「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」
有名な平家物語の冒頭の一節です。
祇園精舎とは、昔、お釈迦様が25年いて布教活動をしたという古代インドの僧院で、
お釈迦様に深く帰依したインドのスダッタ長者が建てて釈迦に寄進しました。
そこには多くの僧侶が修行する沢山の院や坊があり、この精舎には
無常堂という堂がありました。修行僧が病にかかり、助からないとわかった時、
自らこの堂に入り静かに最期を向かえたというお堂です。
臨終の時になると、堂の四隅の梁に架けられた鐘がひとりでに
「諸行無常、是生滅法(ぜしょうめっぽう)、生滅滅己(しょうめつめつい)、
寂滅為楽(じゃくめついらく)」(この世の全てのものには永遠不滅ではなく、
生あるものは必ず死ぬ。死んで楽となす。)と鳴りました。
これは仏の教えを詩の形で表したもので、この鐘の音を聞いた病僧たちは、
それまでの苦悩が取り払われ、極楽浄土にいったといわれています。
「沙羅双樹の花の色」は、お釈迦様が弟子を伴いクシナガラのはずれの河のほとり、
沙羅の木の下で最後の説法を終えて亡くなった時、辺りの沙羅双樹の花が悲しみのあまり
枯れて真っ白になったという故事にもとづいて語られ、お釈迦様のような偉大な方でも、
いつかは死を向かえなくてはならないという道理を現しています。
次に、盛んな者はいつか必ず衰え、おごれる者も長続きはしない。
それはまるで春の夜の夢、風の前の塵のようだと述べ、それを身をもって
あらわした異朝・本朝の人物を登場させます。
中国秦の趙高(ちょうこう)、漢の王莽(おうもう)、梁(りょう)の
朱异(しゅい)、唐の禄山(ろくさん)の四人の名をあげています。
禄山は玄宗皇帝・楊貴妃に叛き、反乱を起こした安禄山です。
日本の例では、東国で承平の乱を起こした平将門、
同じ頃、瀬戸内で海賊として暴れまわった藤原純友(すみとも)、
それから八幡太郎義家の子の義親(よしちか)は、九州で乱行し
流罪となりましたが、罪に服さなかったので平正盛に討たれました。
そして源義朝を語らって平治の乱を起こした藤原信頼。
つい最近の例ではと平清盛を紹介しています。
六波羅の入道、前太政大臣、平朝臣清盛公という人のありさまは、
想像を絶し話に聞くだけでもその傲慢さと横暴は、
筆にもことばにも表せないほどである。と語っています。
沙羅双樹の花をご覧ください。東林院の沙羅の花を愛でる会
『参考資料』
新潮日本古典集成「平家物語・上」新潮社 水原一「平家物語の世界・上」日本放送出版協会