清盛が熱病の時に水薬師寺の「岩井の井」の水を浴びると、
たちまち病が治ったと伝えています。
水薬師寺は非公開寺院ですが、寺の許可を得て拝観させていただきました。
塩通山匡王院水薬師寺
もとは真言宗東寺派に属していましたが、今は単立寺院となっています。
水薬師寺略縁起によると、昔、この地に大池があって日に5回も干満するので、
若狭国の海水が奈良の二月堂の閼伽井(あかい)に通う潮の道筋にあたると考え、
この付近を塩小路と呼ぶようになったという。
理源大師聖宝がこの池の中から薬師如来を拾い上げ、
これを安置したのが起こりといわれ、京都十二薬師の一つに数えられました。
入道相国清盛が晩年重い熱病にかかった時、
体を冷やしたという湧き水は、かれて現在はありません。
かつて境内にあった弁財堂に祀られていた弁財天は、
清盛が安芸の宮島から勧請したと伝えられています。
寺は西八条殿跡近く(市バス七条御前下車7分)にあり、幼稚園を併設しています。
本堂の薬師如来堂。
東国で頼朝、信濃の木曽義仲が挙兵、頼朝は富士川の戦いで大勝利し、
やがて九州、四国、南海と叛乱は広がり、
平家はしだいに窮地に追いこまれていきました。そんな中、清盛が発病しました。
体は火を焚くように熱くなり、寝所から4、5間(7~9m)以内には
熱くて近づけませんでした。ただ「あた、あた」と言うばかり。
比叡山より千手井の水を汲み石造りの水槽にたたえ、
その中に清盛をつけると水はぐらぐらと沸き上がって湯になってしまい、
筧の水を体に注ぎかけると、石や鉄が焼けるように飛び散ります。
清盛の北の方・二位殿(時子)の見た夢も恐ろしく、馬や牛のような
顔をした者たちが、猛火につつまれた車を引いてやってきました。
自分たちは閻魔庁から清盛を迎えにやってきた者だ。と言い、
東大寺の大仏殿を焼き滅ぼした罪により清盛は無間地獄に落ちるというのです。
夢から覚めた二位殿は霊験あらたかな都内外の寺社に宝物を献納して
病気平癒を祈りましたが何の効果もありません。
弱る息の中で清盛は「何も思い残すことはない。ただ一つ、
頼朝の首を見ないまま死んでいくことが心残りである。自分が死んだら
堂や塔を建てなくてよい。死後の供養もしないように。ただ頼朝の首を
墓前に供えてほしい。それが何よりの供養である。」と
何とも罪深い言葉を残し、発病して僅かに一週間余り、64歳の最期でした。
千手水(弁慶水)
東塔西谷にある山王院の本尊千手観音に供える水を汲む井戸を千手井といい、
冷水が湧いていました。この水を病に苦しむ清盛の熱をさますため、
この井戸の水を水槽にはって清盛に入らせたと『平家物語』にあります。
比叡山で修行していた弁慶が一千日夜にわたって
山王院の千手観音に剛力を祈り、この観音様にささげる水を汲んだ所ともいう。
平家物語が記す清盛が激しい熱病に苦しみながら死んだ事について、
誇張もあるのでしょうが、病名について都でいろいろな噂が
飛んだことや熱病で亡くなったことが他の記録類にも記されています。
突然異常な高熱が出て数日で死ぬことや親友の藤原邦綱が
同時に病み清盛のあとを追うように亡くなったことから、
二人の病名はマラリア、髄膜炎、インフルエンザからの肺炎などと推測されています。
清盛が亡くなったのは九条河原口の平盛国の家であったと
「吾妻鏡」養和元年(1181)閏二月四日条にみえます。
続々と上る謀反ののろしの中での突然の病に襲われた清盛、
とりわけ平治の乱の後、死罪にするはずの頼朝を池の禅尼に嘆願され、
伊豆に流しました。その頼朝が謀反を起こし、源氏の旗頭となって
兵を進めてくるという、清盛はさぞ無念だったことでしょう。
清盛には死去後の反乱軍鎮圧や政治の事など気がかりな事が多くあり、
最期を迎える日の朝、後白河院に使者を送り自分の死後のことは
万事宗盛に命じたので、天下のことは宗盛とはかってほしいと伝えましたが、
院は平氏を見限ったのか、足元をみたのか、返答は曖昧でした。
怒った清盛は「天下のことはすべて宗盛が指図する。異議は認めない。」と
苦しい息の中でいいながら無念の最期を迎えました。清盛の葬儀の日、
後白河院のいた最勝光王院の御所から高らかに今様を歌う声が聞こえてきた という。
『アクセス』
「塩通山匡王院水薬師寺」京都市下京区七条御前下ル石井町54
JR西大路駅下車徒歩約10分又は市バス七条御前下車7分
「比叡山延暦寺」
滋賀県大津市坂本本町4220
京都駅から京阪バスまたは京都バス約1時間10分
(本数が少ないのでご注意下さい)延暦寺バスセンター着
JR湖西線比叡山坂本駅下車、連絡バス7分でケーブル坂本駅からケーブルで延暦寺駅へ
『参考資料』
元木泰雄「平清盛の闘い」角川ソフィア文庫 元木泰雄「平清盛と後白河院」角川選書
上横手雅孝「平家物語の虚構と真実」(上)塙新書 高橋昌明編別冊太陽「平清盛」平凡社
上杉和彦「平清盛」山川出版社 竹村俊則「昭和京都名所図会」(洛中)駿々堂
現代語訳「吾妻鏡」(1)(2)吉川弘文館 「平家物語」(中)新潮日本古典集成
「平家物語」(上)角川ソフィア文庫