平成26年6月22日(土)14:00~
浜田市こども美術館 「はまだの美術」 ナビ 上坂 美礼
会場 伊藤 素軒(いとう そけん)の部屋
来場者 高校生2名
浜田市内から「みるみるの会」を求めて来場した女性 3名くらい
描く連のみなさま 4名
みるみるの会員 4名
市内学芸員 2名
大阪より 1名
さて、鯉を描いた作品を2点見て、感じたことや考えたことを述べあった後、来場者のみなさんへ、三つめの作品に視点を移すように促した。
「何が描かれているでしょうか。」と、皆で注視している作品について、改まって問うた。
挙手をした方からは「鶏が見えます。」という発言があった。「鶏だと思ったのは、どうしてですか。」とナビである私は問い、「鶏冠があって、くちばしが見えます。」と根拠を述べてもらった。このような、当たり前に見えているようなことを、あえて言い表す問答に一体どのような意味があるのか。この時点で、その意義は定かではないが、とりあえず、「何が見えているか。」「この絵の中で何が起こっているか。」言葉にすることから、みんなで見ることは出発するのだという信念だけは確かにあり、始めた問答である。後の反省会で分かったことだが、共に鑑賞したある人から、この最初のやりとりについては不可思議であるという疑問も抱いたが、もしかしたら、その後の思考につながる一石になっていたのではないかという意見を伺った。このことから、あえて言葉にすることが、いかに思考を整理するか、改めて考える機会となった。
目の前に鶏が横たわっている、という発言に後、間もなく「その鶏は息絶えている。」という発言があった。眼に白い膜がかかっているようで生気が感じられないから、という根拠も述べられた。画面の左上に陶器が描かれているという気づきも語られた。横たわっているこの鶏は、お祝いか何かで食べるために絞められた鶏ではないかという発言もあった。そして、この作品からは、お祝いで嬉しいという感じより、何かもの悲しさを感じると青年は述べた。そのような感じ方に、ナビである私もすっかり鑑賞者の一人となって、ほうっと絵に見入っていた。人間が生きるために、食肉用に絞められている鶏の絵であるということは理解していたが、「もの悲しさ」まで語られると、そうであろうことには違いないが、その「もの悲しさ」をいったい自分はどのように感じ取っているだろうかと改めて逡巡したい気持ちにもなった。うむ、と鑑賞者の一人となり、作品を見て、また、鑑賞者の様子に目を向けると、後ろの方に座っている十代の男性が挙手をした。さきほどの青年よりも、さらに若い。高校生だと後に分かったのだが、彼の発言にも感銘を受けた。
「僕もこの鶏は息絶えていると思います。それは、周囲に描かれている枯葉の様子から伺えます。また、左上の器の中は水も入っていない、空っぽの状態に見えることからも、もうすでに生きてはいない様子が伺えます。」と述べた。彼の発言は、どこか「もの悲しさ」を起因させている要素について述べられているのでは、と改めて感心する。咄嗟にそのような判断をする術もなく、ナビである私も、それから来場者一同も、彼の読み取りに感嘆し、ただただ、おおっと息を飲んだのだった。
その後、横たわる鶏の絵は、先ほどの鯉の絵を描いた画家が描いた油彩であることなども鑑賞者から明言された。描いた年代をキャプションで確認すると、鯉の絵は戦後の作品で、鶏の屍を油彩で描いたのはもっと以前のことであることが指摘された。この画家が本当に描きたかったのは、頼まれて描いた鯉の絵ではなく、この油彩のように、自分の内なるものを表す作品ではなかったかという視点も述べられた。
ナビである私は、伊藤素軒は鯉の絵も楽しんで描いていたのではないかと考えていたが、私見は述べるべからずと、ふむふむ、とうなずくのみ。
津和野近くの日原出身で、森鴎外とも通信していたということから、津和野の鯉を実際に目にして育った画家ではないかという憶測もある。何より、2点の鯉の絵から、生きているような鯉の躍動感を描ききった画家は、鯉に自分の生命を投影させていたのではと考えるのだが、今回の3点を見て抱く勝手な感想である。暮らしのために頼まれて鯉を描いて生活をしていたそうだが、若き日に渡米して油彩画を学び、アメリカでも教壇に立ったという青年期を鑑みても、画で生計を立てようと志した伊藤素軒の画業を語るにあたり、鯉の絵だって彼の生命を削って描いたものではないだろうかというのが、私の見解である。日原歴史民俗資料館に、スケッチなども残っているそうなので、今後、改めて拝見したいところだなぁと考えた。
40分の鑑賞会のリミット時間になったので切り上げた。私の切り上げ方が唐突だったこともあり、続けて学芸員の神さんの解説が始まった。今回の展覧会開催に向け、伊藤素軒をはじめ、展覧会の作品を調査して、多くの人に見てもらいたいと展示につなげ、奔走した学芸員の神さんの話は興味深かった。伊藤素軒が欅に描いた鯉の絵が浜田市内のとある場所から借りてきた作品であることや、絹本に描いた鯉の作品が浜田市からの委託で描かれた名誉ある作品であること、また、油彩の鶏の絵から伺えることは、若き日に日本画を学んだ後に渡米して油彩画を学び、画家として身を立てようと苦心した伊藤素軒の生涯なども述べられた。「伊藤素軒といえば鯉の絵」という固定化された評価は未だ脱却され得ず、伊藤素軒の油彩画についてはあまりに評価されなさ過ぎる現状について神学芸員は憂いた。インターネットオークションで伊藤素軒の油彩画を見つけたら、ぜひ落札するようにと勧めることも忘れなかった。
みるみるの会の鑑賞会を始める数分前に、森鴎外と伊藤素軒の関係について私は神学芸員に質問していた。事前に、伊藤素軒は『ミレエ伝』というテキストを残しているようで、森鴎外がその著述に対して序文を記したとかしないとか、そのあたりのことを題材にした研究が国立国会図書館におさめられているようだ、とネット検索から見つけ、気になったためだ。その話をすると、一次資料に触れたことのある神さんは、森鴎外は序文を書かず、伊藤素軒の著述に添削を施して返したことから、二人の人間関係が伺えると教えてくれた。
そのことについて、みむみるの鑑賞会で私は触れなかった。
神さんは鴎外とのエピソードにも触れ、伊藤素軒の画業人生について語った。
神学芸員の見解では、鶏の油彩画は生活のために請われて鯉の絵を描かざるをえなかった伊藤素軒が、洋画家である自分のプライドを封じ込め、食べるために売れる絵を描かざるを得なかった自分自身をなぞらえた自画像のように見えると述べた。
私は鑑賞者の一人として、鯉も自画像ではないかと述べたい気持ちはあった。鶏の絵は、売れるとか鑑賞者に受け入れられるといった他者へおもねる視点ではなく、心に留まった一瞬を描きたいという欲求が描かせたものだとは思う。鯉の絵は、描いてほしいと請われ、対価を約束されて描いたものかもしれない。みるみるの鑑賞会の前に、神学芸員からそっと教わったことだが、後年の伊藤素軒は鯉のうろこがクロスステッチのようにおざなりな描き方をしているものもあって、そこが残念と述べていた。それにしても日原の歴史民俗資料館が所有しているスケッチがスゴイ!と絶賛し、今回は残念ながら公開できなかったと悔しそうに語っておられたのだった。
どうして伊藤素軒の作品が気になったのか。
みるみるの会で、みんなで鑑賞して分かったことも多かった。
鑑賞会が始まる前に私が緊張した面持ちで欅の鯉の絵を見ていると、いつもみるみるの会の鑑賞会に参加してくださっているある方が、「今日の鑑賞会は、売るために描かれた絵と、売るために描いたわけではない絵の違いが、どのように絵のなかに表れているかが明らかになるかどうか、そこが問題かもしれないね。」と、そっと声をかけてくださった。
売れるか売れないか、画題の選び方もあるだろう。鯉は立身出世を示唆する画題としても古くから親しまれていたし、みるみるの鑑賞会でも話題になったように、富の象徴でもあったと考えられる。古来からの画題である鯉を、図式的にではなく、生命力あふれる写実的な表現で人気を博したのだとしたら、もしかしたら洋画を学び、写生を繰り返した伊藤素軒だからこそ、描き得た表現だったからではないだろうか。趣味で絵を描くのではなく、生涯をかけて、生業として絵を描くことを選んだ人生に敬意を払いたいという気持ちもあり、気になったのだと考え至る。直感的に選びはしたが、鯉の作品の魅力について様々な視点が得られたのは、みるみるの会で多くの人から感想をいただいたからだ。
伊藤素軒は川端龍子よりおよそ10年早く生まれている。渡米し、西洋画で身を立てようと志したところに二人の共通点がある。川端龍子はボストン美術館にて鎌倉時代の絵巻「平治物語」を見て感動し、帰国後、日本画へ転向したとか。「床の間芸術」から脱却し、「会場芸術」としての日本画を主張した川端龍子の華々しい画家人生に影響を与えた「平治物語」絵巻。伊藤素軒は二十代の頃に日本画を学び、三〇代で渡米し、ボストン美術館で「平治物語」絵巻を模写した後に、本格的に洋画を学んだという。
伊藤素軒の画業について、もうちょっと詳しく知りたくなった。日原の歴史民俗資料館にも足を運んでみたいし、森鴎外との関係も気になる。ボストン美術館の「平治物語」も目にしてみたい。
日原に残っていた伊藤素軒の生家は、二、三年前に取り壊されたそうである。残された作品や伊藤素軒のことが書き記されている文献などからも画家の足跡が伺えるのではないかなと、好奇心は尽きない。
いつも作品に対して熱い想いをもって臨んでいることがわかりますね。想いが熱いから、きっと鑑賞者の発言に納得したり感心させられて、ナビ忘れちゃうんでしょうね・・・。そういうのがひしひしと伝わってくる「伊藤素軒」作品のレポート完結編でした。
浜田市こども美術館 「はまだの美術」 ナビ 上坂 美礼
会場 伊藤 素軒(いとう そけん)の部屋
来場者 高校生2名
浜田市内から「みるみるの会」を求めて来場した女性 3名くらい
描く連のみなさま 4名
みるみるの会員 4名
市内学芸員 2名
大阪より 1名
さて、鯉を描いた作品を2点見て、感じたことや考えたことを述べあった後、来場者のみなさんへ、三つめの作品に視点を移すように促した。
「何が描かれているでしょうか。」と、皆で注視している作品について、改まって問うた。
挙手をした方からは「鶏が見えます。」という発言があった。「鶏だと思ったのは、どうしてですか。」とナビである私は問い、「鶏冠があって、くちばしが見えます。」と根拠を述べてもらった。このような、当たり前に見えているようなことを、あえて言い表す問答に一体どのような意味があるのか。この時点で、その意義は定かではないが、とりあえず、「何が見えているか。」「この絵の中で何が起こっているか。」言葉にすることから、みんなで見ることは出発するのだという信念だけは確かにあり、始めた問答である。後の反省会で分かったことだが、共に鑑賞したある人から、この最初のやりとりについては不可思議であるという疑問も抱いたが、もしかしたら、その後の思考につながる一石になっていたのではないかという意見を伺った。このことから、あえて言葉にすることが、いかに思考を整理するか、改めて考える機会となった。
目の前に鶏が横たわっている、という発言に後、間もなく「その鶏は息絶えている。」という発言があった。眼に白い膜がかかっているようで生気が感じられないから、という根拠も述べられた。画面の左上に陶器が描かれているという気づきも語られた。横たわっているこの鶏は、お祝いか何かで食べるために絞められた鶏ではないかという発言もあった。そして、この作品からは、お祝いで嬉しいという感じより、何かもの悲しさを感じると青年は述べた。そのような感じ方に、ナビである私もすっかり鑑賞者の一人となって、ほうっと絵に見入っていた。人間が生きるために、食肉用に絞められている鶏の絵であるということは理解していたが、「もの悲しさ」まで語られると、そうであろうことには違いないが、その「もの悲しさ」をいったい自分はどのように感じ取っているだろうかと改めて逡巡したい気持ちにもなった。うむ、と鑑賞者の一人となり、作品を見て、また、鑑賞者の様子に目を向けると、後ろの方に座っている十代の男性が挙手をした。さきほどの青年よりも、さらに若い。高校生だと後に分かったのだが、彼の発言にも感銘を受けた。
「僕もこの鶏は息絶えていると思います。それは、周囲に描かれている枯葉の様子から伺えます。また、左上の器の中は水も入っていない、空っぽの状態に見えることからも、もうすでに生きてはいない様子が伺えます。」と述べた。彼の発言は、どこか「もの悲しさ」を起因させている要素について述べられているのでは、と改めて感心する。咄嗟にそのような判断をする術もなく、ナビである私も、それから来場者一同も、彼の読み取りに感嘆し、ただただ、おおっと息を飲んだのだった。
その後、横たわる鶏の絵は、先ほどの鯉の絵を描いた画家が描いた油彩であることなども鑑賞者から明言された。描いた年代をキャプションで確認すると、鯉の絵は戦後の作品で、鶏の屍を油彩で描いたのはもっと以前のことであることが指摘された。この画家が本当に描きたかったのは、頼まれて描いた鯉の絵ではなく、この油彩のように、自分の内なるものを表す作品ではなかったかという視点も述べられた。
ナビである私は、伊藤素軒は鯉の絵も楽しんで描いていたのではないかと考えていたが、私見は述べるべからずと、ふむふむ、とうなずくのみ。
津和野近くの日原出身で、森鴎外とも通信していたということから、津和野の鯉を実際に目にして育った画家ではないかという憶測もある。何より、2点の鯉の絵から、生きているような鯉の躍動感を描ききった画家は、鯉に自分の生命を投影させていたのではと考えるのだが、今回の3点を見て抱く勝手な感想である。暮らしのために頼まれて鯉を描いて生活をしていたそうだが、若き日に渡米して油彩画を学び、アメリカでも教壇に立ったという青年期を鑑みても、画で生計を立てようと志した伊藤素軒の画業を語るにあたり、鯉の絵だって彼の生命を削って描いたものではないだろうかというのが、私の見解である。日原歴史民俗資料館に、スケッチなども残っているそうなので、今後、改めて拝見したいところだなぁと考えた。
40分の鑑賞会のリミット時間になったので切り上げた。私の切り上げ方が唐突だったこともあり、続けて学芸員の神さんの解説が始まった。今回の展覧会開催に向け、伊藤素軒をはじめ、展覧会の作品を調査して、多くの人に見てもらいたいと展示につなげ、奔走した学芸員の神さんの話は興味深かった。伊藤素軒が欅に描いた鯉の絵が浜田市内のとある場所から借りてきた作品であることや、絹本に描いた鯉の作品が浜田市からの委託で描かれた名誉ある作品であること、また、油彩の鶏の絵から伺えることは、若き日に日本画を学んだ後に渡米して油彩画を学び、画家として身を立てようと苦心した伊藤素軒の生涯なども述べられた。「伊藤素軒といえば鯉の絵」という固定化された評価は未だ脱却され得ず、伊藤素軒の油彩画についてはあまりに評価されなさ過ぎる現状について神学芸員は憂いた。インターネットオークションで伊藤素軒の油彩画を見つけたら、ぜひ落札するようにと勧めることも忘れなかった。
みるみるの会の鑑賞会を始める数分前に、森鴎外と伊藤素軒の関係について私は神学芸員に質問していた。事前に、伊藤素軒は『ミレエ伝』というテキストを残しているようで、森鴎外がその著述に対して序文を記したとかしないとか、そのあたりのことを題材にした研究が国立国会図書館におさめられているようだ、とネット検索から見つけ、気になったためだ。その話をすると、一次資料に触れたことのある神さんは、森鴎外は序文を書かず、伊藤素軒の著述に添削を施して返したことから、二人の人間関係が伺えると教えてくれた。
そのことについて、みむみるの鑑賞会で私は触れなかった。
神さんは鴎外とのエピソードにも触れ、伊藤素軒の画業人生について語った。
神学芸員の見解では、鶏の油彩画は生活のために請われて鯉の絵を描かざるをえなかった伊藤素軒が、洋画家である自分のプライドを封じ込め、食べるために売れる絵を描かざるを得なかった自分自身をなぞらえた自画像のように見えると述べた。
私は鑑賞者の一人として、鯉も自画像ではないかと述べたい気持ちはあった。鶏の絵は、売れるとか鑑賞者に受け入れられるといった他者へおもねる視点ではなく、心に留まった一瞬を描きたいという欲求が描かせたものだとは思う。鯉の絵は、描いてほしいと請われ、対価を約束されて描いたものかもしれない。みるみるの鑑賞会の前に、神学芸員からそっと教わったことだが、後年の伊藤素軒は鯉のうろこがクロスステッチのようにおざなりな描き方をしているものもあって、そこが残念と述べていた。それにしても日原の歴史民俗資料館が所有しているスケッチがスゴイ!と絶賛し、今回は残念ながら公開できなかったと悔しそうに語っておられたのだった。
どうして伊藤素軒の作品が気になったのか。
みるみるの会で、みんなで鑑賞して分かったことも多かった。
鑑賞会が始まる前に私が緊張した面持ちで欅の鯉の絵を見ていると、いつもみるみるの会の鑑賞会に参加してくださっているある方が、「今日の鑑賞会は、売るために描かれた絵と、売るために描いたわけではない絵の違いが、どのように絵のなかに表れているかが明らかになるかどうか、そこが問題かもしれないね。」と、そっと声をかけてくださった。
売れるか売れないか、画題の選び方もあるだろう。鯉は立身出世を示唆する画題としても古くから親しまれていたし、みるみるの鑑賞会でも話題になったように、富の象徴でもあったと考えられる。古来からの画題である鯉を、図式的にではなく、生命力あふれる写実的な表現で人気を博したのだとしたら、もしかしたら洋画を学び、写生を繰り返した伊藤素軒だからこそ、描き得た表現だったからではないだろうか。趣味で絵を描くのではなく、生涯をかけて、生業として絵を描くことを選んだ人生に敬意を払いたいという気持ちもあり、気になったのだと考え至る。直感的に選びはしたが、鯉の作品の魅力について様々な視点が得られたのは、みるみるの会で多くの人から感想をいただいたからだ。
伊藤素軒は川端龍子よりおよそ10年早く生まれている。渡米し、西洋画で身を立てようと志したところに二人の共通点がある。川端龍子はボストン美術館にて鎌倉時代の絵巻「平治物語」を見て感動し、帰国後、日本画へ転向したとか。「床の間芸術」から脱却し、「会場芸術」としての日本画を主張した川端龍子の華々しい画家人生に影響を与えた「平治物語」絵巻。伊藤素軒は二十代の頃に日本画を学び、三〇代で渡米し、ボストン美術館で「平治物語」絵巻を模写した後に、本格的に洋画を学んだという。
伊藤素軒の画業について、もうちょっと詳しく知りたくなった。日原の歴史民俗資料館にも足を運んでみたいし、森鴎外との関係も気になる。ボストン美術館の「平治物語」も目にしてみたい。
日原に残っていた伊藤素軒の生家は、二、三年前に取り壊されたそうである。残された作品や伊藤素軒のことが書き記されている文献などからも画家の足跡が伺えるのではないかなと、好奇心は尽きない。
いつも作品に対して熱い想いをもって臨んでいることがわかりますね。想いが熱いから、きっと鑑賞者の発言に納得したり感心させられて、ナビ忘れちゃうんでしょうね・・・。そういうのがひしひしと伝わってくる「伊藤素軒」作品のレポート完結編でした。
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