宿坊に泊まった翌日、いよいよ高野山もクライマックスです。弘法大師が永遠の祈りを今も捧げているという御廟までの約2kmの参道に、20万基を超える諸大名の墓石や記念碑・慰霊塔が立ち並ぶ聖地・奥の院へと向かいます。
奥の院の駐車場に近い中の橋入り口では、4月末だというのに枝垂桜が参拝者を出迎えていました。
広い参道の両側に、石灯篭や記念碑が立ち並んでいます。よくみると、シロアリ協会のシロアリ供養塔、足袋の福助による「福助」の石碑が建つ像など、企業によるPRと思われるものも並んでいます。
変わったところでは、ヤクルトの飲料容器の形をした石碑が建つもの、コーヒーカップが目立つようにどーんとおいてあるUCCの石碑があります。
もちろん、企業のCMだけでなく、無数のお地蔵さんや歴代の大名や有力者の供養塔なども並んでいます。
こちらは豊臣秀吉の墓。天下人らしく立派です。
織田信長の供養塔は、石自体はデカいですが、敷地自体はあまり広々としたものではありません。
ちなみに、こちらの立派なのは、初代越前福井藩主・結城秀康のもの。以前来た時は気づかず通り過ぎていましたが、福井在住の今となってはピンときて目に留まりました。
そして、この御廟橋から奥は、弘法大師が今も祈りをささげている御廟があるため、脱帽・撮影禁止とされています。
橋から見る川面にも、卒塔婆の様なものがたくさん建てられていました。
開創1200周年ということで、遠方からの檀家による団体参拝も多く御廟前では、大勢の人が読経をしていました。また、帰り際には、御大師様に食事を運ぶ光景も見ることができ、畏れ多くもありがたい気持ちになりました。