地下鉄「妙法寺駅」から旧市街地の方へ歩くと、妙法寺小学校の近くに
如意山(毘沙門山とも)妙法寺(高野山真言宗)があります。
寺伝によると、行基菩薩のつくった毘沙門天を
天平10年(738)、聖武天皇の勅願によって祀ったのが始まりとされ、
かつては七堂伽藍37坊を擁する広大な寺域を占めていました。
その後、承和6年(839)定範上人により復興され、
平清盛が福原遷都の時、乾(北西)の方位にあたることから、
京の鞍馬になぞらえて新鞍馬と称し、
福原の鎮守の地としたと伝えられています。
足利尊氏の軍が西国に敗退した際、
高師直(こうのもろなお)らの兵火によって全山焼失し、
元禄10年(1697)に再建されましたが、昔日の面影はありません。
須磨区内には、主な観光地を中心に案内サイン「須磨楽歩」が設置されています。
毘沙門天妙法寺と示された標柱。
山号は如意山または毘沙門山、高野山真言宗に属し、寺の伝記によると、
天平10年(738)聖武天皇の勅願によって建てられたとされています。
のちに、平清盛が福原(現在の神戸市兵庫区平野周辺)に都を移したとき、
都を守る霊場として「新鞍馬山」の勅願を賜ったと言われています。
最盛期には七堂伽藍37坊を誇り、付近にみられる寺にちなんだ
多くの字名が広大な寺域であったことを今も示しています。
御本尊の「木像毘沙門天立像」は、平安時代末期に楠材で造られた
充実感のある整った尊像で国の重要文化財に指定されています。
また、市の指定有形文化財である「木像聖観音立像」は、
平安時代の作で、霊木から仏さまが出現しつつある過程を表す
「霊木化現仏」と考えられています。このほか、南北朝時代に造られた
「銅製鍍金釣燈篭」をはじめ、平安時代の写経や南宋時代の
版経など数多くの寺宝を有しています。毎年1月3日には追儀式が行われ、
市の登録無形民俗文化財となっています。神戸市教育委員会(説明板より)
本尊の毘沙門天像が祀られている本堂。
鐘楼
本堂の西裏手には、南北朝時代に浄照が建てたという
石造宝篋印塔(県文化財)があります。
県指定文化財 石造宝篋印塔
指定年月日 昭和46年4月1日 所有者管理者 妙法寺
宝篋印塔とは、経典の1つである陀羅尼経を納める塔をいい、
後には供養塔・墓碑塔として建てられるようになった。
この塔は約600年前に浄照という僧によって建てられたもので、
花崗岩で造られ、基礎以上2・02メートル。
台石の正面、両脇に、応安3年(1370)の刻銘があり、
造立年次が明らかな上に、各部が完存し、
姿態もよく整っている点貴重といえる。なお、この塔は、
昔ここより北にあたる車村への道筋に建てられていたものである。
平成4年11月 兵庫県教育委員会
毎年1月3日の午後には、平安時代から続く勇壮な踊りの追儺式が行われます。
太郎・次郎という八鬼(はちき)と小鬼が松明をふりかざしながら、ほら貝と
太鼓の音にあわせて本堂の回廊を練り歩くという古式にのっとった行事です。
鬼踊りとも呼ばれる追儺式の後には、「もちまき」が行われます。
『アクセス』
「妙法寺」 兵庫県神戸市須磨区妙法寺毘沙門山1286
神戸市営地下鉄西神・山手線妙法寺駅より徒歩約10分。
『参考資料』
「兵庫県の歴史散歩(上)」山川出版社、1990年
「源平と神戸」神戸史談会、昭和56年