オンラインみるみるの会6月例会 6月12日(土)10:00~11:30 ZOOM(コラボ de ACOPオンラインファシリテーション講座2020)
ファシリテーター:春日美由紀
鑑賞作品「蓮を聴く」橋本明治 島根県立石見美術館収蔵
鑑賞参加者8名(うち1名は途中参加)
コロナ禍が収束しない現在にあっては、美術館で対話型鑑賞を対面で実施することは困難だ。そこで私たちの会もオンラインでの鑑賞会を開催することにした。
初の試みの会で、本会のメンバーの参加者が少なく、中止も止む無しの声もあったが、続けることに意味があると思い、自身のコネクションを使ってメンバーを募ったところ、日本各地から参加していただいた。ありがとうございました。
鑑賞作品は、島根県立石見美術館収蔵の橋本明治作「蓮を聴く」。今の季節にもマッチしていると思うし、別のオンライン鑑賞会で、ちょっとやり残した感がある作品だったので、自分の中ではリベンジの意味もあった。また、教育現場を離れてからファシリテーターをする機会もなくなっていて、勘を取り戻す必要性も感じていた。久々にどこまで出来るか不安もありつつ、ファシリができる楽しみでワクワクもしていた。
鑑賞の流れ
① 画面に大きく描かれている二人の女性のことがまず話題に上がったので、女性にフォーカスしてみてもらった。
出た主な意見
・奥の女性のほうが若い
↑着物の袖が長いことや柄が「麻の葉柄」(※麻の葉はよく茂ることから長寿を願う柄)であることから生命力を感じる
・手前の女性のほうが落ち着いた感じがする
↑着物の色や柄から。座っている椅子の様子も奥の女性の椅子の方が洋風で若々しく、手前の女性のものは木製で色も茶色でゆったりと座れる椅子なので年配
・二人の女性の関係は、母娘、姉妹、同じ人物の若い時とやや年取ったところ
↑顔の作りが似ているところや、着物の様子(若い感じの色と柄と落ち着いた色と柄)から
・奥の女性は亡くなっているのでは?
↑足もみえないし、座っている白い椅子の片方の椅子の脚も無いから(みえないから)
・ポージングしている、自然な姿勢ではない、なぜここでこのようなポーズを取っているのか?
↑奥の女性の姿勢が椅子の背もたれにもたれかかっているところや、手前の女性の椅子もこの時代にはちょっとモダンなリクライニングする椅子にゆったりと座っているところからモデルがポーズしているようにみえる(※「この時代」と言ったので「時代」を確認。大正から昭和初期ごろではないかと回答。女性の着物姿や髪の毛が短髪にみえるところから)
・神秘的な感じ
↑いわゆる影がなくて、周囲を取り囲むように影のようなものがあるところから、現実ではない気がする
・上記の意見に触発されて、この世とあの世のような発言が出る。
② そのつながりの中から、目線が画面左の蓮をみているようだと、左に蓮があるという意見も出たので、左の蓮をみてもらうことにする。
・つぼみの花、咲いた花、枯れて種のできるようになったもの、全てがある
・開こうとしている葉、開いている葉、葉も、いろいろな場面がある
・蓮は仏教では浄土、あの世、蓮の花や葉の様子も様々な様子があるので、輪廻転生を想起させる・奥の女性の延長線上につぼみがあり、手前の女性の目線の先に咲いている花がある。この女性たちの現状と花の様子がリンクしている。麻柄の着物の女性の方は若いから蕾。手前の落ち着いた感じの女性の先には咲いた蓮の花。
③ 花と女性との関係についても発言が出たので、関連付けて考えてもらう。
・蓮が半分しか描かれていないので、その向こうには蓮の世界(あの世、浄土)があって、絵の向こう側をみている。お盆か何かで、亡くなった人を偲んでいる。
・蓮は実在していない。この女性たちの空想の世界、蓮はイメージじゃないか。そのために周囲にあるものを排して描いていない
・表情が明るくなくて、悲しみの表情?偲んでいる
・もしかしたら、蓮の花が咲くのを待っている?奥の若い人は待ちくたびれて飽きている。手前の人はもう少し年配なので落ち着いて待っている。二人の大切な人の命日か何かで蓮の花が咲くのをみているのではないか?
④ タイトル「蓮を聴く」を明かして、それを聞いて、さらに考えられることはないかを問う。
・「聴く」ということで、蓮は存在しないけど、描くことで、仏教の命の尊さとか、そういうものをイメージする
・後ろの若い女性は療養中で、死に向かっているが、抵抗している。手前の人は「まあ、人はいつか死ぬのだから」と「しょうがないわねえ」と受け入れている。「生きたり、死んだりするよ」という蓮のメッセージを聴いている。
・後ろ人は死をまだ受け入れたくない、だからみようとしていない、蓮の方を・・・。でも、気にはなるから、視野の端には入れておくという視線に感じる(遅れて最終盤で参加した方の発言)
鑑賞後の振り返り
前回にこの作品で鑑賞を行ったときに消化不良に感じていた(女性の様子ばかりに話題が集中し、蓮の様子や蓮との関係性について考える時間配分ができなかった)ことは、最初に女性二人をフォーカシングしてみて考えてもらい、次に蓮、最後に蓮と女性の関係やタイトルを踏まえての見方にまで話題が展開できたことで解消できてよかったと思う。鑑賞時間は50分。このくらいの時間は必要なのだということである。遅れての参加者もあったが、全員が発言されてよかった。
振り返り時に、「女性にフォーカスされたので、言いたいことがあったのに言えなくなった。」というのがあった。どのタイミングでフォーカシングに入るのか、微妙なところだと思う。今回は、参加者の性別や年齢層はバランスよかったと思うのだが、最初に、女性が描かれていることが話題として続いたので、男性は言い出しにくいのか、発言が出にくい様子だと判断し、フォーカスすることで「二人の女性」についてしか話せない縛りを付けることで、男性からの発言を促す手を取ったのだが、タイミング的にはちょっと早すぎたのかと反省した。
発言に対して「突っ込み」をかなり入れるところに感心された参加者もいたが、それは戦略(意識的にやっている)というよりは、素朴に、ファシ自身が知りたいことなので突っ込んで訊いているので自然体であると答えたが、「よく聴く」ということは「もっと知りたい」と同じではないかと私は考えている。疑問に感じることを放置しないということ。「わかったつもりにならない」にも通じる。しかし一方で発言の全てを突き詰めていかない「余白」や「泳がし」の塩梅で、「絵に近づきつつ、自分の中では自由(にみて考えること)が花開く感じがしました。」という感想を寄せてくれた参加者もあったので、やはり、「訊き返すこと」と「取りあえず置いておき、後で引き出すもの」の瞬時の選別はファシの能力としては重要かもしれない。※下線部筆者註
また、よくみていく中で、鑑賞者の中から「花の咲くところをみているのではないか?」という発言があったときに、作品に対するリスペクトが一層高まった。作品は人をして作品を語らしめるのである。それは決して一人では辿り着けない、仲間とともにみることで到達できる解釈なのだ。
最後に、場を設定し、参加し、初めて顔を合わす鑑賞者の緊張感を和らげ、話しやすい雰囲気を醸成し、楽しさが感じられるなら、オンラインでの対話型鑑賞会の可能性は無限大だ。このことについては、コロナ様々だと思う。ご参会の皆様に感謝して、またの機会を設定したいと思う。
7月の例会は、本日おわりましたが、8月の例会の予定をご案内いたします。
8月21日(土)9:00〜10:30の予定です。
オンラインなので、ご都合がつけばぜひお待ちしております❤️
ありがとうございます。ぜひ参加させてください!
可能ならs★g★ryin@gmail.com(★=aです)まで、オンライン招待を送っていただけると嬉しいです。お手間をおかけしますがよろしくお願いします