
読みました。それ以前の巻からの引用もあり、
ローマ帝国歴史総ざらいも出来ました。
最後まで興味深く読み終えたのは、
やはり塩野七生さんの力量なのでしょう。
どのようにローマ帝国が滅んでいったのか、
じっくり読ませていただきました。
ローマにとっては、長年にわたって使い慣れた政略であり戦略であった「毒をもって毒を制す」式の戦略を使い、滅びようとする帝国を何とか食い止めようと画策している軍司令官がいる一方、これを妨害する無能な皇帝と官僚。そして誰も気づかないうちに滅びていくのでした。
「しかし、専制君主国では、君主は決定するが責任を取らない。そして臣下は、決定権はないが、責任は取らされるのである。とくにキリスト教国家では、君主は神意を受けて地位に就いている存在であって、その君主に責任を問うということは、神に責任を問うことになってしまう。」
著者の歯切れのいい文章は読んでいて心地いいです。
普段もやもやとしていた事柄をピンポイントに突いてくる箇所が出てきたりすると特に。
「ローマ史も終わりに近づくにつれて、これまでにも私の頭を占めてきた想いの中でも とくに一つが、少しずつ、しかし確実に、占める場を広げてきているような感じがしている。人間の運・不運は、その人自身の才能よりも、その人がどのような時代に生きたか、のほうに関係してくるのではないかという想いだ。」
「勝ったナルセスは、敵兵の死骸で埋まる中にひざまずき、神とキリストと聖母マリアに感謝の祈りを捧げた。敗れたゴート人もアリウス派ながらキリスト教徒ではあったのだが、正統カトリックとは、神は自分たちとともにあり、敵の側にはいないと信じて疑わない人々なのである。」
以下の引用部分を読んでも 遠い昔のローマ時代だけに限らず、今の時代にも
当てはまるところが多くあります。
「帝国は、傘下に置いた諸民族を支配するだけの軍事力をもつから帝国になるのではない。傘下にある人々を防衛する責務を果たすからこそ、人々は帝国の支配を受け入れるのである。
兵士もカネもなくなったから、もはやおまえたちを守る役目は果たせなくなった、ゆえにこれからは、自分で自分を守れ、と突き放したのでは、もはや帝国ではない。
西ローマ帝国が崩壊するのは紀元476年になってからだが、紀元410年の時点ですでに、事実上ならば崩壊していたのである。」
「ベリサリウスが去って行った後のイタリア半島。
安全を保障するという為政者にとっての第一の責務を果たせないでいるにかかわらず、ビザンチンの行政官たちは、税金の徴収だけには熱心だった。しかも、行政官僚への汚職収賄は日常茶飯事という、ビザンチン帝国の習慣も移入したのである。」
人の活用方法の下手さ。これは現代とも相通ずるところです。
「23歳の皇帝は、48歳になる忠臣に、会おうともしなかったのである。
後世の歴史家の一人は書いている。28年という長きにわたったホノリウスの治世の中で、この皇帝が自分で決めた唯一のことが、スティリコの処刑であった、と。」
「もしも生きていたら何かできたかもしれないボニファティウスは、西ローマ帝国自らが
葬り去った。」
「紀元408年に皇帝ホノリスによって死刑に処されたスティリコの退場は410年の西ゴート族による「ローマ劫掠」を招いたが、紀元454年の皇帝ヴァレンティニアヌスの手になったアエティウスの死は、455年6月の、ヴァンダル族による「ローマ劫掠」を招くことになる。
西ローマ帝国が効き腕を失ったことは、ローマ人よりも蛮族のほうによくわかることらしかった。
アッティラは3年前に死に、2年前にはフン族は霧散している。だが、1年前には、“右腕”アエティウスを、皇帝自ら手を下して殺していた。そして、今年になってからは、その皇帝もアエティウスの旧部下2人に殺され、その後を受けたマクシムスが皇帝に即してから、まだ2ヶ月しか過ぎていなかったのである。」
歴史を学ぶことは、『過去にこういうことがあった』という事実と知るだけでなく、
繰り返される事象もあることを知ることもためになります。
「スキピオ・エミリアヌスは敵の運命を想って涙を流した。
勝者であるにもかかわらず、彼は想いを馳せずにはいられなかった。人間にかぎらず、都市も、国家も、そして帝国も、いずれは滅亡を運命づけられていることに、想いを馳せずにはいられなかったのである。トロイ、アッシリア、ペルシア、マケドニアト、盛者は常に必衰であることを、歴史は人間に示してきたのだった。」
毎年楽しみに読んできましたが これでお仕舞いと思うと 本当に寂しいです。