だから当時も教育は1+1=2であり、これを3や4に考える思考は教育の裁量の範囲内から逸脱した考えとされたのだ。

1+1=3と答えたら「違うだろ!!ばかか、おまえ!!」と言われ、何故1+1が3になるのか聞いてみる手間を教師は省くのである。だが本当の教育は何故3になるのか説明させることが当人の自主性を大事にし、独りでも考え責任を負うことを学ぶ機会なのである。

一部の中学校では、既存の校則を改めて「生徒に校則を作らせる試み」を行っている。ここで生徒に聞くと、「自分たちで作った校則だと、守らなければならないから緊張する」とのことであった。これです・・・これが大事なのです。

それまで自分との関わり合いが無かったことが、いきなり自分との関係性を考えることにつながり、教育になるのです。教師の手間はほんのちょっとで済む。日頃に授業にも影響があるだろう。自主性を考えるうえで「自分との関わり合い」が授業内容と自分の将来とのかかわりを考えるのは大事だ。

私は美術を選んだけれど、家に美術書はなかったが、美術の教師が下手糞な芸大時代のデッサンを見せてくれたおかげで「これなら私も行ける」と思わせてくれて(実際には東京造形大学に入学したのだけれど)いつの間にか本気になった。

教師の仕事は生徒を「その気にさせる」ことでしょう。校則なんて形式で良いのでしょう。ナニー!!パンツの色まで決めているのか!!スケベー教育委員会爺じじいめ!!女の子の髪を結んでうなじを出してはいけない!・・・年頃の男の子は「発情するから」だってさ。発情するのはじじい!おまえだ!!

 


多様性から

2021-02-17 01:09:06 | 絵画

今、17日午前1時10分、外は雨雑じりの強風で庭木が大きく揺れている。ボーボーと風きり音がうるさい。またこの原稿を書いても投稿中に接続せずに消えてしまうかも・・・。先週は2本消えた。馬鹿らしくなってもう投稿は止めようかと思った。

この古屋は築35年になるから、あちこち強風の影響を受ける。昔の日本式建築だから壁は泥壁で暖房は効かない。隙間風で石油ストーブも24時間稼働させても、17度くらいに落ちる。猫たちが寒そうに団子になって過ごしている。私が声をかけても知らんぷりだ。しかし中にはこの寒い屋外に出歩くモノもいる。家の中で集団化するのが嫌いな子だ。

自分の意思で好きなように生きようとする猫は、オスなら食い物より自分のテリトリーが大事だから、外で過ごす時間は多い。1月3日の大寒波の時、外気は零下5度であったにも限らず出て行って帰らなかったものがいる。その子はそのまま行方不明となった。玉つきのオスでテリトリーが大事だったのだろう。去るもの追わず。

個人主義で多様性のはっきりしている猫は好きだ。この国の村社会の影響は受けない。労働はしないから、金を稼ぐために学校に行くこともないし、自分に嘘をついて生きることもない。

人間には真似のできない猫の生き方だが、北欧では既に資本主義から新しい社会主義を模索している国がある。中国やロシアのような共産党あるいは強権主義者による支配ではない社会主義だ。

北欧では税金が高いが教育費や医療などの基本的な保障を無料で行い、平等社会を形成している。それにさらに最低生活のできる所得を保障するベーシックインカムという制度を実験し始めた。大人の国民一人に与えられる最低生活費は7万円で、裕福な感じはない。例えば勉強だけしていたい身分ならこれで可能だが、もっと欲しければこれに足せるだけの労働をしなければ実現しない。

まだ実験中なのは、この制度の現実的問題を見出すために行っているのだ。7万円でどれほどの者が「怠け者」になるのか見てみたいものだ。働きたくない者、働けない者も同じ7万円でどういう人生になるのだろうか?個人が持つ主体性を相互扶助の精神で試しているのだ。

そう現実的問題は国家予算として各自に7万円を支給できる原資は何処に見つけるのか?気になるだろう。企業や金持ちはそのための税金をかけられても怒らない寛容さが必要だ。しかしIKEAはオランダに本社を移したと聞いたが・・・。

日本では最近、竹中平蔵がこのベーシックインカムを日本で実現するための原資は「健康保険や生活保護などの保障を無くせば可能」と言っている。さすが日本国民が積み上げた数千兆円の日本郵政をアメリカの圧力で小泉純一郎と一緒に民営化して亡きモノにした戦犯らしい発想だ。ベーシックインカムの原点を理解していないようだ。

相互扶助が身近な国になったとき、この国の国民はどんなだろう?


論点外しをする

2021-02-12 12:03:43 | 絵画

組織委員会会長を森氏から川淵三郎氏に交代するらしいが、で、早速ネガティブキャンペーンが始まったと音喜多俊氏(東京都選出参議院議員)が一言苦情を言い始めた。

あまりに早いネガティブキャンペーンで呆れたということだろうが、川淵氏の過去の発言から「森氏とほとんど変わらないだろう」という感想の人たちが批判を始めたと思えるが、今回の騒動の問題点は「女性差別」であり、また「昭和の古い男社会に対する批判」でもあるので、川淵氏が森氏の後を引き継ぐには、相応の対応が出来るかどうかを見られるのは必然である。

そこで音喜多氏は「川淵氏の過去の発言はこれから精査しますが、仮に現在の価値観から見て不適切な点が多少あったとしても、大事なのは現在の未来。年齢にとらわれず価値観をアップデートできる方であれば、重責を任せることは十分に出来るはずです。

条件反射的に新会長の人事を叩くのは、いくら何でも不寛容すぎるか、政権批判・反体制運動が目的化しているように思えます。」と述べている。

そしてツイッターでは「人権を強調されるのであればウイグルなどで女の彩度を現在進行形で行う中国・北京の冬季五輪開催に何か言うことはないのかと流石に申し上げたい」と繋げている。しかしちょっと論点を拡大しすぎて、論点が外れたので「如何なる人権問題にも可能な限り等しく声を上げるべきと表現を訂正いたします」「今、指摘・検証すべきはまず人選プロセスや構造問題だと思います。」と締めくくった。

音喜多氏は新米とはいえ「参議院議員」であるので、自分がウィグル問題を出して「他にもっと批判することがるだろう」と論点外しをしたことにも注意すべきだろう。確かに「人選プロセスや構造問題」について論じる必要がこの国には歴史的にあるのだけど、分かっているのであれば、今回の「女性差別」で怒っている人たちが「そのまんまじゃないか」と危惧したことからくる市民の反発を受け止める頭脳が必要だと思うが。

論理的・合理的思考力というのは、この国では根付きにくく、多くの人が反射的、感情的に口から言葉が出るが、その時「本音」が出て、人格もさらけ出してしまうのはよく見かける。森氏もその典型だから、謝罪にならず「居直り」になってしまった。もう少し誠実に記者の質問が厳しいのを理解していれば違ったであろうが。どこかにあった優越感が「言い返してしまった」のだ。

だからこそ今、多くの人が構造的問題を批判している「女性差別問題の行方」をしっかり見るべきだろう。

年功序列、男の村社会、女性差別などなど、そう簡単に世の中変わりはしないが、徐々に変わりつつあるから、批判が大事でしょう。

とここまで書いて進展があった。

次第に裏で不透明なやり取りが行われていて、それが今回の問題の一部として焦点が当たっていたことに気が付いて、森氏から内々に後継の会長になるように打診されていた川淵氏は一度は承諾していたが辞退した。森氏と違って空気が読める川淵氏は自分がなれば同じ目に合うと気が付いたに違いない。どうもガースーが森氏に色々話しかけたことを記者に聞かれて、歯切れの悪い受け答えをしているのが、事態を悪くすることに気が付いただろう。

新しい会長を決めるのに、すでに自民党内部から身内を特定し始めているが、それが不透明な手順だと気が付かない連中だ。

これまで組織員会の理事会でも、一部の幹部だけで物事が決まって、議事が無かったことが暴露されているから、村の男社会は今後も続くだろうが、形式として選考委員会を立ち上げると言っている。まあ周囲からの批判というのは、時代少しずつ変化させる。ほんの少しだと思う。

「論点外し」というのは皆が気にすれば、より直接的な受け答え、合理的、論理的なやり取りに変わっていくと思いたい。