河口公男の絵画:元国立西洋美術館保存修復研究員の絵画への理解はどの様なものだったか?

油彩画の修復家として、専門は北方ルネッサンス絵画、特に初期フランドル絵画を学んできた経験の集大成を試みる

ちょっとコロナで言いたい放題(加筆あり)

2020-07-20 22:16:59 | 絵画

島根県はコロナの感染者がしばらく出ていなくて、最近25人目が・・・・やはり女の子で、新宿の小劇場にイケメンの人狼なんとかを見に夜行バスで複数回わざわざ感染しに行ったのが19歳、出雲の県立大学生・・・で、大学から学生までPCR検査や消毒で大迷惑している。夜行バスの乗客は?分からないけど・・・取りあえず当人は症状なしで隔離されたらしい。

今、世の中、感染したものが悪いとか、自己責任とか言って突き放す。しかし自分のせいでもなく感染する人もいるし、配慮不足でチャラ男、チャラ子もいるが、この国では情緒的に判断して、東京や大阪の人は来ないで欲しいとか、公然と言って差別している意識なしというのは如何か?

とにかく感染者を見つけて注意することで、クラスターとなることを防ぐ方法はもっと早くから安倍はやるべきだったが、経産省出身の秘書官や審議官に頼りっぱなしで、無能な対応を繰り返した。だからPCR検査を早くからたくさんやって分母をはっきりさせて感染者である分子で割って感染率を分かり易くすべきであった。それにGOTOキャンペーンなどとまた安倍のマスクと変わりない愚策で、一方で医療従事者にもっと配慮した政策をしない現実無視の無能な政権はとにかく早く消滅して欲しい。国民の為を考えずに、まるで自分たちが主役のようにふるまうから恥ずかしい。

私の住んでいる浜田市は感染の話は何もない。だからか、最近マスクをしない人が増えた。

文化的資産もない。唯一の漁業も振るわなくなった・・・面白くない町で、劇場どころか映画館もない。たまの催し物と言えば、どさ周りの演歌歌手が文化会館(名前に文化が付いている・・・)で・・・面白くなくてもこの程度しかない時には、これで満足するのが地方の町(都市ではない)。漁業の町だったと思うが、スーパーの魚は東京と変わらない値段、時には西馬込の文化堂の方が安い(特に東京の人は尾頭付きは敬遠するから30cmの石鯛とか真鯛が980円であっても買わないだろうが)。

ここのところ、一寸くたびれて寝ていたいのだが、あまり寝ると私のような高齢者は腰が悪くなり、足も立たなくなるから、勢いづけるのが必要。ユンケル飲んでも効かないし、「精力剤」のようなものが要るのかも。いや、相手がいるわけでもないので、下の方が元気になられても困る。要するに少しはつらつとしたいのだ。そこで運動不足を解消するために、去年かった自転車(一度しか乗っていない)に乗って近くの釣り場に様子を見に行ったら、帰りには空気が抜けていて往生した。マキタの電動空気入れも買っていろいろ試したが、ぬける!!問題あり、買った所に持って行って愚練る事にした。モンスタークライアントになるぞ!!

おまけに今度は洗濯機が調子が悪い。中の洗濯物が濡れたままストップ。これが二度目での蚊の排水便に問題あり。中国製の部品が直ぐに壊れる。最近菅が「中国に進出している日本企業に他の外国への転出か帰国かの選択をするように」と言い出しているが、ほとんどの国が製品のサプライチェーンを中国に作っているので、コロナのせいで流動性が失われて不況に向かっている傾向を考え直す機会としているようだが・・・3年で2回も修理をしなくてはならない「日立の洗濯機」なんて思いもしなかった。それほどメイド・イン・ジャパンに拘って日立を選んでも、中の部品に中国性があっては・・・不誠実だ。電気製品量販店も良く分かっているので、5年間の修理保証を用意していたので・・・ただではないが、掛けておかねば安心できない常識にガッカリだ。

こうして何か欲求不満が溜まるのは、何かに気を使って「我慢」しているから・・・・と言ってもほとんど買い物に行くとき、せいぜいマスクして、他の客に近づかないようにしているだけ。しかし年寄りの男、海の男風の男に限ってマスクをしないのだ。慢心は危ないぞ!!君子危うきに近寄らずという言葉があった・・・が、私が君子であるわけがない。

この一年ほどで12匹の猫たちが虹の橋を渡った。何度も動物病院へ通ったが、なにか内臓を攻撃する最近による感染症でほとんどが死んだ。今いるレギュラーメンバーは19匹。いやこの内5匹は7月のはじめ、私の誕生日に生まれたと思える子猫で、やっと目が開いたくらいだが、昨日の夕方母親のともちゃんが子猫たちをくわえて、私の寝室から屋外に移動。何処にいるかもわからなくなった。しかしその後も、ともちゃんはしっかりご飯だけは私の寝室に特別メニューを食べにくる。この梅雨が終わらない時期に生まれたばかりの子猫が屋外で「安全保障」が確保されていなければすぐに死んでしまうから、これまで経験した悪い思い出にならなければと心配する。もしそのまま無事に大きくなっても、よくネットで配信されている「かわいい子猫と遊ぶ」なんてことは望めないだろう。母親は周りの猫たちに敵意を持つと、自分の子猫たちに敵愾心を教え込むから、子猫たちは私が「猫好きのおっさん」だと理解するには、かなり大きくなってからになるだろうから・・・私は面白くない。という訳で大人の猫のメンバーは14匹かな。エサ代は減ったけど、医療費が上がったね。

みんなコロナに、感染症に負けないで長生きしようね。のんびり生きたいのはやまやまだけどね。

人は周囲の状況に対応できなくなると、自己防衛に走る。その時、他人を差別してでも自分の優位を主張する。どこかの国の政治に反映されているだろう。国民性にならないようにしたいね。そのために合理的思考が必要になる。だけど、高齢者の半数はネットとも無縁らしい。近寄りもしない人達が多いようだ。それは理系と文系に分けて受験させて、労働力(文系)労働資本(理系)に分けて社会に直結させ、若者を職場に供給させて、経済界に阿る(おもねる)教育を行い、受験必須科目から文系には理科や数学を排除したことに起因するのではないかと思う。で、だからといって英語教育はレベルが低く、グローバル化した世界に通用しなくなりつつあり、若者も海外留学もしたがらない・・・・要するに戦後は「引きこもり」感覚が、この国のガラパゴス化に寄与していると思うのは、私だけだろうか?若い時しか冒険や苦学はできにくい。だから、若者は飛び出すべきだ。私も23歳から8年間ベルギー、ドイツに留学したが、金欠や差別とかは常態的にあったが、だからと言って泣いて開国することはなかった。目的が明確にあれば耐えられる。

今、若者はコロナにも感染しても重症化しにくいとされているのをボーと受け入れてはいけない。これは神が与えた「運」だから生かさなければと言いたい。すぐ行動が出来なければ「計画」を立てるときだろう。さもなくば、あっという間に高齢者だ。・・・・と昔を懐かしむ自分が悔しい。

今日はこれまで。

 


目利きのレッスン 2

2020-07-18 18:42:08 | 絵画

目利きとして確信に至るための最終的なプロセスである科学調査では、いくつかの方法がある。

しかし「科学的」であるための基本は、少なくても「おおよその時代や作者」が見当をつけて、そこに向かって情報を集めることである。昔、ある国立の研究所が尾形光琳の「紅白梅図屏風」の科学調査で大変な失敗をやらかしたことがある。最初の見当が間違った方向で始まって、途中に軌道修正が行われず、とんでもない結果を導き出した。調査の主目的は「現状の保存状態は制作時にはどのような表情をしていたのか」を明らかにすることだった。調査を担当したチームは調査機器を操作することに自信があっても、古いものをどのように扱うか経験が浅く、良く分かっていなかったようである。彼らはまず屏風の背景の金地を調査するのに金沢で作られている最も純度の高い「五毛色」と呼ばれる98%近い値の金箔を基準にして、紅白梅図屏風で用いられている金はX線回折で定量分析して、純度が低すぎるとして、これは「金泥である」としてしまった。誰が見ても金箔であるものを、分析機器が示していることが正しいと言い張って、箔足(金箔を重ねることで出来る二重になっている輪郭部分)も日本画で用いるイネ科の植物で描かれたものであると、芸大の日本画の教授に、これがそうだとデモンストレーションをやらせ、NHKスペシャルで堂々と発表してしまった。他に中央に流れる小川の水流に描かれた線が黒い背景で見えにくくなっている箇所を銀が含まれていないとか言ってしまい、周囲の理解とかけ離れた結論を導き出した。こうした問題がなぜ起きるか・・・つまり彼らは、調査に入る前に他の古い金屏風など分析した経験が無く、「いきなり国宝」を手掛けて、得意満面であったのだ。後日持ち主が調査に不満を持って、理科大の教授グループに再調査を依頼し、X線回析で金の結晶が平たんに並んでいることを突き止め、金泥であれば並びがイレギュラーになることを突き止めて発表した。小川の流線型の表現も、黒い所から硫黄を発見し、銀箔の上を膠で流線型を描き、描かれなかった箇所つまり背景の黒い部分はむき出しの銀箔に硫黄を焼いていぶす(煙を当てる)方法でいぶし銀にしたと結論付けた。いぶし銀は銀箔そのものが少しくろんずんで鉛のような色味になる。

結果として後日の調査で最も常識的な結論を得たのであるが、最初の研究所のチームの連中は「それでも分析の結果は結果だ」と居直ってヒンシュクをかった。彼らを保存科学者とは思わない。むしろ高価な機械を持っていて、権威を主張して威張っているだけだった。

つまらない書き出しだが、科学調査でもこんなことがあるので要注意だが、欧米ではこんな話は聞いたことはない。分析機器があり、分析方法を知っているだけでは何もならないことが分かるだろう。

光学機器はいろんな情報をくれる。普通のカメラも光を斜めから与えて写せば、絵具も凹凸が強調されて制作方法や表面をどの様に見せようとしたか知ることが出来る。またエングレービング(銅板を彫刻刀で彫って線で描く版画)かよくできた印刷であるか判別するのにも、この斜光を与えて拡大鏡(手術用顕微鏡で最大24倍ぐらいに拡大できる。それ以上は手術が危なくなるので・・・。)で覗くとインクの盛り上がりが良く見える。こうした版画を多く制作したレンブラントはエングレービングの他にエッチング(塩酸で腐食させることでインクの溝を作る)や、すこし物足りないところを加筆するのにドライポイント(針のような尖ったもので銅版の表面を引っ掻く方法)を用いたとも言われているので、手術用顕微鏡の倍率はいろんなレンブラントの表現の思いを知ることが出来る。

蛍光紫外線(ブラックライト)を用いて油絵の表面を見ると、最近の作者以外の加筆など見ることが出来る。蛍光反射は描かれてから50~60年経つと蛍光しなくなるので、修復などで近年の補彩(修復家が行うルールに従った失われた部分のみの再現の描き加え)、加筆(ルール無しの描き加え)があることを判別する。美術史系学芸員は絵具表現に慣れていないので補彩も加筆も区別がつかないことが多いので蛍光紫外線のランプがあると重宝する。もし修復家がこのランプなしで見極められなければ、ぼんくらである。

もう一つ光学機器調査に赤外線反射画像というのがある。赤外線を油絵に照射して、赤外線を吸収また反射する部分を見ようというのであるが、絵具層の下にある白い地塗りの上に墨で描かれた下描きデッサンを見るのに用いるが、もし地塗りが赤地のボルースで施されていたら、まず下描きデッサンは白のような明るい色で行われていない限り見えない。ボルースが頻繁に用いられるようになった17世紀には暗い背景の絵が多く、もともと暗いボルース地は絵を描き始めるのに実に描きやすかった。他に白亜(天然炭酸カルシュウム)に木炭を混ぜたグレーの地など、有色地が流行した。18世紀にはこのボルース地に白チョークで下描きデッサンを行い、描く者もいたが、その下絵は見つけることが困難である。チョークのような炭酸カルシュウムは油と出会うと半透明になって反射画像にはならない。もしこれが炭酸カルシュウムではなく鉛白(炭酸鉛)であれば映る場合もある。(しかし、イメージの定着に邪魔になるような強い白の当たりつけはされなかっただろう。)そこで作品の隠れた情報を赤外線反射画像診断で得て、当たりつけ(デッサンとは言い難い形)がどうであったかを知る意味があれば、画像診断を試みるが良いが、地塗りが白く、その上に墨で下描きされていなければ、作者の制作プロセスや原作性を見定めることは難しい。17世紀に頻繁に用いられるようになった人工的な青顔料スマルトはコバルトも原料としているので、赤外線の波長を良く吸収するので黒っぽく現れるが、下描きではなく彩色として用いられたので、天然青でコバルト色に近いアズライトと判別するために用いることも出来るが、修復家が目視だけで判別できなければぼんくらである。

他にX線画像による調査方法がある。この方法もどちらかというと絵具に鉛白のようにX線を通しにくい金属があれば白黒画像として明確な情報が得られる。たとえば佐倉にある私立コレクションがレンブラントの肖像画を持っているが、アムステルダムの王立美術館のレンブラント調査委員会によってレンブラントの新作とされていたが、担当のエマーリングというレンブラントの専門家(?)が物を見ずして、写真だけで判断し、もう一つ同じものがあるミネアポリス美術館のものをコピーとしたため、そこの修復家がX線画像写真を西洋美術館に持参し、自分所のものが本物で、佐倉の所蔵がコピーであると鼻息荒く主張し、私の意見を求めた。なるほどミネアポリス作品にはレンブラント特有の筆のタッチがあり、佐倉のにはべったりとして無かった(佐倉の担当者はレンブラントの真作であるとは主張していない)。原作者は自由に自分の完成イメージに従って制作するが、コピストは完成した作品の表面からしか入れないので、表面を似せることに終始するのである。私の意見を聞いて修復家は安心して帰国した。X線画像は作者のデッサン力や制作の手順の巧みさを知る手立てとして最も有効である。

他にやはり放射線を使った画像診断がある。オートラジオグラフと呼ばれるベータならびにガンマ線を絵画に照射し、放射線を帯びさせて、異なる金属によってそれぞれが放射線を再放出する時間が異なるのを利用して、何日か置きにX線フィルムに感光させる方法である。つまりこの方法ではX線画像では全てトータルに映っていたものが、下描きで鉄分を含んだイエローオーカー(黄土)を用いたことで現れたのを見て、オランダ専門のヤン・ケルヒ氏はかの有名なレンブラントの「黄金兜の男」を当人ではなく弟子あるいは周辺としたのである(Bilder im Blickpunkt: Der Mann mit dem Goldhelm 1986)。何が理由かと聞いたら「下描きデッサンが下手糞だから」であった。彼は目利きではないと私は思う。デッサンも良く分からない研究者である。この絵をレンブラント以外の誰が描けるか言ってみろ!!!と・・・思う。いくら何でも、私が研究生として一年を過ごしたベルリン国立絵画館の調査であるとは、許さない。結局目が悪く、本物を偽物にする研究者もいるということである。

一方で保存科学や保存修復の分野が一応未来への発展形式として、修復技術、保存技術などの現場対応での作法を確立して、多くの国で技術水準や理念が共有出来てから、その役割の方向性は学術的な情報集積に向かい始めた。

科学調査の持つ威力は多くの研究者の調査の集積によって大きくなる。最近では大まかな概念をつかむ方法より、例えば修復の機会を得て、明らかになった損傷部分から微小な絵の具のサンプルを得て、描写の構造、使用された絵具の分析などから原作者に帰属する情報を集めて公開するような細かな理解がされるようになってきた。。私も美術館時代に僅かながら貢献した。多くの現場の専門家が参加すれば情報はまさしくビッグデータとなる。これを単に類推して発表するのではなく、時代、地域、様式、作者などに結び付けなければ意味がない。

もう10年以上前だがATOLAS of WESTERN ART HISTORY, John Steer. Antony White 1994 New York という本を買った。内容は西洋美術の起源となる地域、美術様式、都市文化などを網羅し、ヨーロッパ地図の中でその伝播などを紹介している。全部通して読むのはきつい。気になるところを拾い読みすることから入門するだけで面白いから興味はどんどん広がる。こうして自分の専門以外に知識を広げて、認識をサポートできる。

しかし、文献資料からだけで作品の帰属を判断することはだめ・・・・やはり物的証拠が必要です。でなければ目利きにはなれません。では・・・。