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愛媛県の先生方の授業を参観したレポート(その2)をお届けします!
平成28年度地域の核となる美術館・博物館支援事業
児童・生徒の「思考力」を育むファシリテーター育成事業
「見て、考えて、話して、聴いて」 2年2組 是澤充広教諭 美術科(鑑賞)レポート
2016年11月21日(月)9:40~10:30 西予市立野村中学校 2年2組教室
島根県出雲市立浜山中学校 教頭 春日美由紀
(愛媛県美術館・博物館・小中学校共働による人材育成事業②参与観察調査者)
早起きをしたその日の朝、車は高速道路を一路南予地区へと向かっていた。愛媛の地理に不案内な私は靄に包まれた山間の風景を眺めながら、「南予って海じゃないの?」という疑問が頭をもたげ、「ずいぶんな山間ですね。海は無いのですか?」と訊ねると「西予は盆地です。ちょっと高原に近い感じなので、冬には雪も積もります。海は昼から行く宇和島方面ですね。」という答えが返ってきて、愛媛の温暖というイメージが間違っていることに気付いた。そういえば四国最高峰の石鎚山もあり、四国山脈があるのだから、高原もあれば雪も降るだろうと思い至った。そうこうしているうちに車は目的地である野村中学校に到着した。
野村中学校はグランドが天然芝に覆われて眼にも鮮やかなグリーンだった。冬芝に植え替えたばかりだという。高地のせいか幾分肌寒さを感じる。通された控室の隣の教室からは1時間目の授業を受ける生徒の声が響いていた。2時間目は2年2組の教室で授業があるとのことで早めに向かった。廊下ですれ違う生徒や教室にいる生徒誰もが「こんにちは。」と明るい声であいさつをしてくれる。校舎の外観はやや古びた感が否めないが、教室は明るく清潔で整理整頓が行き届いていた。また、ICT環境が整っており、短焦点プロジェクターが黒板のマグネットタイプのスクリーンに画像を投影していた。この画像は教師の手元にあるタブレットでの操作が可能で授業中の生徒の発言をスクリーン上に反映させることができ、今回の授業でも有効に機能していた。
さて、チャイムが鳴り、2時間目の授業が始まった。複数人の校外の大人が見守る中で授業を受ける生徒は緊張していたと思うが、誰より緊張していたのは授業者の是澤先生だったようである(後談)。始めに本時の授業の内容について触れ、「黙ってみる」ことを約束させてから作品をスクリーンに投影した。作品はピカソの《ゲルニカ》。黒板に貼られたスクリーンのため画像の大きさには限界があり、後席の生徒からは細かい描写がみえにくいのではないかと懸念していたところ「移動して、前に出てきてみてもいいですよ。」という教師の声掛けがあり、多くの生徒が前に移動して作品をじっくりとみることができた。生徒は教師の指示通り私語することなく静かにみていた。「たっぷりみれたら、席に戻っていいですよ。」という声掛けでしばらくして総ての生徒が自席に戻った。
さあ、ここからが対話型鑑賞である。先生の初句は何か?(実際、どう問いかけて始めるかというのは重要である。この問いかけにより生徒の手が挙がるか否かで、教師のこの鑑賞に対する不安な気持ちを拭い去れるか増長させられるかの分かれ目となるからである。)と期待していたところ「どんなものがみつけれましたか?(正しくはみつけられましたか?であろう)」という問いかけで始まった。バラバラと手が挙がる(ほぼ男子生徒)。折れた剣を持った人、牛、馬、荷馬車、みつけたものを挙げていく。その中で「牛」と出た時に「どうして牛にみえたの?」と根拠を問う投げかけが是澤先生から出され、「耳があって、角があるから・・・。」と描かれているものの中に根拠を示す発言がなされた。ただ、これ以外のみつけたものに対して根拠を問う「どこから?」という確認が曖昧なのが気になった。個の生徒の発言に対する教師の理解はなされていても、個の生徒以外の他の生徒の納得が得られているのかを確認していくうえでも「どこから?」と問うことはとても重要であると考える。多くのみつけたものにたいして面倒ではあるが根拠を繰り返して問う中で確認がなされその後の作品の読み取りにつながっていくからである。しかし、生徒は、級友の発言を概ね認め、各自でストーリーを紡ぎ始めていた。教師はもっと「新しいみえ方」や「発見」はないかと、よくみて考えることを促し、生徒の発言を認め、励ましていた。当初の発言は男子に偏っていたが、女子生徒の中にもうなずく姿がみられ、教師の受容的な態度に後押しされて、女子生徒からの発言も出てくるようになってきた。その時男子生徒から「上の方にケーキがある。」という発言があり、「それは、どこから?(今回初の根拠を問う投げかけ)」と問うと「丸いのがケーキで上にイチゴが載っている。」と答えた。このものにたいしては「ひらめいたときにピカッと光るマーク。」と話す生徒や「低い位置にある太陽」と話す生徒も出た。また、下方に花が描かれているのに気づく発言もあり、その後の「花は本当は何色なのだろう?」という教師の問いかけにつながっていく。中盤に「原爆の図」(作・丸木伊里:俊)を挟み込んで鑑賞することで鑑賞している作品と戦争を結び付けようとする教師の意図がみられたが、比較してみるという効果は期待ほどではなかったように思う。それより、生徒はゲルニカに惹かれ、よく「みて」「考える」ことを展開していた。終盤になってある生徒から「いろんなものをパーツを合わせて描いている。模様が似ていたりするところが。組み合わせて描いているのか?リアルに描かないことでいろんなことが考えられる。悲しい感じもするが、いろんなところをみるうちに楽しくなる、面白くなる、いろんなみえ方ができる。」という興味深い発言が出た。これはキュビズムというものを絵をよくみることで感じ取った発言かも知れないし、描かれているものが多様であることや描かれているものをみて感じる思いが多様であることに気付いた発言ともとれる非常に重みのある内容ではなかったかと思う。この発言がわずか1回の対話型鑑賞で発せられたことを大切にしていかなければならない。
是澤先生は、授業後の自評で
・いろんな意見が出てきた。こんな風に意見が出てくるとは思わなかった。
・時間が足りないくらいだった。
・限られた生徒からではあったが、たくさん意見が出た。
・うれしかったし、驚いた。
と話され、対話型鑑賞に対する不安がいくらか和らいだようだった。ただ、作品に関する一般常識的な解釈から外れることとして、上方に描かれたランプが誕生日ケーキで終わってはまずいと感じられていたようだし、知識を与えないことにも不安を感じているようだった。しかし、戦争の悲惨さを描いた作品ではあるが、生徒の発言からは、白という色に「明るさ」を感じていたり、ろうそくの灯りに「希望の光」を見出したりもしていた。戦争がもたらす「死」は暗く不幸な出来事ではあるが、「希望の」「明るさ」も秘めていると捉えられるこの作品には「再生」「誕生」の意味も込められていると捉えれば誕生日ケーキと解釈したとしても許されるのではないだろうか。
生徒は最後の振り返りのワークシートの記述に真剣に取り組んでいた。どんな記述がなされているのかが楽しみなところである。評価の研修会で生徒の記述をみさせていただきたいと思う。
協議の最後に「滅茶苦茶緊張しました。こんなに緊張するのは新採以来だと思います。」と正直な心情を吐露されたが、授業の初めに生徒に向かって緊張している自分を自己開示されていた姿からもありのままの自然体で普段から生徒に接しておられることが伝わり、情感豊かな是澤先生の人柄に触れている生徒は今日の初めての対話型鑑賞の授業でも安心して発言することができたのだなと得心することができた。
最後に、生徒を信頼し、生徒とともに対話を楽しみながら「みる・考える・話す・聴く」活動を愛媛の推進教員として今後も取り組んでいってほしいと願う。
愛媛県の先生方の授業を参観したレポート(その2)をお届けします!
平成28年度地域の核となる美術館・博物館支援事業
児童・生徒の「思考力」を育むファシリテーター育成事業
「見て、考えて、話して、聴いて」 2年2組 是澤充広教諭 美術科(鑑賞)レポート
2016年11月21日(月)9:40~10:30 西予市立野村中学校 2年2組教室
島根県出雲市立浜山中学校 教頭 春日美由紀
(愛媛県美術館・博物館・小中学校共働による人材育成事業②参与観察調査者)
早起きをしたその日の朝、車は高速道路を一路南予地区へと向かっていた。愛媛の地理に不案内な私は靄に包まれた山間の風景を眺めながら、「南予って海じゃないの?」という疑問が頭をもたげ、「ずいぶんな山間ですね。海は無いのですか?」と訊ねると「西予は盆地です。ちょっと高原に近い感じなので、冬には雪も積もります。海は昼から行く宇和島方面ですね。」という答えが返ってきて、愛媛の温暖というイメージが間違っていることに気付いた。そういえば四国最高峰の石鎚山もあり、四国山脈があるのだから、高原もあれば雪も降るだろうと思い至った。そうこうしているうちに車は目的地である野村中学校に到着した。
野村中学校はグランドが天然芝に覆われて眼にも鮮やかなグリーンだった。冬芝に植え替えたばかりだという。高地のせいか幾分肌寒さを感じる。通された控室の隣の教室からは1時間目の授業を受ける生徒の声が響いていた。2時間目は2年2組の教室で授業があるとのことで早めに向かった。廊下ですれ違う生徒や教室にいる生徒誰もが「こんにちは。」と明るい声であいさつをしてくれる。校舎の外観はやや古びた感が否めないが、教室は明るく清潔で整理整頓が行き届いていた。また、ICT環境が整っており、短焦点プロジェクターが黒板のマグネットタイプのスクリーンに画像を投影していた。この画像は教師の手元にあるタブレットでの操作が可能で授業中の生徒の発言をスクリーン上に反映させることができ、今回の授業でも有効に機能していた。
さて、チャイムが鳴り、2時間目の授業が始まった。複数人の校外の大人が見守る中で授業を受ける生徒は緊張していたと思うが、誰より緊張していたのは授業者の是澤先生だったようである(後談)。始めに本時の授業の内容について触れ、「黙ってみる」ことを約束させてから作品をスクリーンに投影した。作品はピカソの《ゲルニカ》。黒板に貼られたスクリーンのため画像の大きさには限界があり、後席の生徒からは細かい描写がみえにくいのではないかと懸念していたところ「移動して、前に出てきてみてもいいですよ。」という教師の声掛けがあり、多くの生徒が前に移動して作品をじっくりとみることができた。生徒は教師の指示通り私語することなく静かにみていた。「たっぷりみれたら、席に戻っていいですよ。」という声掛けでしばらくして総ての生徒が自席に戻った。
さあ、ここからが対話型鑑賞である。先生の初句は何か?(実際、どう問いかけて始めるかというのは重要である。この問いかけにより生徒の手が挙がるか否かで、教師のこの鑑賞に対する不安な気持ちを拭い去れるか増長させられるかの分かれ目となるからである。)と期待していたところ「どんなものがみつけれましたか?(正しくはみつけられましたか?であろう)」という問いかけで始まった。バラバラと手が挙がる(ほぼ男子生徒)。折れた剣を持った人、牛、馬、荷馬車、みつけたものを挙げていく。その中で「牛」と出た時に「どうして牛にみえたの?」と根拠を問う投げかけが是澤先生から出され、「耳があって、角があるから・・・。」と描かれているものの中に根拠を示す発言がなされた。ただ、これ以外のみつけたものに対して根拠を問う「どこから?」という確認が曖昧なのが気になった。個の生徒の発言に対する教師の理解はなされていても、個の生徒以外の他の生徒の納得が得られているのかを確認していくうえでも「どこから?」と問うことはとても重要であると考える。多くのみつけたものにたいして面倒ではあるが根拠を繰り返して問う中で確認がなされその後の作品の読み取りにつながっていくからである。しかし、生徒は、級友の発言を概ね認め、各自でストーリーを紡ぎ始めていた。教師はもっと「新しいみえ方」や「発見」はないかと、よくみて考えることを促し、生徒の発言を認め、励ましていた。当初の発言は男子に偏っていたが、女子生徒の中にもうなずく姿がみられ、教師の受容的な態度に後押しされて、女子生徒からの発言も出てくるようになってきた。その時男子生徒から「上の方にケーキがある。」という発言があり、「それは、どこから?(今回初の根拠を問う投げかけ)」と問うと「丸いのがケーキで上にイチゴが載っている。」と答えた。このものにたいしては「ひらめいたときにピカッと光るマーク。」と話す生徒や「低い位置にある太陽」と話す生徒も出た。また、下方に花が描かれているのに気づく発言もあり、その後の「花は本当は何色なのだろう?」という教師の問いかけにつながっていく。中盤に「原爆の図」(作・丸木伊里:俊)を挟み込んで鑑賞することで鑑賞している作品と戦争を結び付けようとする教師の意図がみられたが、比較してみるという効果は期待ほどではなかったように思う。それより、生徒はゲルニカに惹かれ、よく「みて」「考える」ことを展開していた。終盤になってある生徒から「いろんなものをパーツを合わせて描いている。模様が似ていたりするところが。組み合わせて描いているのか?リアルに描かないことでいろんなことが考えられる。悲しい感じもするが、いろんなところをみるうちに楽しくなる、面白くなる、いろんなみえ方ができる。」という興味深い発言が出た。これはキュビズムというものを絵をよくみることで感じ取った発言かも知れないし、描かれているものが多様であることや描かれているものをみて感じる思いが多様であることに気付いた発言ともとれる非常に重みのある内容ではなかったかと思う。この発言がわずか1回の対話型鑑賞で発せられたことを大切にしていかなければならない。
是澤先生は、授業後の自評で
・いろんな意見が出てきた。こんな風に意見が出てくるとは思わなかった。
・時間が足りないくらいだった。
・限られた生徒からではあったが、たくさん意見が出た。
・うれしかったし、驚いた。
と話され、対話型鑑賞に対する不安がいくらか和らいだようだった。ただ、作品に関する一般常識的な解釈から外れることとして、上方に描かれたランプが誕生日ケーキで終わってはまずいと感じられていたようだし、知識を与えないことにも不安を感じているようだった。しかし、戦争の悲惨さを描いた作品ではあるが、生徒の発言からは、白という色に「明るさ」を感じていたり、ろうそくの灯りに「希望の光」を見出したりもしていた。戦争がもたらす「死」は暗く不幸な出来事ではあるが、「希望の」「明るさ」も秘めていると捉えられるこの作品には「再生」「誕生」の意味も込められていると捉えれば誕生日ケーキと解釈したとしても許されるのではないだろうか。
生徒は最後の振り返りのワークシートの記述に真剣に取り組んでいた。どんな記述がなされているのかが楽しみなところである。評価の研修会で生徒の記述をみさせていただきたいと思う。
協議の最後に「滅茶苦茶緊張しました。こんなに緊張するのは新採以来だと思います。」と正直な心情を吐露されたが、授業の初めに生徒に向かって緊張している自分を自己開示されていた姿からもありのままの自然体で普段から生徒に接しておられることが伝わり、情感豊かな是澤先生の人柄に触れている生徒は今日の初めての対話型鑑賞の授業でも安心して発言することができたのだなと得心することができた。
最後に、生徒を信頼し、生徒とともに対話を楽しみながら「みる・考える・話す・聴く」活動を愛媛の推進教員として今後も取り組んでいってほしいと願う。
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