レポート:Art Communication in Shimane みるみるの会 房野伸枝
日時:7月10日(土)10:00~Zoom接続確認 10:10~10:40実践
作品:「断髪の自画像」フリーダ・カーロ 1940年 ニューヨーク近代美術館 蔵
ナビゲーター:房野
参加者:みるみる会員3名 一般の方 1名 計4名
以前、ACOPのオンライン鑑賞会でナビをした作品ですが、みるみるの会では鑑賞したことがないので鑑賞者が違うとどんな内容の変化があるのか試してみようと思いました。
「情報を伝えるタイミング」が鑑賞の深まりに大きな影響があるので、この作品においては、<人物の性別>、<上部に描かれた歌詞の意味>を、鑑賞者がそれらに言及したタイミングで伝えました。
2021.2・28(日)の同じ作品の実践レポートをこのブログにアップしていますが、前半はそれと同じような流れになりました。
以下、鑑賞の流れと <ナビの投げかけ> です。
・まず目に入るのは、周りに散乱した髪の毛の異様さ。
・椅子に座った人物がハサミを持っていることから、床屋などではなく、自信で切ったものであろう。
・髪の散乱さが人物の心情を表している。やり切れなさ、苦しさ。
・顔と髪型はきちっと整っている。自分で切ったけれど、この人物の髪形は整っていて、表情もすっきりしている。周りの散乱した髪からは激情的で、ネガティブなものを感じるが、人物の顔や上方からは冷静さを感じて、背景と人物の矛盾を感じる。
・スーツが鎧のよう。自分で平静を装って、自分の内面は見せないという様子。
・手のきゃしゃな感じ、顔のあごの細さ、体つきの細さからこれは女性では。
・靴がヒールのある女性ものなので、女性だと思う。頬の赤さから女性かも、と思うが、顔からは判別しにくい。
<ここで女性であることを伝え、それを踏まえて何か気づくことはないか?と投げかけた>
・男装している女性。ただし、髪を切って男性に近づきたい願望はあるが、その髪は散らばっているし、女性ものの靴や、きゃしゃな感じから男性になり切れない。でも、女性でありたくない。そんな複雑な心情があるのでは。
・上部の楽譜や文字が気になる。何を表しているのか?バックの壁の色から暗さは感じられない。悲しいとかつらいとかという心情とは違うような気もする。
・髪が女性を象徴するものであることから、それを切ることの意味を考えると、女性の性を捨てたいということなのかも。
<ここで、歌詞の意味を伝えた。「そう、僕が君を好きになったのはその髪のせい。丸坊主になったらもう愛せない」という意味。これを聞いてどうか?>
・あえて切ったんだということはこの歌詞の意味から考えると、男性の恋人と別れる決心をしたのではないか。
・ハサミが開いていることから、断髪はすんでいるんだけど、まだ切りたいものがある、完全に縁切りはできていないということを感じる。左手にも切った髪の束を持っているし。何を切ろうとしているのか。
<まだ切りたいものとは?彼女が何を断ち切りたいのか?>
・髪を握っていることから、思いがまだ残っている。けれど、髪の散乱具合からすでに恋人とは破綻していると感じる。
・髪を切る行為の荒々しさと裏腹に、表情や佇まいから妙な冷静さを感じる。
・決意を感じる。
<彼女が何を断ち切って、なにを決断しているのか?そしてその先にあるのは、彼女にとって何なのでしょう>
・これからの人生を前向きに受け入れて生きること。髪の散乱した状態から変わって、冷静になった自分を表情で表明している。
・イスの黄色も目に入ってくる。暗くはない。椅子の存在感もある。そこに髪が括り付けてある。謎である。
・自身の女性性を切り離したいのに、社会的なジェンダーのために、切り離せない悔しさを感じる。
・悔しいけど前向き、という心情が表情から感じられる。目力の強さ、口元がきりっとしている顔の表情から、女性でもできることがあるということ、大きな決意、目標、大きな志のある人だと感じる。
・イヤリングや女性的な靴などから、女性としての自分を否定しているわけではない。社会的ジェンダーに苦しみながらも、大きな目標をもって前向きに生きていこうとする意志の強さを感じる。
・通常の絵なら歌詞や楽譜を入れたりせずに、絵だけで語ると思うけれど、敢えてこれを入れるということは相当な意図、メッセージが込められていると思う。
前回の鑑賞会では、鑑賞者が歌詞の意味を知る前と後では、絵の解釈が変化しました。意味を知る前は、ジェンダーやアイデンティティ、社会的な要素など、大きなテーマについて語られていましたが、知った後は、「身近な男女関係のもつれ」のように身近なテーマに変わっていきました。
今回は、歌詞の意味を知った上でも「女性性」や「ジェンダー」について語られ、彼女の決意が大きな志に向けられているという意見が出ました。その違いはどこから来たのか、次のように分析しました。
・歌詞が女性の髪についての内容だったことと、女性が髪を切るという行為が何を意味するかを関連させてさらに考えたことで、身近な問題を含めた多面的なとらえができた。
・ハサミがまだ開いて、さらに断ち切りたいものがあること、それは何なのか、断ち切ったあと、その先に何があるのかを想像したことで、この作品の中にテーマを見つけようとした。
髪の散乱した激情的な荒々しさと、逆に冷静に何かを決意したような表情や佇まい、まだ開いたままのハサミや手に握られた髪の束、など、相反する要素に違和感を覚えつつ、終始それを解釈しようとしたことが、鑑賞のおもしろさにつながっていたと考えます。そんなふうに鑑賞者の心をざわつかせるこの作品、フリーダ・カーロに興味が尽きません!皆さんもぜひナビしてみてください。ナビをしながらワクワクできますよ~。
チャットで参加してくださったお二人と、少数でも深い対話を盛り立ててくださったお二人のご協力により、また一つお気に入りの作品が増えました。ありがとうございました!
日時:7月10日(土)10:00~Zoom接続確認 10:10~10:40実践
作品:「断髪の自画像」フリーダ・カーロ 1940年 ニューヨーク近代美術館 蔵
ナビゲーター:房野
参加者:みるみる会員3名 一般の方 1名 計4名
以前、ACOPのオンライン鑑賞会でナビをした作品ですが、みるみるの会では鑑賞したことがないので鑑賞者が違うとどんな内容の変化があるのか試してみようと思いました。
「情報を伝えるタイミング」が鑑賞の深まりに大きな影響があるので、この作品においては、<人物の性別>、<上部に描かれた歌詞の意味>を、鑑賞者がそれらに言及したタイミングで伝えました。
2021.2・28(日)の同じ作品の実践レポートをこのブログにアップしていますが、前半はそれと同じような流れになりました。
以下、鑑賞の流れと <ナビの投げかけ> です。
・まず目に入るのは、周りに散乱した髪の毛の異様さ。
・椅子に座った人物がハサミを持っていることから、床屋などではなく、自信で切ったものであろう。
・髪の散乱さが人物の心情を表している。やり切れなさ、苦しさ。
・顔と髪型はきちっと整っている。自分で切ったけれど、この人物の髪形は整っていて、表情もすっきりしている。周りの散乱した髪からは激情的で、ネガティブなものを感じるが、人物の顔や上方からは冷静さを感じて、背景と人物の矛盾を感じる。
・スーツが鎧のよう。自分で平静を装って、自分の内面は見せないという様子。
・手のきゃしゃな感じ、顔のあごの細さ、体つきの細さからこれは女性では。
・靴がヒールのある女性ものなので、女性だと思う。頬の赤さから女性かも、と思うが、顔からは判別しにくい。
<ここで女性であることを伝え、それを踏まえて何か気づくことはないか?と投げかけた>
・男装している女性。ただし、髪を切って男性に近づきたい願望はあるが、その髪は散らばっているし、女性ものの靴や、きゃしゃな感じから男性になり切れない。でも、女性でありたくない。そんな複雑な心情があるのでは。
・上部の楽譜や文字が気になる。何を表しているのか?バックの壁の色から暗さは感じられない。悲しいとかつらいとかという心情とは違うような気もする。
・髪が女性を象徴するものであることから、それを切ることの意味を考えると、女性の性を捨てたいということなのかも。
<ここで、歌詞の意味を伝えた。「そう、僕が君を好きになったのはその髪のせい。丸坊主になったらもう愛せない」という意味。これを聞いてどうか?>
・あえて切ったんだということはこの歌詞の意味から考えると、男性の恋人と別れる決心をしたのではないか。
・ハサミが開いていることから、断髪はすんでいるんだけど、まだ切りたいものがある、完全に縁切りはできていないということを感じる。左手にも切った髪の束を持っているし。何を切ろうとしているのか。
<まだ切りたいものとは?彼女が何を断ち切りたいのか?>
・髪を握っていることから、思いがまだ残っている。けれど、髪の散乱具合からすでに恋人とは破綻していると感じる。
・髪を切る行為の荒々しさと裏腹に、表情や佇まいから妙な冷静さを感じる。
・決意を感じる。
<彼女が何を断ち切って、なにを決断しているのか?そしてその先にあるのは、彼女にとって何なのでしょう>
・これからの人生を前向きに受け入れて生きること。髪の散乱した状態から変わって、冷静になった自分を表情で表明している。
・イスの黄色も目に入ってくる。暗くはない。椅子の存在感もある。そこに髪が括り付けてある。謎である。
・自身の女性性を切り離したいのに、社会的なジェンダーのために、切り離せない悔しさを感じる。
・悔しいけど前向き、という心情が表情から感じられる。目力の強さ、口元がきりっとしている顔の表情から、女性でもできることがあるということ、大きな決意、目標、大きな志のある人だと感じる。
・イヤリングや女性的な靴などから、女性としての自分を否定しているわけではない。社会的ジェンダーに苦しみながらも、大きな目標をもって前向きに生きていこうとする意志の強さを感じる。
・通常の絵なら歌詞や楽譜を入れたりせずに、絵だけで語ると思うけれど、敢えてこれを入れるということは相当な意図、メッセージが込められていると思う。
前回の鑑賞会では、鑑賞者が歌詞の意味を知る前と後では、絵の解釈が変化しました。意味を知る前は、ジェンダーやアイデンティティ、社会的な要素など、大きなテーマについて語られていましたが、知った後は、「身近な男女関係のもつれ」のように身近なテーマに変わっていきました。
今回は、歌詞の意味を知った上でも「女性性」や「ジェンダー」について語られ、彼女の決意が大きな志に向けられているという意見が出ました。その違いはどこから来たのか、次のように分析しました。
・歌詞が女性の髪についての内容だったことと、女性が髪を切るという行為が何を意味するかを関連させてさらに考えたことで、身近な問題を含めた多面的なとらえができた。
・ハサミがまだ開いて、さらに断ち切りたいものがあること、それは何なのか、断ち切ったあと、その先に何があるのかを想像したことで、この作品の中にテーマを見つけようとした。
髪の散乱した激情的な荒々しさと、逆に冷静に何かを決意したような表情や佇まい、まだ開いたままのハサミや手に握られた髪の束、など、相反する要素に違和感を覚えつつ、終始それを解釈しようとしたことが、鑑賞のおもしろさにつながっていたと考えます。そんなふうに鑑賞者の心をざわつかせるこの作品、フリーダ・カーロに興味が尽きません!皆さんもぜひナビしてみてください。ナビをしながらワクワクできますよ~。
チャットで参加してくださったお二人と、少数でも深い対話を盛り立ててくださったお二人のご協力により、また一つお気に入りの作品が増えました。ありがとうございました!
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