源氏軍が布陣した玉島乙島の常照院境内にも
「源平水島合戦城趾」の碑があります。
玉島大橋(全長460m)の西側にある
源平合戦水島古戦場の碑から、東側の乙島へ渡ります。
かなり車の往来があり、大きな車が通るたびに橋はゆれます。
玉島大橋別名源平大橋
ここから眼下に平家が北陸道の倶利伽羅合戦の屈辱を
ようやく晴らすことができた水島合戦の舞台、玉島港を一望できます。
スカイブルーに輝く海は、かって源平両軍が
死闘を繰り広げたとは思えないほど穏やかです。
常照院は丘の上にあります。
乙島へ入ると周辺の道巾は狭く、
車が一台やっと通れる程の細い道が続き、
地図を片手に高台にある常照院に上ると、
平家軍が陣を張った柏島一帯が遠望できます。
倉敷市域の海岸線は中世末期以降の干拓によって変化し海域は陸地化し、
戦後になると干拓地・埋立地は次第に南方にも拡大し、
水島コンビナートが形成されました。
玉島大橋から南方の海を見やればコンビナートに出入りする
タンカーが遠くに見えます。
源平水島古戦場(1)柏島
『アクセス』
「常照院」倉敷市玉島乙島257
JR「新倉敷駅」前から両備バス「玉島中央町」下車 徒歩約40分
『参考資料』「検証・日本史の舞台」東京堂出版