あなろぐちっく

mintonのスナップと気まぐれつぶやきブログ。コメントは古い日記でもお気軽に。写真の無断利用は厳禁。

COSINA、EPSON、NIKON

2006年06月13日 11時07分40秒 | D100
R-D1を購入して1年近くが経過した。保証期間が切れる前に慌ててサービスセンターに送った。
このカメラの弱点は光学系にあり、ピントを合わせる二重像がずれてしまう現象が発生しやすい。
ぼくはR3Aも所有しているけど、たぶんこの部分はコシナとほぼ同一ではないかという推測をしている。

コシナでは以前R3Aの二重像のずれを修理してもらったことがあるが、とても親切な対応だった。戻ってくるまでに1週間ほどだったと記憶している。
R-D1は一旦エプソンに入ってそれからコシナに行くのかもしれないが、3週間ほどかかるそうだ。チェックしてほしい現象として他にもいくつか上げたのだが、先週末にファームウエアをアップしたことで対応が可能だという内容を含めて、電話を何度かいただいて丁寧な対応をしていただいた。CCDの清掃も行っていただけるという話だった。
修理期間が長いのは辛いが現象確認と修理内容の説明までとても親切な対応だった。

先週末、東京に行った際にニコンサービスセンターに寄った。
R-D1が使えなくなってからはF100がメインカメラだったのだが、先週からマルチファンクションボタン(名前は不確かですが、裏蓋のフォーカスを移動するボタン)が右に移動しなくなった。その修理をお願いした。
サービス受付で清掃作業をしていただいたのだが現象が出たり出なかったりという状態だったので30分ほど時間をかけて内部清掃と点検をしてもらった。
中古で購入してすでにかなり時間が経っているF100なのに、丁寧に対応していただき無料でよいとのこと。

ニコンは点検だけはいつも無料なんだけど、こういう社員の接客態度とメーカーの姿勢はとても嬉しい。

きょうの写真は以前撮影した井戸。D100
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川の歴史、土地の歴史

2006年06月12日 10時32分02秒 | D100
先週は中学校で総合学習の講師を依頼されて、1時間の授業を行った。
先々週と今週、来週は、実習をしながらしゃべるので、話す内容は考えなくても良かったのだけれど、先週は1時間しゃべり続けなきゃいけないというので、話す内容を簡単にまとめて授業に臨んだ。

基本的に体を動かしたくてこのコースを選んだ子供達ばかりなので、5分もしたらあちらこちらで居眠りが始まった。
予定した講義内容を急遽変更して、地元の歴史、明治時代からの物流の基点としての河川の話や、川の流れなど、中学生が興味を持てそうな内容を質問形式にして、回答させながら解説をしていった。

興味がわくと居眠りしていた生徒も積極的に参加してくれて、1時間の講義は無事終了。

大きな声を出しても子供達は起きないけど、興味が湧けば目が覚める。当たり前のことだけど、自分も会社でこういうふうに話さなきゃいけなかったなあと、全然違ったことが思い浮かんで反省。
普段からもっと穏やかにもっとわかりやすくもっと気長に話ができるようにならなきゃいけないなあと反省。

きょうの写真は麦畑。
昨年の今頃仕事で出かけた先で撮影した写真。
麦は二毛作が可能なので、この時期は既に穂が実り黄金色に染まる。
風が吹くと穂先がゆれて光の縞が幾重にも光り流れていく。
D100
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天気予報

2006年05月27日 15時00分18秒 | D100
きょうは信州にて天竜川の川下りとクリンソウを見るというオフ会が予定されていた。
昨日の天気予報では土日は雨降りだったので、昨日の時点でオフ会は中止になったんだけど、きょうの天気は薄曇。
こういう時の天気予報は外れて悔しい。

きょうの写真は木曽の家屋の吹きぬけた天井。
光が美しい。D100
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青空

2006年05月25日 15時25分01秒 | D100
ひさしぶりにいい天気。

今年は日照時間が例年より少なく、都会では既に野菜の価格が高騰しているらしい。
我が家ではきゅうり、ナス、トマト、シソ、オクラ、長ねぎなどが小さな畑で採れるし、近所の農家からわけてもらうこともあるので、果物や野菜は新鮮なものを食すことができる。

ダイエットがマイブームなので、夜お酒を飲むことがかなり少なくなったが、それでも飲みたいときは焼酎のお湯割りにしている。つまみは畑からねぎを抜いてきて、ねぎ焼き。
酢醤油をちょいとつけて食べる。
これが甘くて実に美味い。もう少しすればオクラやきゅうりやピーマンができるので楽しみ。
以前は定番でブルーチーズやカマンベールチーズなどをつまんでいたのに、実にヘルシー路線になった。

きょうの写真は安曇野。昨年撮影。
仕事で行った先の近くの川。この時期の信州はとても瑞々しい。
ぼくのチョイワルな愛車も登場。D100
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フィクションのようなノンフィクション

2006年04月12日 21時37分14秒 | D100
昨日は湿っぽい話をしてしまいました。

今さっき、妻の母を連れて夜桜を見に行ってきました。
昨日一昨日のブログに登場した桜です。それぞれとても特徴のある桜で美しいです。この2本は数十メートル離れてます。

きょうの話は数年前の話なんだけど、とても印象に残っている話なんです。
ぼくの叔母の友人の話です。個人が限定できない程度に書きます。

その女性は学校を卒業して某有名企業に就職した。
就職してまもなく社内恋愛して寿退社し、その後は専業主婦となった。
数十年の結婚生活はご主人の単身赴任が多く、実質母子家庭だった。
そのご主人は単身赴任先で不倫。
離婚を迫られたけど彼女は離婚しなかった。
お子さんが結婚するまで離婚をしたくなかったのかもしれない。

五十歳のとき彼女は普段はしない懸賞に応募した。
理由は彼女が大好きなあるピアニストのコンサートチケットが1等賞だったから。

そして見事1等賞を当てて旅券とコンサートチケットを手にしてしまった。
そのコンサートの場所はパリ。
彼女にとっては初めての外国だった。

初めてのパリでパリの魅力にとりつかれた彼女は、その国の人と言葉を交わしたいという気持ちになり帰国してからフランス語を学び始めた。
彼女の目標は3年後自分の言葉でパリを旅することだった。

3年後、彼女はもう一度パリを訪れた。
一人旅で心細くて、初老のご婦人にフランス語で道を尋ねた。
そのご婦人は友人夫婦とパリに来ていたそうで、皆で親切に案内してもらった。そのご夫婦は偶然ご婦人のところに遊びに来ていた北欧の国の方で、奥様はフランス語を話し、ご主人はドイツ語だけ話せた。

お礼の手紙を出したいとそのご婦人の住所とお名前を聞いた。

彼女は日本に帰ってお礼の手紙を書いた。
数年間、そのご婦人とそのときいっしょだったご夫婦との手紙の交換が続いた。

数年後、そのご夫婦の奥様がお亡くなりになったが、残った彼との手紙の交換が続いた。そして彼は彼女に恋をしてしまった。

数年後彼女は彼にプロポーズされた。
そのとき既に彼女は60歳を越え、彼は70をゆうに越えていた。
彼女はずっと別居のご主人との離婚を決意し、その彼との結婚を選んだ。
そして北欧の地へ飛び立った。
今、彼女は幸せに暮らしている。



嘘のような本当の話です。人生なにがあるかわからないですね。
大事なのは誠意と強い愛かな・・

きょうの写真はさきほどばあちゃんを連れて見た桜。
年寄はさっさと見てさっさと帰りたがる。ほんの数枚写したうちの1枚。

あまりに近所の桜なので、有難味にかけるのだろう。D100
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桜咲く頃

2006年04月10日 15時58分49秒 | D100
ここを読んで下さってる皆さん、ときどき暗くてごめんなさい。
軽く読み飛ばしてください。読まなくても結構です。
写真だけ楽しんでください。

雨がずっと降り続けてる。雨の日は心が沈む。

4年前の彼岸桜の咲き始めた日に友達が突然いってしまった。
新聞にも載るほどの出世頭で将来を期待されてた。以前は二人でかなりの回数テレビや雑誌や新聞に出た。信州博というイベントでは、ぼくと彼の写った巨大パネルが1年間メインホールに飾られてた。探して見つからず、見上げたらでかすぎて二人で笑った。その年は信州のJAのポスターにも二人で載ってた。
地域の広告塔になれればそれも良しと二人でよく語った。

年もいっしょ。近所で趣味が同じで気のいい奴で、将来の地域のビジョンを酒も飲まずによく語り合った。

彼の最後の仕事はふたりで中学校の授業でカヌーを教えたことだった。
最後のスクールのとき、彼はプールには現れず謝りの電話があった。
「これから病院に行くよ」
その日から仕事に戻ることはなかった。
少しだけ退院したときも彼の家で夢を語った。ぼくは仕事があったので10分だけの約束だったけど、半日語り合った。

元気な頃はよく二人でカヌーで川下りをした。下りながら夢を語った。
でも最後はあまりにあっけなく唐突にいなくなってしまった。
もっとゆっくり生きればよかったのに。

今も時々彼の墓に話をしにいく。
季節の果物やどうでもいいものを置いてくる。ご家族にはご迷惑なこととも思う。

それから半月後、ソメイヨシノが咲く頃、もう一人趣味でぼくのフォローをしてくれてた2歳年上の友人をなくした。多趣味な人で尺八の先生でもあった。
ぼくの至らないところをフォローして、こまめに裏方をしてくれる人だった。
亡くなる前々日に会って、週末彼の出演するラジオ番組の下打ち合わせをした。
生放送に穴を空けられないので、その時はぼくが彼の代わりに出演した。

趣味といえども中途半端に背中を押されて前に出て、実のところ純粋に楽しめない。

朝から晩まで体がふやけるほどカヌーをしててもまだ乗りたかった頃があった。
その頃を境に趣味も行政も興味が失せてしまった。
そして中途半端で駄目な自分がここにいる。
父のこと、友人のこと・・・桜は綺麗だけど明るい花ではない。
それもこれもみんな包み込んで、笑って花見をしたい。

今週末の父の法事には、ソメイヨシノはきっと綺麗に咲いてくれるだろう。
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2006年03月29日 00時13分43秒 | D100
我が家の庭の梅が咲き始めた。
昨年はひとつも花を付けなかった。
剪定業者が刈りすぎたためだ。
一昨年はバケツ6杯ほどの実をつけて、ジャムを鍋3杯と梅酒、梅ウイスキー漬けなどを作った。
梅酒はまだちびちびと飲み続けている。

今年はまた梅酒を漬けられそう・・・むふふ
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日野コンテッサ

2006年03月13日 11時18分16秒 | D100
先週末の研修旅行の帰り道に石川県の自動車博物館に寄った。
懐かしい車の数々を飽きることなく拝見させていただいた。

父が昔乗っていた車たちのいくつかを見ることができた。
ダイハツの三輪車、マツダの三輪車、日野ルノー、日野コンテッサ・・・・

日野コンテッサは空冷のリアエンジンリアドライブの車。リアエンジンであるために、走行中のエンジン音は案外少ない。これは初代のフォルクスワーゲンビートルも同様だった。

40年前のぼくの生家は車や蓄音機、テレビなど、まだ近所では珍しいものが揃っていたところを見ると、それなりに裕福だったのかもしれないが、父は家族旅行などをすることはほとんどなかった。母はそれ以上にどこにも出かけることがない人だった。

コンテッサに乗せてもらって、数十キロの距離にある諏訪湖に出かけたことがあったが、そのときはこのコンテッサが故障して大変な目に遭った。父は普段は日野ブリスカやルノーに乗っていたのでぼくがコンテッサに乗せてもらうことはほとんどなく、この故障の時と、工場のすぐ近くの家のお嬢さんを乗せた時と、コンテッサからコンテッサに乗り換えた時などほんの数回だけだと思う。
そのお嬢さんは母よりずっと若く綺麗な人だったように記憶している。母以外の女性というものがよくわからない少年だったが、母には言うまいと子供心に思った。父は普段絶対買ってくれない缶ジュースを買ってくれた。その当時長野県限定で発売されていたドクターペッパーというコーラのような飲み物で、缶の1/3も飲んだら胃の中がぱんぱんになった。助手席に座るお嬢さんの膝の上に座り無理してドクターペッパーを飲みながら、ぼくは爆竹を仕込んだ蛙を思い浮かべていた。
「かわいいね」と言われてなにも言えなかったことと、ぼくの体を抱えて「細いね」って耳元で言われたことが記憶に残っている。
もう一度の乗り換えの時は新車のコンテッサを運転し始めて10分ほど経った時に、父が止まっているダンプカーに突っ込んだ。このときの記憶は曖昧だが、家の近くの上松医院で頭に刺さったガラスを抜いてもらったと記憶している。今はダンプカーのバンパーに追突車が潜り込まないようにバーが入っているが、それがない時代だった。
父が怪我をしたという記憶もないし、謝られた記憶もない。自分が車嫌いになることもなかったし、父を嫌うこともなかった。

事故以降しばらく、ぼくは車に乗ることはなく、出歩くよりも一人でいることが増えたように思う。
一人で窓の外を眺めて、そこから見える風景を絵にすることが多くなったと記憶している。

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メダル

2006年02月23日 17時09分18秒 | D100
トリノオリンピックも終りに近付いてる。
予想通りなんだろうけど、メダルが取れない。頑張っていない人はいないし、メダルがほしくない人なんていない。
それはどこの国の人もいっしょ。

明日の早朝は女子フィギュアスケート。
浅田真央選手は年齢が壁で諦めるとしても、彗星のごとく現れた中野由香里さんは選考基準が壁となり行けなかったことは残念。
前年度の実績やテレビコマーシャルなどの関係で安藤選手を選考から外せなかったという裏話があるけど、一番旬で一番視聴率のよかった中野選手を出してあげたかったなあ。
メダルはほしくないという選手を応援する気になれない。素直にほしいと言ってほしい。
それにここに来てウエストが7cmも締まるなら選考会の頃はやる気がなかったのかな・・・
メダルはほしくない、選ばれた限りは誰にも文句は言わせない、オリンピックが終わったらプロに行くかもしれないなどなど、なんともお粗末な発言が多い。
まだ高校生なんだから、普通に楽しみ普通に喜べばいいのに。

とはいうものの、オリンピックに行ったということは一生の宝物。
この宝が大事なものだとわかるのは、ずっとずっと先だろうけど、大切にしてほしい。

きょうの写真は信州上田の別所温泉の近くにある「無言館」という美術館の付帯施設の窓。
無言館には、第二次世界大戦により、絵を愛しながらも命を絶たれた画学生たちの作品が納められている。戦争という現実はぼくの生活の中で意識することは少ないけれど、こういう場所でその悲惨さを痛感させられる。

絵とスポーツ、形は違えど、若くして才能を絶たれて発表の場を無くした人たちの分も、その場を与えられた人たちには頑張ってほしいと思う。
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ムーンブルー

2006年02月10日 16時30分39秒 | D100
時々長距離を移動することがある。我が家に着いてガレージに車を入れる。
エンジンを止めてオレンジ色一色のパネルを消すと、とても静かなことに気付く。

ガレージの外は静まり返っていて、星がとても多い。
南アルプスと中央アルプスに挟まれたぼくの住む町は深夜になれば月と星が山々を照らす。
ガレージから自宅玄関までの20mほどを歩きながらカシオペアを探すのが癖になってる。

こぼれるような星を見ているとなぜかいろんな情景が浮かんで、意味もなく鼻の奥がつんとしてしまう。

数日前に降った雪は田畑を覆って、月の明かりはいっそう青みを増している。


このCDいいよって友達に紹介されたのがスティービーの新譜。
その中の1曲「ムーンブルー」
深夜に星を見たときと似た、切ない気持ちにさせてくれる曲。

とても好きです。



きょうの写真は一昨年D100で撮影した西郷山公園での1枚。
東京に滞在している時に深夜にアイデアが煮詰まると、この公園のベンチに座って、コーヒーを飲みながら池尻方面を眺めて時を過ごすことが多い。
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