今日は午前中にカヌー教室があり、午後からは用事があって母の生家に寄った。
家は既に他の人が住んでいるし、祖父母の両親も既にいないので、ほとんど寄ることがない。
そこから50mくらいのところに小さな小さな動物園がある。
無料で入れるその動物園に足を踏み入れたのも久しぶりだった。
赤ちゃんを連れた若い夫婦たちが目立つ。
絵を描くことが好きだったぼくは、小学校の頃ここでよく写生をした。
豆炭を売っていた祖父に、品川豆炭の看板をもらい、それを画板代わりにした。
時々は母と二人でその家に泊まり、意味もなく時間を過ごしたこともあった。
ぼくの知る限り、祖父母が病弱になる以前は父はその家に入ることはなかった。
父の両親である祖父母もそこに寄ることはなかった。
母と夏泊まるときは、いつも蚊帳をつった。
あの独特の匂い・・・ 蚊帳と雪見障子越しに見る庭の蛙の置物・・・
炭の匂い・・・ 母の匂い・・・・
休日を楽しむ若い親子連れの中を一人、テンポをはずしたようにのんびりと立ち止まることなく動物園の中を歩いて抜けた。
小学生の頃に品川豆炭の鉄板の画板で嬉々として絵を描いている自分とすれ違った気がした。
実家に帰っていた母は今のぼくより遥かに若く、既にぼくは母の亡くなった年に近付いている。子から見た母は母以外の何者でもないけれど、人として女として妻として、いろんな悩みを抱えていたのかもしれない。
答えを返してくれなくなってからのほうが母の存在感は大きい。
きょうの写真はその小さな動物園にある小さな電車の線路と電動の乗り物。
R-D1 + HEXANON35mmF2
家は既に他の人が住んでいるし、祖父母の両親も既にいないので、ほとんど寄ることがない。
そこから50mくらいのところに小さな小さな動物園がある。
無料で入れるその動物園に足を踏み入れたのも久しぶりだった。
赤ちゃんを連れた若い夫婦たちが目立つ。
絵を描くことが好きだったぼくは、小学校の頃ここでよく写生をした。
豆炭を売っていた祖父に、品川豆炭の看板をもらい、それを画板代わりにした。
時々は母と二人でその家に泊まり、意味もなく時間を過ごしたこともあった。
ぼくの知る限り、祖父母が病弱になる以前は父はその家に入ることはなかった。
父の両親である祖父母もそこに寄ることはなかった。
母と夏泊まるときは、いつも蚊帳をつった。
あの独特の匂い・・・ 蚊帳と雪見障子越しに見る庭の蛙の置物・・・
炭の匂い・・・ 母の匂い・・・・
休日を楽しむ若い親子連れの中を一人、テンポをはずしたようにのんびりと立ち止まることなく動物園の中を歩いて抜けた。
小学生の頃に品川豆炭の鉄板の画板で嬉々として絵を描いている自分とすれ違った気がした。
実家に帰っていた母は今のぼくより遥かに若く、既にぼくは母の亡くなった年に近付いている。子から見た母は母以外の何者でもないけれど、人として女として妻として、いろんな悩みを抱えていたのかもしれない。
答えを返してくれなくなってからのほうが母の存在感は大きい。
きょうの写真はその小さな動物園にある小さな電車の線路と電動の乗り物。
R-D1 + HEXANON35mmF2
ミントンさんもそうでしたか。
ふっと若かった頃の自分とすれ違った気がする時って・・・・今まであまりそんな気持ちになったことありませんでしたが、ミントンさんの表現の仕方がなんとも切なくて、思わず私もそんなミントンさんを見かけてしまったような気がしてしまいました~
私も存在感のある母親になれているのかな~
こんな年になっても心は未熟なのに体は老いが始まっています。
いっしょに頭を下げてくれた親、いっしょに夢見てくれてた親。小さい時、大人になってから、いろんなときにもらった親の言葉を、今の自分に投げかけてもなにも答えにならないのかもしれないけど、屁理屈や言い訳ができない分、心の中で謝ったり、自分を戒めたりするしかないです。
わかったようなことを言いますが、実のところ、とてもじゃないが聖人にはなれていませんねえ^^
いない分、ずっと昔の親の一言なんぞがやけに重いんですよ。
子供の頃、岩手の典型的な”南部まがりや”の祖母の家へ夏休みに帰省したとき、蚊帳をつってもらってそれが不思議で怖くて母親にしがみついて眠ったことを思い出しました。
軍馬と凛々しい兵隊さんの写真が額に入って、何枚も壁に吊ってある部屋でした。
「どの馬もうちから出征したんだよ」と祖母が言っていました。
夜中にトイレに行くのに馬舎(数頭ですが)の横を通らなきゃ行けないんですが、月明かりの中、馬が大きな目で見つめるので怖くて泣き出しちゃったりしました。
うーん、mintonさんの写真と文章は何時も心の奥底に埋もれてしまった記憶を”すっ”と浮かび上がらせてくれますね、不思議だ(笑
arcticcharさんのご実家は由緒あるお家なんですね。
蚊帳ってどこか怖いと思うのはぼくだけじゃなかったんですね。
蚊帳越しに見る庭の景色は、昼の庭とは異なり、どこか怪しげで蚊帳から出ることが怖くなりました。
御不浄の外には手洗い水と手ぬぐいがあって、その手ぬぐいが揺れるだけでも怖かったです。
やはりお母様の存在は大きかったのですね。
私も自分が母になった今、子供達にそんな素敵な言葉を残してあげてるかなって考えてみました。
母というと自分の母しか想像してませんでしたけど
子供にとって当たり前だけど私も母なんですよね。
自分なりには季節をご飯に取り入れたりとそんな工夫はしてるつもり。
いつか、あんな時にこんなものを作ってくれたと懐かしく思ってもらえるかしら。
親の何気ない言葉は良くも悪くも子供にはずっと残ります。ぼくも何気なく言った言葉が子供には大きいんだろうと思います。
最近は子供達と会話を持つようにしています。
甘やかしてしまって、すごく大事なことを教えてこなかったと今頃反省しています。
本当にそうですね。
答えてくれないから、父だったらどう言うだろうって考えちゃいます。
家の家族はみんな困ったときに、「父だったら…」って考えてます。
こんなふうに考えることも
親が与えてくれたものなのでしょうか。
それは悲しいとか寂しいっていうよりも、今まで自問自答してた対象が、心の中のお父上になっていたりっていう感じなんじゃないかなって想像してます。
いつまでもい続けてもらえる御父上も幸せです。愛し続けられる御父上をもったことも幸せです。せめてそう思って頑張ってくださいね。